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2020年09月20日

聖職者の生き方

先日『サラメシ』というテレビ番組を見ていたら、若い牧師さんの生活が紹介されていた。
教会の二階に住み、毎日のお勤めや、日曜礼拝を行っている青年である。

その中で、彼は、
「私は主の代理で、お勤めをしています。畏れ多いことですが、魂としての喜びがあります。」
と言う。

これには脱帽である。
まさに聖職者だ。

そういう敬虔さが、信者を獲得し、さらに若者への感化も生まれるのだろう。

仏教、キリスト教、イスラム教、その他多くの諸宗教には、多くの聖職者たちがいるが、彼らのどのくらいの者が、こうした考えで聖務を行っているのだろうか。

「どのくらいの給料なのですか?」、というテレビ局のゲスな質問には、
「大卒の初任給よりは低いです。」
と、併せて、「年齢にかかわらず、一緒なんですけどね…」、とも…。
そして、「慎ましく生きれば、やっていけます」、と堂々と答えていた。

彼ら牧師たちは、教会に派遣されているので、一時期、止宿はしているが、しばらくすれば、また別の教会に派遣される。だから、個人としての持ち物も、必要最低限だ。

彼ら聖職者は、神に命を差し出しているのだ。
仏教的に言えば、仏に命を布施しているということになる。

給料が低いとか、自由な時間がないとか、行動が制限される、などというこの世的な価値観を超えて、神のために尽くしているのである。
そしてその姿が、人々に勇気を希望を与え、結果的に人々をも救っていることになる。

いつの時代にもこうした存在はいる。
決して目立つことはないが、すべてを捧げ、信仰に生きている人々である。

私も、そんな彼らと同じ世界に生きているにもかかわらず、少しわがままが過ぎたようだ。

思えば、与えられていることばかり。
思い返せば、不自由など、それほどない。

私自身の自戒を込めて…。




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