2012年04月23日
古里物語
昭和十七年五月
お父さん、今日丘南平氏が見えました。
インドネシやから帰った兄が軍属の徴用となり出発時のことです。
財産整理の為兄は辛抱強くねばったのですが、土地を売ろうとする兄が今に投げ出して安く叩き売りするだろうと云うことになりなかなか買手がつかず徴用が迫ったため、遂に丘南平氏にすべてをおまかせして戦地に発って行ったのです。辣腕家として知られる南平氏に頼めば如何なることに相成るか兄にも私にも結果は目に見えていることです。兄は何の条件もつけずに一任しました。もう目をつぶるより他ありません。
私が東京から帰へった時、売るべき土地、山林、田畑、家、全部方がついた時でした。
人人があれよあれよと見守るうちことはすべてて終了してしまったと云うことです。
今日見えたのは、この家を壊すので、明け渡して欲しいと云うことでした。
否も応もありませんこの家は既に南平さんのものであるのです。
早々荷造りを始めました。
呉服屋の店の残品は殆んどありません。
最後まで残っていた花嫁衣裳や浴衣の類まできれいさっぱりとなくなっていました。買うにも無い時です。店の品物どころか昔小僧さんが使っていた木綿の布団まで農家の人の嫁入り用に売られたていったと云うことでした。
陳列棚、ガラス張りのショーケース、出張販売の為の和紙張りの丈夫な箱、木製の大き過ぎる戸棚の数数、すべて標準より大きなものばかり、大きさ好みのお父さんの残されたものはこの場合大変不便なものです。これ等は一応野外に積み上げて、後に倉庫を作って入れることにしました。
引越し先は家続きの畑を一つこした神田どんのお婆さんの元の住居、農家の隠居所だったと云う六帖と三帖二間の家です。
近所の方に手伝っていただいて引越しをすませました。
広い縁側がぐるっと廻っているので、いい感じです。
縁側に腰掛けてお茶を飲みました。
母はニコニコして云いました。
「お前貧楽ちゅうもんはいいもんだよ、世の中にこんな気楽なことはない。」と
そして「イロリを作ろう。」と
賛成です私もこのイロリなるものが欲しかったのです。
早速縁側をくり抜いて、あの黒柿の大火鉢をはめ込みました。
この時の為に母は既に真黒に焼けた自在鉤を用意して居りました。
自在鉤をかけてヤカンをかけて出来上がりです。
心温まる思いでした。
お父さん、今日丘南平氏が見えました。
インドネシやから帰った兄が軍属の徴用となり出発時のことです。
財産整理の為兄は辛抱強くねばったのですが、土地を売ろうとする兄が今に投げ出して安く叩き売りするだろうと云うことになりなかなか買手がつかず徴用が迫ったため、遂に丘南平氏にすべてをおまかせして戦地に発って行ったのです。辣腕家として知られる南平氏に頼めば如何なることに相成るか兄にも私にも結果は目に見えていることです。兄は何の条件もつけずに一任しました。もう目をつぶるより他ありません。
私が東京から帰へった時、売るべき土地、山林、田畑、家、全部方がついた時でした。
人人があれよあれよと見守るうちことはすべてて終了してしまったと云うことです。
今日見えたのは、この家を壊すので、明け渡して欲しいと云うことでした。
否も応もありませんこの家は既に南平さんのものであるのです。
早々荷造りを始めました。
呉服屋の店の残品は殆んどありません。
最後まで残っていた花嫁衣裳や浴衣の類まできれいさっぱりとなくなっていました。買うにも無い時です。店の品物どころか昔小僧さんが使っていた木綿の布団まで農家の人の嫁入り用に売られたていったと云うことでした。
陳列棚、ガラス張りのショーケース、出張販売の為の和紙張りの丈夫な箱、木製の大き過ぎる戸棚の数数、すべて標準より大きなものばかり、大きさ好みのお父さんの残されたものはこの場合大変不便なものです。これ等は一応野外に積み上げて、後に倉庫を作って入れることにしました。
引越し先は家続きの畑を一つこした神田どんのお婆さんの元の住居、農家の隠居所だったと云う六帖と三帖二間の家です。
近所の方に手伝っていただいて引越しをすませました。
広い縁側がぐるっと廻っているので、いい感じです。
縁側に腰掛けてお茶を飲みました。
母はニコニコして云いました。
「お前貧楽ちゅうもんはいいもんだよ、世の中にこんな気楽なことはない。」と
そして「イロリを作ろう。」と
賛成です私もこのイロリなるものが欲しかったのです。
早速縁側をくり抜いて、あの黒柿の大火鉢をはめ込みました。
この時の為に母は既に真黒に焼けた自在鉤を用意して居りました。
自在鉤をかけてヤカンをかけて出来上がりです。
心温まる思いでした。