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2018年11月18日

「攻め」の学校公開

昨日、学校公開を行った。
通常は、『学校説明会』を月一回程度行うのだが、今回は少し戦略的に実施した。

私立学校にとって、ファンを増やすことは切実な問題。
ファンが増えれば入学希望者が増える。
これは公立学校でも同じだが、私立学校は学校そのものの存続にもかかわる重大な問題になる。

今回のイベントは、「学校の教育に賛同している人や保護者を招き、学校や生徒の素晴らしさを実感してもらって、彼らの口コミで、さらにファンを増やそう」、というものだ。

授業見学はもちろん、随所に生徒と関わる場面がある。
先日後輩たちにも歌ってくれた中3の『大地讃頌』の合唱。(『中3語学研修報告会』)
前生徒会メンバーを中心とした高2有志とのディスカッション。
チアダンス部の演技。
吹奏楽部の演奏。
合唱部の演奏。

これらを、型どおりに舞台で公開するのではなく、随所で、意表を突く形で行った。
なかなか気合いの入った企画である。

参加した方は50名を超える程度だったが、ほとんどの方が、涙の感動をしていただき、こちらの意図通り、『学校のファン』になって頂けたようだ。

実際経験した方の言葉には説得力がある。
たとえ、
「あの学校の食事はまずい。」
と、発言していた人がいたとしても、
実際に食べた方が、
「そんなことはない。とても美味しかったよ。」
と、語れば、その勢力が多ければ,少数の声はあまり目立たない。
そうした声がホームページなどで紹介されていれば、
「あれは、噂だったんだ。」
と、マイナスの発言ばかりが目立たなくなる。

「生徒が荒れてるんだって。」
と、噂で話しをする人がいても、
「生徒たちにの姿には感動した。」
という声が大きければ、それは見えなくなってくる。

世の中、マイナスの声ほど広がりやすいので、プラスを広げようという考えである。

日本人の性質として、『良かったことに対しては、何も語らない』というものがある。
つまり、「語らないことが、『良くも悪くもない』のではなく、良ければ黙っている」、というスタイルだ。
一方、悪い噂は、どんどん脚色化されて広がっていく。

ちょっと「攻め」の学校公開。
まずは成功であったようだ。・








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いきなり『C言語』かぁ?

高校生くらいになると、ちらほら
「プログラミングを勉強したいんです。」
という生徒が出てくる。

何事も興味を持つのは良いこと。
ただ、彼らが最初に始めようとするのが、『C言語』なのだ。
私は、プログラミング経験があるので、一番始めに『C言語』を学ぼうとするのは、あまりお勧めしない。
いくつかの理由を述べると、まず第一に「『C言語』は難しい」ということだ。
だから独学で、この言語の勉強を進めようとすると、たいていは挫折する。
Windows系のアプリケーションの多くが、『C言語』で作られているようだが、「憧れ」だけでできるようになるほど、プログラミングは甘くない。

また、『C言語』は、省略表記ができるので、「初学者には出来上がったプログラムのデバッグがしにくい」という理由もある。

プログラム言語を学ぶには、言語の規則を覚えれば良いのではなく、自分が実現したいプログラムのための、アルゴリズムを知らなければならない。このアルゴリズムさえ分かれば、はっきり言ってどんな言語でもやりたいことは実現できる。
そのアルゴリズムを学ぶ上で、『C言語』は、初心者には分かりにくい。

以前は、どんなパソコンにも『BASIC』という言語が「おまけ(?)」でついてきた。
だから、簡単なプログラムなら、それで体験できた。
実際に、自分で作ったプログラムが、「思い通り」に動くことは、感動するものだ。
だが、その中で、うまく動かない部分が見つかり、それを一つひとつ検証する中で、プログラミング技術が向上する。

実際プログラムを組むコーディング時間と、不具合を直すデバッグ時間では、場合によってはデバッグ時間の方が長い。

「まずはアルゴリズムの勉強をすべきだ。」
というのが、私の考えだ。

実際、私が中学生のときからアドバイスしながら勉強を続けた生徒は、高校一年生ながら、いろいろな言語を駆使することができるようになっている。

一つ、言語を制覇できれば、あとは次々とプログラム言語を学ぶことは、そう難しいことではない。
それも、根本に、アルゴリズムが分かっているからだ。

「ちょっとかじってみる。」
というなら、否定はしないが、将来そうした職業で活躍したいというならば、基本として学ばなければならないことがあることは、強調しておきたい。

学校でもプログラミング教育が始まるようだが、『C言語』のような高級言語を使ってやるわけではない。言語体系を簡単ににした、アルゴリズム重視となるはずである。

それが、論理的な思考を磨き、こうした論理的な思考や問題解決能力が、他の教科に波及していくことを狙ってのことだろう。

確かに、自分のプログラムで、ちょっとしたロボットやら、動画撮影が自動で行えたら、新しい世界が拓け、楽しいだろう。

最近、何人かの高校生が、プログラミングをやりたい、と『C言語』を始めたそうだ。

なかなか苦しい、茨の道に足を踏み入れてしまったように思える。








2018年11月17日

タブレットの導入

学校のITC化が急速に進んでいる。
私の学校では、10年前に全教室にパソコンと教材提示装置、天井吊り下げのプロジェクターを設置したが、今では決して珍しくはない。
近隣の学校でも、同じような環境が整っている。

最近は、一人ひとりにタブレットを配って、それで授業をしている学校もあるそうだ。
ただ、果たしてどうだろう。効果はあるのだろうか。
生徒は、最初は面白がって使うだろうが、だんだん飽きてこないだろうか。
あるいは、別の操作をして、遊んでいるとことは、ないのだろうか。
本ではなく、タブレットを読ませて良いのだろうか。

「授業中、飽きた生徒は動画を見てますよ。」
なんて、話も以前聞いたことがある。

コンピューター教室の一斉授業のシステムならば、ネットを一斉に切断したり、キーボードにロックをかけたり、と結構細かな芸当ができるのだが、タブレットはどうなんだろう。
そのまま一人ひとりに貸し出し、自宅にも持って帰れるとしたら…。

何だか考えているだけで、恐ろしくなってきた。
コンピュータはOSのもと、ソフトウエアが動いている。
たいてい、そういうソフトにはバグだの、セキュリティホールがある。
だから、半永久的にソフトを更新し続けないといけないのだが…。

もう一点は、
「タブレットがそのまま教科書になって、そのタブレットを読むことになるのだろうか。」
という不安だ。若い先生には、こういう不安はもはやないのかも知れないが、
「えっ、本に書かれた活字を読ませなくていいの?」
と、老害と呼ばれかけている私は、心配で心配でしょうがないのだ。

日本国民(?)の読書離れが言われてずいぶん経つ。
『一億総白痴化』などとも言われても、時代はますます活字離れの様相だ。

「タブレットで活字を読めばいいのだ。」
と、仰る方もいるだろうが、やはり私は、
「線を引いたり、付箋を貼ったり、書き込んだりしながら、勉強するものじゃ、ないのか?」
と、思ってしまう。

事実、大切な本は、今でも私はそのように読んでいる。
付箋も色や形を変えて、分野毎に、つける位置も変えるし、ダーマトグラフも色分けするし、時に蛍光マーカーだって使う。

「こんなのが、タブレットで再現できるのかあ?」
と、杞憂するが、きっと、同じ程度の機能はあるのだろう。

IT機器はまだまだ進化する。
今使える、便利なものはどんどん導入していくのもいい。

ただし、まだ発展途上で、それによって失われていく能力があると思われる部分については、慎重な導入が望まれる。

企業は、収益のために猛烈にプッシュしてくるだろうが、利権に惑わされることなく、詳しい人がきちんと精査、判断して欲しいと思う。

新しいものを導入する時は、いつの時代も同じなのかな…。








中高合同強化練習会

今日は、中高合同での強化練習会が行われた。

私の県では、高野連と学体連で、年一回合同の練習会が行われている。
高校野球の関係者が中学生に野球の指導するという練習会だ。

高校側からすれば、「中学校野球部の選手をできるだけ高校野球に取り組みたい」訳で、高校野球(硬式野球)の魅力をアピールできる場でもある。

一方、中学側からすれば、「高校野球のレベルの高さを知ると共に、高校の野球部監督らから直接教わることで、また新たな気持ちで野球の練習のモチベーションを高めることができる」という訳である。
また、地元の高校ならば、中学野球部経験者も多いので、中学側の監督からすれば、「高校で野球を続けている教え子たちの活躍の姿を見ることのできる貴重な機会」でもあるのだ。
事実今日は、あちらこちらでミニ同窓会が行われていた。

このシステムが始まって、もう二十年近くになるらしい。
以前は、各校から代表4名だけが参加して、それを各チームに戻って伝達するシステムだったが、今年からは、希望する中学2年生は全員が参加できるように、高校の会場も増やされた。

中高の指導者たちは、事前に打ち合わせもしており、「飲み会」もあるので、お互いが顔見知りだ。地方の先生の交流は深いのだ。

さて、各中学校からやってきた野球部員は、先生の指導が徹底されているだけあって、元気はいいし、挨拶や返事も完璧。動きもキビキビしている。しかも、それぞれの学校のリーダー的役割も兼ねていることが多いこともあって、人数が多くても整然としている。

私は、何だか久しぶりに、往年の『運動部としての姿』を見たような気がした。
昨今は、こうしたある意味保守的な指導が、保護者や他の教員から嫌われる傾向があるが、実際にこの姿を見れば、生徒の教育としては間違っていないように思える。

もちろん、超保守的な高野連の体質が、行き過ぎになりがちだということも知っている。
ただ、そこに所属している部員たちが、「楽しく機嫌良く、さらには自分の夢や希望を持ちつつ、勝負の世界の厳しさを知りながら、社会で必要な徳目を一つひとつ学んでいる姿」は、決して否定できるものではないだろうと思う。

教育には、いろいろな方法があるので、この方法が「気持ち悪い」という人は、やらなければいい。
別の方法があるだろう。ただし、「この方法がいい」と思っている、生徒や保護者もいることも事実だ。

実際の練習内容だが、今年はかなり実践的で、中学生にはかなり刺激的なものであった。
ここでは詳しくは触れないが、高校の監督のノックを受けたり、個別指導を受けたり、体験として公式でフリーバッティングさせてもらったり、マシンで硬球を打つ、という経験は、野球好きの中学生にはたまらないメニューだったに違いない。

私たち中学側の指導者は、とにかく「怪我のないように」、ドキドキしながらも、そっと見守る。

以前の私なら、自分の学校の生徒のプレーが情けなかったら、
「普段何を指導しているんだ…。」
と、思われるのではないかと、ビクビクしていただろうが、最近はそんな思いは全く起こらない。
自分の指導に自信が出てきたということではなく、自分が逆の立場に立っていたとしたら、「そうした思いは絶対に抱かない」と、確信しているからである。

練習会後、うちの選手には
「緊張感の中で、少し背伸びをするくらいが、いい練習になるし、ぐーんと向上するんだよ。」
と、諭してみた。
彼らも満足げであった。

熱心な中高の野球指導者に囲まれ、私自身も刺激を与えられた一日となった。
時折、
「来年、自分はこの場にいるのかな…。」
という思いがよぎったことは、銘記しておくことにする。









2018年11月16日

遺伝子は引き継がれる

先日、A君が英語の時間をサボって校内をぶらぶらしていたが、今日は音楽の時間にA君に加え、K君もサボっていた。
「正直、やる気が起きないんですよね…。」
先生たちが探し回ったが、見つからず、授業終わる寸前に教室横のトイレに戻ってきた。
「お腹、痛かったんです。」
どちらも理由にならない。

そう言えば、去年の中2も男女問わず、何人もの生徒が授業に出ないで、いろいろな所でぶらぶらしていた。先生に見つかって教室に戻される場合もあったが、たいていは、隠れていて、見つからないことが多かった。

「今年は、そうした『さぼり』はないな…。」
と思っていた矢先に、やっぱり起こった。
こうした遺伝子は、確実に引き継がれるのだ。

また今日は、技術でじゃがいものチェックに外に出たが、一人の生徒S君がそのまま消えた。
聞けば、友達に松ぼっくりをポケットに入れられ、トラブルになったらしい。

人一倍怖がりなS君は、虫を入れられたと思い大騒ぎ。
「謝れ」、「本気で謝れ」などと言い争いになり、結局S君は、そのままどこかに去り、外で傷心を癒やす。

次の時間の家庭科の先生が、S君がいないことを報告してくれて、ようやくその事実に気がつく。
授業中に、
「S君、どうしたの?」
と、尋ねた所、
「いろいろありまして…。」
と、ごまかされたと言う。

休み時間に生徒に尋ねても、ニヤニヤして
「いなくなりました。」
と、言うばかり…。
技術の先生が、探しに行ったら、外にいたという具合だ。

時代が変わり、私自身も生徒たちを理解できなくなってきたのだろうか。

放課後、隣の担任が叫ぶ。
「数学の補講に人が来ていなくて、先生が怒っているんです。」
という。
強制的に補講に参加しなければいけないメンバーがこぞって逃げたのだ。

こんな追いかけっこはしたくない。

何かが間違っている。

生徒たちは、
「もっと本気でぶつかってきて欲しい。」
と、思っているのかも知れない。

最近、教員の生徒との関わりがどんどん薄くなっているような気がする…。








やはり仕事には関心あるらしい

昨日の『仕事について』集会の感想。
日常ではやんちゃな生徒たちも、やはり、仕事には関心があるらしい。
なかなかの感想を書いてきた。

「根本的なルールや、物の管理をしっかりして、人からの信用を受けられるようにすることが大事だと分かりました。」
「一つひとつの行動、言葉に責任を持てていないな、と思った。表では良いことを言っても、裏で愚痴ばかり言っていることを反省しました。」
「『信用』、『約束』、『時間』、『お金』、『礼儀』、『言葉遣い』が、社会に出て成功するために必要なものであることがよく分かりました。」
「社会人としての厳しさを知りました。仕事をすることは、覚悟と責任が課せられるのだ、と改めて感じました。」
「将来仕事をするときに、信用してもらえるように、日常生活の中でも、凡事徹底や自己管理をしっかりできるように頑張ります。」
「礼儀と言葉を正していこうと思いました。僕は、思ったことをすぐ言ってしまうところがあるので、気をつけていきます。」
「体調が悪くても、意地で仕事に行くようなことが、仕事では常識だということが分かりました。また、それが責任につながくるのいだ、ということも分かりました。」
「社会の恐ろしさが分かりました。いかに学校がありがたいかが分かりました。」
「生暖かく暮らしている中で不満を言っているようじゃ、まだまだ甘い、と思いました。」
「いつもルールを守れと注意してもらっているのは、将来のためなのだ、ということがよく分かりました。」
「ほめられることを求めすぎないようにしたいと思いました。」
「今、英語をしっかり勉強する意味が分かりました。」
「今の生活が、社会では通用しないということが、よく分かりました。」

今朝になって、生徒たちが書いた感想を読んだのだが、どの方の話も、彼らの心に響いているようで、感動した。
やはり、身近な人が、身近な話題の中で、その体験を語ることは。、とても説得力がある。

教師がすべてを体験することはできないが、さまざまな人の生き方を学び、研究し、生徒たちに伝えることは、とても大切なことだと思う。

教師自身も、いろいろな経験を通して、学びを深め続けるべきだろう。

一人、感想の中に、
「ブラックだと思った。」
というものがあった。「熱があっても、頑張って仕事に行き、時折嘔吐しながらも仕事を続けた」と、話をした方がいたのだ。
仕事に対する責任の大きさを語ったのだが、昨今のメディアの『ブラック報道』で、正しく伝わらなかったようだ。

もちろん、体調の悪い時まで、無理して仕事をすることまで求められているわけではない。
だが、ちょっとの事で、簡単に仕事を休むことも、許されるものでもない。
仕事はチームでやっている場合が多いので、急に休めば仕事に穴が空く。
それでも周りの人でカバーして、仕事を回していく。
緊急の時には、そうせざるを得ないが、明らかにそうではない場合もあるわけで、このあたりの上司の見極めは、とても難しい。そこにトラブルと、人間関係の崩壊が起こる。

たまには、校長に報告しようと、昨日の集会を報告。
そのとき、校長も民間企業経験者であることを思い出した。
「僕も、会社にいたよ…。」
「よく存じています。校長先生に、学年で話してもらうなんて、恐れ多くて…。学校全体でお話していただきたいのです。」
と、その場を取り繕った。

とにかく仕事は甘くない…。








2018年11月15日

こんな仕事をしていました!

今日の学級活動は、学年集会。
『仕事』をテーマとして、学内の3人の職員にご自身の経験をお話してもらった。

近隣の中学校では、この時期、職業体験をする。
しかし、私の学校ではどうしても実施できない。
だから、せめて『仕事』について知識を与え、来年実施予定の『立志式』に向けて、『社会人の心構え』なども話をしてもらえれば…、という企画したものだ。

イギリスで引っ越し会社で働いていた先生。
引っ越し見積もりを作る仕事の経験をお話しされ、
「何があっても、お客様が第一なのだ。」
と強調された。
また、「時間を守らなければならない」ことも、失敗談を入れてご紹介くださった。

証券会社でセールスマン取りまとめ、経理事務をしていた女性職員。
「仕事は具合が悪くても休めない。」
「何としても責任を果たさなければならない。」
「理不尽に非難をされることは数多いが、褒められることはほとんどない。」
「多くの人に、『いてもらって良かった』と、言えるような仕事をすべき。」
と熱く語ってくださった。

有名小売業の立ち上げに関わった、大手会社の営業マンをしていた職員。
「『時間を守る』ことの大切さ。」
「営業で一番大切なのは、自分自身が『信頼される人』であること。」
「『約束を守る』ことの大切さ」
など、先輩トップセールスマンが、『お金の管理』で失敗して、左遷され、退職していくことになったという経験談などを語り、
「今、社会人に出るための『訓練』をしているのだ。」
と、語ってくださった。

三人三様、どれも説得力があり、聞いている私も面白かった。

生徒たちはメモをしながら、熱心に話を聞いてくれた。

この企画を通して、
「仕事をすることは、生半可なことではない。」
ということは、少し理解できたのではないか、と思う。

また、
「自分たちの今の生活が、いかに甘いか。」
も、薄々ながら、感じてもらえたら嬉しい。

「ご両親に、どんな仕事をしているのか。聞いてごらん。そして、その苦労話を聞いてみるといい。さらに、その責任の重さを、聞いてみるといい。」
と、結んだ。

珍しく誰も寝ることなく、よく聞いてくれた。
ほっと、胸をなで下ろす。

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