1月16日は昔から地獄の釜の蓋も空くといわれている日であり、
我が家では1月16日は先祖供養で毎年墓参りをすることが慣例で高齢の両親が今は行っている。
その日は昔から、わが地方独特の精進料理ときな粉餅を仏壇とお墓に供えるしきたりである。
また、和尚さんが毎年1月15日の休日に檀家を回り読経をしてくれることも慣例である。
先日YAHOOの世論調査で1年に2回以上墓参りをする人が約5割ちょっといる結果であった。
世論調査でのコメント欄に書き込みしている人の多くが墓参りをしない派の人たちが多かった。
その多くがお金がかかる、手間がかかる、時間がない、遠くでいけない、お墓詣りに何の意味があるの、
人は死んだらそれでおしまいなど時代変化によっていろいろな考えが変わってきたのだと思った。
しかし私の家庭では、先祖があって今の私と生活があることを先祖に感謝し、
兄弟の子供たちも春秋の彼岸、お盆などに墓参りをする習慣となっており、
子供たちも自分がいるのは先祖がいるからだと先祖に感謝して線香やお供えをする。
地獄の釜の蓋も空くと昔からいわれている1月16日は、もし仮に地獄に落ちた先祖がいたなら、
早く地獄から脱るることを念じて供養する日だと私は考え、今年は午前中に休み線香と供物を備えて念じる。
私が死後の世界を信じるのは、母親の母親が私が生まれる前に40代l後半で亡くなったため、
私が生まれる前に亡くなったので祖母とは言い難いがややこしいので母方の祖母としよう。
そこで祖母の若いころの臨死体験の話がある。
母の話では、母の母は若いころに難産で流産し、
その際に大量の出血で意識も脈もなくなり死んだと産婆さんに告げられた。
ところが母の兄が死んだ母を何度も呼び続けた際に生き返ったという臨死体験の話を聞かされていた。
その際に母の母は美しい花が咲く広い花畑のような場所にいて、道を進んでゆくとその向こうに川があり、
川を渡ろうとすると川の向こう岸で戦争で死んだはずの弟たちがこっちへ来てはいけないと必死に叫んでいたそうである。
その叫びで自分は川を渡ってはいけないのだと思った際に目が覚め、息を吹き返したということを聞かされた。
これは脈もなくなって死んだ母の目前で家族全員が体験した実話であるから嘘の話ではない。
それと我が家では、父、祖父から聞いた話だと今まで2回ほどは霊的な体験があるという。
私も今はないが、若いころによく金縛りにあったものだ。
父や祖父の霊体験は生前に仲がよかった人が亡くなる寸前にあいさつにきたとか、飼い犬が死ぬ直前に
寝ている自分の上に乗ってきたなどの霊体験を聞かされていた。
もし、死後に魂や霊の存在がないなら、幽霊などありえない。
しかし、東日本大震災での被災地では幽霊目撃談が実際多い。
震災の津波に飲まれ苦しみ急に死んだら無念であろうが、怖い幽霊話はほとんど聞かない。
幽霊に良く出会うのはタクシーの運転手だそうで、石巻市や気仙沼市で夜間に運転していると、
夏なのに冬のコートなど冬着を着た人がタクシーに手を上げ乗り込むと、
もうすでに津波で被災し更地になっている住所へ行ってくれるように頼んだり、
自分は津波で死んだのでしょうかと問いかけられたりという話などがあり、
タクシーに乗せたはずの人がいつの間にか後ろの座席からいなくっているという。
なので、私は科学や技術を駆使する仕事をしている中で新興宗教は信じないが死後の世界は信じる派である。
だから迷って成仏していない先祖がないように、我が家の先祖供養だけは大切だと考え墓参りをするのだ。
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