アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2019年12月15日

柄じゃない

私は、授業中、『役者』に徹する。
『教師は五者たれ』と言われるが、授業中の私は、『役者』の割合が高いと思っている。

だから、教壇での私は、謳ったり踊ったりもする。
漫才をしているような時もあるし、巧みな話術を駆使して、あたかもエンターテインメントのような授業をすることもある。

話術に関しては、良く研究しているのが、「ジャパネットたかたのコマーシャル」である。
先代の社長一代で築いた通信販売の会社だが、そのセールストークには、やはり説得力がある。
「良い商品を、できるだけ安く」、という思想も、多くの人に喜んでもらおうとする企業姿勢にも感心する。

今や先代のたかた氏のMCは、古い動画でしか見ることはできないが、現在のMCたちも非常にすぐれており、私にとって、大いに勉強になっている。

ちなみにMCは、Master of Cceremonyの略だそうで、セレモニーマスターなのだそうだ。つまりすべての責任を持ったイベント全体をコントロールする人なのだ。
これは、授業における教師の姿そのものではないか。

そうは言っても、授業のときや、学校での生徒との関わりの中でのことであり、本来の私の性格とは非常にかけ離れた世界だ。
しかし本当は、私の柄じゃない。

私が本来、山の中で一人で生活したいタイプなのだ。
人と人との関わりは苦手だし、いろいろな人に気を遣って生きるのも苦しい。
なかなか本心を人には明かさないし、時に、思っていることと正反対のことを笑顔で言ってのける。
以前は、自己防衛反応から、他の人に強くあたったこともあるが、最近は、自分が引く。

「おまえみたいな性格で、教師なんてできるの?」
私の性格を熟知した母親が、かつて私に告げた言葉である。

確かに教員なりたての頃は、生徒掌握に苦労した。
教員間での人間関係にも悩んだ。
授業が上手くいかなくて苦しんだこともある。

そんな中で、時に、「必要な自分を作り出さなければいけない必然性」を感じ、『役者』を演じ始めたのだろう。

「このキャラは、本当は俺自身じゃないんだけどね…。」
ふと、そうつぶやくときがある。

消極的で、指名しても頑として動かない生徒を見ると、時にそう感じる。

「きっと、彼らも、どこかで『役者』にならざるを得ないことになるのだろうな…。」
と、思いながら…。








【このカテゴリーの最新記事】

2019年12月14日

合唱コンクール終わる

今年の合唱コンクールは良かった。
中2、中1たちの頑張りがすごかったのだ。

最近、少しだらしなくなった中3は、歌の得意な男子が何人もいるのだが、だらしない生徒も多く、彼らがクラスの団結を妨げた。
中3のあるクラスは、本番の前日に練習をさぼろうというヤツがいるくらいなのだから、その危機的状況は予想できるだろう。昨日紹介した『Nの指導』も、このクラスの生徒である。

「丹澤先生、昨日はNの指導ありがとうございました。」
早々に、昨日は出張で一日留守にしていた中3の学年主任が私の元に来た。
「Nは先生に指導されて、とても嬉しそうだったそうですよ。やっぱり、Nは丹澤先生が好きなんですよ。他にもやんちゃな生徒たちもいますけど、みんな丹澤先生がすきなんですよ。やっぱり丹澤先生の学年なんですよ…。」

そんなリップサービスをされても困る。
できるだけこの学年に関わらないようにしている私にとって、そんなことを言われても困る。
彼らの保護者の姿がちらちらと見えるので、できれば卒業式だって参列したくないのだ。

中3の合唱は、下手というわけでもなかった。
去年も真面目に練習ができず、大したことなかったから、そんなに期待はしていなかったが、聞いていて立派に見えたことは事実。

学年合唱の『大地讃頌』だって、去年の中3先輩たちに肉薄するくらいの仕上がりであったのだ。

それより増して、中2が頑張った。
今回、準優勝である銀賞を中2のあるクラスがもぎ取ったことでも、その姿勢が分かる。
合唱コンクールを中2がリードして、中2が引っ張っていったことの証左でもある。

終了後、中2は学活は大盛り上がりだった。
合唱コンクール史上、初めて中2が銀賞を取ったのだから、当然といえば当然なのだが、担任も学年主任も大喜び。

一方で、ギリギリながらも銅賞になった中3のクラスの担任は、
「すいません。気を遣わせてしまって…。お情けで銅賞にしてもらってありがとうございます。」
などと恐縮している。

コンクールだから、点差がつく。
審査員によっても順位は変わってしまいそうなのだが、審査結果は出てしまう。

そんな折、校長が講評する。
「度のクラスも100点。私が聞いた歌は全部100点。クラスによって差はありません。みんな素晴らしかった。感動しました。泣けてきました。だから全部100点です。」

激しくそして熱く校長が叫ぶ。

ほどなく、静かに合唱コンクールが終わった。
地域の人にも聞いてもらいたかった…。








2019年12月13日

Nの指導

いよいよ明日が合唱コンクールだ。
以前は中高、同日に、文化祭に併せて行っていたのだが、昨今は中学生は二つの行事を同時に行うのは負担が大きい、とのことで、この時期にずれたのだ。

朝も昼も夕も、教室からは歌声が聞こえてくる。
本来の学校らしい、というか、何となく学校に活気があるようで、とてもいい。

以前の私ならば、クラスの合奏に関われないというのが、ものすごく辛いことで、おそらくはじっとしていられなかったであろうが、今はそうではない。
「頑張れよ!」
と、心の中で応援しつつ、暖かく見守るような、そんな心境だ。

若手の担任たちは、生徒共に緊張が高まっているのだろう。

昨今の私は、以前のように、「全部自分が関わらなければ気が済まない」という思いは消えた。
努めて、関わらないようにもしている。
「うらやましいな…」、という思いもない。
それどころか、「今のパワーでは、生徒たちの熱を上げるのは難しいだろうな」、とも思う。

昼休みに、中3の担任が慌てて私を呼び止めた。
「丹澤先生、5時間目に授業がありますか?」

「実は、Nの指導に手こずっていまして…。私の言うことは何も聞かないんです。」
と言う。

中3は私が入学時から2年間育てた学年。育てたというと聞こえはいいが、私が投げ出したのだから、言ってみれば失敗作品。
このところ、中だるみがあるようで、生活が乱れている生徒が増えてきた。

今日は折しも、学年主任は終日出張である。

「私が指導しても、言葉が軽い、って言うんです。Nは、丹澤先生の言うことなら聞くって、いうんです。」

なんだか訳の分からない論理で、私はNの個人指導に引っ張り出された。

Nも、さすがに私の姿を見ると、狼狽していた。
まさか、担任が私を呼び出すとは思ってもいなかったのだろう。

何故か、Nは私の言うことは聞く。
確かに、それは間違いない。
私自身は忘れるようにしているが、私が関わった二年間、いろいろあった。
退学を迫ったこともある。

要は、明日の合唱コンクールが面倒だという。
だから、練習にも参加したくない、と言うのだ。

私は、二言、三言声を掛けたり、早々に退散にした。

中3に関われば、私自身さらに自己嫌悪に陥る。
それに彼らには担任や学年主任がいる・
だから、やはり距離を置きたい。

「丹澤先生は、中3のご意見番ですね。」
中3の別の若手の先生が言った。

…複雑な気持ちになった。

マイカー(一般自動車)を広告媒体とする、日本初*のシステムサービスです。
(広告効果評価システム*2019 年 2 月特許取得済み)
リアガラスに広告主の提供ステッカーを貼るという、今までにない広告媒体です。
ステッカーはウェブサイトから選んで申請します。







2019年12月12日

合唱練習

今週末の合唱コンクールに向けて、いよいよ練習が佳境に入ってきた。
今年の私は、ほとんど合唱に関わっていないのだが、このところ所属している学年の合唱を何度か聴いている。

「合唱のリーダーたちが、クラスを動かし、自分たちで練習ができている…。」
中2としては、なかなか立派なことだ。

少し前までは、箸にも棒にかからないような合唱だったが、このところは、「聞ける」レベルにまでなってきた。

学年主任や担任たちの必死の指導で、ようやくここまできたわけだ。
若干仕上がりが遅れていた1組に、
「もしかしたら2組の方が上手いと思っていない?」
と、振ってみた。
「いいえ…。」
という声も聞こえたが、多くの生徒が自信を持てていないように思えたので、ちょっと逆説的に言ってみたのだ。

「1組も2組も、ほとんど差はないよ。聞いてて1組の方がバランスがいいし、ハーモニーもきれいだ。」

そう伝えると、彼らは大喜びしていた。

「あともう一段の一体感が欲しいね。」
とも伝えた。

本番直前だが、まだ何かしらできることはあるだろう。
一番変わることができるのは、クラスの一体感であろうと思う。

クラスの一体感が、歌に思いが乗せ、聞く人を感動させる力となるのだ。

「聞いていて涙が出てこいないと、だめなんだよなぁ…。」

一体感の中で、歌に『感謝』の思いが乗ると、ハーモニーが生き物のようになって、聞く人の心に響いてくる。

私も最近は、ピアノの練習をするとき、よく聞いて、思いを乗せるようになった。

明日は、合唱コンクールの前日。

どこかで彼らに伝えられたらいいな…。




2019年12月11日

我以外皆我師

最初に務めた私立学校の本部の会議室に、『我以外皆我師』の書が飾ってあった。
それが誰の書であるかは忘れてしまったが、一文字ずつ右から書いた書であった。

もしかしたら吉川英治氏の書であったのかも知れないが、このことは忘れてしまった。
だが、当時、その言葉になぜか惹かれたことだけは今でも忘れてはいない。

「我以外、皆我が師である」、とはよくぞ言ったものだ。
吉川英治氏の座右の銘であったそうだが、学歴もなく、努力に努力を重ねて国民的な作家になった彼の生き方にふさわしい言葉であると思う。

世の中のすべてが、自分の学びであるという考えの中には、もはや謙虚さしかない。
すべてに学ぼうというのだから、慢心することは絶対にあり得ないわけだ。
その上、「長所に学べば悪人なし」、という言葉にもつながっていく。

先日、ドキュメンタリー番組で、大女優である吉永小百合さんが、「私はプロじゃない。素人ですから」と語る姿を見たが、常によりよいものを目指そうして、絶対に「出来上がらない」その姿は、謙虚さのかたまりと言えるだろう。

成功の秘訣は、「決して『慢心』しない」、ということなのだ。

人は、少しの成功で慢心し、出来上がってしまう。

多くの人間の性なのかも知れないが、常に、「まだまだ…」、と思って謙虚さの中に努力を重ねる人もいる。「人は努力によって、百倍にも千倍にも一万倍にも輝くことができる」、という。
その努力の源泉は、別の見方をすれば、『ハングリー精神』でもあるのだろう。

私自身も是非見習いたいものだ。

そんな折、大川隆法氏の『吉川英治の霊言』が発刊された。
大川氏の呼び出した霊人、吉川英治は実に軽快に自身のポリシーを語っている。

信じることを強要することはしないが、実に面白い本であった。

本を読まない時代に入り、電車で書籍を読んでいる人は極端に少なくなった。
徹底的な時代検証のもとに、登場人物を通して、人の生きる術を語る吉川英治氏の小説は、なかなか読みこなすことが難しいかも知れない。

しかし、そういう時代であるからこそ、あえて、『吉川英治の霊言』が発刊されたようにも思える。

私の書籍は、赤線だらけで付箋がたくさんつけてある。
学びの多い本だった。

騙されたと思って、一読することをお勧めする。







2019年12月10日

答案返却

期末試験が終わると成績処理に入るため、私の学校では、答案返却日を儲け、特別な時間割で一気に答案を返却する。

今回中1の数学は6時間目だった。
「よし、これで最後だ…」と、勢い勇んで教室に行き、返却してしばらくした頃、配点がおかしく、合計点が100点にならないことに気がついた。

どうやら配点表を作るとき、問題数を間違え、その間違った状態で100点満点にしてしまったため、結果的に、合計しても100点にならなくなってしまったのだ。
早速、全員分の答案を回収して、計算のやり直し…。
さすがに授業中にはできないので、放課後の作業になる。

と言うわけで、週初めの部活が吹っ飛んでしまった。

実際は、30分くらいで再計算できたので、事なきを得たが、またしてもミス。
このところ、そういう単純ミスが増えている。

私は、長い教員生活で試験問題を作り、先に配点を考えたことがなかった。
たいていは採点を終えてから、配点を作っていたのだ。
私のこのスタイルがミスを招いたと思われる。

ミスを事前に防ぐためにも、今後は先に配点を作るようルーチンを変えたいと思う。

教員生活は楽しいのだが、どうもこの試験問題の作成とその採点は好きになれない。
何となく、教師側が権力を振りかざしているようにも思えるし、逆に自分が試験をされることが極端に嫌なので、やはり試験をするのも好きになれないのだ。

「試験するぞ…。」、という脅しは噴飯ものだし、そういう方法でしか生徒たちに勉強することを促せない教師は、私は最低レベルだと思っている。

「成果を量るのも教員の大切な仕事」、ではあるのだが、お互いいい気持ちで、いい関係ので、成果判定ができる方がいい。

「点数を引くぞ…。」
という脅しも、私には同じだ。

「体罰も駄目、点数で脅すのもだめ、それでは一体どうやって生徒たちを掌握するんだ。」
と言われそうだが、私はやはり『徳』の力であると思う。

この『徳』があれば、たとえ体罰が行われようと、点数で脅しがあろうと、すべてがうまくいく。

「ごめんね。配点が狂っちゃってたよ。」
と、答案を返しながら謝ろうと思っていたら、今日は合唱練習で授業が吹っ飛んだ。

世の中そんなものだ…。




2019年12月09日

小さな字が読めない

歳をとって目が見えなくなってきた。
いわゆる老眼が進んできたのである。
本を読むにも、書類を確認も、老眼鏡が必要になった。

コンピューターの画面であっても、小さい文字は眼鏡が必要だ。

今日はそのために、大切なデーターを誤って消してしまうという失態を犯した。
マウスでクリックする際、一つずれてしまい、やりたかった作業野下にあった削除ボタンを押してしまったのだ。

万事休す。

学校の時間割に関わる重要なデータであり、折しも今日が成績の入力日でもあり、大変なミスだ。

「見えない」ことは言い訳はならないが、作業しているとき眼鏡を掛けていたと思うので、単なる私のミスであろう。

ここ十年来、こうしたミスはなかった。

歳をとるとは、こういうことなのだろう。

慌てて業者に連絡し、今朝方、自動で行われたバックアップで復旧してしてもらった。
すぐに復旧し、何事もなかったのだが、これが週末だったら大変なことになっていただろう。

私は誰にも言わず、何事もなかったかのように振る舞った。
他の人への影響は、「ほぼない…」、だろう。

復旧時間もものの10分足らずだった。

この先も、老齢化によるさまざまなミスが発生すると思われる。
自分のウィークポイントをよく自覚し、そうした作業時には、細心の注意と集中で乗り切るしか、手はない。

「老獪な老害は、果たして社会で必要とされるのだろうか。」
などと考えてしまうが、やはり、
「できることを。できるようにやる。」
しか方法はないようだ。

人は、世の役に立てなくなったと思えば、そこで人生が終わる。
いよいよあの世に旅立つカウントダウンになってしまう。

私自身、もう少し踏ん張って、世の役に立ちたいと思ってはいるのだが…。

何か新たな一手を投じるしかあるまい。
ファン
検索
<< 2023年09月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
丹澤三郎さんの画像
丹澤三郎
プロフィール
リンク集
おすすめ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。