2014年01月13日
「憂国のラスプーチン」 佐藤優・伊藤潤二・長崎尚志
佐藤優の「国家の罠−外務省のラスプーチンと呼ばれて」をホラー作家・伊藤潤二作画、長崎尚志脚本で漫画化したものである。登場人物の名前が現実と微妙に変えられている(鈴木→都築、東郷→西條、程度)が、将来「北方領土疑獄事件」とでも呼ばれそうな事件の顛末が非常にわかりやすく描かれている。「国家の罠」や「自壊する帝国」に挫折した方はこちらから読んでみると良い。
外務省でいわゆるノンキャリながら独自のパイプを持ち、鈴木宗男とタッグを組んで北方領土問題解決に心血を注いでいた外交官佐藤は、外務省を巡る鈴木の事件に関連して背任容疑で逮捕される。身に覚えのない佐藤に言わせると検察の書く筋書きは全てでっち上げなのだが、佐藤の部下・上司・仕事仲間の学者・商社マンなど皆がその筋書きに乗っかり佐藤を売る。佐藤は鈴木を売りさえすれば悪くはしないと持ちかけられるが、信条からそれを突っぱね、検察と徹底抗戦するするのであった。
大方の人物は実物どおりの容姿なのだが、佐藤(劇中では憂木)が妙にさわやかな好男子に描かれ、ちっとも「ラスプーチン」らしさがないのが残念。まあ、現実通りに描写したらしたで、自身を裁く法廷で傲然とむしろ詰問する側のように座っていたといわれるジョン・ウィルクスのようになってしまうから、あまり「国策捜査の犠牲者」感が出ないとしてさわやかイケメンにされたのかも。
内容は「国家の罠」のダイジェスト版であるから、その時に考察したい。漫画を用いてのプロパガンダという点でこの作品は興味深い。佐藤は起訴後、「こうなったら自分が助かることは考えず、外務省ごと引きずり落としてやろう」と考え作家に転身、外務省批判を行う。組織告発のために執筆活動を行うのはインテリにとって一般的手法だ。だが、そこに漫画を付け加えたことは斬新だ。
漫画を用いれば「国家の罠」を読まない層の目に触れる機会もある上(ビッグコミックに掲載されていた)、読者の脳内でのイメージ形成の段階をすっ飛ばして、完成済みの強いイメージを植え付けることができる。宗教団体や進研ゼミの漫画を多用した宣伝も、単なる活字離れ以外の意味があるものだ。
郵政民営化の際には国民を(宣伝工作的観点から)数パターンに分けてのプロパガンダが繰り広げられた、と語る元公安調査庁職員の証言もある(余談だがその人は痴漢容疑だったかで起訴されている)。国民選挙前に自民党が漫画のパンフレットを配りだしたら、いよいよ・・・かもしれない。
余談だが、新聞、新書、テレビ、映画や大衆小説、果ては新聞のエイプリルフールの嘘記事に至るまで、大衆の目に触れる媒体には多かれ少なかれプロパガンダ的要素が入り込む。ポルノ映画なんかは人間の原初的欲求を司る視床下部にダイレクトに訴えかける分、そこにちょっと手を加えてやればかなり有効に作用するかもしれない(下世話すぎるので内容は書かないが、世の中の大半の有権者男性の目には触れる)。
他の胡散臭い来歴の人々、田中森一(ヤメ検・闇世界の守護神)・守屋武昌(防衛事務次官・収賄容疑)などに比べ佐藤が作家として弁明と新たな生き方の確立に成功しているのは、彼に米原万里といった文壇関係者や神学部繋がりのアカデミックな人脈があったからだけではない。ある時は告発本、ある時は対談、ある時は全く政治色のなさそうな神学専門書、そしてこの漫画、とそれぞれ形を変えての巧妙に仕込まれた一手一手が有効に機能したからだ。
プロパガンダとして現在進行形で機能している漫画として見れば、かなり面白い。もちろん、主人公が信念に基づき清く正しい拘置所ライフを送る漫画としても楽しめる。
「僕から見ればこの事件はまさにホラー」と語る伊藤潤二が作画なので、おぞましいシーンは実にホラー漫画だ。ここらへん、感情を揺さぶらせるには実にうってつけの配役である。
外務省でいわゆるノンキャリながら独自のパイプを持ち、鈴木宗男とタッグを組んで北方領土問題解決に心血を注いでいた外交官佐藤は、外務省を巡る鈴木の事件に関連して背任容疑で逮捕される。身に覚えのない佐藤に言わせると検察の書く筋書きは全てでっち上げなのだが、佐藤の部下・上司・仕事仲間の学者・商社マンなど皆がその筋書きに乗っかり佐藤を売る。佐藤は鈴木を売りさえすれば悪くはしないと持ちかけられるが、信条からそれを突っぱね、検察と徹底抗戦するするのであった。
大方の人物は実物どおりの容姿なのだが、佐藤(劇中では憂木)が妙にさわやかな好男子に描かれ、ちっとも「ラスプーチン」らしさがないのが残念。まあ、現実通りに描写したらしたで、自身を裁く法廷で傲然とむしろ詰問する側のように座っていたといわれるジョン・ウィルクスのようになってしまうから、あまり「国策捜査の犠牲者」感が出ないとしてさわやかイケメンにされたのかも。
内容は「国家の罠」のダイジェスト版であるから、その時に考察したい。漫画を用いてのプロパガンダという点でこの作品は興味深い。佐藤は起訴後、「こうなったら自分が助かることは考えず、外務省ごと引きずり落としてやろう」と考え作家に転身、外務省批判を行う。組織告発のために執筆活動を行うのはインテリにとって一般的手法だ。だが、そこに漫画を付け加えたことは斬新だ。
漫画を用いれば「国家の罠」を読まない層の目に触れる機会もある上(ビッグコミックに掲載されていた)、読者の脳内でのイメージ形成の段階をすっ飛ばして、完成済みの強いイメージを植え付けることができる。宗教団体や進研ゼミの漫画を多用した宣伝も、単なる活字離れ以外の意味があるものだ。
郵政民営化の際には国民を(宣伝工作的観点から)数パターンに分けてのプロパガンダが繰り広げられた、と語る元公安調査庁職員の証言もある(余談だがその人は痴漢容疑だったかで起訴されている)。国民選挙前に自民党が漫画のパンフレットを配りだしたら、いよいよ・・・かもしれない。
余談だが、新聞、新書、テレビ、映画や大衆小説、果ては新聞のエイプリルフールの嘘記事に至るまで、大衆の目に触れる媒体には多かれ少なかれプロパガンダ的要素が入り込む。ポルノ映画なんかは人間の原初的欲求を司る視床下部にダイレクトに訴えかける分、そこにちょっと手を加えてやればかなり有効に作用するかもしれない(下世話すぎるので内容は書かないが、世の中の大半の有権者男性の目には触れる)。
他の胡散臭い来歴の人々、田中森一(ヤメ検・闇世界の守護神)・守屋武昌(防衛事務次官・収賄容疑)などに比べ佐藤が作家として弁明と新たな生き方の確立に成功しているのは、彼に米原万里といった文壇関係者や神学部繋がりのアカデミックな人脈があったからだけではない。ある時は告発本、ある時は対談、ある時は全く政治色のなさそうな神学専門書、そしてこの漫画、とそれぞれ形を変えての巧妙に仕込まれた一手一手が有効に機能したからだ。
プロパガンダとして現在進行形で機能している漫画として見れば、かなり面白い。もちろん、主人公が信念に基づき清く正しい拘置所ライフを送る漫画としても楽しめる。
「僕から見ればこの事件はまさにホラー」と語る伊藤潤二が作画なので、おぞましいシーンは実にホラー漫画だ。ここらへん、感情を揺さぶらせるには実にうってつけの配役である。