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2020年08月21日

日常に隠れている快感

お釈迦様が言うとおり、まず生きていくのは基本的にとても苦しいことだ、という現実を理解しなければならない。

なぜこんなに生きていくのは厳しいのだろう?と問いても、それが真実なのだから受容するしかないのだ(被害者意識を持っても誰も理解も楽にもしてくれない)

そして、考えを一歩進めると良いことも悪いことも単なる体験だということに気づく。

今後の役に立つとか、経験になるとか、そういう視点で理解する必要もない。

その体験を味わうのが人生の真理な気がする。良い気分になったり、嫌な思いをしたりすること自体に意味がある。

その結果、人間として成長する必要もない。体験して色々な感情が起きること自体が人生にとって貴重なのだろう。
もちろん成長の糧としてもよいが、経験自体が貴重である、という概念はよりベースとなるとものと思われる。


かたや、とはいえ。。

なるべくなら楽に生きやすく楽しく生きていきたいと思うのはごく自然なことだ。


もしも鍵をかけるという些細な行為が、日々の癒しを与えてくれる瞬間だったとしたらどうだろう?

カチリ、という音と手に伝わる感覚を楽しめるとしたら?
散歩と同じように癒しを与えてくれる時間だったとしたら?

同じようなことは日常の至る所に存在する。
些細なことを快感に変えていくことが、生きていくことを楽にしてくれる。

シャワーを浴びるという行為も、自宅では面倒と感じることなのに、スパや温泉に行った時は気分も気持ちも良い時間となる。

ドライヤーで髪を乾かすのだって面倒なことではなく、頭皮の温かさを味わう心地よさを得られる。

そして食事中のものを噛むという行為。匂いや味や喉ごしは注目されるが、「噛む」という行為自体に快感が隠れていることをどれだけの人が意識しているだろう。

階段を上がる時に感じる足に負担がかかる気持ちよさ。

文字にピントを合わせる瞬間。

コップに水を注ぐ瞬間。
ペットボトルの蓋を開ける瞬間。

そういえば「私にとって皿洗いはストレス解消以外の何者でもない」という人もいた。

そして四六時中、無意識に行っている呼吸という行為。

真逆だと、不安感や緊張感などあまり感じたくない感情もそれ自体に味わう意味がある。
体験自体に意味がある。それを理解していると一般的にネガティブと言われている状態や感情も尊いものだと気づく。


posted by hiro at 18:11| 今日の気づき
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ブログ公開時は薬剤師をしていましたが、人間関係と職業適正のなさに長年悩みまくった結果、ワラをも掴む思いで都内のタクシードライバーに転職。 その後、新型コロナの大打撃を受けて売上が激減し、一時は投資活動その他の仕事に専念しましたが、収入が安定しないため、職場復帰しています。 現在、低支出でお気楽に暮らし、サイドFIREすることを模索中。
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