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2020年05月08日

集合写真

教室の廊下に、入学式から一週間後あたりに撮ったとおぼしきクラスの集合写真が貼ってある。
初々しい中学一年生のそばに、担任が立っている。
一番の笑顔は担任だ。

その笑顔からは、これから始まる中学生活を、素晴らしいものにしようという意気込みに加え、その新鮮さと、任せられた責任。そしてなによりもクラス担任である喜びが見て取れる。

果たして、私がそこに写っていたら、誰よりも美しい笑顔で、そこに立つことができるのだろうか、と考えた。

私は写真を撮られるのが嫌いである。
そこに写る私の姿が美しくないからでもある。
身体が曲がったり、首が斜めになっていたりする。
その上、作り笑顔なのだ。

いつか、美しく写真に写りたいものだ、とは思うものの、写真に写り込むことが少ない私は、なかなか写りのいい写真にはならない。おそらくは、心が汚れているのだろう。

ふと、太宰治の小説の冒頭、『私は、その男の写真を三葉、見たことがある。』を思い出した。

彼の小説『人間失格』のように、自分自身を卑下し続け、さらにおとしめる気持ちはないが、その写真の世界が、何だかとても遠い世界のように思えてしまうのだ。

その若い担任の笑顔は美しい。
それに呼応するかのように、子供たちも満面の笑顔なのである。

コロナ自粛で、入学式後の記念撮影が、ネットの双方向配信の顔写真になったというニュースを見た。
「ハイチーズ」、と教師が促し、画面の中の生徒たちがポーズをする。
「これが、君たちの記念撮影だよ」、と語る。

誰がこんな世の中にしたのだろうか。

政府による官製不況も着実に進んでいる。

私立学校では、親の収入が断たれれば、学費の工面がつかなくなり、退学や転校を余儀なくされる生徒が出現する。

何年かあとに、集合写真を見て、
「あいつは、いなくなっちゃったんだよな…。」
などということが起こる。

一方、当の本人にとって見れば、いたたまれない写真になってしまうのだろう。
一瞬を切り取る写真は、あるときは残酷な思い出にもなる。

高校の担任が叫ぶ。
「先生、聞いて下さい。T君が来て、新学期になってはじめて全員がそろいました。」
ようやく全員がそろったクラスで、記念写真を撮ったらしい。

担任が写真を撮ったので、喜びのあまり興奮状態の担任は写ってはいないが、何事もなかったかのようにT君は中央に鎮座している。

これも思い出の中の、貴重な一枚になるはずだ。
きっと卒業アルバムの一ページを飾ることになろう…。





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