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2016年03月16日

江戸の金魚ブーム、きっかけは武士のサイドビジネス?!


金魚はどこから来た?!歴史を紐解く「金魚のススメ」





江戸の金魚ブームの頃から創業し、

いまだ都内に唯一残る金魚問屋があります。



その名は、文京区本郷の「金魚坂」。創業350年の歴史を誇ります。



今回は日本文化としての金魚をテーマに、

その波瀾万丈な舞台裏を解き明かし、

さらには金魚の粋な楽しみ方まで学べる「金魚のススメ」を開催!

金魚屋の女将が直々に伝授する、前代未聞のワークショップとは?!






意外と知らない金魚ヒストリー。そのルーツやいかに?

金魚すくいでおなじみの「和金」は金魚のルーツと最も近い体型。丈夫なので初心者にも飼いやすいそう。



日本人なら誰もが知っている「金魚」。

夏の風物詩であり、日本文化のひとつとしても馴染みが深いものですよね。



でも、そもそも金魚は一体どこからやって来たのか、ご存知でしょうか?



実は金魚の先祖は、およそ1700年前に中国は長江で発見された突然変異の赤いフナ。

西暦3世紀頃のことで、その後10世紀には宮廷で飼育されるようになりました。

尾びれの改良などが進んで徐々に華やかな姿へと進化すると、

金運をもたらす魚として「金魚」と名付けられます。



そう、金魚は偶然生まれた姿を人間が世に留めた、自然界には存在しない魚。

人が創り得る唯一の“生きた芸術”と言われているのです。



江戸の金魚ブーム、きっかけは武士のサイドビジネス?!









さて、日本に初めて金魚がやって来たのは、室町末期の大阪でした。

当時は高級品で、一部の貴族の間でひそやかに話題になります。



そして江戸中期になると、藩士が副業として金魚養殖を始めます。

この流れに火が付き、大量生産されるようになると、いよいよ金魚の価格がダウン。

またたく間に庶民に広まり、江戸に金魚ブームが到来したのです。



金魚は「上見」せよ!





当時はガラスがなく、陶器に入れて上から見るのが主流のスタイルでした。

実は、この「上見(うわみ)」こそが金魚の正しい鑑賞法。



尾びれが水の推進力を得てどうしたら花開くように見えるか、

人間によって考え抜いて創られているので、

金魚の最大の見どころは「尾びれの揺れの美しさ」なのです。





















沸き起こる金魚の謎…というわけで、

浮足立って門を叩いたのが、都内唯一の金魚問屋、「金魚坂」です。



戦時中、店に焼夷弾が落ちて焼けてしまっても、

先代たちは金魚を必死で守り育ててきたそう。



戦後嫁入りし、現在七代目女将となる吉田智子さんは、

全国あちこちで文化としての金魚を広める活動をされています。



「金魚屋は、すごく儲かるなんてことは絶対にないけどね。

残していかなくちゃならないものがあるの」




魅力的な店内は、見て回るだけでもワクワクします。

金魚の価格は日によって変わりますが、一匹1000円以内で買えるものもたくさん。

柄が美しい品種は一万円を超えるものも…!

みなさまも一度足を運んでみてはいかがでしょうか。































ちなみに…

お店に通じる「菊坂」は昔、菊を作るお店が並んでいたそう。



実はこの菊坂界隈は、文人が多く住んでいた歴史ある一角。

森鴎外や樋口一葉、宮沢賢治、坪内逍遥、二葉亭四迷、

竹久夢二、島崎藤村、坂口安吾、内田百間…などなど、

数多くの文人の邸宅跡が残っています。



ちょっと路地に入れば雰囲気ある住宅街なので、

帰り道にぶらぶら散策するのもおすすめ。

近くの「文京ふるさと歴史館」では、

古くから独特の文化を持つ文京区の歴史や文化財に触れることもできます。



思い思いに本郷の街を味わってみてくださいね。


posted by AZARASHI at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 魚と歴史
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