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2022年06月09日

仕事に愛を込める

「やっつけ仕事では駄目なんです。そういう仕事は必ずといっていいほど、保護者のクレームになるのです」

教頭が職員会議で訴えた。
確かに、「真心を込めて、丁寧に仕事をすること」はとても大切なことだ。忙しい中であっても、「手を抜かず」、誠心誠意行うことは、ミスも防ぎ、また他の人への配慮にもなる。

このことは別の言葉で言えば、「仕事に愛を込める」ということでもある。「愛」とはもちろん男女の愛ではない。相手の立場に立ち、その仕事が、光を放つよう、心を込めて行うということである。時間の切り売りではなく、その仕事が多くの人に役立ち、また幸福をももたらすもの、という意味である。

これが本来の仕事の姿なのだが、人はどうしても怠けてしまうので、職場にはたいてい何人かは、仕事をさぼりがちな人が現れる。意識してか無意識下はわからないが、傍目からは、仕事をしていないように見えるのだ。だが、じつはよくよく観察してみると、そんな人でも、見えないところで結構仕事をしていることもある。まさに、人は見かけによらない。

一方、ひどく疲れている時には、どうしても手を抜いてしまったり、やっつけ仕事になってしまうこともあるのだろう。だが、そうした事態をできる限り、自らの心身の健康状態を保つということも、仕事をする上での大切なポイントになるはずだ。

一日二十四時間の三分の一の八時間程度、人は仕事に従事する。その仕事がレイバーなのかワークなのかも問題だ。世の中、どれだけ仕事に生きがいを感じている人がいるのだろう。われわれ学校現場で働いている人間は、たいていそれなりの「やりがい」を感じているという人が多いだろうが、実際いろいろな仕事現場ではどうなのだろうと思う。

その意味では、前述の教頭の言葉に対しては、「でもね…」と言いたくなる人もいるだろう。しかし、「可能な限り、奮闘して仕事に努めるべきである」という考えは、誰にも否定できまい。

さて、果たしては私自身は、「仕事に愛を込められている」だろうか。
やはり、けっこう手抜きをしているのではないかな。
給料の分だけ働けばいいと、思っているかも知れないな。
とてもじゃないけど、「仕事に命をかけている」とは言いにくいな。

少し自らを振り返るきっかけにはなった…。
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2022年06月06日

学校を辞めるということ

また一人、生徒が去っていくことになった。
どうしても私立学校では、親の都合や、生徒指導関連で学校を去る生徒が発生する。

おそらく担任は断腸の思いだろう。

親の都合は、たいてい金銭的な問題だ。
私立学校は公立学校と比べて教育にかかる費用が高いので、親の収入が減ってしまった時などは、公立学校への転校等を余儀なくされる場合や、就職して稼ぎ元になって欲しい、という親の要望も生じる。

中学は義務教育だから別だが、高校生ともなれば、ある程度の自立を促すことは、世の常でもある。以前私が努めていた学校の先生で、ある地学の先生は、息子に対して「高校からは援助しない」と宣言し、可能な限り自ら生計を立てることを求めていた、そうした環境下で、高校に通い、学業を行うことは、他の人と比較すれば極めて困難には違いないが、「自立」という観点からすると、大変ユニークで、「子どもを思った」教育方針ではないかと思う。

一方、生活指導上のペナルティで学校を去る場合は、なかなか複雑だ。
だいたいにして私立から公立への転校は嫌われる。公立の先生からは、「自分たちで指導できないから追い出した」と思い、「問題生徒を押しつけている」と感じるはずである。特に中学校三年生での転校は、先方にも多大な迷惑がかかる。

また、当事者と関係する生徒が、転校を免れ、学校に残った場合には、心のケアも必要になる。合わせて、いろいろな噂話も飛び交い、けっこう苦しい環境下での学校生活になるだろう。そうした中で、学校生活を過ごすことが、ある意味、新生のための課題であり、乗り越えなければいけない試練なのだろう。

私は、これまでたくさんの生徒と関わってきたが、振り返ってみると、何人もの生徒を転校させてしまった。不登校になり進路変更した生徒、生徒指導上で学校にいられなくなった生徒、保護者の収入が絶たれ、やむなく去っていった生徒。

彼等はその後、幸福になったのだろうか。今はどんな人生を歩んでいるのだろうか。

手がかかり、保護者からも無理な要望が来ると、学校からいなくなって「ほっとした」という気持ちも湧いてしまうのかも知れない。

しかしそれは、逆に言えば、学年や担任としての「指導力不足」であり、教員としての「努力不足」であり、学校全体としても、「個別対応不足」である。

必ずやその経験を、次に生かさなくてはなるまい…。

2022年06月05日

天空の極楽

またしても朝から時間が空いたので、ぶらっと山に出掛けた。ほぼ十日ぶりである。

若干天気が心配だったが、雨の心配はないようだったので出発。途中から晴れ間も覗き、視程もよく、遠くの山々も見えた。以前の雪山も、だいぶ雪が減ってきた感じだ。風も爽やかで、とても心地よい山行になった。

このところ、部内でコロナ陽性者が出たため、活動を自粛している。そのため、私自身の時間が少し取れている。今朝も、本来ならば部活なのだが、それが無くなったのでフリーになったのだ。一方で、部員たちは時間をもてあまし、また来るべき大会が迫る中、焦りの心が芽生えているに違いない。

一方で、「部活担当のない人の日曜日って、こんな感じなのかな…」と思う。

大昔、「退職したら毎日が日曜日」という言葉を聞いたことがある。
しかし、私はあまり日曜日の過ごし方を知らない。
長い教員生活の中で、日曜日がフリーであった日は、非常に少なかったように思うからだ。
だから、いざ、のんびりしてよい状態になると、逆にどうして良いか分からなくなることがある。

さて、今回の山行では、一時間以上にもおよぶ長い登り、途中心臓破りとも言える急登を越えて、稜線に出た。その気持ちよさは、筆舌に尽くしがたいものがあった。一部残雪が残る稜線の風は、天にも登るような心地よさで、これまでの苦しさをすべて忘れさせるようだ。

遠く、猪苗代湖も見えた。

本当は、ぶらっと会津あたりに出掛けて見ようかな、とも思ったが山に来て良かった。

途中、遅れて咲いていた峰桜を見た。
「なんという可憐さ、美しさなんだろう…」、と感動する。

山頂は、日曜日ということもあり、かっこう登山客は多かった。
だが、子どもの姿がない。

皆年寄りと言っては言い過ぎだが、中高年ばかりだ。
もちろん私も例外ではない。

この美しさを子どもたちにも体験させないな、と思う。

そういう経験をした人は、大人になってもなお、山に出掛けるはずだ。

天上の極楽は、優しく彼等を迎え入れるに違いない…。

2022年06月04日

マスク狂詩曲

各地で運動中に熱中症になり、緊急搬送されるという事例が起こっている。全国でどれほどそうした事例があるかどうか分からないし、マスコミが、面白おかしく報道するので、ある意味偏った報道でもあるが、「学校現場で熱中症のために生徒が倒れている」、ということだけは間違いあるまい。

倒れて運ばれた生徒の親は、「何故、運動するのにマスクをつけさせるのか」と言う。
一方で、「マスクを外しなさい」と言えば、「なぜ強制的にマスクを外させるのだ」、というクレームが入る。さぞかし各地の学校現場は困惑しているに違いない。

コロナ禍が二年半経過し、日本ではマスク生活が当たり前になった。
一方で、恐怖心のため、大人も子どももマスクを外せない人も出てきた。
屋外ではマスクを外す、などと厚労省も指針を出したが、外を歩いている人を見ても、そのほとんどがマスクをしており、日本ではすっかりマスク人になってしまった感じだ。

学校現場では、一部「授業中も外して良い」とところもあるようだが、まだまだそこまでは到らないだろう。マスクをし続けることによる免疫低下と、飛沫感染を防ぐという両者を天秤にかけるとしても、その判断ができる人は、おそらくほとんどいまい。

私は、少なくとも運動をする際には、マスクを外すべきであると思っている。
実際、マスクをしたまま走ってみれば分かるが、かなりつらい。そのまま酸欠で倒れてしまいそうにもなる。合わせて、気温、湿度ともに高くなったならば、今度は熱中症の危険も伴う。

だから、学校の体育では運動時にはマスクを外し指導をすべきだと思う。
もし、マスクを外すことを渋る生徒、保護者が外すことに同意しない生徒がいたならば、彼等は、体育の授業を見学させるなどの措置が必要だと思う。

私はこれが最低限のマスク対策であると考える。

これから致死率の高い株が出てきたら、おそらくもっと深刻な状況になるのだろうが、現在のところ、そしてこれから夏を迎えるシーズンでは、この方法でやむなし、ではなかろうか。

マスクを外させない保護者の家庭では、自宅でもマスクをし続けているのだろうか。
通勤から戻った大人たちの対策は、そうしているのだろうか。

ただただムードであったり、自分の価値観の押しつけであったり、恐怖心からのものであるなら、何かしら別の対策が必要になるだろう。

ただでも忙しい学校現場に、また一つ、悩みの種が増えた…。

2022年05月24日

久しぶりの登山

運動会の代休を使って、久しぶりに山登りに出掛けた。
通常なら、部活動があるのだが、幸い(?)中間考査前で活動なし。終日休みを取れた、のは三月以来だ。

少し遅めに登り始めたが、今日は終日天気が良かった。天気も安定しており、終日雲すら発生したなかった。

平日ながらも山には多くの登山客がいた。
コロナ禍で登山を控えていた、中高年の登山客だ。このところ、ようやく元通りになりつつあるようだ。

二年前の夏に登った時は、マスクをつけたまま登山をしている人がいたが、今回はほとんどいない。マスクへの認識は、昨今変わり、「屋外ではつけない」というスタンスになった。かつて、マスクをつけたまま体育の授業を行い、その後死亡してしまった事例があったが、ワクチンを含め、コロナにかかわる悲劇は、未だにやむところがない。細菌兵器でもある新型コロナウイルスによる混乱は、この先も続くのだろう。

山は良かった。稜線を歩いていても、どこまでも遠くが見えている様な錯角にすら感じた。遠く雪を抱いた山は東北地方の山だ。私が登っている山にも、いくつかの残雪はあったが、山はすっかり春である。しかし、まだ植物は見えない。緑と言えば笹の葉くらいで、まだ芽吹いていないのである。山はようやく春の息吹を感じるころなのだ。少し標高を下ると、峰桜が咲いている。かわいらしく、愛おしい姿の桜だ。この先、季節とともに、さまざまな高山植物が咲いてくるのだろう。

自然は素晴らしい。
人を穏やかにしてくれる。
壮大な山の景色は、すべての悩みごとをも吹き飛ばしてしまう。

平日ということもあって、今回、子どもの姿は見られなかったが、そうした自然体験を少年期に経験しておくことは、とても大切なことだろうと思う。

雄大な山々に抱かれて、どこまでも続く深く濃紺の青空に吸い込まれつつ、私は山を歩いた。

いいリフレッシュとなった。
この先、もう少し仕事を頑張ろうという気持ちもなった。

何よりも、自然との一体感と、最大限の幸福感を得ることができたと思う。

山よ、ありがとう。

2022年05月22日

運動会

今年も運動会が終わった。
毎年のことながら、光輝く生徒たちの姿に感動する。

中1から高3までが、4団に分かれて競技を行う。
どれも真剣勝負だから、勝ったときの喜びはひとしおだ。
だからといって、たとえ負けたとしても、勝った団を祝福する。
勝っても、負けても、学びは多いのだ。

保護者をはじめとして、多くの観客もやってきた。
コロナ禍の中、運動会中は、お互い行き来はできないよう制限を設けた。食事場所もトイレも別である。だから、かつてのように、親子で会話しながらお昼を食べる、という姿は、もはやない。しかし、このように通常開催に近い形で、運動会が実施できることが、何年かぶりでもあり、ありがたいことなのだろう。

高2から、各団のリーダーが後輩たちを導く。
中学時代に彼等を教えている私は、「こんなにも成長したのか…」と感動する。
また高3の演舞も、彼等の中1、中2時代を知っている私は、感無量である。

「丹澤先生にお世話になった学年ですよ。どうでしたか?」
高3担当の先生が、私に畳みかける。
演舞が終わってからもなお、生徒が私に聞いてきた。
「どうでしたか?」
彼等としでも自信のあるものだったのだろう。
演舞では、これまでの学校生活や、ここまで育ててもらった両親への感謝の言葉に溢れていた。

この先、高3は一切の行事がなくなり、受験勉強一色になる。

例年どおり、団毎の応援合戦もある。
制限時間内に、ダンスや演舞、決意を発表する。

どの団も秀逸だ。
特に私はその中でも、白団に感動した。

いつも通りというか、私は、涙を流しながらシャッターを切り続ける…。

大した写真が撮れるわけでないが、いかにも撮影している姿をアピールしながら、心は大きく揺さぶられている。

生徒たちの姿は眩しい。
この先の世界を担っていく若者たちだ。

2022年05月20日

世界がおかしい

夏の参院選が近づき、ばらまき合戦が激しくなった。
これらは合法的な国民の買収である。

合わせて、岸田首相はバイデン米大統領の言いなりになり、ウクライナ支援に多額の資金を投入する。

昨日見た国からの通知に、ワクチン3回目接種の状況に応じて、各自治体に補助金を支給するというものだが、その中に、合わせて、「ウクライナからの難民受け入れの人数」も勘案するという、驚くべきものであった。

世界の趨勢は、ロシア悪、プーチンをヒトラーになぞらえているが、冷静に判断すれば、日本ではロシアの言い分は一切報道されない。欧米でもウクライナが劣勢な場面は一切報道されない。時にロシア兵の民間人救出を、ウクライナ人と称しで報道する。

これらを指揮しているのはバイデンだが、彼等はアメリカの報道機関を抑え、自分たちの都合の悪い報道はしない状況を作り出した。反対勢力は徹底的に叩き、表だって活動できないようにさえしている。どちらかと言えば、ヒトラーはバイデンの方だ。

自由な報道は世界から消え、一部の指導者の考えだけで、世界が動くようになってしまった。アメリカの民主党政権は本当に戦争好きのようだ。ウクライナを支援し、ロシアを刺激し、ヨーロッパ諸国と戦争をさせ、これを機にロシアを滅ぼし、プーチンを縛り上げたいと思っているようだ。

岸田首相は、完全にアメリカの良いなりである。
世界からは、ほいほいお金を出してくれる都合のよい存在だと思われているのだろう。

イーロン・マスク氏がツイッターを買収しようとしているのも、健全な言論、意見が自由に発信できるようにしたいからである。アメリカ大統領戦で、一国の大統領の言論を封殺するなどという暴挙が許されてしまうのは、一企業としては明らかに越権行為であり、通常ならば、考えられない。これを正そうというのが、マスクしの考えだが、バイデンはこえをも潰そうと隠しているようである。

なんだか世界がおかしくなってきた。
いつ戦争が起きてもおかしくない状態になっている。

中国が広げたコロナウイルスが、巡り巡って中国に戻ってきて、大感染をおこしているのは因果応報としても仕方ないとしても、その中国を叩く代わりに、ロシアを攻撃するアメリカは、絶対に何かを隠している。もしかしたら、コロナウイルスの共同開発をしていたのかも知れない。

ワクチンだって実にあやしい。
厚労省は意図的に間違ったデーターのチラシを作り、国民の接種を促進した。
結果は、ワクチンを打っても大して変わらなかった。そればかりか、英国のデーターによると、接種者の方が感染リスクが高くなり、またその副作用による肉体への影響は計り知れず、さらには、多くの死亡者も発生している。恐らく厚労省の役人はワクチンなどほとんど打っていないだろうし、国会議員にしてもそうだろう。

世界は明らかにおかしくなっている。
何が正しくて、何が正しくないのかも分からない時代になってきた。

そんなある種、世紀末のような世界情勢に、我々はどう生き抜いたらいいのだろう…。
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