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「桂馬の幻想」 坂口安吾 (03/31)
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「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (02/22)
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「100の地点でわかる地政学」 オリヴィエ・ダヴィド他 (02/19)
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「100の地点でわかる地政学」 オリヴィエ・ダヴィド他 (02/18)
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「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (02/16)
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「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (12/23)
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「日本の地下経済−脱税・賄賂・売春・麻薬」 (12/22)
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「ボクのインプット&アウトプット法ー1日に10冊の本を読み3日で1冊の本を書く」 千田琢哉 (12/20)
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「桂馬の幻想」 坂口安吾 (12/12)
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「戦いの原則−人間関係学から組織運営の妙まで」 大橋武夫 (12/06)
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2014年01月13日
「現代語訳 信長公記」 太田牛一
 信長について知るには最適の資料の現代語版が文庫で出た。どの書店でも目立つ所にあったということはそれなりに需要があると見越しての発行なのか?それとも大河ドラマに乗ろうとしたのだろうか。まあともかく古文書の現代語訳が廉価で手に入るのはうれしいことだ。

 軍記物・合戦物では平家物語、太平記、甲陽軍鑑といった有名どころは現代語訳が出回るものの、なぜか真骨頂であるはずの応仁〜戦国期を扱ったものはそう一般的な書籍としては流通しない。ましてや現代語訳など・・・。陰徳太平記や北条記なんかの廉価現代語版出ないかなぁ。また、すこしそれるが兵法書の類もいいかげん五輪書、柳生兵法家伝書、不動智神妙録といったメジャーどころじゃないもの、天狗芸術論何かをぜひ現代語訳して廉価で世に出してほしい。欲を言うならこれらに詳細な合戦図、陣形図、原本にある図、脚注をつけた状態で出して欲しい。平家物語、太平記なんかも古典文学としてではなく、軍事記録・政治資料・戦争文学としての観点から詳細な資料を付け加えたものが出ないだろうか。そうすればもっと生きた古典となるのに。

 脱線したが「信長公記」である。信長の側近(本によっては秘書官とも)であった太田牛一が1610年頃に 完成させた信長の一代記。信長生誕から本能寺の変までが描かれている。信長の側近が記した記録として、信ぴょう性がある一級資料とされている。

 内容はまあ、信長について書かれた本大半のソースなので衝撃の事実発覚!というようなものはない。ただし、道三二代説(斉藤道三の国盗りは実は父子二代によるものであったという説、ソースとして近隣の大名六角氏の文書が挙げられる)を裏付ける記述はなく、講談などでおなじみの一代の成り上がりとして描かれているのでどうしても一代説を推したくなる。

 信長の若い頃の合戦一つ一つに至るまで詳細に何某が一番槍、何某が討死と書かれている点がいかにも戦場ルポの様だ。信長の全生涯が文庫・現代語訳にして500頁に収まるのだから当時の軍記がいかに無駄を排し、要点のみをまとめ上げた文章なのかがよくわかる。

 武将名の羅列に近い戦闘描写以外の信長の描写は生き生きしたエピソードが多い。虚偽を許さず手ずから処刑する信長や山中の乞食を憐れむ信長は現代語である文余計に近所のヤンキーを見るかのごとく感じられる。

 欧米の知識階層に比べ日本人は自らの文学を大事にしないと言われる。フランス人ならラブレーやモーパッサンを読んでいないことは考えられないそうだ(まあ文学好きの知識人としてはだろうが)。だから意外と他国の文学には無頓着なことが多いそう。それに対して日本人は他国文学はやたらと渉猟するくせに自国は顧みない不思議な国民と考えられているらしい。

 日本においては古典というとまず、いわゆる文学作品が筆頭に来て次いで歌や神話もの、と来る。良質なルポルタージュ、モノによっては山師の売り込み本としての軍記物ももう少し視野に入れてみてはどうだろうか。ガリア戦記のように武将自らが執筆したものが少ないのもあるのだろうが。



 


2014年01月07日
「河井継之助傳」 今泉鐸次郎
河井継之助というのは実に奇妙な人物である。商人的な目端の利く才覚の持ち主という点では、当時の武家階級では第一等の人物であったし、発想の飛躍ぶり、視野の広大さという点では維新の有名人数人分に匹敵する。その彼が自身と長岡武家階級に終止符を打つこととなった北越戦争でも、軍は劣勢ながらも奇抜な戦法で山形有朋の心胆を震えせしめたりもしている。これほどの傑物ではあるが、その思想について触れた著作は意外と少ない。

 河井継之助と言えばまず挙げるべきは司馬遼太郎の「峠」「英雄児」であろう。これらにより現在の河井継之助の知名、イメージが完成したといってもよい。その司馬が作品を記すに当たり参考としたのが本著「河井継之助傳」だ。

 分量もかなりあり、編纂年次が古いため読み進めるのは容易ではない。しかし河井のことをよく知る人たちの回想が主となっているため、河井についておよそ後人が知りうる史料のほとんどはこの本に収まっているとみていい。河井のみならず、久敬舎時代の河井の学友などについても触れられている。

 歴史小説を入り口として歴史上の人物に触れようとするとどうしても、史料を実際に読み解かねばならない壁にぶつかる段階が来る。織田信長ならば信長公記、日本史、信長記・太閤記…とあげれば限りない。他の有名人も大方そうであろう。しかし、河井に関しては本書にその大半が詰まっているため同時代人から見た河井を知りたければこの本で十分だ。これはある意味河井がこの本一冊にしか足跡を残せなかった「賊藩」の人間だったという、歴史は勝者によりつくられることを示す例でもある。






2013年12月18日
「だまってすわれば−観相師・水野南北一代」 神坂次郎
 観相学・骨相学は正規の学問としてはもはや絶滅したものである。精神能力は大脳の各部位に根差しており、大脳の発達程度は顔の骨格から推定できるという説が、人の顔貌・表情からその精神能力を判断しようとするこの学問の土台となっていた。この学問がきっかけで生理学・犯罪心理学が発達したが、この学問の理論自体は大雑把なものだったのですぐに廃れた。

 学問として言う「観相学・骨相学」は19世紀初頭のヨーロッパで体系化されたものを指す。しかし、洋の東西を問わず、同じことをしようとする動きは遥か昔からあった。19世紀の西洋のそれも半ば占術から出たようなものであったが、他の観相は占術とほぼ同一とみてもいい。

 本書で取り上げられている水野南北は「だまってすわればぴたりと当たる」と評判が高かった江戸期の観相師である。観相一筋に修行してきた人物ではなく、若い頃は博徒としてあぶれ者の生活を送っている。目端が利く人物だったのか、裏社会でそれなりの存在となっていた頃、転機が訪れる。「死相が出ておる」と行きずりの僧に言われ、彼は生活を改めねば死ぬと諭される。その言葉にびびった彼は心機一転足を洗い、いくらかの経緯を経て観相師を目指すのであった

 神坂次郎の著作を読むのは初めてだがとても面白かった。司馬と作風が異なるが史料も緻密に各所に配されており、その時代の雰囲気を様々な角度から感じることができた。

 南北の観相学はその実践性から彼の生前天下第一の隆盛を誇り、また彼の理論はある程度仏の存在を借りつつ、観相の域を出、「節食により運気は改善する」とまで広範に及んだ。彼の観相学の爆発的流行のもととなったのは何よりそれが「ぴたりと当たる」からなのだが、その神がかり的な才覚がどうやって身に付いたかが面白い。

 観相を極めるに当たり南北は「人を見ることを極めるのだ」と思い立って髪結い・風呂場・火葬場を転々とし、舐めるように人々の肢体を観察する。この実証精神が実り、南北のもとには自ら門下に入る観相師達が続出する。

 興味深いのは神通力を得たような南北であるが節食など彼の教えを守る以外の点では、そんなに聖人君子然としていない所だ。相変わらず女癖は悪く、妻にもすぐ逃げられる。なぜか自身の将来は占えないのだ。そこが実に興味深い。

 彼の「食」に対する洞察も面白い。食は命を養う根源であり、命は食に従うもの。この食によりその人間の生涯の吉凶は決まると南北は説く。美食を食めば食むほど、運気が削られるらしい。

 科学はその実証性と普遍性、演繹性から他の考え方を蹴散らし、現代人の理性の第一の背景となっている。しかし世の中には漢方やこの南北の観相理論のように多大な実証性・普遍性を持つ非「科学」も存在する。西洋の知識階級と話すときには占星術の概念をある程度頭に入れておいた方がいい、向こうの人間は宗教がない人間は認めない、といったことは聞くが、これら「非科学」と「科学」の違い、付き合い方を一度考えてみるのもいいかもしれない。何も世界を観測するという点では両者に変わりはないのだから。

水野南北 神坂次郎 観相学 節食







2013年12月15日
「ジョーカー・ゲーム」 柳広司
 ひとは読書するにあたり、自身の境遇とは全く異なる作品を好むらしい。巷にスパイ小説、探偵小説、ギャングものetc…があふれていることからも分かる。

 スパイを扱った小説・映画は大別すると2パターンになる。一つはジェームズ・ボンドに代表されるような華麗なハードボイルド(表現に矛盾があるが気にしない)タッチの作品だ。まあやたらと銃撃戦やハニートラップが展開されるもので、主人公はなぜかタキシードを着つつも戦線すれすれまで潜入したりする。情報戦に関する文献にあたったことがない人にとってはこの辺が「スパイ」のイメージであろう。

 もう一つは、リアルな写実を旨とするものだ。ジョン・ル・カレの「寒い国から帰ってきたスパイ」などである。ボンドシリーズの作者イアン・フレミングも含めサマセット・モーム、ジョン・ル・カレ、グレアム・グリーンなどイギリスのスパイ小説家の中には実際に情報業務に携わっていた者が多い。リアルな描写の作品には少なからず現実の情報が基となっているはずだからと各国の情報機関はそうした作品が出るたびに情報の「ウラ」をとるものだと聞いたことがある。この本「ジョーカー・ゲーム」は後者のタイプだ。

 「ジョーカー・ゲーム」は結城中佐率いるD機関の機関員が軍内部の謀略や外務省からの情報漏洩に妨害されつつも、他国のスパイを寝返らせたり、テロ計画を食い止める短編集である。舞台は戦前の日本である。

 構成が上手く、どんでん返しやトリックが巧緻なのですぐに読み切ってしまう。少しでも情報活動関連の歴史書を紐解いた人は分かるであろう。この短編集に入った話の大半は戦前の日本の情報活動史にある事件をモチーフとしていたり、現代も含め情報機関が採用しているテクニックがふんだんに散りばめられている。陸軍中野学校やゾルゲ事件などだ。

 史料との格闘が要求される小説家の偉大なところは、ただ資料を読むだけでは観察者→史料上の出来事という一方向的・二次元的な解釈しか往々にしてできない所を、誰にでも容易に史料上の人物の立場からの三次元的考察・追体験ができるようにしてしまう点である。戦前の情報活動やについて手っ取り早くイメージが欲しければこの本を読むことだ。

スパイ 中野学校 柳広司 情報機関












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