2020年10月02日

中秋の名月

今年の中秋の名月は全国的によく晴れたようで、SNSにはたくさんの美しい月の写真がアップされていた。

私も少し撮ってみたのだが、計画性のない、にわか撮影では良い写真が撮れるわけでもなく、「ほら」って、撮った月の写真を生徒に見せたら、「今いちですね」と返された。
確かに、大した写真ではなかった…。

対象は美しいのに、綺麗な写真がとれないということは、私の心が澄んでいないのだろう。

先日、インスタに彼岸花の写真を載せたら、それを見た中3の生徒が、「僕にその写真を送って下さい」と言う。

私は、「送り方が分からないよ…」、と言うと、数日後に、ダイレクトメッセージが来て、「ここで送れるはずです」、と教えてくれた。

その際、何度かのメッセージをやりとりしたが、「僕も写真を撮ってみます」、というものだから、「美しい写真は、美しい心の時に撮れる」、と返した。

いやはや、中秋の名月は美しいにも関わらず、大した写真が撮れなかったということは、私の心が乱れていたということだ。

もちろん撮影技術云々もあるが、やはり心の状態が安定していないと、美しい写真は撮れない。

私は以前から、自然の写真を撮って、日付ごとにフォルダーを作って保存している。

だが、ときおり振り返って見ると、「ある期間、撮影していない時期」があることに気づくのだ。
もちろん、忙しかったということもあろうが、それよりも増して、「写真を撮るという心の余裕がなかった時期であった」とも言える。

美しいものを、素直に美しいと思える心は、人間が本来持っている思いだが、これが、心の安定していない時期には、美しく見えないのだろう。そしてそれは写真に収めても美しさが薄らいでしまうらしい。

あたかも、心の中の湖面に映った映像が、波だった思いで、乱され、静止しない状態なのかも知れない。

瞑想法の一つに、『満月瞑想』なるものがある。
心の中に満月を想うもので、いろいろな方法があるが、その中で、湖面に満月を映し出すというものがある。当然、さざ波が立っていたら、満月はまん丸には見えない。
心を落ち着かせ、平らかにして、鏡のような湖面にして、そこの満月を映し出し、心を落ち着けるというものだ。

知らず知らずのうちに、私の心は乱れていたようである。
まさに、「心がきれいじゃないと、美しい写真は撮れないものだ」、という事実は揺るがないらしい

今月はもう一度、満月がやってくる。
その前に十三夜もある。

心を整えて、もう一度チャレンジしてみようと思う。
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