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2019年10月21日

『死』を語る

映画『世界から希望が消えたなら』を見た。

ひとたび『死』を覚悟した主人公が、再び復活するというストーリーである。
医学的には『死』を迎えたにも関わらず、生き返るのである。
ただ、その間も、入院しているとは言え、普通に生活をしている。

歳をとると、自ずと『死』を意識する。
『病気』も心配になるし、残された者への配慮も必要になる。

この映画を見て、私がもっとも思いを巡らせたのは、春に亡くなった父のことである。

「父が危ない…」、と母から連絡が来たのは、亡くなる前日のお昼頃。私は翌日の午前中に出張を控えていた。県下の交通安全協議会である。ここ何年も、自分で行っていないので、学年主任も担任も外れた今年は、自分で参加しようと思っていたのだ。だから、その会議に出て、午後から東京に向かって、そのままもしかしたら泊まりかな…、くらいに思っていたわけだ。

だが、本当はそうした話を管理職にしたときに、「すぐに帰省してください。出張はなんとかしますから…」、と言って欲しかったのだ。

最近になって、「自分の本心は、そうだったのだ」、と気がついた。

父は、翌朝早く息を引き取った。
母の、「すぐ来て!」、の言葉にすべてをキャンセル。

出張する予定であった会議も、事務方が出勤したと思われる時間を見計らって、新横浜駅で電話をした。管理職には、その後電話をした。

父は脳に腫瘍ができて手術をして一命を取り留めたが、その数年後再発したことが、なくなる原因になっている。病院での検査で発見され、一週間も経たないうちにあの世に旅立った。

映画では、自分の意思で病気を治していく。

父の場合は、身体も不自由になり、やや地方も始まり、「訳も分からない」うちに呼吸困難になり、死亡したものと思われる。

私は、人間の本質は霊体であり、魂が本質であることを確信している。
だから、父の元に到着したのちは、花が咲き乱れる施設の庭を、父と共に散歩している。

『死』は誰からも逃れられない。
だが、その『死』があるからこそ、人生修行は充実したものにもなる。

そんな話を、葬儀が終わってから授業中に生徒たちに話しをしたが、ありにリアル過ぎて、どうリアクションしてよいか分からなかったようではあった。

だが、これが真実なのだ。

人は『死』を知ることで、何かが変わって行く…。このことは、紛れもない事実だ。
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