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2014年01月09日
「鬼」 吉川英治
吉川英治の作品における悪人というのはどこかしら愛嬌がある。司馬の、ひたすら彼の思想にそぐわないものを断罪するかのような作風と異なり、なにかしら悪人をも温かいまなざしで見つめたものが多い。そんな吉川による、ある男の執念の物語である。

 町人から金を借り上げ逐電した福原主水を討てという君命に従わず、彼を見逃したために与右衛門は家中の「穀つぶし」とされ、笑いものになっていた。屈辱に耐えながら「何か御奉公したい」と思い続けていた与右衛門は、領内の貧困の大元である岩木川の氾濫を食い止めるために、治水を行おうとする。始めのうちは家中の同僚らも、農民たちも彼の計画を認めようとはしなかった。与右衛門の計画は金を浪費するばかりだと武士たちは非難し、農民たちは動員令を呪った。与右衛門の計画への出費によりもとより何もない津軽藩はますます困窮し、事態打開のため、彼を闇討ちするものさえ出る始末であった。そして少しでも成果が出たかと思われるとすぐに、氾濫で台無しになってしまう…。

 与右衛門と領民の苦労の末、治水に成功するまでを描くのだが、治水成功までに長い年月を要したため、短編であるにも関わらず数多くのドラマが展開される。

 題名の「鬼」についても、与右衛門が「鬼」となるのを決心する場面がある。

(俺は能なしだ、米喰い虫にちがいなかった、せめてこれくらいな事を仕遂げねば)

(幕府の御制度の中にある藩地である。藩の制度の下にある経済である。お上には、どんなご失費も滞渋ができぬように、下の者も、どんな事をしても、苛税に骨を削らなければならぬ。下ほどそれは辛くなる。出ないものを絞り出す苦悩なのだ−ところで、そういうお上と下のあいだに立っているのは誰だ?武士というもの達だ−この際、武士のすることは何か?)

(打開と云っても、御制度の中での打開だ。津軽領以外へ何の策も施す途はない。自己の持つ土の上に打開を求めるほかないではないか。−また武士は、自己の為すことを、自己の分の中から、今こそ求め探して、奉公にさし出す時ではないか。−元和、寛永の武士道をそのまま習慣にして、刀にかけてものをいうだけが士道だと心得ている時機ではなかろうが)

(世の中は、生きてゆく。殖えてゆく、進んでゆく。粗衣粗食の御節約も結構だが、絶対に、消極策というものは、どんな飢饉の地でも適合しない。つまりこの世の中というものの本質に適合しない)

(鬼になれ。−鬼になってやらねば出来ない!)

 始め与右衛門を突き動かしていたものは面子であり、承認欲求であり、あるいは百姓への憐みであったろう。しかし、鬼と化してからの与右衛門はそれら一切を振り払い、ただ治水の指揮に邁進する。最期に与右衛門が鞭を振るった相手といい、行政官のあるべき姿を描いたものといえよう。

 執念というキーワードで「恩讐の彼方に」や「五重塔」と比較してみるのも面白いかもしれない。







 

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