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2019年12月31日

「歯車として見られている」的な被害妄想が止まらない

自分自身が気になっていることだからか

やたらと「結婚しろ」「子どもを生め」みたいな
空気を感じてムッとします( ̄。 ̄;)

そんなの人の自由じゃんか……

などと言っていられないほど
未来がやばいのかもしれませんが
だったら自殺する人が多いことについて
もっと考えた方が良いのでは

死にたくなるような世界なのがいけない
死にたくなるような世界で
もっと人を増やそうという発想が変です

人を増やすことよりまず
「住みたくなるような世界」にすることを
考えた方が良いのではないかと

価値観否定されるように感じたり
選択肢に自由がないように感じたり
とにかく時間も余裕もなかったり
お金を増やすのが難しかったり

得意なことを生かす方法もなく
苦手なことばかりに囲まれたり

そもそも得意なことを見つけられなかったり
一人一人の個性を見ようともしていなかったり
一体どこへ向かっているんだか
何がしたくて何に価値があるんだか
幸せってどこにあるんだか

改善点いろいろ

快適なら生き物は
ああしろこうしろなどと言われなくても増える気がします

子どもが欲しい方は多いと思います
でも現状が厳しい部分も多いと思います
そこがなんとかなれば良いわけで
望んでもいない人に望んでもいないことを
押し付けるような言い方は本当にムッとします(ー_ー*)

まぁ「なんとかすれば良い」なんて言うのは簡単だけど
実際どうするの何かできるのって話ですが

じゃあ

ああだこうだと言ったってどうせ解決しないなら
「結婚しろ」「子どもを生め」という言葉もいらないですよね

あーあ

被害妄想が止まらないな(>_<*)







posted by 四月一日 at 20:20| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

2019年12月30日

ツギクルとアルファポリスに登録してみました

この間、ブログや小説を登録できるサイト
「ツギクル」と「アルファポリス」にこのブログを登録してみました!

ツギクルバナー



早速バナーを、ブログのサイドバーに設置しようとしたのですが……
タブレット端末を使っているからか……設置の仕方が分かりません。
なのでこうしてブログに貼り付けて投稿してみることにしました。

他にも自分の作品をツギクルとアルファポリスに登録してあります。
作品にバナーを貼ることでランキングに参加できるようなので
今後どうなっていくのか楽しみです。

もしかしたら記事に貼り付けるやり方は間違いかもしれませんが……
これでランキングに載ってくれたら嬉しいです。

ということで今回は、ランキングサイト(?)
ツギクルとアルファポリスに関する投稿でした。

2019年12月29日

平和を願うなら、平和をやめなきゃいけない?

いきなりですが、平和って良い響きですよね。
私は平和大好きです。いつも世界平和を願っています。


何が「平和」かは人によって違うでしょうが、私は、
競争やしんどさ・つらさや偏見、高いハードルや試練のない、
みんながほのぼの仲良く暮らす世界を思い浮かべます。

生き物も植物も、妖怪も宇宙人もUMAも精霊も幽霊も
なんでもおいで、みたいな。


でも競争がないことは進化・進歩を放棄しているのかもしれないし
それを「平和」と呼んで良いのか、正しいかどうかは分かりませんね。
それでもみんなでラクラク生きたいです。競争や発展はほどほどにして。
……やりたい人だけやるとか。


時には退化でも良いんじゃない?
もしかしたら、何か置いてけぼりにしてきたかもしれないから
後戻りしたらなくしもの見つかるかもよ。と思っているくらいです。


私は好きなことをしたいです。
自分も好きなことして、
誰もが好きなことをしていてほしいです。

のんびりと、ゆっくりと。

そのために平和を願っています。
なんかちょっと卑怯ですが(汗


で、平和を願うなら平和に暮らすので合っているかと思うのですが
平和を願うならもっと具体的な行動を起こすべき、
自分の間違った行動を正すべき、
頑張るべきって意見もあるかもしれません。


「正義の味方」が平和のために戦う話とかもありますね。

平和を愛するのに戦ったら矛盾しているんじゃない?
戦ったら本末転倒で、平和を愛してはいないんじゃない?
とも思いますが、できることから行動を起こしている姿はすごいです。


平和を願うのだから平和にのんびり暮らしたいけれど、
本気で平和を願う人は、全力でボランティアに向かうかもしれません。
十年後、百年後の「世界平和」に貢献するために。


でも全力で平和のために尽くしたら、
自分の一生は平和じゃなくなるかもしれませんね。
動物や自然や世界の子どもたちを助けるために、
大きな闇を見ることになるかもしれません。


私は一時、動物たちの現状が気になって調べたのですが、
虐待や動物業界の闇など、
動画や画像や文章だけで完全に打ちのめされてしまいました。
怖くて、現実的な行動に移せそうもありません。
現状を変えようというところにまで目が向きません。

そもそも自分は気が利かず、何でも忘れ、
同じミスを繰り返して怒られるようなレベルの人間なので
命を背負える度胸がありません。


なので世界平和を願いつつ、まったり平和に暮らしたいです。
いじめも競争もストレスもなくなっていくように。

しかしそれで平和を目指していると言えるんだかどうだか……。

平和を願うのに平和に向けての行動をせず、
平和に暮らしていることは矛盾していて。
難しいですね。


結局平和を願うと言いつつ行動しないのは
「自分さえ良ければいい」の究極系なのかもしれません。

偽善者と呼ばれたらショックだけれど、
偽善者と呼ばれてもしょうがないかも。







posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年12月28日

自然こそ正義、の幻想

自分は小さい頃、なんとなく
「動物たちはみんな仲良しなのだ」と思っていました。

そして最近まで、
「自然界は無駄な殺しや争いはしない。
 自然からはずれた生き方をしてしまうのは人間だけだ」
などと、イメージの中で動植物を見ていたかもしれません。

ちゃんと実物を見てもいないのに、
随分とイメージだけで物を見ていました。
ほとんど先入観でばかり見て、そこを越えずに。


動物も「いじめ」ととれる行動はするそうですね。
また、他の動物がとった食べ物を盗んだり、
巣穴を横取りすることもあるそうです。
強い子どもをひいきすることもあれば、
縄張り争いや、ボスの座をかけての争い、
異性を巡っての争いも。

それを知っていったとき、
「なんだ、みんな人間じゃん……」と思いました。


また、動物は、種類によっては
仲間の死を悼んだり、
命がけで我が子や仲間を助けたりもするそうです。
動物が他の動物に優しくすることも、たくさん。

生存本能だけでそこにいるわけじゃなく、
何か広い世界のことを考えている。見ている。知っている。
そこも人間らしいですね。


人間(というより私)は
人間以外のことを知らなさすぎ……かもしれません。
動物たちは思ったより人間で、
人間は思ったより動物かもしれません。

人間はテクノロジーを使っていても、
その使い道や発想は結構動物かも。


そして動物たちも、もしテクノロジーを使うことができるなら、
人間と同じ道を選んだかもしれません。
病気や事故をなくすため。
そして領土や資源を取り合うため……。


でも今私が知っていることも、
やはり知識やイメージであり、
自分で見たものではありません。
自分が感じたことも、正しいとは限りません。

なんとなくイメージで見るばかりでは偏見も生まれていくから……

なかなかできないけれど、
もっとちゃんと見なきゃダメですね。











posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年12月27日

ささやかな交流

以前、よく晩御飯を食べに通っていたチェーン店がありました。
(結構人気で、いつも賑わっています。)
そしてレジでお支払いするとき、よく会う店員のお姉さんがいました。

そのお姉さんがある日、お会計のときに話しかけてくださりました。
「髪、切ったんですか?」といった感じで。


よく会う方のことって
なんだか勝手に親しみを持ってしまったりするのですが、
店員さんが話しかけてくださったとき
「まさか相手の方まで同じように思ってくださっているなんて!」
って、すごく嬉しかったです(>∀<*)

嬉しかったのが伝わっていると良いのですが(ノ∀`*)


あと、よく行くパン屋さんがあるのですが
そこの店員さんの接客がいつも優しくて丁寧で
お話しすると癒されます。
お話といっても、普通にパンを買うだけなのですが(*´ω`*)


こういうささやかな交流ってなんか良いですね〜。


人って、「深く付き合ってみないと分からない」とか言うし、
それは深い関係になると見える面や出すものが
変わることがあるからだと思うのですが

でも逆に、深い関係になればその人のことが全部分かるかというと
そうとも限らないと思うんですよね〜。

深い関係になったときに見えるものも
そうでないときに見えるものも
その人の「一面」……というか。


私たちは地球の上に立っていますが、
地球が平らなのか丸いのかすら、ここからは確認できませんよね。
地球から離れないと知れない「地球」の姿もあるわけで
遠ざかった方が見えることも、きっとあるんだろうと思います。


だから、ほんの少しだけ、一瞬見ただけのことも
私からしか見えない側面を見ているのであり
近い関係と同じくらい大事なんだろうなと思います。

それにこちらから何が見えるとか見えないとか関係なく、
すべての人は尊い、はずですね(*>v<)


ちょっと話がそれるかもしれないですが
お祭りとか花火大会とかイベントとか、
参加するのではなく遠くからチラッと見かけたときも
そんな気分になりますね。

「何をやっているんだろう。楽しそうだなぁ」って、
遠くから想像するのが面白いというか……。


好きなことを仕事にするか趣味にするか、なんて話も
好きなこととの距離感とか、関係の深さの話ですかね。


顕微鏡を覗けばプランクトンが見える。
望遠鏡を覗けば星が見られる。

どこから見ても、どこを見ても、
それが貴重だとか、価値や意味があるとか感じても感じなくても
「無条件に、全部、すごい!」んですね。

本当は。





posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年12月26日

誰もがきっと少数派

虫に愛着(?)を感じたり、
ある一種類の虫が気になり始めた人は最初
「この虫を好きになってしまった人間なんて自分だけだろうな……」
「自分、変人かも」と思うようで
それっぽいニュアンスの文章をネットで見ることがたくさんあります。
しかし実際には、いろんな虫のファンがいますね。


誰もがそれぞれ少数派である一面を持っていて、
すべての面で少数派でない人なんていないのかもしれませんね。
でも大勢から否定されることって怖いし、
世間一般的に否定されがちな趣味ほど慎重になると思うので……
みんな結構、何か深い趣味や持論を隠し持っているかもしれません。


人々から、隠された深い面を引き出すためには……
「とにかく何をも否定しない、完全肯定系話術」を
身につけるのが良さそうですね!
普通に話しているだけでも結構、意図的にあるいは無意識に
何かを否定してしまうもんなので……( ̄― ̄*)


「この人は絶対に何をも否定しない」と信頼されるような人間になれば
普通じゃ知り得なかったたくさんの世界を、
見せていただくことができるかもしれません。


完全肯定系話術を身につけるには、まず
ささいなことで動揺しない視野の広さと懐の深さが必要ですね。
しかし、うーん、今の段階では私情(?)に左右されないことは
すごく難しそうです……(;¬_¬)


でもどんどん差別や偏見がなくなって、
未来の人間たちが全肯定な会話ばかりしていたら面白いですね(*´▽`*)
最初から誰もがストレスやわだかまりを抱えない世界であれば、
ほとんどの問題は解決するかも。







posted by 四月一日 at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年12月25日

手が届きそうだったことじゃないと後悔できない

私は壮大なファンタジーが好きで
空想遊びも好きなのですが

「後悔」の場合、入り込める範囲でないとできないです。
現実味がなさすぎる『後悔』はできません。


たとえば、
スーパーのガラポン大会に並ぼうとした時。

となりから同じタイミングで人が来たから、
反射的に「お先にどうぞ」と先を譲って
自分がその人の後ろに並んだとします。
そしたら前の人が、自分が狙っていた大当たりの物を当てたとします。

もし、こんなことがあったら……

私なら、
「あー! あの時、自分がサッと前に行けば良かったー!」
と、しばらくウジウジするかもしれません。


他にも、「あの時、ああしていなければ……」
などと思うようなことは色々。

そんなこと考えたところで運命が変わるわけでもないし、
他の、やらなければ後悔したかもしれないことを
今の自分がちゃんとできていることだって多くあるんでしょうが
それでも「あとちょっとで手が届きそうだった!」ってことは
性懲りもなく、後悔してしまいます。


でも、手が届きそうもない発想だったらのめり込めないんですよね〜。


ガラポン大会で目の前の人が当たった時に

「そもそも私がもっと大金持ちだったら、
 今、まったく違うことをしていただろうし、
 今狙っていた大型テレビや旅行よりも、
 もっとすごいものを手に入れていたかもしれない。

 毎日楽しいことをし、
 悩みも苦しみもなく暮らしていたかもしれない。
 あー、もっと豊かになりかった。」

とは、あまり思いません。


「あとちょっとだったのに……!」と思うとき、
「あとちょっと」意外の可能性は頭から消えています。


「あと少しで、10万円手に入るところだったのに!」
などというシチュエーションがあれば、
その後しばらく考えるのは逃した10万円のことであり、
1000万円や1億円のことではありません。

お店のクーポンの期限が切れているのを見て
「あー! 昨日あの店に行ったのに! クーポン使えば良かったー!」
と思うとき、
頭に浮かぶのは「自分が億万長者だったら」という話ではありません。


あと少しで手に入ったもののことを考えても、壮大な空想をしても、
今の自分には手が届かないということにおいては一緒だし、
規模が違うだけで、突拍子もない空想と後悔は同じものなんですけどね〜。

同じように手が届かない妄想をするにしても、
のめり込める領域を、自分で設定して、選んでいますね。


でも、どうせ何考えても結果が変わらないんだったら、
ぶっ飛んだこと考えて遊びたいですね。

10万円を逃していてもいなくても、
10万円より1000万円や1億円を追いかけたいものです。

でも10万円をバカにしたら10万円に泣くことになりそうなので
「感謝を持ちつつビッグスケールを目指す」ことをやりたいですね!









posted by 四月一日 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年12月24日

空想遊び

もしかしたら今いるこの世界って

誰かの想像の世界、誰かの頭の中の世界かもしれませんね。


時々創作ファンタジーを見て
「この作者さん、なんてリアルでしっかりした設定をするんだろう!
 まるで本当にこんな世界があって、
 作者さん自身の目で見てきたかのようだ」
と思うことがありますが

実はそういった別世界の方が本物で、
こっちの世界が偽物かもしれません。


「最近やけに月日が流れるのが『早い』なぁ」と感じるのですが
それも……

私は一体何に比べて、早いと思っているんでしょう。


本当に地球の、この世界の、人間としての生しか知らなかったら
「月日の経つのが早い」などと感じない気がします。


もしかしたら私たちは
ここ以外の時間の流れ、ここ以外の世界を知っていて
みんな多かれ少なかれ、自分の今の立場や年齢、地球の世界観に
違和感を覚えているのかもしれません。


今ある世界。今ある状況。
全部本物って言い切れる証拠はないかもしれませんね。


……なーんて。









posted by 四月一日 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年12月23日

ボギャブラリーを増やそうとしたけど

何かすごいものを見ても、
「すごい」「綺麗」「素敵」とかしか言葉が出てこなくて、
もうちょっと色んな言葉を使って表現したいな〜と前から思っていました。

せっかくなので新しい言葉でも覚えてみようかと、
目にした言葉を検索したりしていたのですが

よく考えたら、ありふれた言葉を使った方が無難なんですよね〜(ー_ー;)

いや、ここで無難って言葉を使うとちょっと感じ悪いですが;


「それ、素敵だね!」って素直に言われたら
嬉しくて、「ありがとう (*^-^*)!」と言いたくなるところを

無駄に難しい言い回しを使われると

「……ん (;¬_¬)?」
「なんか大袈裟で嫌みに聞こえるぞ」
「言い方に含みがあるような」
「っていうかそもそも何言ってんのか分からない」

となるような(°д°;)


「無理して慣れない言葉なんか使わずに、
 素直に『すごい〜』とか『素敵!』とか
 表現した方が良いかも……」と感じて

ボギャブラリー増やす計画を諦めかけている今日この頃です(´▽`;)


でも、思ったことを的確に、心から、
いろんな言葉を使って言えたらいいんですけどね〜。





posted by 四月一日 at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年12月22日

アートだと言い張ればそれはアート

どうせなら人生好きなことをするべきだ、って聞くけれど
「好きなこと」って、黄金色に輝いていて
見つけたとたん「これだーっ!!」って分かるようなものなんですかねー?
あるいは、それをやったとたん、幸せが心の内から溢れ出してくるとか?

だとすると私はまだ、好きなものを見つけていないです……。


自分の好きなことは、絵や文章をかくことですが
それをやっていると、余計な不安がいっぱい出てきます。
嬉しい、楽しい。でも不安。
揺れたり戸惑ったり疑心暗鬼になったり、ネガティブ全開です。
これ、本当に好きなことって言えるんですかね〜( ̄― ̄*)


自分で絵や文をかいて人に見てもらったとき
「……あ、あぁー……( ̄。 ̄;) (分かるような分からんような)」とか
「ちょっと気持ち悪い」とかいう反応をされたこともあり、
だいぶ傷つきました。
勝手に見せておいて傷つく、めんどくさい人です。


そして

新聞に載っていた綺麗な写真を見つけて
切り取って飾ったら、まわりの人から
「おおーっ! なにこれ、どうしたの?」と感動されたり
ドーナツを買って配ったら
「うわーっ、ありがとう!」と喜んでくれたりする……
そういう「いいこと」にさえ傷つきました。
他の人の作品の方が素晴らしいってことですね……。


なんていうか……
綺麗な写真を見つけたり、
ドーナツ買ってきたりするのは私じゃなくてもできますが
私の絵と文章は、私じゃなきゃかけないはず。

でも世界では私の表現なんかよりも、
生きるのに役立つものとか、必要なものとか、面白いものとか、
価値のあるものがたくさんある。
結局私がやって本当に喜ばれることは、
私じゃない誰かのものを受け渡す歯車になることなんじゃないかと。


自分なんて本当は必要ない。
「自分のやりたいこと」が認められるのは、才能のある人だけ。

「好きこそものの上手なれ」とか言いますが、
私より後に絵を描き始めた人が
メキメキと上達していくのを目の当たりにして、
「やっぱり自分なんてダメだ」って、
沈んだ気持ちになったこともあります。


けど……

こんなに不安で、自分のことしか見ていないようでは
まだ「好きこそものの上手なれ」が発動していないかもしれないですね。

人のやり方にばかり気を取られて、
自分の本当の作風を、極めていないのかもしれません。


年々不安が大きくなるけれど、
自分が小中学生のとき描いていたマンガの世界には、
どっぷり浸って、アイデアが沸いて、描かずにはいられませんでした。
人に見せてもこちらの「ツボ」は伝わらなかったけど。

もっと、人じゃなく自分を喜ばせることを
極めても良いのかもしれません。

自分にさえ、分かれば。自分だけ面白ければいい。


そんな自己満足に走っていて良いのか分かりませんが、
どうせどう考えたってどう納得したって、
自己満足でしかないかもしれません。

どうせなら少し視点を変えて、
好きなようにした方が良い気もします。

自分だって人だって、同じ人間という生き物です。
人間の性格や思考はいくつかのパターンに分かれていて、
自分と似た感性の人もたくさんいるかもしれません。
それなら、自分が面白いと思う世界を100%に近づけていけば
それを同じように面白く感じてくれる人が
意外と多くいるのではないでしょうか。


今では認められている偉大なアーティストも、
最初は「理解しがたい」とか「なにこのガラクタ」とか
言われたこともあったでしょう。
それでも続けずにはいられなかったんだと思います。


もちろんやり方は人それぞれなので、
人の意見を多く取り入れるタイプの人もいるでしょうが
何をどうやっても、絶対反対意見は出ると思います。

人生で一度も反対意見を言われたことがない人なんていないだろうし、
「これからはこのスタイルでいこう!」って決めたって
絶対何か言われるはず。


それでも続けてしまったことが、「好き」なのかも。

「こういう出来事があって、才能ないって分かったんだよね」
って話はよく聞くけれど、そんなとき諦めきれないことが
才能なのかもしれません。


どんなガラクタでも変でも凡人でも何でも
心を込めたものは「アート」に違いない。

そう信じて認められたとき、
「これはアートだ」って胸張って言えたとき、
すべてがアートになりますね。











posted by 四月一日 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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