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「桂馬の幻想」 坂口安吾 (03/31)
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「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (02/22)
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「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (02/16)
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「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (12/23)
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「桂馬の幻想」 坂口安吾 (12/12)
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「戦いの原則−人間関係学から組織運営の妙まで」 大橋武夫 (12/06)
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2013年12月26日
「かもめのジョナサン」 リチャード・バック
  有名な物語である。空を飛ぶことを突き詰め続けたカモメのジョナサンは、彼を理解しようとしない他のカモメたちに群れを追放されるが、めげずに飛ぶことを極めて行く。やがて彼は新たなゾーンに突入したり、弟子を持ったりしながらカモメ離れした「カモメ」へと変貌を遂げていく。

 私が読んだのは五木寛之訳の新潮文庫のものであったが、解説を読む限り五木はこの作品にはあまり共感を示していない。「しかし、この物語が体質的に持っている一種独特の雰囲気がどうも肌に合わないのだ。ここにはうまく言えないけれども、高い場所から人々に何かを呼びかけるような響きがある。(中略)この物語の中に母親を除いてただの一羽も女性のカモメが登場しないのも不思議である。後半では完全に男だけの世界における友情と、先輩後輩の交流だけが描かれる。食べることと、セックスが、これほど注意深く排除され、偉大なるものへのあこがれが上から下へと引きつがれる形で物語られるのは、一体どういうことだろう。総じてジョナサンの自己完成が、群れのカモメ=民衆とはほとんど切れた場所で、先達から導かれ、さらに彼が下へそれを伝えるという形式で達成されるのも、私には理解しがたいところなのだ。(中略)大衆的な物語の真の作者は、常に民衆の集団的な無意識であって、作者はその反射鏡であるか、巫女であるにすぎないとする私の立場が正しければ、この一つの物語は現在のアメリカの大衆の心の底に確実に頭をもたげつつある確かな潜在的な願望のあらわれと見なすべきである。」

 ジョナサンは物語が進むに従い、飛ぶことを通じて「カモメ」の本質に関わる思索をするまでに至る。そして彼の見せる飛び方は、岩をすり抜けたり、空間を超越したりとどんどんカモメ離れしていく。この描写にオウム真理教などの新興宗教を連想する人も少なくあるまい。また、彼が飛び方を極めていく中での思考過程は「十牛図」にも似る。

 上で五木が言うように大衆文学の真の作者が大衆の集団無意識であるとするならば、当時のアメリカの若者はこの作品の中の何を求めていたのか。作者が東洋的な思想に触れたことがあるのか、それとも物事を禁欲的に突き詰めていく作品を書いたら結果としてこうなったのか。

 この作品はヒッピーを中心として爆発的に広まり、最終的に世界中に広まった。ジョナサンの思考は仏教思想やキリスト教を思わせるものがあるが、作者は何を意図したのであろうか。この本は短い上に、作者はその解釈の道筋を定めないまま、世に出した。禁欲的修行物語の一類型として、20世紀中盤の代表的青年文学として、本書は後世に残り続けるだろう。そしてこの作品が再び注目を浴びる時代の大衆が何をこの作品に求めているかはその度ごとに変わっていくだろう。

カモメ ヒッピー



2013年12月26日
「リンゴの木」 ゴールズワージー
 この本は以前紹介した「僕らの頭脳の鍛え方」で佐藤優が紹介していたので読んでみた。因みにその本での紹介はこうだ「イギリスは現在も階級意識社会だ。パブ(居酒屋)でも労働者階級の出入り口には『PUB(パブ)』と書いてあるが、中産階級の出入り口は『SALOON(サルーン)』と書いてある。そして客も自らが帰属すると思う出入口を使う。若き弁護士のアシャーストが、ウェールズの田舎で純朴な少女と恋に落ちるが、階級の差を意識して捨てるという身勝手な物語。イギリス人エリートの階級意識と残酷さがよくわかる。」。

 この話の作者ゴールズワージーはノーベル文学賞作家で、国際ペンクラブ初代会長も務めている。ハーロー校を出てオックスフォード大学で学ぶという典型的な英国エリートのルートである。

 この話自体は短いもので、130頁程度なのですぐ読み終わるだろう。内容は以下のようなものだ。銀婚式の日に上流階級のアシャーストは、英国南西部の田園地帯を車で旅する。ふと車を降りて休憩してみると彼はあることに気づき、胸を痛める。その村は26年前、大学生だったころの彼がぶらりと訪れ、村娘メガンと恋に落ちた場所であった。当時は駆け落ちまで企てたものの、アシャーストは駆け落ち資金を取りに行った町で親友の妹−むろん上流階級だ、のステラと出会う。その娘に惚れてしまったアシャーストは、駆け落ち先でみすぼらしい格好のメガンを見て、彼女は自分の結婚すべき娘ではないと悟り、彼女を捨て、ステラと結婚。順風満帆な人生を謳歌する。そして銀婚式の日に彼は再びメガンと出会うが、彼女は変わり果てた姿となっていた…。

 佐藤はこの話で英国エリートの階級意識と残酷さを学ぶことができるとし、角川版では解説まで書いている。民族性をそのベストセラーから読み解く試みが妥当であるかどうかはともかくとして、アシャーストの行動に違和感を感じるか否かで、人間の類型を探ることは出来る。自身の属する世界以外の人間と結婚することができるかという本書の問題に対して、社会性・経済性・慣習性の点から反対する現実主義者、人同士の約束を重んじる理想主義者とを分けうる。また、男自体が困難が少しでも予想される獲物よりは獲やすい等価の獲物を狙う事に流されやすいこともこの本では示してある。

 価値観に民族固有性よりも個々人の資質・主義が影響されるであろう現代にあっても、この本が投げかける問題は様々な角度から読み解くことができる。

リンゴの木 ゴールズワージー 








2013年12月19日
「植物知識」 牧野富太郎
 日本を代表する植物学者である牧野富太郎が記した花・果実についての小冊子である。22項目で100頁程度の量である。スミレやユリなど我々に身近な植物の生物学的・文学的・民俗学的解説がびっしりと詰まった本書は昭和24年に発行されたものである(私が読んだのは講談社学術文庫から1980年に復刻したもの)。

 最初に来る「ボタン」では、ボタンの花の華麗さに触れるところから始まる。次いでその字義、学名解釈、藤原忠通の古歌、中国の故事、植物学的構造、自身が先年見た高山の大牡丹と話題がどんどん広く展開されていく。

 牧野富太郎は前時代の日本が輩出した大学者の一人だが、今の学者の在り方に比べるとこのころの人にはかなりの自由奔放さがある。まあ何せ草莽期であるからなのだが。牧野の学歴は小学校を一年目で辞めたところで終わっており、そのあとはすべて叩き上げである。途中東大教授の下で学生でも教員でもない自由な身分で研究していたこともある。貧乏と不運に耐え続け、ついには世界最大級の植物学者となる。彼の破天荒な一生は南方熊楠のそれとも被る。

 この本は彼が素人向けに著したものであるから、気楽に読み進めることができる。植物好きの隠居の茶飲み話を聞くようなものだ。上でも触れたように話題の転じ方が予測できない所が面白い。この当時は博物学的な学者の最盛期にして最晩年と見ていいだろう。彼のいかにも博物学的な記述を見ていると熊楠の文集を思い出す。

 今現在の人文・自然科学の細分化は著しい。そのすべてを俯瞰しうる学問分野もなければ、そうしようとする学者も寡聞にして知らない。かろうじてカオス理論や自己複製、ゲーム理論などを扱う人々が著作で今までよりも広範な分野を手中に収めようとしているぐらいであろうか。かつての自然科学・人文科学が一体然としていた往時をこの本でイメージできる。

牧野富太郎 植物学 博物学 南方熊楠








2013年12月19日
「サンクチュアリ」 史村翔・池上遼一
 極道モノの漫画である。史村・池上コンビで世に出た作品は他にも「HEAT−灼熱」や「strain」があるが私はこの「サンクチュアリ」が最も完成度が高いと思う。先にあげた他の漫画も総じて完成度は高いしとても面白い。漫画として楽しむならばどれも好きだ。

 この「サンクチュアリ」だけやや特別視するのは、この漫画は思想性が強いからだ。カンボジア内乱の地獄から生還した北条・浅見の二人は日本を作り替えようとする。表の道「政界」から日本を変えようとする浅見を「裏の道」極道から北条は支える。というのが骨子だ。何年か前のプレジデントの特集でこの漫画に触発されてベンチャーを起こしたという社長がいた。まあ気持ちは分からなくもない。

 注目したいのは主人公たちは、日本再生のために海外の安い労働力を入れ、市場を開放し、「日本人」に競争力をつけさせたうえで「和僑」にしたいと語る。この和僑の先発隊として組員が進出していく。この漫画は21世紀まであと数年という時点で書かれたものであるが、現状見ても未だ和僑といった現象は現れていない。国家観・人はどう生きるべきかといった大所以外にも、個人レベルでも考えさせるネタに事欠かない漫画である。

 自分はこの漫画を読んだ時なぜか頭に斉藤道三と「野望の王国」が頭に浮かんだ。「野望の王国」はまあ国盗りという点で似てはいる(権力奪取までで話は終わるが)。斉藤道三だが、彼が1人であろうが2人であろうが、とりあえず彼には常在寺・妙覚寺という宗教・民間面でのバックアップがあった。かれにもこのような関係の人がいたのだろうかとふと考えた。

池上遼一 史村翔 






2013年12月18日
「光秀の定理(レンマ)」 垣根涼介
 関東から流れてきた兵法者新九郎が辻博打を生業とする謎の坊主、愚息と巡り合うところからこの話は始まる。愚息の博打は常に必ず愚息が勝つのだが、新九郎にはその理由がわからない。分からないなりに彼は愚息とつるみ始め、やがて二人は十兵衛−明智光秀と出会う。幕府再興・お家再興のために奔走する十兵衛と浮世のことは気にせずのんびりと暮らす新九郎・愚息らは互いの境遇が変わっても交流を続ける。

 六角攻めの際、敵がどの間道に潜むか判断付きかねた光秀はよく似た状況−愚息の賭を思い出す。彼自身その仕組みは分からなかったが、ともかく彼は愚息に指示を仰ぎ、無事敵を撃破する。戦後、光秀からあらましを聞いた信長は愚息と会い、そのトリックを知ろうとする。そこで十兵衛らは人間心理に裏づいたトリックに愕然とするのであった。

 やがて時は流れ、老いた愚息と新九郎の会話が描かれる。彼らはなぜ光秀が本能寺の変を起こしたのかを語り合うのであった。

 要約すると以上である。話の構成からすると非常に奇策である。短編でやりそうなトリックを長編の、しかも主題にまで持ってくるところが凄い。従来の歴史小説とは構成・展開・主題とどれも違いすぎて、先が読めないまま最後まで突っ走ってしまう。

 詳細は書かないがトリックはモンティ・ホール問題である。この問題を小説にすればこうなるのかと驚きを禁じ得ない。さらにこの問題をモチーフにする描写が何度も現れる。時々、これは強引だなと違和感を感じることもあるが、総じて完成度・意外性共に高い。

 新たな視点から考えるということを実践した小説である。

明智光秀 垣根涼介 本能寺の変






2013年12月18日
「100の地点でわかる地政学」 オリヴィエ・ダヴィド他
 地政学ほど戦前・戦後で評価が転じた学問も珍しい。地理学と政治学を結びつけた言葉で、内容は文字通り政治現象と地理的要因とを探る学問で経済学・軍事学と密接に結びついている。

 戦前はマッキンダー地政学・ハウスホーファーの生存圏理論など世界各国でその実用性から隆盛を誇った学問であったが、日本においては戦後、全く顧みられなくなった。ドイツにおける「鍵十字タブー」によるナチス研究の後進性と同じく、日本における「軍国主義タブー」に起因する地政学・危機管理学の後進性、いわば「タブーによる学問の空白地帯」をこれ以上続ければ確実に「日本人」の認識と「他国人」の認識には埋めようのないズレが生じるであろう。いや、現時点ですでに差がついているといっていい。

 本書はフランスの高校教師や予備校講師らが集まり編纂したもので、地政学的要所100ヶ所を挙げ、解説したものである。現役の受験生らが主な読者だろうと訳者はあとがきで言う。フランスのバカロレア(大学入学資格試験)の「歴史・地理」では「1945年から現在までの欧州建設(段階、争点、限界)」「東アジア勢力エリア−空間の編成」といった論述に四時間かけて解答するらしい。

 「人間は自己に幻想を抱かざるを得ないのか」「自由は平等によって脅かされるのか」といった抽象的な哲学の試験の傍らで「歴史・地理」の試験がかなり地政学的なのは、向こうの人間がおよそ実学からは程遠い哲学と、現実主義とを常に持ち合わせていることを示しているといえる。

 本書は地政学の枝葉にあたる。地政学の学説自体を幹とするとマッキンダーやマハンらの著作がこれにあたる。対してそれら「地政学」の考え方を実際の地点で検証するために読むのがこの本である。

 本書では要所を4種類、「パワーを発散する地点」、「パワーが織り成される空間」、「パワーの鍵となる地点」、「パワーの対決地点−係争・紛争・妥協」と区分している。

 「パワーを発散する地点」とは世界的大都市である。「権力は慣性の論理に従って、同じ場所にとどまることを好む。そうした場所は、世界の他の場所と役割関係を結び、堂々たる威信を備えた枠組みを形作っている。」。ここではニューヨークやブリュッセル、ロンドン、パリと続くが、サラエヴォやアムリトサルといった日本ではあまり顧みられない都市が紹介されるのに対し、世界最大級の都市圏である東京・大阪が挙がらないのが興味深い。

 「パワーが織り成される空間」では国家同士の結びつき・民族問題といった抽象概念も含めてヨーロッパ、北米、南アジアさらには地中海、北氷洋など、世界全土の「くくり方」が紹介される。最後に宇宙空間とサイバースペースにまで言及するのには驚いた。

 「パワーの鍵となる地点」とは交流のための通路となる地点である。ホルムズ海峡やスエズ運河などの海峡や運河が紹介される。「日本のかんぬき」として対馬海峡・宗谷海峡が紹介されている。

 「パワーの対決地点」は文字通りの紛争・係争地点で、南シナ海、竹島、千島、チェチェンといった箇所が列挙される。

 全体的には「地政学的」地理用語集といった域を出ないが、日本の参考書ではこのようなベクトルでの解説は望めないため、良書である。

 日本語版に際して原書にはない地図がついているので助かる。ぜひとも地図を参照しながら読みたい一冊。

地政学 クセジュ バカロレア






2013年12月18日
「ぼくらの頭脳の鍛え方―必読の教養書400冊」 立花隆・佐藤優
 書評本を読むことの意義は3つある。1つは評者の物の見方を評価対象の本を通じ自身と比較できること、2つ目は思いもよらぬ本・視点に出会えること、3つ目は自ら労することなく手っ取り早く本の「概要」「評価」「視点」を得られることである。

 1つ目はまあ書評の体を成す本ならばどれでも満たすだろう。2つめは自身と評者の相性もあるがまともな評者ならまあまず満たす。3つ目は当然といえば当然であるし、あまりに稚拙で功利的な手段であるといえばそうなるが、意外とこれを満たせるものは少ない。

 本書は知の巨人・立花隆と知の怪物・佐藤優(立花との対比で紹介にはこうあるがまさに言えて妙である)の対談書評本である。副題に必読の教養書400冊とある通り、二人が自分の書棚から百冊ずつ、書店の文庫・新書から100冊ずつ選りすぐったものである。

 立花隆はその経歴・著作から言ってもまさに「巨人」で、自身が執筆するのに参考とした文献を「冊」単位ではなく「m」単位で考える規格外の知識人だ。対する佐藤優も年は若いがソ連動乱時に情報活動を行っていたバリバリの実戦派、叩き上げのインテリだ。

 佐藤優は知識・思考の幅・深さ共に凄まじいものを持っているため、対談本ではたいてい相手を食ってしまう。今現在のところ佐藤と対談して互角に対談しているのはこの本での立花しか知らない。

 それにしても二人とも凄い。政治的立場や思想的立場を前面に押し出した対談ではなく、本好きの知識人二人がのんびりと談じているつくりだからなおさら話が広がり、深さがある。途中乃木希典の殉死の解釈とかで意見が分かれるところはあるものの、基本的には雑談の中でどんどんトピックに応じた本を紹介するのみで停滞感無く進んでいく。

 章が終わり、雑談に区切りができるごとに立花・佐藤それぞれの選んだ本がリストアップされる。佐藤がそれぞれに解説・解題をつけているのに対し、立花は何冊かにのみ膨大な解説・解題を付け、他はただ挙げるのみであるのが面白い。さらに立花が現代科学論・生理学・死といったように簡潔にジャンルを定めているのに対し、佐藤は「宗教・哲学についての知識で、人間の本質を探究する」「歴史についての知識で、未来への指針を探る」といったように分けているのも興味深い。

 宗教関連はやはり佐藤が多く挙げ、サイエンスものは圧倒的に立花が担当しているのが二人の来歴を示しているようでいい。

 この書評本は、書評のための本ではなく、二人の思考法に関する対談の中で本が紹介されている、ぐらいのものだろう。付録の「立花隆による『実戦に役立つ十四カ条』」・「立花隆選・セックスの神秘を探る十冊」もよく考え抜かれている。

 対談初めの方にある立花の本の読み方と、情報機関の人間の読書術が同じものであるというエピソードが一番面白かった。

佐藤優 立花隆 書評 対談






2013年12月18日
「戦いの原則−人間関係学から組織運営の妙まで」 大橋武夫
 本書は戦中は参謀として中国戦線で活躍し、戦後は「兵法経営論」をもって活躍した大橋武夫のものである。「戦争論」「孫子」といった世界各国の兵法書のエッセンスを各兵法書ごとにまとめてある。およそ兵法書というものは必然的にその内容は似通ってくるものである。だから、素人が兵法書から何かを得ようと思えば難解な漢文や専門用語が湧いている専門書を読むよりかは、こういった兵法に通暁した人がまとめ上げた入門書を読むほうがはるかにいい。

 著者は無数にある兵法書のうち、我々が読むべきは「孫子」「君主論」「政略論」「戦争論」「統帥綱領」「統帥参考」「作戦要務令」であるとする。そしてリーダー論、統率論を補完するものとして「論語」「孟子」「老子」「荘子」「荀子」「韓非子」を、謀略・策略の補完として「戦国策」「三十六計」「鬼谷子」、兵法の特異な部門として「闘戦経」「呉子」「蔚繚子」「六韜」「三略」を挙げている。

 内容としては各兵法書が各章をなしており、各章は「一、戦わずして勝つ」といったその書からの引用・解説・実例のパートで構成されている。著者の根が軍人・経営者とどちらも戦略思考を要する職であるためか、引いてくる実例や解説どれにも無駄がない。兵法をビジネスに応用するといった試みの本はたいてい実例の点で陳腐さが露呈するものが多い。この著者はさらに、各パートごとに、その教えと関連する他書や軍人の言葉の引用まで付けているので理解が進む。

 全体の内容としては著者の言うとおり、「孫子」や「戦争論」といった前半の「読むべき」兵法書の方に重きが置かれ、内容も十分なものとなっている。「戦争論」の要約としてこれほど的確にまとめ上げたものはなく、また戦前の日本の「統帥綱領・参考」「作戦要務令」を紹介するものは少ないので貴重である。

 個人的には「作戦要務令」の「四、指揮の要訣は、部下を掌握しながらも、独断活用の余地を与うにあり」の項で自身の工場で増員したにもかかわらず生産が減ってしまった時の対処で「作戦要務令」に立ち返り、部下の掌握について幹部に反省を促したエピソードや、「三十六計」にある大兵団の参謀経験者は三十六計は児戯に等しいと顧みぬが、第一線の部隊長では三十六計を妙計とする人がいたといったエピソードには生々しさがあり未だ「実学」として通用する「兵法」を感じた。

 兵法を実践しようとする人にはこの本一冊で十分である。

大橋武夫 兵法 経営論






2013年12月18日
「だまってすわれば−観相師・水野南北一代」 神坂次郎
 観相学・骨相学は正規の学問としてはもはや絶滅したものである。精神能力は大脳の各部位に根差しており、大脳の発達程度は顔の骨格から推定できるという説が、人の顔貌・表情からその精神能力を判断しようとするこの学問の土台となっていた。この学問がきっかけで生理学・犯罪心理学が発達したが、この学問の理論自体は大雑把なものだったのですぐに廃れた。

 学問として言う「観相学・骨相学」は19世紀初頭のヨーロッパで体系化されたものを指す。しかし、洋の東西を問わず、同じことをしようとする動きは遥か昔からあった。19世紀の西洋のそれも半ば占術から出たようなものであったが、他の観相は占術とほぼ同一とみてもいい。

 本書で取り上げられている水野南北は「だまってすわればぴたりと当たる」と評判が高かった江戸期の観相師である。観相一筋に修行してきた人物ではなく、若い頃は博徒としてあぶれ者の生活を送っている。目端が利く人物だったのか、裏社会でそれなりの存在となっていた頃、転機が訪れる。「死相が出ておる」と行きずりの僧に言われ、彼は生活を改めねば死ぬと諭される。その言葉にびびった彼は心機一転足を洗い、いくらかの経緯を経て観相師を目指すのであった

 神坂次郎の著作を読むのは初めてだがとても面白かった。司馬と作風が異なるが史料も緻密に各所に配されており、その時代の雰囲気を様々な角度から感じることができた。

 南北の観相学はその実践性から彼の生前天下第一の隆盛を誇り、また彼の理論はある程度仏の存在を借りつつ、観相の域を出、「節食により運気は改善する」とまで広範に及んだ。彼の観相学の爆発的流行のもととなったのは何よりそれが「ぴたりと当たる」からなのだが、その神がかり的な才覚がどうやって身に付いたかが面白い。

 観相を極めるに当たり南北は「人を見ることを極めるのだ」と思い立って髪結い・風呂場・火葬場を転々とし、舐めるように人々の肢体を観察する。この実証精神が実り、南北のもとには自ら門下に入る観相師達が続出する。

 興味深いのは神通力を得たような南北であるが節食など彼の教えを守る以外の点では、そんなに聖人君子然としていない所だ。相変わらず女癖は悪く、妻にもすぐ逃げられる。なぜか自身の将来は占えないのだ。そこが実に興味深い。

 彼の「食」に対する洞察も面白い。食は命を養う根源であり、命は食に従うもの。この食によりその人間の生涯の吉凶は決まると南北は説く。美食を食めば食むほど、運気が削られるらしい。

 科学はその実証性と普遍性、演繹性から他の考え方を蹴散らし、現代人の理性の第一の背景となっている。しかし世の中には漢方やこの南北の観相理論のように多大な実証性・普遍性を持つ非「科学」も存在する。西洋の知識階級と話すときには占星術の概念をある程度頭に入れておいた方がいい、向こうの人間は宗教がない人間は認めない、といったことは聞くが、これら「非科学」と「科学」の違い、付き合い方を一度考えてみるのもいいかもしれない。何も世界を観測するという点では両者に変わりはないのだから。

水野南北 神坂次郎 観相学 節食







2013年12月16日
「完全失踪マニュアル」 樫村政則
 有害図書「完全自殺マニュアル」の前書きにたしかこうあった

「こういう状況のなかで、もうただ生きてることに大した意味なんてない。もしかしたら生きてるんじゃなくて、ブロイラーみたいに”生かされている”だけなのかもしれない。だから適当なところで人生を切り上げてしまうことは、「非常に悲しい」とか「二度と起こしてはならない」とか「波及効果が心配」とかいう類の問題じゃない。自殺はとてもポジティブな行為だ。

 僕の知人に、それを飲んだら平気でビルから飛び降りちゃうほど頭のなかがメチャクチャになっちゃう”エンジェル・ダスト”っていう強烈なドラッグを、金属の小さなカプセルに入れてネックレスにして肌身離さず持ち歩いている人がいる。「イザとなったらこれ飲んで死んじゃえばいいんだから」って言って、定職になんて就かないでブラブラ気楽に暮らしている。

 この本がその金属のカプセルみたいなものになればいい。」

 「完全自殺マニュアル」は世間を賑わせ大いに売れたが、この本「完全失踪マニュアル」も同類と言えば同類である。自殺はある意味後先考えなくていいので勇気と手段さえあれば即実行可能だ。だが失踪は行方をくらませてからやることがたくさんあるリスキーな選択肢だ。本書はそのテクニックを元探偵が紹介する。

 失踪期間別に1カ月・数カ月・数年・永久失踪と編が分かれている。失踪期間1カ月などはストレス解消のようなものということで、失踪宣言書の作り方・持ち物・帰るきっかけなど素人目にもほんわかしている。

 失踪期間が延びるにつれ物騒になってくる。「仕事の探し方」「探偵の追跡をまく」「他人になりすます」「他人名義で就職」「発覚しても再失踪」「各種時効リスト」「記憶喪失を装う」…などなど。

 「完全自殺マニュアル」がちょっと後ろめたい懐剣だとすれば本書はややあったかいオーラの地図だと言えるだろう。違法行為も多々触れられており、覚悟無くして実践は難しいだろう。あるいは緻密に整備された現代社会制度の欠落(戸籍取得テクニック)を知る入門書としても使えるだろう。

 日本は少なくとも地方都市レベルまでは完全な整備された社会が広がっている。その息苦しさについてふと考え、「整備された社会」を見つめなおしたい人は読むべきだ。

 当然のことながら、失踪を志す人以外にも、失踪者を捜す側の人にも参考になるだろう。

有害図書 失踪 自殺 マニュアル 太田出版 アンダーグラウンド



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