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2018年10月05日

F君の「死ね」

人間は、人生の中で、「どん底に落ちたとき」か、「最高に調子の良いとき」にその人の本性がよく分かると言う。

中学生は、まだまだ短い人生だから、このどちらもなかなか経験できるないだろう。
しかし、運動などをして、ふと気持ちがリラックスしているときには、その人の本性が見えてくることが多い。

本性とは、本来持っている性格である。
普段は、教室で、先生の言うことを聞く(ふり)をして、それなりに指示に従っているが、いざスポーツとなると、白熱している間に、自制心が少なくなり、本音が出る。抑えていた思いが飛び出してくるという訳だ。

私の学年は、運動部に入部し発散する生徒が極めて少ない、異常値の状態なので、彼らにとっての本性が現れるのが「体育の授業」になっている。

人によっては、身体を動かすのは、週に3時間ある体育の授業だけ。
何キロも歩いたり、自転車に乗って通学することもないから、圧倒的に運動不足なのだろう。
小柄なF君は、いつも
「疲れた」
と、連絡ノートに書いてくる。

授業中も、だらっと手を伸ばし、その上に顔を載せ、起きているか起きていないんか分からない授業を受けていることも多い。

もともと地頭が良いので、おそらくどの授業も理解していると思うが、とにかく何事においても、
「めんどくさい。」
「疲れた。」
となる。

そんなF君だが、私には頭が上がらないようで、私の頼み事は、ほぼ責任をもってこなしてくれるのだ。

ところが、体育の時間は違った。

自分の気に入らないことが起こると、
「死ね」
と叫ぶ。

普段は、私から抑圧されているのか、この体育の時間ばかりは、本音というか、心に溜めたものがどんどん吐き出されるようである。

ここで、吐き出してバランスをとっているのかもしれないが、言われる方は、不快極まりない。

「F君、一緒に片付けようぜ。」
「死ね。」

「ちゃんと並ぼうよ。」
「死ね。」

矛先の相手は、同級生のみならず、先輩だろうが後輩だろうが、先生だろうが関係ない。
気に入らないことはすべて
「死ね。」
となる。

私も、陰で言われているのだと思うが、今のところ面と向かって言われたことはない。

おそらくは、孤独感と愛情不足だろう。

「寂しいんだろな…。」
と、一日も何度も声を掛ける。

そんなときのF君は、まんざら迷惑ではなさそうだ。
「結構、心優しい、イイ奴なんだけどな…。」
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