2018年10月03日

三角形の合同の証明を書く

前回の授業で、三角形の合同条件を覚えたので、今日の授業では、まず合同条件を確認させ、実際に証明問題に取り組んだ。

私は、まず図を板書する。

次に、問題から命題を取り出す。
○○ならば△△
などという具合である。

○○は仮定で、△△は結論である。
この命題が正しいことを、論理的に記述することが証明である。

証明を書くには、まず図で証明を見せる。

「はい、全員顔を上げて!」
と注目させ、一人残らず私に注目させる。
絶対に下を向いている生徒を作らない。場合によっては、
「眼の数が足りない。」
などと、たたみかける。
30人クラスの授業ならば、60個の眼が私の方を見ていなければならない。

図を使って証明を見せ、分からせ、徹底的に理解させることができて初めて、証明を実際に書き始めることができる。
最初から書き始めようとして、鉛筆が止まって、
「先生、証明分かりません。」
というスタイルは許していない。

「まず、図で自分で証明してみなさい。そのストーリーを考えなさい。
他の人に、口で説明できないならば、証明をノートに書くことはできません。」

そう、説明している。

証明のストーリーが分かったならば、実際の書き方ルールに入る。

「結論の、△ABDと△CBDをそのまま取り出して、
△ABDと△CBDにおいて
と書けばいいんだ。」

これで、結論が書けていれば、証明の一行目が書けることになる。

その先も、日本語を数学的な表現に直さなければならないので、多少のハードルがある。
これは、たくさんの例を紹介しながら、克服させよう。

私の幾何の授業では、これから数ヶ月、証明が続くことになる。

「証明、自分で書けるよ!」
という生徒の笑顔を目指して…。
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生徒の知的好奇心をくすぐる

昨日に引き続き、今日も午後から巻雲が青空に映えた。

この『巻雲(けんうん』、昭和40年1月からは昭和63年3月までは、『絹雲』と表記されていた。
当時の「当用漢字音訓表」の制約で、「巻」が「けん」と読めなかったからである。

巻雲は上層雲の一つ。刷毛で書いたような雲で、氷の粒である。
ラテン語学術名はCirrus(シーラス)、「曲がっている」という意味があるという。
実際巻雲は、巻いているばかりのものでもないから、絹糸のような雲として『絹雲』と書くことも気持ちは分かる。

本来明治時代に『巻雲』であったものが、漢字の読み方の都合で、『絹雲』となり、そしてまた『巻雲』に戻ったわけだ。

今は、専門書はもちろん、教科書でも『巻雲』が使われている。もちろん、古い本には、まだ『絹雲』と表記されているものもある。

中学二年生が、理科の第2分野で、ちょうど気象を学んでいる。
今日も、授業中に外に出て、理科の資料集の写真と比べながら雲の観察。

私は高校時代は、気象観測に明け暮れたこともあり、今でも雲を見れば、どんな雲か瞬時に分かる。
今日の昼頃の空には、Ci(巻雲)、Cs(巻層雲)、Cu(積雲)、Sc(層積雲)が見えていた。

中学生がこれらを判定するのは、簡単なことではないだろう。
それでも、実際に調べてみるのは大事だ。

「先生、あの雲なんですか?」

私は、こういう知的好奇心が大切だと思っている。

そのとき、
「あれは、巻層雲だよ。空に晴れているのに虹みたいな彩雲が見えることがある雲だよ。だんだんと雲の高さが下がってくると、天気が悪くなることもあるんだ。」
などと、さらっと説明できたら、興味を持って、さらに知りたいと思う生徒がいる知れない。

知らなかったことを知ることは、人間にとっての嬉しいことなのだ。
勉強は、知らない事実を学び、自らの知識を蓄積する。だからそこに、今までの自分では分からないことを知った喜びがある。

質問攻めにしてきた生徒が、その後、その分野の専門家になることもある。

かく言う私も、そのようにして、気象学や天文学に興味を持った。

だから、私は生徒の質問をとても大切にしている。

野鳥の鳴き声に、
「あの鳥は、何ですか?」

「この花は、何という花ですか?」
「あの星は、何という名前の星ですか?」
「この石は、何ですか?」
「この糞は、何の動物のものですか?」

そんな、生徒の質問に、何でも答えられたらいいな、と思う。
彼らの好奇心をくすぐり、学びの楽しさを伝えられるからだ。

しかし残念ながら、私の得意分野は限られているので、世の博学諸氏に頼るしかない。

愛の反対は無関心

「駅伝参加しないのか?」

部活単位で全員が参加することになっていたバスケ部のK君。ペットボトルのカエル事件の生徒だ。

「大会が、中間試験直前だし、出たくなければ、出なくてもいいってO先生に言われたんです。」
「へーそうなんだ。で、バスケ部で出ない人って他にいるの?」
「…僕だけです。」
なるほど、K君は、立場的に苦しい状況にあったんだ。

「O先生、どう思ったかなぁ。」
「先生は、『やっぱり出ます』、って、僕に言って欲しかったんだと思います。」
なんとも意外な答えが返ってきた。

「やっぱり、そうだろうね…。」
「はい。」
「それじゃ、中間試験は最高の点を取らなきゃね…。」
と、プレッシャーをかけた。

「次の駅伝は出るんだろ?」
「…たぶん。」
次の大会は、試験後だから、「試験前だから出ない」という根拠は消える。

教師のさりげない一言で、生徒を傷つけることもあるが、その一言で、気持ちが楽になることもある。

私は、普段からできるだけ生徒に声をかけ、会話をするようにしている。

「生徒と、どんな会話をすればいいか、わからないんです。」
という、若手の先生もいるが、日頃から生徒をよく見ていれば、言葉は自然に口をついて出てくるものだ。

このまま放っておくとまずい、と感じた生徒がいた場合は、意識的に声をかけることもある。

「あの先生、しょっちゅう俺に声かけてきて、うざい奴だなぁ。」
と、思われて結構。ある意味、それも目的の一つ。

「私は、あなたのことを気にかけていますよ。」
と思わせることができれば、それでよし。

愛の反対は、無関心なのだから。

2018年10月02日

「僕って、病気なの?」

2回目の校長による「人権教育セミナー」、今朝は『発達障害』の話。

生徒たちにとっても、教師からみても、『発達障害』は目に見えにくい。そのため、人間感情のトラブルが起こりやすい。だからこそ、校長は
『そういう個性の人もいるのだ。欠点よりも、長所とつきあおう。』
と、話をしたかったのであろうが、今朝の話は、中学生にはちょっと難しかったようだ。

「自閉症スペクトラム障害」、「注意欠如・多動性障害(ADHD)」、「学習障害(LD)」と言っても、生徒たちには分からないだろう。それぞれについて、具体的な例が、ほとんどなかったからだ。

理解できたと思われるの、せいぜい、
「これらは、○○障害と言われているが、障害ではない。生まれつきの個性だ。」
ということぐらいだろう。

確かに、これを障害だの病気と見なしてしまうと、エジソンも坂本龍馬も、障害を持った人になってしまう。

ADHDの子供は、程度にも寄るが、授業中だまって座らせておくことすら難しいし、いつも同じことを注意される。

とかく教員側は、その注意されてた部分をマイナスと見て、
「だめだ、だめだ」
という指導をしがちである。この性格をなんとかしたい、という教員の焦りから、つい、
「どうして、何度言っても分からないんだ!」
とさらに叱る。

しかし、結果的には、自分自身がその事実に気づき、克服していこうという努力をしなければ、なかなか変われるものではない。

「僕のこの部分は、時に他の人に迷惑をかけてしまう。だから、努力して直していかなくっちゃ。」
と自覚して、初めて変えてゆけるのだろう。これは、学校を卒業してからの話だ。

以前、ある保護者が、
「同じクラスの○○君は、ADHDなのだから、クラス全員にその事実を伝え、相応の対処をしてください。」
という要望をしてきたことがある。母親同士の会話から、○○がADHDであることを知り、過剰な反応をしたわけだ。

その後しばらくして、○○が、
「僕って、病気なの?」
と母親に相談したという。どこからか、知らないはず本人に伝わったらしい。

『一人ひとりの個性を認めた指導をして欲しい。』

結局校長は、今日の講話を、我々教員に聞かせた方のではないだろうか。

個性あふれる生徒との格闘はまだまだ続く…。

『教えることが楽しい』

大学進学に輝かしい実績を上げていた塾講師、荒井俊治氏が8月に亡くなったと聞いた。

私は、『くらべるマネー』(フジテレビ8月17日放送)で、年収7000万円のカリスマ塾講師と比較され、貧乏塾講師として紹介された荒井先生を初めて知った。

荒井塾を経営し、数多くの受験生を希望の大学に合格させた、伝説の塾講師である。

番組では、帝国ホテルの一泊13万円のスイートルームで、90万のワインを飲みながら、参考書の執筆をする金持ちカリスマ講師と比較して、プアーな年収300万円の塾講師として紹介されていた。バラエティ番組特有のいやらしさを感じたが、荒井先生の誠実さは、伝わってきた。

以前、「家、ついて行ってイイですか?」スペシャル(テレビ東京2016年9月17日放送)でも荒井先生が紹介されいてが、そのときには、

『嫌で授業をやったことは一度もないから、教えることが楽しいんですよ。』
『楽しいことさせてもらって、生活までできる。こんなありがたいことはない。』
と語っていた。

その後、「家、ついて行ってイイですか?」スペシャル(テレビ東京2018年9月26日放送)で、「今年の7月まで闘病しながら、教壇に立ち、8月に亡くなった。」と紹介された。

荒井塾のホームページは、今でも残っている。
個人指導塾だが、
「努力の天才を自認できる人」が、入塾の条件だという。

『上から目線ではだめ。それぞれの人がとんでもない能力を持っているから。』
そう語る荒井先生は、39歳で私塾を開いてのちは、教育者として人生を歩み続けたのだろう。

『教えることが楽しい。』

これが、すべての原点ではないだろうか。

そして、私はさらに
『生徒たちと過ごすことが楽しい。』
と思い続けることも加えたい。

教師が、これらを失ってしまったら、もはや、教師ではない。

荒井俊治氏は、たまたまテレビで紹介された。
しかし、世の中には人知れず、教育に情熱を傾けている人は大勢いるに違いない。

私も、その末席を汚させていただきたいものだ。
posted by 丹澤三郎 at 18:57 | Comment(0) | 教育問題

2018年10月01日

天気図3000枚

台風一過の晴天になった。
お昼前から気温がぐんぐん上がった。私の住む地域では、何とか30℃には達しなかったが、それでも、久しぶりの生暖かい風は、湿度が低めとはいえ、涼しさになれてしまった身体にこたえる。

私は、中学の時に、天気図を作ることを学んだ。確か、学校の理科の授業が最初だったと思う。「気象通報」を聞き、天気図を作り上げることは、並大抵なことではない。出来上がった天気図(らしきもの)は、とても見るに堪えるものではなかった。

しかし、偶然『気象知識普及会』なる団体を知り、その門を叩いた。そこでは、天気図の作り方はもちろん、その目的である天気予報の仕方も学んだ。

この団体は、気象庁の予報官をしていた、故、一色 明氏が設立した団体で、天気図の添削指導と、各所で天気図講習会をおこなっていた団体であった。

私は、この団体で、天気図作成や予報技術の腕を上げ、いつしか、この団体でトップクラスのメンバーになっていた。当時のメンバーでは、一年上の先輩は気象庁に入り、一年下の後輩は、日本気象協会に入っている。

気象の世界では、『天気図3000枚』と言われる。3000枚の天気図を書いて、(予報官として)一人前になるのだと教えられた。だから、私の高校時代は、気象観測と天気図作成および、天気予報に明け暮れた。

私は、3000枚には達しなかったが、2000枚近くは書いたと思う。

当時、NHKの『気象通報』が一日三回、短波の放送が夏場は一日2回あったので、一日に最大5枚の天気図(うち一枚は高層天気図)を書くことができたのだ。

あの頃は、毎日の気象現象が楽しくて、台風など来れば興奮して、気象データーと気象衛星、天気図をにらめっこ。

高校時代の私だったら、昨日の台風24号も、一日中気象データをモニタしていたかも知れない。

台風などの災害を伴う気象現象は、生活のためのインフラを止めたり、電車を止めたりする。
その中で、必死で出勤したり、登校するのは、大変なことだ。時には命の危険すらある。

今朝も、大変な思いをして、通勤、通学した人がたくさんいるに違いない。

いつの頃からか、「気象警報が出たときは、休校」という学校が増えたが、最初に勤めた学校で、
「たとえ休校であっても、出勤して、生徒の安否や学校の被害状況を確かめる必要がある。だから、教員は休校でも出勤するのだ。」
などと、叱られ、ずぶ濡れになりながら、出勤したことがある。

人間は気象現象をコントロールできない。
今年は、特に気象災害が頻発している。
まさに、神様が人類の奢りに対して、警告を与えているとしか思えない。

富士山レーダー(運用廃止)や気象衛星、スーパーコンピューターのおかげにより、気象による大災害は少なくなったが、人知を越えた自然の力は、人類に警告を与え続けている。

参考のために、当時(昭和58年)の天気図を紹介する。
tennkizu_s
posted by 丹澤三郎 at 19:02 | Comment(0) | つれづれ

2018年09月30日

『あんまり頑張らないで。でもへこたれないで』

今日30日、9月15日に亡くなった女優、樹木希林さんの葬儀、告別式が行われたそうだ。

樹木希林さんは、私が一番好きだった女優さんだった。

彼女が、7月にインタビューを受けたとき、
『あんまり頑張らないで。でもへこたれないで』
というメッセージを伝えていた。

「頑張り過ぎてたら、疲れちゃって、苦しくなって、辛くなっちゃうから、そこまで頑張らなくていいんだよ。でも、負けちゃだめ。へこたれちゃだめ。あきらめちゃ駄目。」
と、語っているようだ。

『どうぞ物事を面白く受け取って…愉快に生きて』
とも、伝えているので、
「物事をポジティブに考えて、それを逆にプラスに考えて欲しい。」
というお考えのようだ。

私は、この言葉を聞いて、樹木希林さんが「全身がん」でありながら、女優を通して、見る人に、演技を通して愛を与え続けた、生涯現役人生を送られたのだな、と感動した。

そして、この言葉は、不登校で苦しんでいる生徒へのメッセージにも聞こえてきた。

教師はしばしば、悩んでいる生徒、苦しんでいる生徒に対して、
「頑張れ。」
という声をかけがちだ。

彼らが十分頑張っているにもかかわらず、さらに
「頑張って。」
と声をかける。

「私はこれ以上、何を頑張ればいいの…。」
となる。

「頑張って、学校、行こうよ。」
「頑張って、教室、入ってみない?」
「頑張って、遠足、行ってみない?」
「頑張って、テスト、受けようよ。」

我々教師は、時に、こんな言葉を書けていないだろうか。

おそらくは、教師側の
「全員が投稿してくれ。」
「長欠による空席は作りたくない。」
「全員で行事に参加させたい。」
「テストを受けないと、成績処理が面倒。」
などという、独りよがりの思いだ。

『あんまり頑張らないで。でもへこたれないで』
という樹木希林さんの言葉は、深く、重い。

「へこたれないで」の部分を、どう生徒に伝えるかが、ポイントだろう。

自分の姿を通して、人生の生き方を示して下さった樹木希林さんのご冥福をお祈りしたい。
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