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白き部屋の記録14

もう秋


昨年秋に仕事を始めて、再び秋がやって来ました。

コーロギの鳴く草むら、まだツクツクボーシも鳴いている。

白い木槿(ムクゲ)が方方の家の庭に咲いていていい気持ち、東京の田舎に引越しをして来てよかったと思う。

バスで十分、歩き二十分の処にある病院。

私は軽いお勤めの気分になりながら道を急ぐ、もう夕方、秋晴れの空に雲が流れている。

病院近くの空き地で美事に白く咲いた木槿を見上げて暫し立止る。

「日本はよい天気ですな」と大きな声。

ハイ、ニッポンハヨイテンキデスと私。

精神科の患者さんである。日本はよい天気であるとは面白い、元軍人で復員して来て頭がおかしくなっている人だと云う。

精神科の付添は一週間が限度だと云う。

それ以上になると、付添の頭もおかしくなるからである。

夜トイレにシビンを持っていく途中、男子用のトイレの前で立派なおひげの御老体が立って居り、何とペニスに手をかけおいでおいでと手招いていたりするのである。

別に事故の起きた事はないとの事。

夜中になると、トットコトットコ廊下を突抜けて裸足で散歩に出かける人もある。

看護婦さんは追いかけて行く。

「岡山さん!!散歩はおひるにするものよ!!」

夜は駄目と連戻される。看護婦さんも大変だと思う。

白き部屋の記録13

地獄絵


地獄絵と云うものを見たことがありますが、うかつな私は死の世界を描いたものだとばかり思ってました。

その地獄図がこの世のこの地上のものであることを知ったのは戦争中のことでした。中でも餓鬼の姿は鮮烈なものです。骨だけの体に異様にふくらんだ腹部、食べるにも食べられない口。

ガン病棟で舌ガンの末期の患者さんについた事がありました。

この人は自分が舌ガンであると、私に云った程ですから病名を知って入院していたのです。二十四時間点滴、どうしても病気を療したい、そのためには少しでも食べなければならないと懸命でした。

唇からは絶えず膿が流れているのです。

重湯、ジュース、スープ、すべて吸呑に入れて呑むのですが、膿が流れるので膿盆を当てての食事です。

口内は洗浄器で洗い、口内を麻痺させる薬を塗り、その上での食事ですが、重湯その他の液殆んど膿盆に流れ出すばかり、呑み込むことが出来ないのです。一口も口には入らない。

患者さんは焦れる、怒る、膿盆を投げると云う始末、付添の私ももう泣きたい位、食物があっても食べる事の出来ない人、真に何とも云いようのない人でした。

この方に奥さんか娘さんがあればいいのですが六十三才だと云うこの人、天涯孤独の人なのです。

イライラが激して来ると付添の頭をなぐる人嫌がらせで尿をまく人です。

付添の変ること二日毎位、一体どうすればよいのでしょう。

白き部屋の記録12

         惨と酷

私は思う、病気とは残酷なものだと云う事だ。

こうして書いていても残酷なことばかり書いているようで気が重くなる。

私は何故書いているのか、私の患者さんは大抵老人で死に至ることが多い。

若い人であったら全快退院と云うことが多いのかも知れぬ。

私は今迄にもう六人の死に立ち会っている。

私は何故書いているのか。

一付添婦の私にはこれを書いて誰に読んで貰おうと云うわけも当てもない、書かざるを得ない気持ち、何だか知らないが書いて置きたい気持ち、これが私に残酷を書かせている。

私の患者は老人が多い、老人の患者がそれ程多いと云うことであろう。老人だから病気になり死に至る、と云うだけではあるまい、老人でも元気で働き生甲斐のある生活を持ち、病む事もなく自然に木の枯れるように死ぬ人もある、こんな人は幸せな人なのであろう。

何年も入院の果て、只点滴と酸素の助けで呼吸をし、心臓が動き、口をきくことも出来ず身動きも出来ず、目さえ動かず生きている人がある。

哀れというか、酷と云うか、見ていられない気持ちです。

八十七才のお婆ちゃんでしたが、白蝋ような手に赤と青の血管がすいて見え、骨も白く見え、全く肉のない手を見た事があります。

目を覆いたくなるような手でした。

呼んでも返事はなく、目は開いたまま蝋人形とかしたようなお婆ちゃん。

白き部屋の記録11

山羊の鳴く病院


武蔵野の名残り雑木林の疎林の中にある白くて低い建物、清清しい病院です。昼夜勤務。

草原で夜もつなぎっ放しの山羊さん達。

丸る丸ると太った野ら猫が悠悠と丼に入れた残飯を一匹一匹と食べに来る陽の当たる病院。

猫社会の掟のことは分かりませんが、見ていると大きな猫から順順に小さな猫まで食べに来ているようです。猫は決して病院の建物には入らない。

食事の時以外は決して病院に来ないのです。

此処はベッドがずらりと並んだ十二人部屋。

ポッポッポ ハトポッポ、唄っているのは八十才のお婆ちゃん、寝たきり老人、陽気な人。

カラタチノ花が咲サイタヨ、白イ白イ花ガ咲イタヨー。

カラン、カラン、カランと教会のような鐘が鳴ると朝食です。しぼり立ての牛乳を沸かしたものが朝食。

牛乳は何杯呑んでもよいのです。

大きく白いカップに大きなお鍋からお玉でしゃくって患者さんも付添さんも何杯でも好きなだけ呑みます。

ほんとうにおいしいのです。

お昼頃お婆ちゃんのおむつを取換えていると、向かい側の付添さんが度度こちらを見つめているので、何かと思ったら繪を描いているのです。

水彩で洋紙に一体何を描いているのかと見ると、私の処の壁に掛けてあるカレンダーの玉堂描く処の桃の花盛りの風景なのです。鳩ポッポ婆ちゃんの付添さん。

隣のベッドでは農家から出稼ぎに来ている云う体格の堂堂とした小母さんが、細面の綺麗な奥さんを裸にし、丸るで人形さんでも扱うように清拭をし、パウダーをつけて着物を取換えているのです。

裸にされた奥さんは涙を流しています。

「何泣くことあるの、人がきれいにして上げてるちゅうに」

着物を着せていた小母ちゃんは意外そうに文句をいいました。残念な事にこの病院にはベッドの仕切りになるカーテンがないのです。
奥さんは多分見られている恥ずかしさに泣いたのです。

その隣りのベッドの四十代の女の人、この人もよくボロボロと泣いてました。もう五年も入院しているのだと云うのです。この病院へは来たばかりでしたが、リハビリをするようになって快方に向かっているとの事、五年間の入院が無駄であったことが知れて泣いてくやんでいるのだと、家には小さな子供さんを置いてあるとの事、泣くのももっともな事です。

一番端のベッドではお祈りをしている老婆。

ベッドに寝ているのは五十三才でお婆ちゃんの娘であると云う。お婆ちゃんによれば、病気をするのは悪い事をしたからなのだと。そして口癖のように若い娘が若い娘がというのです。お婆ちゃんから見れば五十三才は若い娘なのでしょう。

夜九時就寝の時私のついているお婆ちゃんは定まって日記をつける方でした。それは実に達筆驚く程のものでした。
日記をつけ終わるとお婆ちゃんに云はれました。

「貴女ね、私の事ご隠居様と云ってね、他の人はお婆ちゃんと云ってますけどね、ホッホホホ」とおどけているように本気のように。

朝鐘が鳴る、教会のように、そして朗朗と聞こえてくる賛美歌 メエメエと山羊の声

院長さんが歌っているのだと聞きました。

白き部屋の記録10

灰色髪の老僧2

半身不随の方である。

わしは此処で死ぬ、決して寺へは帰へらぬ。

あら、あんなに静かで大きなお寺、部屋なんかいくらでもあるのに、お寺へ帰って奥座敷でゆっくり養生すればいいのに、ねおぢいちゃん。

付添さんとの対話がきこえて来る。

わしがあの寺に住職したのは五十年前じゃ、わしは懸命に働いた。寺を大きくした。思い残すことはない。

後は若いもんがやってくれる、それでいいのじゃ。

朝五時になると体を清拭する人、頭が非常にはっきりしていて、何でもわしの云う通りにやって貰いたい。

と云ううことで、尿の取り方、糞の始末、体の拭き方、すべて指図通りにやればよいのです。

体の大きい太ったおぢいさんなので、小柄な小母さんである付添さんには本来なら扱いかねるのですが、おぢいさんは動かせる部分は協力して自分で動くのでやりやすいとの事です。

坊さんの修行の時のことを考へれば、自分を律するに厳しい人であろうと思います。

夜になると好きな浪曲をラジオで聞いているので、レシーバーを耳にして静かです。

突然、「十八才位の嫁さん欲しいな。」とおぢいちゃん、それはいいわおぢいちゃん、その元気その元気、と付添さんの声。

白き部屋の記録9

灰色の髪の老僧

7月の酷暑の夜勤である、個室。

茫茫髪の老人。元僧侶。

病名を聞き忘れたので大きな病院の各病棟をさがしているうち霊安処に迷い込んでしまひ、其処で働いていた若い人に聞くと、何と警備員で分からなかったのにこの人はさっさとその部屋に案内してくれた。

驚いている私にハッピの衿を叩いて「こういう時はこんなハッピを着ている人に聞くんですよ。」と笑って教へてくれた。

そこは呼吸器科であった。

一見して老衰のひどい方である。

灰色の髪茫茫として目はとろんと濁り、とてもこの世の人とは思はれない気毒な姿。

時時背中を丸く持上げてベッドの上に起きようとするが力尽きて倒れる。

意気さかんな僧であったかも知れぬその若い日。

だが力尽き果てた今、人間とは哀しいものである。

絶え間なく痰が出る。チリ紙を二枚宛たたんで揃えて置くのだけれど、その紙を鷲づかみにして自分で口に当てる、そしてポイと捨てる。

それを受けるためベッドの縁に大きなビニール袋を両方に掛けて置く。

袋に入るのは少しで殆んどベッドの脇に落ちる。それを拾って袋に入れると忽ち大きくふくらんでしまう。

痰を取るのは御老体と私と殆んど一回交替にやる。

夜に入ると回数は激しくなり、看護婦さんに機械でとって貰う分も合わせると大変な回数である。

夜中はさすがに御老体は疲れて私一人で痰取り、その間尿、便と忙しい。

夜中に大きくふくらんだ袋を捨てに行く途中看護婦さんに会う、目を丸くして袋を見つめていく。

夜中に一人痰取器の如し。

翌朝家族の方が見えたので、チリ紙を使い過ぎて申し訳ございませんと云うと「いいえノイローゼのようになってチリ紙を使うのですから致し方ございません。どんどん買ってまいりますから、どんどん使はせてやって下さい。」と優しい方である。

個室に入っている方だからチリ紙代位たいした事もないのかも知れない。

十三日目、例によって就寝前の眠り薬をさし上げて、ものの三十分もすると何時もより特に高い大鼾。

それから三十分程して大鼾ぴたりと止まる。

変だなと思って額に手を当てると温い、耳を当てると呼吸音がない、八時三十分、すぐ看護婦さんに連絡する。

看護婦さんは人工呼吸をし、ついで先生が見える。

御老体の死を確認、御子息に電話する。

ぴたりと閉められたドア、目を深く閉じた御老体。

寂かな部屋に御老体と私と二人。

私は般若心経を唱えて居りました。

白き部屋の記録8

五月晴

陽の当る窓際に点滴の瓶がびっしりと並んでいる。

ゼニ苔、サルビヤ、ツワ蕗、杉ゴケ、茄子、トマト、苺、ホタル草、小さな緑の植物が瓶の底の方で生き生きと光を浴びている、ミニミニ植物園。

「やあ今日は。」入って来たのは二十五才位の若者、窓際のベッドの五十代の御婦人の息子さんであると云う。
「ゴガツバレだね、小母さん。」

「サツキバレだろ。」と小母さん。

「いやゴガツバレだよ」

「そうかね」、と小母さん。

「ゴガツバレだ今日は、いい気持ちだ」

付添の小母さんはニコニコしている。

息子さんは瓶をずらりと眺めると一つ一つ手にとって、すかすように調べるように目の高さまで持ち上げている。
「僕アル中で気狂いだったんですよ、僕四十才独身ね、この植物可愛いでしょ、外に出て野原や林の中から見つけて来るんですよ。
僕土地のもんだからね、弟は三十八才で三人の子持ち、僕のことおぢちゃんおぢちゃんて呼ぶんだ、子供って可愛いね、僕はこの隣の男部屋、おふくろと二人病院のお世話になっているんですよ福祉でね。
おふくろ六十三才、年より若く見えるでしょ。
太ってっからね、皺が少ないから。」

これでは丸で戸籍調べに答へているみたい。

窓の外青葉が明るく光っている。

ゴガツバレの気持ちのいい日。

白き部屋の記録8

老母をしぼる娘夫婦

貧しい身なりをした七十才位の付添さん。

やや腰を曲げた姿勢でシビンを持ってトイレへ急ぐ、帰りの廊下で立話を聞くともなく聞いてしまう。

相手の付添さんは六十才位。

「あんた自分の事も考へなさいよ。」

「その年で娘夫婦を養うなんて馬鹿だよ。」

「亭主はギャンブル狂だって云うじゃないか。」

「真面目に働いて暮らしが立たないんなら分かるよ、働くどころか競輪競馬に通いづめだって、娘さんがそう云っていたよ。」

「第一娘の心掛けが悪いよ、お前さんよりずーっと若い娘が家政婦やればいいぢゃないか、奥様ぢゃあるまいし家でテレビばっかり見ていて。そいで十日目、十日目にはお前さんの処へ金せびりに来る、全く呆れたもんだよ。」

「年とったらお前さんを看るって云ってるんだそうだけど、口実だよそれは、今現在看られないもんが、何で後で看られるんだよ。」

年老いた付添さんは只頷いているばかり、ごもっともです、ごもっともです、と無言で云っているように見えました。

一人娘であるという四十過ぎの女。

患者さんに貰ったお菓子や果物も大事にとっておいて皆娘さんに渡してしまうのだと云う。

他の付添さんに聞いたのですが「若し病気になったら福祉の世話になって入院するつもりですと。」そう云っていましたと。老いた付添さんは娘など当てにはしていないのでした。

白き部屋の記録7

七タ祭り


陽の当たる応接室。

碁を打っている人、将棋を指している人、煙草をプカプカふかしている人、体に悪いと知っているので、プカプカと吸い込むのを避けている姿。

七夕祭りの朝である。

窓から見えるポーチには七タ様の飾りが風に吹かれている。

短冊が一杯ぶら下げてある。

患者さん達が作った事は一目で分かる。

天の川の星に祈る。

今年こそ退院。

子供の為に。

安静第一。

がんばれ。

祈る全快。

体重買ます。

ヤクルト万才。

ヤクルトくたばれ。

栄養をとろう。

女子供が待つ我家。

来年のタナバタは自宅でしよう。

あと十キロ 頼む。

女房に逃げられ荷物増えたよ、チクショウー。

織女様に会へる日近し。


素知らぬ顔で将棋を指している人達。

殆んど働きざかりの人ばかり、老人の姿は見えぬ結核病棟。

白き部屋の記録7

身障の人

長身で多分背骨が湾曲しているので、上体が変形している四十才前の人、坦坦として水のような目をしている人です。

この方は親切な方だと聞きました。

名門の出で優雅な言葉を使う人だとも。

歩行に不自由な人があれば手を引き、肩をかしてあげるというのです。

脱ぎっぱなしのスッリパがあればキチンと揃えておく、積み上げてある週刊誌が崩れて居れば整理しておく、食事のお膳も不自由な人の処へ運んであげる、自分も決して自由に動ける体でないと云うのに。

秀抜な兄弟の中に育った人だと云う。

粗末な着物を着て静かに行動している姿。

ひがみの目も狂の目も超えて生きている人。

狂を超えた目、その目には日常茶飯事の一つ一つが貴重に見えると思う。

素直な目、水のように寂かな目。
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