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2022年10月28日

自分の人生、一体どうなっているんだ

朝から晩まで仕事に追われ、一息つく間もなくesportsチームの雑務に追われる。
以前の私であれば、もうだめだと力尽きていたはず。
ところが、どんな状況かにあっても、なぜかワクワクしてしまうのだ。
とにかく、新しいアイディア、挑戦が次々と浮かび上がってきて、正直資金が欲しいというのが本音。

人好きになったのは、というより、人に興味を持てるようになったのは、ドキュメンタリー制作のおかげだ。
ただすれ違った人にも、人生がある。
そんな風に人を見れるようになったことが、私の人生を面白くした。

嫌われることに恐怖を抱かなくなった。
孤独を好むようになった。
周囲の目が全く気にならなくなった。

余裕がないのだろう。
もしくは、esports事業に夢中なのだろう。
チームは生き物。
ややこしいが、これがまた面白い。

10年。
腹くくって続ける。

50歳を迎えるとき、私はパリのカフェでクロワッサンを食べながら、資料に目を通すような朝を送っていることを願っている。
おそらく無理だが…

2022年09月27日

腹をくくらなければ続けられない

現在、ライター業などの傍らesportsチームを運営している。
正直、これまでの人生で経験したことのないほど、とにかく苦しい。
資金、実績、コネクション。
全てにおいて思うように進まない。

これまでは自分の技術、企画力をウリにでかい仕事をもぎ取ってきた。
今の状況は違う。
すべてが新しい試み。
苦しい。。。

月一で楽しみにしていることがある。
ひとり焼肉。
1200円程度の贅沢。
徹夜後、毎週のように2000円以上の寿司の宅配を頼んでいた、以前の私はもういない。

化粧品、石鹸なども一番安いもの。
すると、いかにこれまでの自分の生活が無駄と見栄に満ちていたかが思い知らされる。

目の前のことに集中して。
苦しいけど楽しい。
今はとにかく歯を食いしばる。

2021年11月18日

息継ぎなしで泳ぎ続ける苦しみ

まさにそんな感じだ。
息継ぎなしで泳ぎ続けるような苦しさ。
今の私は、とにかくもがいてもがいて、もがき苦しみ続けている、真っただ中。

勝ちたい。
この気持ちがとにかく強すぎて、周囲がついていけていない。
私がおかしいのか?
シビアな勝負の世界を誤解しているのか?
生きるか死ぬかの世界に対する覚悟を、私はチームメイトに強要してしまっているのだろうか?

勝たなければ先に進めない。
だから勝つためにできることをする。
やっていることは実にシンプル。
なのに、反発が生まれる。

正直、皆、生ぬるい。
だから日の目を見ない。
そこを理解できていない。
要は、世の中を舐めすぎているのだ。

強い者がのし上がれる。
これは特権。
だから私は強いという証の「勝利」が欲しい。


英語の経済授業を聞いている。
見るべき世界がある。
下に合わせてはいけない。
我が道を行く。

私は、信じられる自分の強さを、とにかく追い求め続けるしかない。
私についていけないなら脱落してください。
そのスタンスで、私はこう叫ぶ。
「強さは正義」。

2021年10月03日

私は名作が書けない

2012、2013年にCXで放送された「リーガルハイ」を見て、つくづく自分がみじめになる。
ありのままの世の中の姿、人間の姿を、ストレートに、芯を射抜いて描き切る。
正義なんて生ぬるい戯言を抜かす理想主義者に唾を吐くかのようなセリフ回しに、私はいつも嫉妬する。

私は名作が書けない。
冴えないライティングの原稿を前に、気がノらないことにふたをして、作業としてタイピングする。
知識が増えたじゃないか。
これをやり遂げたら5万円。

生きていくための手段である。
本来仕事とはそういうものだ。
これまでが異常だった。

それこそいつまでも理想を追いかける生ぬるい朝ドラのヒロインを演じている気になっていたのであろう。

それでもあきらめきれない創造欲。
今の若者は本質を見抜く鋭い感性を持つと思うが、哲学を持たない。
私はその哲学で生きてきた。

若くて女の子であれば誰しもちやほやされる。
これは当たり前の話。
だれでもちやほやされる。
このことを勘違いしていると、25に迫る年になったころには、だれにも振り向かれなくなる。

私は誰よりも欲深い。
若いころに受けたちやほやは「若くてかわいい」ではなく、「あなたは他と違う」「才能がある」「容姿と腕が揃っている人はいないから、がんばりなさい」。
そこらへんに転がっている誉め言葉の存在を消し去るほどのちやほやを受けてきた。
これがいけない。

私は名作が書けない。
このコンプレックスから、自分自身を救い出したい。
本当は。

2021年09月05日

ぬくもりの感触 あれは本当に夢だったのだろうか

最近よく夢に、虹の橋を渡った愛犬が出てくる。
日常生活の中にごく当たり前のようにたたずんでいて、彼女を私は日課のようにかわいがり、一緒に遊ぶ。

毛量の多い子だった。
ふわっと綿のような感触。
この感触があまりにもリアルで、これは本当に夢なのか?と積極的に疑っている自分がいる。

今、私は新事業立ち上げに向け、とてもとても苦しい境遇にいる。
決まりそうで決まらない。
このもどかしさ。
いままで私が積み上げてきたものを肯定してもらえる側面がある一方で、新参者として足を踏み入れなければならない世界もあり、この新たなる世界に怖気づいている。

そんな切羽詰まった私を、夢の中で会いに来てくれて、元気出してと慰めてくれているようだった。
「生きてていいよ」
お腹のそばでくっついて眠っていた、あの子は夢でもそのままだった。
撫でると少し甘えた顔をする。
その表情も生前、そのままだった。

私はこれからも彼女を心の拠り所にして生きていくのだろうか。
苦しいとき、落ち込んでいるとき、必ず彼女がそばにいて、それが虹の橋を渡ったあとでも同じ。
情けない人間の私に、いつまでも世話が焼けると寄り添ってくれている。

犬はいい。
彼女に一生頭があがらない。

涙が出てしまう。
泣いてる場合ではない。
なぜなら、この後打ち合わせがあるから。
とにかく走り続けるしかない。

2021年06月18日

十余年前の記憶、あれは夢で今正夢になろうとしている

何か夢を抱いて、それに向かって走り続けることほど、ぜいたくな生き様はない。
十余年前、私はNHKのドキュメンタリーを作るという夢に向かって、馬車馬のように仕事をしていた。
とにかくなりふり構わなかった。
次の日デートでも徹夜。
何度企画を蹴られても、また次の週には2、3本の企画書をまとめてプロデューサーのもとに走った。

寝ていない。
リサーチも自腹。
お金もない。

普通であれば愚痴の一つや二つこぼれてきそうだが、当時の私はとにかく楽しくて楽しくて仕方がなかった。
苦しくて、楽しい。
3か月後、人生初の海外取材を決め、ドキュメンタリーという底なし沼の世界に身を委ねることになる。


このときの感情が、今、ふつふつと、ゆっくり、私の腹の底に湧き出している。
私はとうとう夢を見つけた。
そして、その夢に向かって一緒に走ってくれる同志も見つけた。
いよいよ動き出す。


髪を伸ばし始めて約半年。
結構伸びてきた。
この長さは、ちょうどベトナム取材の時くらいか。
もう少し伸びたら、また、ネパール、上海に飛び回る運気が巡ってくるのだろう。
そんな予感がする。

世の中の男子たちはボブが好きらしい。
ただ、私はロングにする。
ロングの私は、でかい仕事をする。
海外にも行く。
だから、モテない髪型でも勝つために、私は髪を伸ばし続ける。

2021年05月20日

全部梅雨のせい

最近はオンラインゲーム上での友達と仲が良い。
顔も知らない、実際に会ったこともない。
それなのにゲームのプレイを通じて意気投合し、「仲間」として意識し始め、身の上話をする友達ができたのだ。
彼らはみな若い。
10代、20代。
私が彼らの年齢のころはどんなだったか。
思い返してみると、彼らの悩みや苦しみに納得がいった。

大学2年の冬、私は母親と大喧嘩をした。
東京の住まいを飛び出し、実家のある新潟へと帰った。
「大学辞める」
将来に絶望しか抱けず、誰の手も借りたくなかった、きわめて多感な時期。
父親に小声でぼそっとつぶやいた。

その時父親は野菜炒めを作ってくれた。
ワインを入れてくれた。
「まあ食べろ」
味はよく覚えていない。
しばらくしてから、父親も私に負けず劣らず、ぼそっと小声でこう言った。
「大学、辞めるのはもったいない」
お前のやっていることは超一流の事で、世間一般ではすごいとされていることなんだ。
「大学だけは出ろ。あとは自由にしていい。」
この言葉が、私の人生の岐路の支えとなった。


誰しも悩み落ち込み、そして絶望を味わう。
そんなとき、大人はおせっかいを焼いて、若者を救おうと奮闘する。
厚かましく世話を焼く人もいるだろう。
父親のように、そっと寄り添う人もいるだろう。

私もいわゆる「大人」と呼べる年齢に差し掛かった。
そして思う。
これまでのキャリアは、すべて「大人」のおせっかいによる賜物である、と。
だから決めたのだ。
私も悩める若者におせっかいを焼く。
そして、開花すべき才能を見守る。


若者は中高年以上に本質を見抜く力を持った人が多い。
こうした若者にとって、私はどこまで「おせっかいおばさん」になれるのか。

2021年04月19日

出会いの形

完全に狂った。
これまでの私の出会いは、直接顔を突く合わせるまでは何者かを判断すべからずという価値観のもとに動いていた。
ところが、このコロナパンデミックで、顔が見えなくとも人としての本質が話と声で判断できるという、新たな能力を求められる世界に突入した。
本質を探る能力。
人は見た目が100%。
その見た目に頼れなくなった判断力に、私の価値観、虫の居所とでもいおうか、この人は違うと思える「勘」が、呼び覚まされていく感覚を、今、まさに味わっているところだ。

ダイアログ・イン・ザ・ダークの世界。まさに。

視覚を取り除いたときに、初めて見える人間の本質と、私たちはまさに向き合わねばならなくなっている。
年齢、職業、経歴、そんなもの関係ない。
バーチャルの世界においては、その人自身の価値、志向、人格がすべての判断材料へとなる。

私はいままでちゃんと生きてきたつもりだった。
でも、なかなかバーチャルの世界では評価されなかった。
しかし、ようやくここにきて同士を見つけた。
同じ考え方。
求められるものを提供する。
価値観が同じなのは、最初に出会う縁ではないのかもしれない。
ある日突然、ふと、さりげなく現れ、そして展開。
私の居所がどんどん上がっていく。

こんなに面白い世界なのか、バーチャルというものは。

2020年12月29日

まだ女として大丈夫なのか

もう40が目の前に迫る年になり、いまだ独身。
世の中はとても息苦しく、風当たりが強い。

結局女は若いが花。
若ければだれからもチヤホヤされ、年をとればとるほど、どんなに人間的価値を備えようが、女としての価値ナシの烙印を押されがちだ。
さらに、結婚していないとなれば、社会的常識外れの冷たい目を向けられる。
「結婚相手を選べる年齢じゃないじゃない」
「いい人紹介するから結婚しちゃいなさいよ」

きっと10年前、ネパールの海外取材にはいかず、当時の交際相手のご機嫌を取り続けて結婚していれば、今ごろ子どもと、もしかしたら犬も飼って、いたって一般的な家庭人になっていたのだろう。


なんだろうか。
私の中に流れる血がそうさせないのだ。
おとなしく家庭に入ることを避ける。
自分の信念と貫いてきたものが、ここにきて姿を消す。
突然なくなってしまう。

私の人生、結局どんなものなのだろうか。
世間に冷笑される人生を、別に望んでいたわけじゃない。
やりたいことを人生かけてやってきて、それなりのノウハウも身についている。
けれどぬぐえない、喪失感。

私はもしかしたら、自分とちゃんと向き合えていないのかもしれない。
もっと自分を信じて、もっと自分を大切にして。
ばばあだのなんだのとけなす輩の声には蓋をして。
私自身に価値がある、と、ちゃんと私を見てくれる人の言葉だけを受け止めて。

こんなに愚痴がこぼれる私は、相当疲れているようだ。

2020年が終わる

とにかく辛く苦しい1年だった。
何もかもが橋渡状態で、これまでの私、本来の私をいつも見失っていた。
そのたびに、自分の過去の栄光を振り返り、あえて、自分はよくやっていたのだよと甘やかしていた。

自分の存在価値がわからなくなった1年だった。
そして、その状態は今も続いている。
私はどこに向かっていくのだろうか?
私はどんな人間なのだろうか?
私は何ができるのだろうか?


新たな出会いが、私自身の姿をわからなくした。
道化の毎日。
疲弊する日々。
これでいいのか。
これが本当の私の逃げ道なのか?

そんな時に、新しいesportsという世界を垣間見た。
ただのゲーマー。
これまで鼻で笑っていた連中の、才気と努力、そして苦悩をSNSを通じて触れた時、私は道化を続けようと思った。

彼らは本気でゲームをし、凡人では到底たどり着けない領域で人生をかけていた。
そんな彼らに、素の私の言葉を投げかけた時、真っ直ぐに受け止めてくれた。
彼らは賢い。
そして堅実である。

新たなるZ世代の価値観。
戸惑いつつ、まだまだ先の見えない、この閉塞的な世の中を生き抜くために、私は道化を続けることにした。
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