アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2020年01月12日

機械音痴

時々、行事の音響担当の仕事が回ってくる。
今までやらずいたら、「お前もやれ!」、ということで、昨年11月の一ヶ月を見習い期間として、その中でも何度か担当した。

それが今年初めて回ってきたのだ。

だが、機械音痴の私には、とてもハードルが高い。
マニュアルは4ページ。その中で、行わなければならない作業は50ステップくらいある。
機器やスイッチ類も十カ所くらいあり、それを、時間と人のタイミングで、次々に操作するのだ。

手動でスイッチを操作するのだが、リモコンだのデッキだのと、老眼の私には、これまた大変な作用。勢い余って押し間違えても大変なことになり。

リモコンに書かれた細かな字を見るのも、探すのも、押すのも大変。

パソコン操作が得意でも、もとピログラマーであっとしても、機械いじりは、今もって苦手。
その上、私も歳を取った。

今回も、何度か失敗をし、責任者の方のスクランブル発進があった。

「ごめんね…。やっぱり、俺には出来ないや…。」
と、私は叫ぶ。

そういえば、ガラケーもスマホも操作するのが苦手だ。

機械音痴の私の担当は、毎週火曜日。

今もって、まったく自信がない。

失敗にうちひしがれて職員室に戻ってくると、
「音響担当ありがとうございます。」
と、若手教員に声を掛けられた。

私はその言葉に、ますます小さくなる…。

「誰だ、今日の音響は…。失敗だらけじゃないか。」
かつて、そんな風に慢心し、傲慢になっていた自分を恥ずかしく思う。

今や一兵卒。

そういう修行なのだろう…。
【このカテゴリーの最新記事】

2020年01月11日

ほめ殺し

「丹澤先生、書き初め会の写真撮影お願いします。」
「分かりました。校長面談が終わったら、体育館に行って撮影します。」

そこまでは良かった。
M先生の言葉が止まらない。

「丹澤先生の撮った生徒の写真はいいですよね。本当に上手に撮られますよね。全体の写真もアップも写真もとってもいいです。学年通信で写真を入れるとき、こんな角度の写真があったらいいなって思うと、ちゃんとそういう写真があるんです。ほんと、使うことを考えて撮ってくれていて、さすがですよね。センスいいですよね。上手い。本当に写真を撮るのが上手い。合唱だって、体育祭だって、遠足だって、ベストショットをちゃんと撮ってくれる。丹澤先生、すごいです。」

こんな風にまくしたてられても、私ができることはほとんどない。
ただただ、シャッターを押すだけである。
写真だって、大して上手くはないし、よく見える写真は、生徒が光り輝いているだけだ。

失敗だってたくさんある。
そのために、でいるだけ連写でとっているわけで、5枚とって1枚避ければ万々歳。
私の見立てによると、たいていは100枚くらい撮って、ベストショットが数枚。

以前、学校の風景を使ってカレンダーを作ろうと、写真を整理したことがある。
私は人物だけではなく、自然の写真も撮るのだが、写真を四、五年分くらいためこんでいても、月ごとのカレンダーとして使える写真は、ごくわずかなのだ。

書き初めの写真はたしかに撮った。
一人ひとりの写真だって、最後の集合写真だって、大したことはない。
いや、モデルはいいのだ。
私の技量がだめなのだ。
中級レベルの一眼レフカメラであっても、腕がなければ、良い写真は撮れない。
腕もそうだが、光の加減とか、その方向とか、上手に撮るためのファクターはたくさんある。

「すいません。言われるほどいい写真が撮れませんでした。」
と、心の中で詫びながらも、撮った写真を共有フォルダーに移す。

「こりゃ、加工しなきゃ使えないな…。」
と、ことのほか上手く撮れなかった集合写真を見て、ため息をつく。

「ほめ殺し」は、人を駄目にするという意味があるそうだが、事実私は翻弄され、心が乱れ、平常心から遠のいた。

M先生、もう勘弁して下さい。
まだまだ精進の足りない私は、少し後ろ向きになる…。








2020年01月10日

校長面談

私の学校では年に2回、校長面談がある。
その前に教頭面談があり、半年ごとに実績を報告したり、反省点をのべつ耐えるのだ。それが校長に共有され、人事評定が行われ、そのフィードバックを校長が行う、というものだ。

こうした面談を受けるにつけ、「つくづく自分は弱い人間なのだな…」、とい思う。

以前の私は、棘だらけだった。
他の人から傷つけられまいとして、自ら殻をかぶる。
それでも、耐えられないときは、相手を攻撃するのである。
結局は、自らを守るため。さながらハリネズミのようでもある。

「丹澤先生の言葉遣いは荒いよ。それじゃあ駄目だ。直していくいけるよう努めて下さい。」
以前の校長からは、毎回のようにそうした話をされた。
もしかしたら、他に思いつくことがなかったのかも知れないし、私の欠点ばかりが目についたのかも知れない。
それでも、言葉を調律しようと努めていた私は、面と向かって「まだまだ」、と指摘されると傷ついた。だから、校長面談は恐怖でしかなかったのである。

だが、今回の面談は違った。
短所の指摘はなかった。そればかりか、感謝の言葉も伝えられた。
「いつも授業評価高くて、すごいですね…。」
多少のおべっかであろうが、相手の気持ちを緩めるには十分すぎる第一声だった。

私が管理職なることはないだろうが、人の上に立ったならば、まずは相手を褒め称え、心から感謝を伝えたいと思った。

「こんなこと言われたらどうしよう。あのことを指摘されたらどうしよう。」
と、心穏やかならざる状態出会った自分が馬鹿らしくなった。

自分の愚かさを見せつけられた。

そんな面談を終えると、自然に、
「もう少し頑張らなきゃ…。」
と思う。

部下たちのやる気を引き出し、さらに能力を発揮させるのが上司のつとめ。
その意味では、校長の一言は効いている。

最近の私は、校長とは挨拶くらいしかしない。
その背景には、「お役に立てずにすいません」、という思いと、「もうしばらくそってしておいてくださいませんか」、という思いが交錯している。

私の心も、春を待っているのかも知れない。








2020年01月09日

責任を取ってください

縁あって出会った生徒を、「教導し、課程を修了させ無事に卒業させる」、というのが学校教員の務めであろう。

その意味では、学年途中で学校を去っていく生徒の存在は、大変胸を痛める。
私立学校では、それぞれの学校の内規により、学校にいられなくなることが起こる。
生徒指導上問題を起こしてしまったがために、学校にいられなくなることはもちろん、出席人数不足、いわゆる不登校により、学校を去っていくこともある。
中学校の場合は、学校を去ることと、学区の公立学校に転入することがほぼイコールになるので、学校を去るということは、おのずと、公立中学校にご迷惑をおかけすることになる。

管理職同士で連絡を取り合い、生徒の状況を共有するわけだが、受け入れ校としては、甚だ迷惑に違いない。

先日、そうした途中で転校したN君の生徒の姉と名乗る方から学校に電話が入った。
N君は、中学2年の体育祭の翌日から学校に来れなくなり、結局出席日数が足りなくなり、翌年の1月末に転校した生徒である。

「弟が今でも家族としか話をできず、対人恐怖症なのは、そちらの学校に通っていたからだと思うんです。もと担任として責任を感じませんか?」

こんな風な電話であった。

N君は19歳。転校後、一度も地元の学校には登校できず、今でも家に引きこもって生活をしているそうだ。

もちろん、私に責任はある。
当時の学年主任も私であったし、中2の彼の担任も私であった。

結局、「私の力ではどうすることもできなかった」、ということだ。

こうした生徒たちは何人もいる。
長く教員生活をしていても、彼らの存在は、非常に苦しい。

そのたびに無力感に苛まれると同時に、私の手元を外れたことの安堵感もよぎる。

『今が素晴らしくなれば、すべての過去は清算され、苦しかった時代があってこその成功と思えるようになる』

という話を聞いたことがある。
まさにその通りなのだろう。

だが、苦しみの渦中にある人は、なかなかそうのようには思えない。

「いじめが原因で学校をやめたのに、学校は何もしてくれないんですか?」

生徒同士の言い争いだったはずが、いつの間にか「いじめ」に変わっていた。
長く、過去を引きずっていると、どんどん自分に都合の良い事実が作られていくらしい。

どこにもぶつけられないやるせなさを感じてN君のお姉さんが電話をしてきたのだろう。

責任の取り方は私だって知っている…。





アフィリエイトのアクセストレード

2020年01月08日

反省すると一日が充実する

あっという間に冬休みが終わり新学期になった。
今日は、三学期の始業式。

始業式などでは、全校生徒の中から2人が選ばれ、スピーチを行う。
今回は中3の女子と、高1の男子が発表した。

野球部員である高1のA君のスピーチは良かった。
テーマは継続の力。
野球にからんだ話をするのかと思ったらそうではなかった。
年末に決意して始めた、「毎晩一日を振り返り反省する」という習慣が確立しつつあり、その中で発見したことを発表したのだ。

A君は、「反省すると一日が充実することが分かった」、と語った。
一日を振り返ることで、無駄にしてしまった時間や出来事が浮かび上がり、それについて明日こそはこうした無駄は作るまい、と決意する。だから、この習慣により日一日が充実してきたのだと言う。

反省は自分自身を追い込み、自虐的になるものではない。
と言って、起こった事象や思いを、他の人の責任転嫁をする場でもない。
自らを振り返る中に、時間の使い方や、思いや行いを振り返り、このさきそれらをコントロールしてゆこうと、決意するものだ。
そしてその中に、明日への希望を見いだし、人生をより良く生きるための智慧だ。

こうした反省が習慣化すれば、前の自分とはまったくの別人と生まれ変わってゆくのだろう。

古来より仏教では反省の教えを説く。
釈尊は、反省的瞑想により悟りを開いている。

就寝前に一日を振り返り、思いと行いを点検する、という行為を習慣化している人は、果たして世の中にどれほどいるのだろうか。

人は、傍目では、その生活や習慣までは見えないが、そうした人物は、自然と湧き出でる光のほとばしりにより、徐々にでも頭角を現してゆくのだろう。

継続の力は無限大だ。
反省に限らず、自らに課した『習慣』を積み重ねることで、以前の自分とは全く違う自分に変わっていく。

「一日5分でいいんです。いや、3分でもいいかもしれない。何か自分で決めたことを『習慣』にして、毎日欠かさず続けて下さい。その『継続の力』が、知らず知らずのうちに大きな成果を生むんです。」

かつて学年の生徒たちにそんな話をしたことを思い出した。

新年、私も新たな『習慣』を見いだし、継続していこうと思う。




2020年01月07日

書き初め会

中1、中2で「書き初め会」を行った。
体育館に全員が座り、課題と自らの志を書く。

二学年合同による書き初めは、昨年からスタートしたあらたな行事。
昨年は少し寒かったので、今年は二時間前からストーブでフロアを暖めた。
おかげで、寒さはまったく感じない中で書き初めができた。

一番良かったのは、全員が集中する中、会場が一体感に包まれたことだ。
静寂の中で、かすかにバックミュージックが流れる中で、百数十人全員が、書き初めに集中しているのだ。
この姿は、壮観であった。

本当は中学生全員でやりたいところだが、残念ながら体育館では若干場所が狭い。
それでも中2は中1の見本となるべく集中力を高め、中1も先輩たちの波動に従おうとする様は、なかなか立派であった。

おそらく書き初めは、小、中学生のときくらいしかやるまい。
それでも、正月早々に、自分の志を心を込めて、書にしたためるという経験は、のちのち記憶に残るに違いない。
学校では、そうした経験を大切にする。
いろいろなイベントを通して、できるだけ多くの生徒の興味にヒットするよう努めるのである。

中学生には、国語の授業の一環として書写の時間がある。
書写なので、お手本をきちんと書き写すもので、高校の芸術の選択授業である『書道』とは少し違う。

それでも中学生たちは、お手本を必死で真似しようと、悪戦苦闘するのである。
それこそ一画一画、筆に思いを込める。それが書として出来上がるわけだ。

上手下手の問題ではない。
大切なのはその「思い」なのだ。
「どのような心持ちで、その書に取り組んだか」、が、結果として出来上がった書に現れる。
そしてその書に思いが乗る。

もちろん得意不得意はあるだろう。
だが、書は、たとえ不得意であったも、一生懸命書いたものは、その時に誠意が表れる。

私は、出来上がった書き初めを持った生徒の写真を、一人ひとり撮った。

なんだか皆が誇らしげに見える。
彼らの達成感が伝わってくる。

「書き初め会」を、ずっと続いて欲しい伝統行事にしたいものだ。




2020年01月06日

親しかったMさん

長らく用務員をしていたMさんが訪ねてきた。
何でもできる方なので、私の隠れ家の納屋の改造をお願いしたのだ。
今日はその打ち合わせに、遠路はるばるおいで下さったという訳。

聞けば、年末でお仕事をお辞めになったとのこと。
いろいろお話を伺ったが、「事情からして仕方ない」ようだ。

学校にお勤めのときから、何でも修理して、改修して、はたまたいろいろなオリジナル工作をして下さった方だけあって、私の隠れ家を見るなり、いろいろ不具合を調査してくださった。

庭木の松が伸びているのを見ては剪定をしてくださったし、野外の蛇口の水漏れを相談したら、すぐにパッキンを調べて下さった。

納屋には愛犬のエリアがあるのだが、そこを三分割して、犬を増やそうと言う計画。
柴犬は、雄同士では殺し合うまでケンカしてしまうとのことで、完全に分けたスペースが必要になったのだ。

三部屋に分けることができれば、雄、雌で3ペア、つまり6匹までは育てられる。

「そんなに増やしてどうするの?」、と尋ねられそうだが、とにかく多頭飼いがしたいのだ。
散歩が一度で終われない、などと大きな弊害もあるが、できることからやってゆこうと思う。

今日は久しぶりのMさんの訪問なので、お世話になった高校生もコーヒーを挽いて入れてくれた。
もう一人の高校生も、裏庭の竹を切って、布団干しを作ってくれたり、畑を耕して肥料を混ぜたり、庭木の剪定をしてくれたり、愛犬の散歩にも行ってくれた。

私はなんと恵まれているのだろう。
こうして皆に支えられている。

「お仕事、早く見つけないと…」、とMさんを送り出したが、失業中なので、作業時間は十分とれるようだ。

私にとってのおもてなしは、ささっと雑煮を作ったくらい。

まだまだ恩返しが足りないのだが…。
この先も何かしらMさんのためになることを考えてみたい。
ファン
検索
<< 2023年09月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
丹澤三郎さんの画像
丹澤三郎
プロフィール
リンク集
おすすめ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。