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プロフィール

竹田直哉 (vib)
Jazzヴァイヴラフォン奏者。 本格的なBeBopSTYLEを駆使したリズミカルなプレイは、業界内かつリスナーの間にて、高く評価されている。 現在は約2年間の休業から来年の本格的復帰に向けリハーサル、新曲制作などに取り組む日々を送っている。
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2008年01月24日
『A-1』初勝利雑記
時代はアルバイトでも応募者多数となるのが当たり前のようで、面接でのシビアな選考により採用者が決定される。 とどめに社会保険に切り替えるのが条件となっているのも当たり前であるのには驚きであった。 「なんか・・・志半ばで夢を諦め就職するって気分だぜぇぇい」 履歴書なんか常にこれが人生において最後だと思って書いたことしかない。 よって毎度学歴の節目の年号をいちいち調べること何十回繰り返してきただろうか? 去年の夏場から履歴書を持って面接へと足を向けるようになったのだが、20年前にそのようなことをしていた時と同じ感覚で行動しだした暁には言葉を失うくらいのカルチャーショックにうちのめされることとなる。 実際になった。 とにかく不採用のオンパレード・・・・それもネバーエンディングにしか思えないような。 面接にいたっては、まるでNASAの宇宙飛行士を志しているような錯覚すら起こしてしまいそうなレベルの質問をしてくるからたまったものじゃない! とまぁ・・・愚痴を述べてしまったわけだが、遂に拾う神に出会えたということもありの愚痴だと思って許して欲しい。 そうなのです! まさかの採用が現実となったのです。 喜びよりも重責感がまさっていることからナーバスではありながらも。 あとは続くか? これこそが俺の最大の難関なのである。

2008年01月19日
地に足がついていない雑談
先日レンタルビデオショップにアルバイトの面接へ行ってきた。 そこで己の愚かさを見事にさらけだしてしまった。 それは面接官(店長さん)の質問に対して見事なまでに硬直してしまい、答える事が全くできなかった。 あまりの恥ずかしさに途中でその場を立ち去りたくなりながらも、最後まで頑張ったりした自分が偉いのかどうか全くわからなくある。 それから3日が経つというのに、いやな気分は変わらず継続されたままだ。 どうも昨年末から音楽以外のことで、悩み落ち込み自暴自棄になりがちになっている。 俺は一体何をこんなにあせっているのであろうか? 自問自答してみることにした。 「自分の音楽に自信をなくしているのか?」 過信かもしれないが、自信はかなり持っている。 インプロヴァイザーとしては充実期に入ってきたようにも思える。 「邁進できずにいるのは、何故か?」 運転免許を取り消されてしまったことが大きい。 こんなに活動意欲にストップをかけるとは思ってもみなかった。 「それがクリアされれば突き進めるのか?」 勝算はまったくない。 自分がよかれと思って放つ音楽を聴衆にキャッチしてもらえるとは、現段階では思えない。 「じゃあ、どうするんだ?」 どうしたらよいのか日に日にわからなくなっていくから困っている。 そう、俺は今どうしていくべきなのかが解らなくある。 自分一人の力ではどうにもならないと確信を持ってしまったこともあるのだが。 なんだか・・・また風邪ひきそうな感じがしてきた。 最悪だな・・・・・。

2008年01月16日
ハンドルネームが本性となっているネッター批判記
ここのところネットを利用したコミニケーションにおいて、僕からのアクセスだけで終了となるケースが多発しており、かなりの恥ずかしめを受けております。 特に『mixi』には物申したい! "足あと"なる臭ってきそうな機能のおかげで、俺の赤面回数は無駄に増え始めております。 自身のプロフィールページにどのような人が観覧しにきたかが解るそれってぇ・・・・・寂しがりやの僕などは一日に何度も何度も確認してしまうのです。 ここ一週間で三回も訪れてくれた方がいたものだから、今度はこちらからその人のプロフィールページに出向き、マイミク(友人)になって貰おうとメールを送信してきたのですが・・・・・なぁんも返事してきやぁあしねえじゃねえかよぉぉう! 俺のプロフィールページにもこなくなったしぃ、こっちがわざわざ気ぃ使ってやってるのを完璧に仇でかえしてきやがるどころか人をコケにしてるってことちゃんと解ってやってんのかねぇ・・・名前も顔も隠した馬鹿共はさぁ。 まぁそんなことが2回続いたけど、初めてmixiに参加していてよかったと思える出逢いもあったのだから、ネッター達を十羽一絡で見ることはよそうと思うようにもなりました。 あとプロフィールに載せてる画像を動物にしてる人のセンスも許せなくあるのですが・・・・・それって僕の道徳観を押し付けてる意見でしかないのかなぁ。 さぁてぇとぉ、このあたりで終わりとしときましょうかねぇ・・・します。

2008年01月14日
電信柱に激突し負傷した雑記
ガツンという衝撃が顔面を襲うと同時にメガネがすっ飛んだ。 夜道だったとはいえ、立っている電柱にまったく気づかず激突に及んだことでさらに視力が低下していることがよく解った。 ここ数日、視力回復を目的とした針治療を受けるべきかを迷っていたのだが、これを怪我の巧妙というのかは定かではないが、この一件で施術を受ける決心が固まった。 そのクールさと相対して動揺もしてしまった。 ぶつかった衝撃で右目の下に傷を負ってしまったことにだ。 その出血量はというと、任侠映画の主役になった気分に浸れるくらいといったところであろう。 肩で風を切って歩き出してはみたものの、逆に風が肩を切るかのような寒さしか感じられず、数秒後にはダメおやじ系小市民という現実の姿に戻っていた。 とにかくだぁ! メタボリック克服よりも、目をよくすることを先にすべきであると悟れたのは僕にとっては大きな収穫であった。

2008年01月13日
☆☆ 梅子 IN WONDERLAND ☆☆
西武池袋線ひばりが丘を最寄駅とすること約40年・・・・・・ 20代から30代の約10年間は吉祥寺周辺を転々としていたのだが、なんだかんだと現在住んでいる実家に出入りしていたから"約"をつけてみた。 ひばりが丘駅南口ロータリー側が己のフランチャイズな地元遊び場であることは、ずうっと変わっていない。 しかしながら地元仲間との付き合いも途絶えてしまっており、"駅前"を楽しむ事など今ではまったくしなくなった。 ここ数年間で駅前は目まぐるしい位の発展をとげてきたのだが、何故か一昔前のようにまどろみたむろできる場所がなくなってしまった。 マクドナルド、ケンターキーフライドチキン、ドトールコーヒー等のジャンクな店は北口もあわせるとそこそこ揃っているのであるが、何かが決定的に違うのである。 今ひとつシックリしない表現ではあるのだが、しいて言えば「活気」溢れていなさすぎるといった感じなのである。 だから全然そこにとどまっていたくないのである。 "とどまるから群がる" が全く成立しない街って・・・モチベーションが全くあがらないし保てない。 お住まいの方々には失礼なことを言うが、「ひばりが丘ボウル」が取り壊され「三井の巨大集合住宅」となってから辛気くさくなってしまったように見受けられる。 そして去年の夏が終わると同時に、唯一学生時代から全くかわることのなかった「ミスタードーナツ」も一時的かもしれないが、姿を消した。 「三井のマンション」よりさらに巨大な集合住宅の建設がはじまったからである。 ミスドがなくなる直前、そこに何ができるのかが解らなかった事からその場所に掲げられている建設詳細が記されている金属製の看板を覗き込んだ。 「はあ〜あ、またマンションかよぉぉ・・・俺の日照権はどぉこぉいったんだぁぁああ〜!」 次に持ち主・・・どこの大手不動産会社が建てようとしているのかみてみると 「東京都港区〇〇台〇ー△ー◇ 鈴〇梅子・・・??・・・」 なんと個人が建てるらしく、驚いてしまった。 そして・・・じょじょに虚しくなっていった。 (格差社会っていう奴のことだろうか・・・同じ人間だと思えん!) その人・・・俺一人くらいすくってくれないものだろうか?なんてついつい考えてしまう自分って凄くまともだと思えてならない。

2008年01月12日
(-_−#)俺が竹田っス!(11)
20歳の頃から当時の吉祥寺サムタイムの店長さんの意気なはからいで、当時のJazz仲間たちと日曜日の昼間にギグをやらせてもらえることとなりました。 当時、車の免許を持っていなかった僕は片手ピアノで参加したりしていましたが、それではあまりにもお客さんに失礼な気がしてならなく、友達に頼みヴァイヴラフォンを持ち込み奏でるようになりました。 しかしながら、その頃の自分はどうしても上手くアドリブを弾く事ができなかったため、結構な苦しみ方をしておりました。 (どんなスタイルでもいい!アドリブが弾けるようになりたい・・・) ハービー・ハンコック、チック・コリア等、色々なサウンドに取り組んでみましたが、どうしてもしっくりくるものを感じる事がなく年月だけが過ぎていきました。 その頃、新宿ピットイン朝の部などでは僕と同じ世代が流々とナイスなプレイをし始め、注目をあびはじめていました。【続く】

2008年01月06日
弱気雑談
深夜、寒空の下500mlのアイスココアを一気に飲み干した。 当然のごとく気分が悪くなり、自室に着くや大田胃散を服用し体を横にした。 すると段々と治まってくる予定であったのだが、全く治らないではないか! 「あれれ!?おっかしいぞぉぉう・・・」 などと若干の不安を抱きながら仮眠してしまった。 しばらくすると目が覚めた。 最終電車に乗り遅れ、僕の部屋にて時間を潰していた安保 徹氏に 「おはよう!」 と声をかけたと同時に体の感触を確かめると、気持ち悪さが取れていた。 「やた!」 いつにない酷き悪心であったことからかなりホッとした。 その後、正月用おせち感覚手抜き料理として買い置きしてあったピザをオーブン で温め食したところ体調にも問題なかったことから通常の「退屈しのぎ生活」へと なだれ込み、あっという間に昼食タイム。 やはり正月用切り餅を2切れ程たいらげたのだが! 「やべぇ・・・胃がムカつく・・・じゃん・・」 同時に首の付け根にも違和感を覚え、昨晩にブッキングのために電話をかけた 某ライブハウスの非人道的なる対応に対して大いにムカッ腹を立てたことからの 神経性胃炎に違いないとかってに診断した。 ただし今度は首のだるさが酷かったために仮眠をとったのだが、おかげで午後2時 からの女子プロゴルファーが繰りなすバラエティ番組前半を見逃すはめとなって しまった。 「ぉおーい、横峯、桃子に有村・・・藤田幸希もでてるじゃんかよぉぉう!・・・みんな・・ ・・・たのしそうだなぁ・・・」 自分も女子プロゴファーになってみんなといっしょに国内ゴルフツアーを回りたいもの だと物思いにふけっていると突如背筋に悪寒が走った。 「ぉぃぉぃおいおい!風邪かよぉぉ風邪ぇぇええーー!性懲りもねぇなぁあ!!」 歯から出た江戸っ子気質的フレージングとは裏腹に現実は目の前が真っ暗になった。 (・・・っていうかぁあ・・・・去年の風邪が治ってなかったんだんだ・・・チクショウ・・・・ 嫁の来てもない俺が・・・何故こんな辛い目にばかり・・・くくぅ・・・) そう、実際の僕はここでは書けないようなかわいそうな想いを結構しているのでる。

2008年01月05日
竹田的作曲雑談
初めて作曲をしたのは中学3年生の時。 ギターで弾かないと話にならない内容であったように記憶している。 「禁じられた遊び」 のような主旋律と同時にオーケストレイションも巧みに奏でるソロの楽曲ではなく、チョーキング、スライド、ハンマリングというエレクトリックギターならではの奏法を駆使している…ぶっちゃけメロディーとは言い難いものであったと思う。 その後、音楽家人生の随所で気ままな作曲をしてきたが、初めて本格的に取り組む事となったのが 『パラダイス山元と東京ラテンムードデラックス』 に参加した時だった。 その頃から歌謡曲はJポップスと呼ばれるようになり、僕に与えられた仕事は 『Jラテン松田聖子』 という過去に例を見ないテイストを作る事だった。 ラテンミュージック、Jポップスともに知識のない僕が最初にしたことは、当たり前ではあるのだが、ペレス・プラード、ザビア・クガード、ティト・プエンテ、松田聖子の音楽に浸かり、無意識に自身の中に取り込むことであった。 この渦中で大切なポイントをあげると、まず 『聴く為にそれらの音楽をかけてはいけない。』 『あくまでもBGMの域を越えさせずして自身の日常生活に存在させる。』 『メロディーを覚えてはいけない。』 といったところである。 確かに短期決戦は頭を使い要点を絞るのがベターであろう。 しかし、本道たるや区切りこそあれ、一生貫こう覚悟にあるのだから、要領でこなしてはいけないのである。 なぜなら、自身に取り込んでいくしか会得はできないのだから…。 そして作曲するにあたって自らに課しているルールとして、すでに既存しているメロディーに依存している最中の時には決して作業をしないよう努めている。 なぜなら 「彼も人なり、我も人なり」 だからである。 例えば、バド・パウエルのクレオパトラの夢にはまっており、無意識にそのメロディーを口ずさんでばかりいるような時に曲を作ってみると、何曲書こうが全てバド・パウエルのテイストになってしまうのである。 パクリの法律的判断基準はよく知らなくあるが、僕が音楽の持つオリジナリティを何処に感じているかというと"テイスト"のみである。 それゆえに、他人のテイストを借りてできた曲と製作者のテイストが繁栄されている曲の違いに気が付くのに1分もかからず鑑定できてしまう。 どんなにカッコ悪くてもしつこく自分ならではの楽曲を作っていくべきである。 "作曲は、上手くなっていくもの…, これが僕の持論である。

2008年01月04日
こりゃあまずいぞぉ雑感
寒すぎて自転車がのれないじゃんかよぉ〜っていいかぁ外気が冷たさを越えて痛いじゃねえかよぉ〜ただ事じゃねぇよぉぉまじぃ〜んだよこれってさぁ。 「当たり前じゃないか、冬なんだから」 とか 「北国の吹雪を思えばどってことないじゃん!」 やら 「子供じゃないんだからギャアギャア騒ぐんじゃない!」 なんて言ってくる奴がいようものなら俺はそいつにその場で10杯ものかき氷を一気喰いさせ、ドライアイス風呂に肩までつからせた段階で 「やい!さっきと同じセリフを全く同じ力感込めていってみろぉ!この模範的道徳優良児めがぁぁ」 などとスジ通させて頂いた暁にはアイ〇ンCity、コ○ブキPark、○ンヤCity等の万人達からの喝采が飛びかうことであろう。 とにかく今の俺は尋常ではない。 心の激しき浮き沈みにひたすら翻弄され続けること約一週間。 自分のペースを取り戻す為のキッカケを模索し続ける事にウンザリしはじめている。 "自分探し,がもたらすストレスたるや、人生のズンドコを垣間見かねなくもあることから、決して侮れない。 大袈裟に思うかもしれないが、僕自身渦中にある立場だからこそ、その真実を克明に伝える事ができる……紛れも無く大袈裟でしかない。 大袈裟と言われ、誰ひとりと賛同をえられなかろうが、俺は満たされなさ過ぎる俺という奴に対して心の底から満たしてやりたいと思うし、見捨てたりもしない。 コミュニケーションにおいて、 「今、一番抱きしめたい人は誰ですか?」 と聞かれりゃあその時点で一番愛しく思ってる人の名を述べよう…… それが本音なら今後一切そいつが自己堅持欲を匂わす発言をすることを少なくとも俺だけは許さない。 そのアンサーに対してあくまでも無意識である事を前提に二番目の愛しき人をクエスチョンとするのが通常であり平常にある。 「自分を力一杯抱きしめてやりたい!」 が一番でない奴なんか捨て身になる事を逃げ道にして"らしさ"を気取ることで存在を誇示してる分子に過ぎない。 俺はその類の輩が信用できなくある半面、羨ましくもある。 自己愛…自分を愛する。 日常会話的に表現すると "自分が一番可愛い、大事, などがよく使われるが、それらは批判的、開き直りにとれてしまうのが定石となっている。 よって 「自分が一番可愛い」 なるフレーズは一般的に皮肉的に扱われる。 まぁ、それはそれでいいのだが。 仲間、親友。 俺は自身が可愛い…いちばん。 そして相対する仲間も自らをいちばん可愛く思っている事を理解してる。 そんな事は当たり前であり生きていく大前提であろう。 そうある同士が人の気持ちになれたりするからこそとおといといえよう。 とおとき人間になろうじゃないか! ねえ、みなさん。

2008年01月01日
自暴自棄+自己防衛=自分.......
「除夜の鐘」 随分長きに渡って耳にしていない。 一年間の区切りである年末年始も、僕にとっては一括りでしかなく可能性に蓋をされ、ムーヴメントをとめざるえない苦痛のみの期間といっても過言ではない時期である。 その感情は年々膨らむ一方にあるのだが、実際のところ人一倍時代の変化を意識しており、それに翻弄されてしまっているのが本音なのであろう。 今でもはっきりと記憶している昭和61年1月2日。 初心者マークがついている車で当時のフランチャイズにあった吉祥寺の街へ出向いた。 そのエリアに入れば人とのコミュニケーションは必ずとれた。 それは心の底から当たり前のこととなっていた。 フランチャイズの地に足をついた瞬間に"当たり前,が当たり前でないことを知った。 "閑散,を初めて体感した瞬間でもあった。 好奇心皆無で自分以外の体温を探し求めて歩いた。 可能性はどんどんと低くなっていく。 それと比例して目頭の熱き感覚が増していく。 「・・・寂しい・・・・・」 それまで何度口にしてきたか解らない言葉だが、それをも初めて全身から言葉でないものとして湧き上がってきた。 可能性を捨て家路につくことにしてからの行動の記憶は全くない。 ただ、その2日後にはもとの吉祥寺に戻っており、己も再び溶け込んだ。 それでも、目に見えぬ内面的なものは以前とは完璧に違うものになってしまった。 大人になったといえば聞こえがよいし、成長したと思えば前向きであるための強さを得られたに違いないのだが、残念ながら"不良品,である自身には失ったものしか思い浮かばなくある。 年末年始が近づくと心身共に浮き足立つようになってなってしまったのは、この体験が多大に影響しているように思えるのである。 その時に感じた"寂しさ,の奥底にあった思いとは 「置いていかれてしまった・・・」 「大人になり損ねた・・・・」 「自分だけ変われなくあることに気づいてなかった・・・」 のようなものであろう。 それから約20年経った現在、その時の想いに今だ打ち勝てずにいる。 しかも予想をはるかに超えてしまった願いに反した自分として・・・・ とどめにそれでも諦められなくあるのが手におえなくある。 かなりの"不良品,なのであろう。


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