2020年05月20日

大会中止

コロナのために地区総体も中止になった。
6月から休校が解除されることに加え、夏休み短縮、そして練習不足による怪我のリスク、さらには熱中症対策などによる。
まさに、『できない』理由はいくらでも挙げられるのだろう。

これにより、中3の大会は春に引き続き、夏の大会もなくなったことになる。
今年の中3も受難の年になりそうだ。

私の学校の生徒たちも、口には出さないけれども、ショックは隠せない。
もしかしたら、ミニ大会のような、彼らを成仏させるためのイベントが行わる可能性鵜もあるが、今の段階ではわからない。

今年は、「明日どうなるかもわからない」ようなことが、次々と起こる。

学校における安全対策は重要だが、もはやリスクゼロでは、休校の解除は不可能だ。
だが、彼らは、この先の未来を担う存在。
長きにわたり、学校教育を放棄するのは、この先の国自体を危うくするものだ。
彼らには、将来の日本や世界を背負っていかなければならないミッションがある。

人類はこの危機を必ずや乗り越えてゆくだろうが、そのためには数多くの悲しみと苦しみを背負うことになりそうだ。

まさに、当たり前のことが当たり前ではなくなった時代に突入した感がある。

この時代、環境の中で、『できる』ことを見つけるのは難しい。
そして、それよりも、『どうやったらできるか』、を見つけ、対策を考える方が、さらに難しい。

しかし、私たちは、こうした知恵と工夫を求められている。
家に閉じこもっているだけでは、人類は生きいくことはできないのだ。
今こそ、『どうやったらできるか』を熟慮し、実行しなくては、この国の未来は危うい。

恐怖に怯え、責任回避をする人々の判断は、決して正しいとは思えない。

各部では、総体の中止をどう生徒たちに伝えるかについて苦慮している。
私の部ではすでに伝えたが、おそらくショックは大きいだろう、

せめて彼らが中学の部活を成仏して終えられるように、何らかの手を打たねばならないだろう。

夏の甲子園大会も中止になった。

全世界の人々の試練は、まだまだ続きそうだ。

「サッカー部の中3に、どう伝えるかな…。」
顧問がそうつぶやいた…。




2020年05月18日

感謝を伝える

「僕たちよりも。何倍も頑張っているのは、高2の団長を初めとする先輩たちだと思うんです。だから、僕たち中学生は、もっと協力して、テキパキ動いたり、声を出したりしたいんです。」

中学3年生の応援リーダーが、中学校の朝会で、皆に訴えかけた。

今週末には、運動家が行われる。

4団に分かれた格段は、その種目と応援合戦の練習に四年がない。
早朝はもちろん、昼休みも、ちょっとした空き時間にも、彼らは清秋に精を出す。

この時期、私は自分の非力さを痛感する。
生徒たちの方が、何倍もパワフルで、思いも強く、理想や目標に向かって邁進しているのだ。
その言動は、私のそれは比べものにならない。

一生懸命一つの目標に向かっている姿は、多くを感動させる。

「感謝からはじまり、感謝で終わる運動会は、他の学校にはないんです。」
以前、そんな風に校長が紹介していたが、見学したがっていて、予定も空けていてくれた地元の教育長も、昨今のご時世のため、ご遠慮願った。

中国発の新型コロナウイルスは、ありとあらゆるものを破壊している…。

今年の中3は元気がいい。
リーダーシップ力もある。
例年になく、よくやっている。

それに釣られて、後輩である中2も中1も引っ張られている。
またさらに彼らの絆が深まった感じがする。

もちろんトラブルはある。
悩み苦しみ、そして時に泣き、そして笑う。

「みんな一生懸命だから、その方法を巡って、意見の対立でぶつかり合うんだよ。それを乗り越えた団が、真に強くなるんだ。」

私は、そんな風に彼らを励ます。

もはや私たち教師にできることは、彼らを見守り、励ますくらいしかない。

高2は、これまでリーダー業の集大成。
高3は、学校生活最後の運動会になる。

私は今年も、彼らの勇姿に、波ながらシャッターを切るのだろう…。




2020年05月15日

学校教育を再開させよ

緊急事態宣言が解除されたが、県内の学校再開は6月からとのこと。
一体いつまで、学校を閉校にし続けるのだろうか。

この機に9月入学に移行すべき、などという意見もあるが、要は休校にしたことによる責任回避である。

休校により教育を過程に丸投げし、子供たちの教育を受ける機会を奪ってしまった。

もちろん、他の業種も企業活動を停止させ、国家を混乱に陥らせた。
全国的な緊急事態宣言など、果たして本当に必要だったのだろうか。

コロナウイルスの収束には、おそらくは何年もかかる。
それまで活動を停止すれば、「人類は原始生活に戻る」ことを意味する。

学校が始まったとしても、心配は保護者は登校させないかも知れない。
そうした判断もよかろう。
学校としては、出席扱いにするなどして、個別対応すればいい。
いろいろ考えるべき課題も多いが、ゼロリスクで生活するのは、もはや不可能なのだ。

今、学校を再開しても、たとえそれが一ヶ月後、三ヶ月後、一年後であったとしても、おそらくは状況は余り変わらない。

感染は、油断や隙のあるところには起こるだろうし、知らないうちに感染し、無症状のうちに抗体ができている人も増えていくだろう。

国民に対して、感染症予防の一定の知識を身をもって体験させたことは間違いないが、その功罪はマイナス面の方が遙かに大きいはずだ。

人類は、感染のリスクと戦いながら、この先生活を続けることになる。
生活スタイルは、少しずつ変わっていくのだろう。

マスコミは、これ以上人々に恐怖を煽らないで欲しい。

私の学校では、運動会に向けて、生徒たちが全力で練習している。
教室で学び、そして外で身体を動かす。
その中で数多くの学びを得る。

これが本来の教育活動だ。

「生徒のことを考えると…」
という大人たちの決まり文句は、私は責任回避にしか聞こえない。

中国の責任はあるが、ここまでくると、感染云々は誰のせいでもない。

自然の摂理であり、科学万能主義になって傲慢になった人類への警告である。
医学もなすすべがなく、助かる人は助かり、助からない人もいる。

何がそれを分けているのかを、考えなければいけなくなってくるだろう。

今日も生徒たちの元気な声が響く…。

それが、全国津々浦々に広がっていくことを望む。

2020年05月08日

集合写真

教室の廊下に、入学式から一週間後あたりに撮ったとおぼしきクラスの集合写真が貼ってある。
初々しい中学一年生のそばに、担任が立っている。
一番の笑顔は担任だ。

その笑顔からは、これから始まる中学生活を、素晴らしいものにしようという意気込みに加え、その新鮮さと、任せられた責任。そしてなによりもクラス担任である喜びが見て取れる。

果たして、私がそこに写っていたら、誰よりも美しい笑顔で、そこに立つことができるのだろうか、と考えた。

私は写真を撮られるのが嫌いである。
そこに写る私の姿が美しくないからでもある。
身体が曲がったり、首が斜めになっていたりする。
その上、作り笑顔なのだ。

いつか、美しく写真に写りたいものだ、とは思うものの、写真に写り込むことが少ない私は、なかなか写りのいい写真にはならない。おそらくは、心が汚れているのだろう。

ふと、太宰治の小説の冒頭、『私は、その男の写真を三葉、見たことがある。』を思い出した。

彼の小説『人間失格』のように、自分自身を卑下し続け、さらにおとしめる気持ちはないが、その写真の世界が、何だかとても遠い世界のように思えてしまうのだ。

その若い担任の笑顔は美しい。
それに呼応するかのように、子供たちも満面の笑顔なのである。

コロナ自粛で、入学式後の記念撮影が、ネットの双方向配信の顔写真になったというニュースを見た。
「ハイチーズ」、と教師が促し、画面の中の生徒たちがポーズをする。
「これが、君たちの記念撮影だよ」、と語る。

誰がこんな世の中にしたのだろうか。

政府による官製不況も着実に進んでいる。

私立学校では、親の収入が断たれれば、学費の工面がつかなくなり、退学や転校を余儀なくされる生徒が出現する。

何年かあとに、集合写真を見て、
「あいつは、いなくなっちゃったんだよな…。」
などということが起こる。

一方、当の本人にとって見れば、いたたまれない写真になってしまうのだろう。
一瞬を切り取る写真は、あるときは残酷な思い出にもなる。

高校の担任が叫ぶ。
「先生、聞いて下さい。T君が来て、新学期になってはじめて全員がそろいました。」
ようやく全員がそろったクラスで、記念写真を撮ったらしい。

担任が写真を撮ったので、喜びのあまり興奮状態の担任は写ってはいないが、何事もなかったかのようにT君は中央に鎮座している。

これも思い出の中の、貴重な一枚になるはずだ。
きっと卒業アルバムの一ページを飾ることになろう…。





2020年05月07日

心を育てる

GWが終わり、また平常授業が始まった。

GWは5日間の休みにしたが、この間も外部からの接触を断ちつつも、めいいっぱい生徒たちのストレスを発散させた。

私の部活動も毎日早朝から、概ね午前中行った。
外部のグランドが使えず、高校野球の練習が始まる前の隙間を狙ったのだ。

毎日の午前中練習で、選手たちはずいぶん上手くなった。
春の大会は中止になり、夏の大会もどうなるか分からない中で、皆が一生懸命練習している。

先日訪れた近隣の学校の先生は、
「うちは三ヶ月間、部活をやっていません。」
と、言っていたので、その意味でもありがたいこと。

野球技術に加え、心も鍛えることができるからだ。

スポーツの世界では、時に、上手な選手が天狗になる。
自分勝手になり、思い通りにならないと、起こったりすねたりして、チームワークを乱すのだ。

その中で、いいチームワークができたチームが勝つ。
競ったときには、チームワークの力が最大の武器になるからだ。

私のチームのT君も、運動神経抜群、野球技術もなかなかだ。
だが、心のコントロールができず、苦しんでいる。

それでも最近は、毎日の日誌に、自分の課題として認識し始めたので、練習態度がずいぶん変わってきた。

「こいつはモノになるぞ…。」
そう、高校野球の監督が言うくらいの選手なので、大事に育てなければなるまい。

練習中は、あいかわらず「わーわー」言っているが、夜になって日誌を書きながら、自分の言動や、心の状態を振り返っているようである。

最近は、後輩の面倒もよく見ているので、先々楽しみだ。

「私が、彼の心を育てますから…。」
先日私は、そう豪語した。

できるかできないかではない。
「やる」のである。

心を育てれば、その先、どんな道に進んでも、成功を収める可能性がある。

我々教師は、来るべき未来のために、そうし仕事をしているのだ。





2020年04月27日

青空と雲

ぽっかりと浮かんだ積雲の横を、飛行機雲が走る。
上空は完全には湿っていないようで、その奇跡はどんどん消えて行った。

平和な春の日差しが降り注ぐ。
時、まさに外出自粛一色の戦争状態。
しかし、戦時中とは思えないような、青空だ。

教室では、粛々と授業が進められている。
休み時間になると、運動会に向けての練習も行われている。

だが、世相を見ると、専門家気取りが、テレビのバラエティ番組で、国民に恐怖ばかりを煽る。

非常事態宣言も延長されそうだし、ほとんどの学校の休校措置も伸びそうである。
このままでは、多くの商店や企業が倒れ、職がなくなってしまう。
すこしずつ減っていた自殺者もまた増えてしまうかも知れない。

感染して重篤化しても、ほとんど治療方法がない。
感染を抑えようと、隔離していても、ウイルスは各所に溢れている。

自粛はせいぜい一ヶ月が限界で、その後は国民生活そのものが破綻してしまう。
ウイルス感染収束には、二年から五年はかかるだろう。
その間、休校にし続けるのだろうか。
企業活動を停止し続けるのだろうか。

首相は辞めれば終わりだ。
法改正し、指示を出した政府が責任を取るとは思えない。
次の首相は、「前の政権がやったことですから…」、と言うに違いない。

彼らは、勉強ができて嬉しそうである。
口では、大変だとか、宿題が多いなど行っているが、生徒たちは勉強ができ、友達と過ごし、制限がありながらも部活が出来ることに喜びを感じている。

その喜びは、私たち教員にも伝わってくる。

この先もおそらく、多くの方が感染し、その一部が亡くなってしまうだろう。
人類の危機でもある。

だが、これによって地球は滅亡しない。
自らの努力と工夫、人類の英知と神への信仰によって、人類は再び立ち上がるに違いない。

トランプ大統領は、「今こそ、神に祈ろう」、とまで呼びかけた。

感染リスクを中止しつつも、活動を開始しなればならない時期が近づいている。
学校も会社も止めてはいけない。

そうしないと、中小企業はもちろん、大企業ですら崩壊していくだろう。
政府そのものが機能しない状態になることだってあり得る。

私は、JRやJALやトヨタが潰れる姿を見たくはない…。

私は来るべき未来のために、子供たちを育て続ける。

2020年04月21日

母の愛

早朝、ときおり母から電話が来る。
取り立てて用事があるわけではないのだが、最近は週一程度は、私のスマホが鳴る。

今朝も母から電話があった。
「10万円出たら、冷蔵庫、買ってあげるね。」
と、母。
私は、「そんなことはいいから、いざというときのために貯金しなさい」、と答える。
「だって、お前に何もしてあげられていないんだもの…。」

齢55を超えた私にとっては、母から受けた『愛』は計り知れない。
「大丈夫だよ。それ以上に、今までお世話になっているから…。」
と、言おうとしたが、照れくさいので話題を変えた。

何歳になろうと、私は母の息子であり、母の分身でもあるのだ。

そう考えると、お預かりしている生徒たちの母親の思いも理解できる。
たとえ、「すべてをお任せする」、と言っても、心配は心配なのである。
中には親元を離れている生徒もおり、それこそ、「元気でいるか」、「学校には慣れたか」、「友達できたか」、ということになる。
ましてや、子供たちが学齢期とあっては、その思いはひとしきりであろう。

我々教師たちは、時に理不尽と思われる要求を保護者から受けるが、それも母の『愛』ゆえのこと。

そうした無理難題にも、誠実に対処してこそ、プロの教師なのだろう。

「全部閉まっちゃって、もう、行けるところなくなったわ…。」
一人で東京に住む母は、最低限の買い物以外、家を出ないようだ。

「そっちに行けば、広い庭や畑でやることいっぱいあるのにね…。県外に出ちゃ行けないっていうから…。」

確かに私の隠れ家は、一人では手入れができないほどの広さがある。
この前は、雑草が次々と繁茂し、手が付けられない状態になるのは、目に見えている…。

母は、言いたいことだけを言って、「じゃあね…」、と電話を切った。

何気ない会話の中に、母の『愛』を感じた。

こうした母の思いを知ってこその、教師として生徒に愛を与える仕事なのだろう。

人は、一人で大きくなったのではない。
たくさんの人のお世話になって、一人前になっていく。

私も全力で、生徒たちと関わっていきたい、と改めて思う。
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