2019年11月15日

一夜の生徒部屋生活

23時からのミーティングが終わって、部屋に戻るととても寒かった。
生徒たちは、もう寝ているようだ。

「窓が開いているのかな…」、と窓に近づいてみたが、空いているようには見えなかったので、私もそのまま寝てしまった。

今回の宿泊研修では、男性教員は三つに分けた男子生徒の大部屋で一緒に寝ることにした。
その方が見回りの手間も省けるし、夜中に騒ぐこともなくなる。
私以外の男性の先生は、若手の担任なので、同じ部屋で生徒と一緒に過ごすこともできるわけだ。

これは私が提案した。
昨年は、少人数の小部屋で、見回りが大変だったが、大部屋であれば、一気に生徒指導ができる。
指導と言うよりも、生徒と一緒に過ごすという時間も、先生にとってはそれもいい経験になるはずだ。

それでも、夜中に寒くて目が覚めた。
夜中と言っても,普段目が覚める早朝4時。
今朝は愛犬の散歩をしないから、もっと寝ていてもいいのだが、寒いので一旦起きた。

廊下に出ると、廊下の方が暖かい。
エアコンからも冷たい風が吹いてくる。

もう一度窓に近づくと、窓は全開であった。
生徒たちは、全員が頭から布団をかぶって寝ている。やっぱり寒いのだ。

私は壁のエアコンの設定を見る。
だが、老眼で暗いところが見えない。スマホをかざそうと、懐中電灯アプリを探したが、そんなアプリはインストールしていないことに気がついた。

「んー、見えない。」
壁には、「冷房は使えません」、とは書いてあるが、どうやら設定温度が最低になっているようだ。

しかたなく、やみくもに設定温度を上げてみる。
ほどなく少し暖かい風が吹いてきた。

私はひとり、食堂に行き、ソファーに座りながら、ひたすら時が経つのを待っていた。

生徒たちの起床時間は6時半。

私は、6時を過ぎ頃、あまりに時間をもてあましたので、部屋の電気をつけ、生徒を起こし始めた。

部屋はすっかり暖かくなっていた。

生徒たちは、寝ぼけ眼だが、黙々と片づけをしている。

いつしか空は明るくなり、新しい一日が始まった。

寒かった朝も、少しずつ記憶から消えていく。
これが、先生の仕事なのだろう…。




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2019年11月14日

初めての宿泊行事

中2全体で、宿泊の研修に出掛けた。
これが入学以来初めての、学年としての宿泊行事になる。

私は、昨年のこの行事で、参ってしまった。
生徒たちはあまりにだらしなく、引率責任者である私自身が、心を乱してしまったのだ。
学校に戻るなり、「連れて行かなければ良かった」、と吐き捨てた私は、その後、坂道を転げ落ちるように落ちてゆく。

私が落ち込んだ一つのトリガーでもあった。

だから「今年はどうだろう…」、と一抹の不安を抱えながら。同行したが、今年の中2は違った。
すべてがいいのである。

私は、お風呂担当と一部給仕をしたが、どちらも何も問題なかった。
誰一人、風呂場に忘れ物をする者もいなかったし、脱衣所をびしょびしょにする者も、誰もいなかった。
私が、味噌汁をよそえば、ほとんどの生徒が、「ありがとうございます」、と言う。

学年主任の強いリーダーシップと、周到な準備で、「研修宿泊は大成功であった」、と言ってよい。

そうなると、昨年の私の不甲斐なさが身にしみる。
今回も、昨年度の失敗を活かすべく、いろいろな工夫をしたのだが、この学年の生徒たちは、とても素直なのだ。

「全責任を負う」、という立場を逃れ、心に余裕を持って引率できると、こうも世界が変わって見えるのだろうか。

その一方で、「私には無理かな…」、という思いが強くなる。
「24時間生徒のことを考え続ける」ことを、無意識のうちに拒否しているかのようだ。

生徒たちはかわいい。
彼らを、「何としてもサポートしてゆきたい」、という気持ちはある。

それでも、現場を離れて、畑仕事をしたり、愛犬の散歩をしているとほっとする。

「皆さんたちは、とても素晴らしい行動でした。先方からはお褒めのお言葉をいただきました。」
研修担当の若手の先生が、最後の反省会で全員にそう告げた。

おそらくは、学年主任も担任たちも、かつての私のように、その言葉どおりには受け取れないのだろう。

だが、私自身は、まさにその通りだと思った。
まさに、お墨付きをいただいたような気分だ。

「君たち、立派だったよ。」

今の私なら、彼らにそう告げたい。





2019年11月12日

夢占い

午後、休みをいただいて、寝ていたら夢を見た。

私が大型のバスを運転している。
生徒を送迎しているようだ。

本来私は、中型までしか免許がないので、運転できないのだが、夢だから仕方ない。

順調に送迎を終えたと思ったが、どうも目的の場所を間違えたらしし。
これはまずいと思った私は、少し焦りながらも、本来の場所へとバスを向かわせる。

ところが、 走る道がどんどん狭くなってしまうのである。
大型バスなので、たとえギリギリ通れたとしても、交差点で曲がることができない。

だから、時々バックで道を戻ったりしながら、次々とやってくる細い道を走り続けた。

すると、気がつくと、学校の廊下のような所を走っている。
「いつの間にこんな所へ来てしまったのか…。ここから出られるのだろうか。」
と、思いながらもバスを運転し続ける。

いつしか、誰も乗っていないバスになっていた。

「ここを曲がって、昇降口から出れば、外に行けるかな…」
そう思って右折しようするも、置かれた物や壁が邪魔になって通れない。

すると、どこからか人が集まってきて、障害物をどけたり、一部壁を壊したりしてくれているのだ。
私も一度、バスを降りてみたが、いつの間にかバスは、傷だらけになっていた。

「さぁ、これで通れるぞ!」
という声がしたので、私はスペースに空いた昇降口から外に出た。

何段かの階段があるので、ガタガタ揺れたが、無事外に出られた。

その途端、バスは五百メートルとも千メートルとも思われる崖から落ちていった。

私が見たのは、バスがそのままの状態で、遠く眼下に広がる町の、駐車場のようなスペースに、軟着陸している様子だった。

しかし、次の瞬間、私は運転席にいて、バスごと、上空から落下している様子だった。

そこで目が覚める。
時間は部活の集合時間を少し過ぎていた。

いろいろ考えられるが、この夢の意味は何だろうか。

いずれにせよ、強烈で印象深い夢で、しかも後味が悪い…。

毎日生徒を乗せて運転しているプレッシャーだろうか。
学校から逃れると、転落するというイメージだろうか。

2019年11月11日

怠け者同好会

中3のT君に、
「最近運動している?」
と尋ねたら、何もしていないという。

彼はバスケットボール部で活躍していた生徒である。
両親も、姉もバスケットをしているバスケット一家だったが、そのプレッシャーから、中1の頃は、バスケから離れたこともある。

その後、両親もあまり干渉しないようにして、プレッシャーを克服すると、またバスケットを始めるようになった。

もとより運動神経もいいし、背もそこそこあるので、有望な選手として毎日活動していた。

私の学校は、中高一貫なので、受験勉強のための引退というものはない。
しかし、中学総体が終わると、参加できる大会がなくなってしまうので、中学校としての部活動は終わってしまう。

ほとんどの部活で、高校生もやっているので、「そのまま高校の練習に入る」というスタイルを推奨しているが、最高学年から、いきなり下っ端という立場、そして、「少し休んでから行こう」、という誘惑に負け、結局、高校の練習に参加している生徒は少なくなってしまうのだ。

彼らの多くは、放課後ぶらぶらしている。
勉強は、学校で出される宿題程度で、受験勉強をする者はほとんどいない。
もっとも、希望すれば全員が高校に進学でき、本番の試験で落とされることもないわけで、そうした甘い環境が、こうした事態を招いてはいるわけだが、ほとんどの生徒は『怠け者』になる。

私は彼らを『怠け者同好会』、と読んでいる。

人は、一度楽をすると、辛い立場にはなかなか戻れない。

部活の練習が厳しくても、毎日やっていれば身体も慣れてくるが、たまにしかやらなければ、結構苦しい。

という訳で、T君は、『怠け者同好会』のメンバーになった。

毎日放課後は、部屋でぐだぐだし、ごろごろしながらスマホで遊んでいるに違いない。

かすかな希望としては、T君は少し勉強するようになったことだ。

先日の中間考査でも、学年トップクラスの成績の科目もいくつかあったので、それなりの努力はしたのであろう。

人には休息が必要だ。
その休息が、次のエネルギーを充電することも多い。

T君は、今、そういう立場なのだろうか。
それとも、ほんとうに、『怠け者』になってしまったのだろうか。

結果は、高校生活を見てみなくては分からないが、これが、「積極的な休息」であることを願いたい。

2019年11月10日

一点差の勝利

先週に引き続いての練習試合である。
通常ならば、土曜日に行いたいところだが、私の学校は土曜日には授業がある。
だから、練習試合は日曜日にしか入れられないのだ。

「土曜日に授業して、午後練習。日曜日に試合や練習で夕方まで。そして次の日はまた通常の月曜日」、というスタイルは、ここ十年来のことでもあるが。昨今は体力的には厳しいものになってきた。
このパターンにより、一日中休みを取れるのは、数ヶ月に一度になる。
最近は、所用があれば、躊躇なく休みをとることにしているが、それでも授業を欠いてしまい、その間、別の先生に教室に行ってもらうのは、やはり気が引ける。

「来週までに、鍛えておきます」、と先週大差で敗れた相手校の監督は、今日も暖かく迎えてくれた。

「たとえ戦力を落としてでも、勝たねばならない…。」
というのが、私の心の中の叫びである。
もちろん、選手たちにはそんなことは言わない。

先週の試合で勝って、慢心してしまえば、今日の試合は絶対に勝てない。
そういう気持ちのさせないためにも、私自身にも工夫が必要だ。

今日の試合では、新人の中1二人、そして普段では試合に出られないメンバーも入れてみた。
ピッチャーも中2ながらも初めて試合で投げる選手、その上、エース級のピッチャーが肘が痛いというので、ほとんど試合には出さずに、スタメンを組んでみたのだ。
「これでも勝てなきゃいけないんだよ…。」
とは言わなかったが、彼らは十分分かっているはず。

イニング事のミーティングもほとんどが選手だけ、攻撃時のサインも、「ここぞ」というときにしか出さない、という状況の中で、どれだけ自分たち踏ん張れるかを見てみたいと思った。

結果は一点差で勝ったが、相手のミスで勝ったようなものだ。
ピッチャーは、どちらも良くやったが、守備のミスが多かった。
それによる余分な失点も多い。

『「悔しければ、自分から練習するだろう。やらされているうちは上手くはならない。』

私にはそういう持論がある。

以前、ある指導者が、「これからの時代は、トップダウン方式ではなく、ボトムアップ方式でなければ、勝てなくなるだろう」、と言っていたのを聞いたことがある。

あり須磨指導者ならば別だが、私のような平凡な監督は、「それもありかな…」とも思ったが、「それより先に、教えなければいけないことは山のようにあるな」、とも感じたものだ。

今のチームには、一年生ながら、チームを上げ増し続ける秀逸の人材がいる。
「彼が、チームを盛り上げ続けてくれている限り、ボトムアップもいいかもしれないな…」、とも思うのだ。

一点差ゲームは、軟式では理想とされる。だが、彼らの野球ノートには、
「パスボールで勝ったようなものだ。」
と書かれている所も見ると、選手も少しは分かってきたがな、とも思う。

二週間後に。再度このチームと試合をする。
一点差まで攻め寄られているとみて、もう一段の力をアップさせられるかが勝敗を分けるだろう。

面白い一日になった。

2019年11月09日

担任至上主義

高校生が模試をしている中、大声で話している中3がいたので、手を口に当て「しー」というジェスチャーをした。

私が通り過ぎると、三人のうち一人の生徒が、
「懐かしい…。」
と、言った。

彼女は、私が中1、中2で担任をした生徒だった。
おそらく、ここ半年以上話をしていない。
だからこそ、そう言われたのだろうが、ちょっとショックを受けた。

生徒にとって、担任とはそんな感じのものなのだ。
これまで担任は、生徒と関われ、自ずと関係も密になると思っていたが、結局はこんなものだ。

「担任ができない教員は、一人前ではない。」
私が新任の頃、ベテラン教員にそんな風に入れたことがある。
以来、「担任になること」を夢見て、三年目にして初めて担任になれた。

私は私立で、いくつかの学校を巡っているが、2校目では、長く非常勤だったので、担任になるまで5年かかった。今の学校は、2年目で担任になっている。
わたしの教員人生は、「担任になること」が、前提のような歩みだったように思う。いわゆる担任至上主義だ。

おそらくは、生徒との距離が縮まれば、指導がしやすいと考えていたのかも知れない。

今年、担任を外してもらい半年。気づいたことがある。

それは、担任だろうが、担任でなかろうが、生徒との関係においては。あまり関係ないということだ。
それよりも、中学生ならば、若い先生の方が、いろいろ相談したいだろう。

一方で、今年初めて中1の担任になったベテランの先生のクラス内の掲示は秀逸だ。
公立中学校で長く務められた方で、指導の引き出しも抱負な方だ。

ベテランならば、そうしたクラス運営もできる。
担任の実力差があれば、周りの先生や、学年主任がフォローすればいい。

「自分のクラスの生徒を何とかしなくっちゃ…。」
そう、焦れば焦るほど、空回りをして、状況を悪化させる。

情けないことだが、私は、ここ半年で、ようやくそのことに気がついた。

今、「担任をやれ」、と言われたら、まだ私にはそのエネルギーはない。

充電期間ということにはなってはいるが、なかなかエネルギーは溜まってゆかないのが現状だ。

これ以上ぶらぶらすることを、許してもらえるのかどうかは分からないが、今しばらく、現状を許していただこう。

2019年11月08日

教え上手から教わり上手へ

教え上手から教わり上手へ

借りているグランド脇に、私設の畑を作ってもう何年にもなるが、荒れ地を耕しただけで、大して土も入れていないので、野菜などの作物はほとんど育たない。

栄養がない土でもいいとされるサツマイモですら、今日収穫してみたら、最大でも15センチほどだった。

確かに昨年よりは大きくなったが、まだまだ超小ぶり。

隠れ家(自宅)の畑のサツマイモのは、未だ収穫前だが、こちらは葉ばかりが大きいので、こちらもしかしたら、芋は大して大きくないかも知れない。

素人が野菜を育てるのは、簡単なことではない。
やっぱり学んだり、教えてもらったりしないと駄目のようである。

自学自習スタイルは、教員の常套手段なのだが、やはり何かしらのアクションがないと、なかなか技術が向上することはないようだ。

ネットビジネスの中で、アフィリエイトというものがあるが、これも基本的には素人では稼げない。
報酬が出るのは、せめて自己アフィリくらいで、ほとんどの人は稼げないシステムになっている。

ネットでは、情報が溢れているが、たいていはネット情報だけでは稼げない。
高額な情報教材も、詐欺だらけで、私もずいぶん騙された。

私もいくつかのネットビジネスをかじっているが、収益は別として、きちんと運用できているのは、やはり、説明会などに交通費を出して足を運んだものばかりである。

ネットで完結しようというのは、やはり甘いようで、適切なアドバイザーが必要なのだ。

そう考えると、学校で、先生が生徒に教えるというスタイルは、良い方法なのだろう。
双方向で会話ができる、教員側が進捗状況を把握し、学習意欲や態度、モチベーションを肌で感じながら、うまく生徒を誘導することができるわけだ。
これは、たとえAIが進化しようと、まだまだ及ばない領域だろう。

だが、彼らが卒業し、成人し、社会人として活躍する頃には、そうした教員や学校生活は、すっかり記憶から消えてしまうことになる。

そのなかで、印象深く教えてもらったこと、印象深い出来事は、もしかしたら、記憶にとどめられるかも知れない。

教員は、とかく「自分で勉強しなさい」、というスタイルになりがちだが、世の中には、「教えてもらわなければ分からないこと」は、山のようにある。

それを見極め、「素直な気持ち」で教えを請うのは、教員にとっては苦手なことなのかも知れない。
教えることは上手だが、教わるのは苦手、という訳だ。

おそらくは、天狗のように鼻高々で、謙虚さが薄れているのだろう。

ネットビジネスの闇については、私もたくさん経験し、詳しいので、いずれ紹介することにする。
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