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2019年11月09日

売り文句に弱い

「これを言われると断れない」など、
妙に気になってしまう言葉ってありませんか?


私はどうも、「あなただけの」みたいな
特別感を煽る(?)言葉に弱いです。


「あなたしかいない」とか言われたらコロッと騙されそうでまずいです。
……多かれ少なかれみんな、そんな言葉ってありますかね?


私は以前から「自分も天才だったら良かったのに……」なんて
甘いこと考えることがわりと多くありました。
すると甘い響きの言葉に弱くなるんですね〜。


今でも「特別感」は好きです。
でも本当は、誰か一人だけがすごいとか、
生き物なんかでも「これは珍しい種」「これは知能が高い」などと
一部の者だけを特別扱いするんじゃなく
「みんな特別」であってほしいと思います。


そんな世界を願うためにも、大事なのはまず
自分の煩悩と向き合うことですね!


口では綺麗事を言えても、感情は正直で
まだ、「誰かに勝って特別になりたい」みたいな意識が
見え隠れします。


勝ちたい意欲は悪いことじゃないし
本気で勝ちに行けるならそれでも良いのですが
もしも「それ以外に方法は無いんだろうか?」
「勝ち負けで決めたくない」と思ったら
一回クリアーした方がいいかも、ですね〜。


「恋に恋している」じゃないけれど、
本気でそう信じているわけでもないのに
言葉のイメージで思い込んでいることなんかも結構ありそうです。


とにかく言葉の魔力には気をつけて、
言葉が持つイメージや響きだけに囚われないようにしたいです!


言葉の響きに酔ったときの勢いって、大抵
一時的なものですからねー……。
(その場の空気・雰囲気に流される場合も。)


「あの時酔っていたな」と気付くのは後になってからですね(^ー^;)







posted by 四月一日 at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年11月08日

生物のスピリチュアルメッセージって……。

この間、一日のうちに二回カメムシに会ったのですが
(ちなみにクサギカメムシでした。)

「このカメムシにも意味とか付いているんだろうか?」と思い
「カメムシ スピリチュアルメッセージ」でウェブ検索してみました。


するとカメムシは「深刻さ」の象徴と出ました。

深刻……。
そんな深刻なメッセージには見えませんでしたが(°ー°;)


カメムシさんって、探せばいつでも1〜2匹は見つかる印象だし
たくさん現れる季節もあると思うのですが
たくさんいるってことは超深刻なんですかね!?
そして、深刻じゃなくなったらカメムシはいなくなるんでしょうか。

だとしたらカメムシに出会わない状態が精神的にベストでしょうか。
カメムシはしょっちゅう見るんだから、そんな意味にしなくても……。


生き物をイメージで見ているだけでは?
と思っちゃいます(°▽°;)

いるもんはいる、いないもんはいない。
虫は私たちと同じ世界で生きているのだし
いつ現れてもおかしくないと思うのですが。
(探せばどの虫もまんべんなく見つかりますしね。)


あと、神(的などなたか)が生物を使って
人間にメッセージを贈るというのは……?
神にとっては生き物も人も同じではないのでしょうか……?

だとすると人間も、生き物たちにとって何らかの象徴であったり
神からのメッセージを生き物たちに伝達していたりするのでしょうか。


このスピリチュアルメッセージ系……。
どう受け取ったら良いのかまだよく分かりません( ̄▽ ̄;)


自分が実際に虫たち本人(本虫?)から
感じるイメージを大切にすればいいのか
調べて出てきた情報を参考にするのが良いのか……。


すべてのことに意味があるとはいえ、
変に誤解したりしたら大変ですよね!

例えば黒猫は不吉とか、
「朝蜘蛛は殺すな、夜蜘蛛は殺せ」とか……。

「本当にそう?」って感じですね〜。


意味を誤解して
差別や偏見を持ってしまったら危ない気がします(o□o;)
身構えたり、ある種の特別扱いをするとかも……。



……って文句言うなら調べなければ良いんですよね!

すみません m(_ _;)m


確かに思考回路が重くて深刻な傾向にありますw




posted by 四月一日 at 17:17| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

2019年11月07日

もし「本当の理解」などどこにもなくたって

テレビとかでいろんな出来事を見ていて
時々、「あっちの人とこっちの人の感じていること、ちょっと違うかも」
って思いますね!

実際にあった出来事の再現VTRに出てくる人と、ご本人と、
ちょっと言い方とか雰囲気とか違ったりとか。
(当たり前?)

登場したご夫婦の方、仲良しだけれどそれぞれの認識が
ちょっとずれているみたい? とか。


……って人様のこと好き放題言って失礼ですね〜。

でも人のことは自分のことより見えやすいもの。


そしてこれも、思い込みですね。
実際に「分かった」か「分からなかったか」なんて……
本当の気持ちはそれぞれご本人にしか分かりません(ノ∀`;)


何かに対してどなたかから「その気持ち、分かるよ!」と言われても
「うーん、ちょっと違うかも……?」ってなることもあれば
こちらが「こうだよね!」と言ったことに
「そうじゃない」と言われることもあります(・_・;)

「そうなの!! よく分かったね!」と言われても、
ちょっとそれぞれ解釈違うかなーってこともある気がします。


以前あるトラブルで警察にお世話になったんですが、
こちらが説明力ないせいで、あんまり伝わっていないなと感じました。
そしてそのまま話は進みました。

そのままにしといたらいけなかったかもしれませんが……。
細かく説明しようとすればするほど、伝わらないもんかもしれませんね〜。


そんなこんなで、
今実際に生きている人、向き合った人の気持ちも
そんなに理解できていないなぁと思います。


だから歴史の話とか、他の国との間にあるゴタゴタとか
正直、誰の言い分が正しいのか分かりません。


年表とか、「◯◯の乱」「◯◯戦争」とかの記録は
正しいのだと思いますが
双方が何考えていたかって、もう……。分かりませんよね。
実際に当事者さんに、聞いてみないと。

そしてもしも聞けても分からないかもしれません。
Aさんはああ言う、Bさんはこう言う、そんな感じで……。


みんなの言い分から本当の状況が分かる人とかおられたら、
天才だと思います(oДo;)


「だいたい意識的でも無意識でも、
 人って自分の都合の良いように解釈して、
 そのように話してしまうよね。」

って話を聞いたことがありますが
きっとそうだろうなーと思います。



ネットで見かける「禁止事項」とか「利用規約」とかって、
感情が入っていなくて機械的というかシステムっぽいですよね。
システムって人が創り出したものでありながら、
自分には時々「人じゃない何か」みたいに感じられます。

けどそこにも、どなたかの「思惑」は入っていますね。
テレビでも音楽でも本でもネット上の情報でも、全部。


事実は事実、情報は情報として掲載されますが
誰の意図も思惑も入らない、純粋な情報って多分ないです。

意図や思惑、なにかしらの感情を持たなければそもそも
「伝えよう」ってならないですもんね。


以前はニュースとか聞いた話とか全部、
「その人がおっしゃった通りのニュアンスで受け取る」
ように努めていたのですが、
今頃ちょっと反抗期です(´▽`;)

「本当にそう??」って……。


しかし、本当に大事なことって
「合っているか、間違っているか」じゃないかもですね。

こんなふうにグダグダ言って、
「どうせ分かるわけないんだから」と
何かを知ろうとも分かろうともしない人間より

何かを好きになったり信じたりして、
自分の感覚を使って相手の立場に立って
精一杯「理解しよう」と努める人の方が
100倍素敵だと思います(*´ω`*)


実際に理解できたかどうか、
そんなこと正確には分かりませんが
人や出来事、誰かの立場などを理解しようとする姿勢、
歩み寄る気持ちが尊いんでしょうね〜。



正直以前は歴史モノとか見ても、
「今のことさえ分からないのに昔のことなんて今更分かるわけないじゃん」
って思っていたし

誰かがある作品で善良な人として描かれていても、
別の作品ではまったく違う描かれ方をしていたりするのを見て

「結局全員悪い人だったに決まっているでしょ、
 そんな良い人なんてそもそもいないって」などと思っていたのですが


昔のことに思いを馳せて
想像する人、分かろうとする人ってすごいですね。


ひょっとしたら、「こうだったのかもしれない」と
フッと思ったことは本当に……

時空を超えて、「ご本人」から届いた声かもしれません。





posted by 四月一日 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年11月06日

「下げる言葉」ばっかり放っているかも Σ(・ω・;|||

気分の上がる言葉、下がる言葉ってありますよね〜。

ワクワクしたとき、やる気になったとき、
追い風になってくれるようなものを見るとテンションが上がりますね!


でも、直接的でも間接的でも
あるいは、たまたま見かけた何かでも
気分の下がるものってありますね〜。
「そんなこと言われたからなんか迷ってしまった……」とか
落ち込むとか やる気失せるとか……。


完全に否定系の言葉もあれば
一見否定じゃないけどなんか気持ちを削がれる言葉も。



……最近、
「自分の考えって誰かに悪影響を与えるものかな?」って
気になっています。


否定ばかりしていると可能性が狭まるので
これでも否定系は控えているつもりですが

言わなくても、思っていることって
雰囲気として出てしまいますよね〜。


無意識に、「下げる言葉」ばかり放っているかも……。
気を付けたいです(ー_ー;)


でも言いたいことはある程度言わないと気が済まないし、
言われて 上がる言葉・下がる言葉は人それぞれで、
自分にとって必要な言葉・必要ない言葉ってのもそれぞれですね……。
多分……。


反省はしつつ、しばらくこのまま様子見です……(^ー^;)



今ちょっと、「エナジーバンパイア」でウェブ検索してきたのですが
耳が痛いというかドキッとするというか
「うわー……(ノД`;)」って感じです。


べ、勉強してきます(汗







posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年11月05日

「名は体を表す」「袖振り合うも多生の縁」

朝、テレビ番組のエンドロールを見ながら
「映画やゲームのエンドロールに名前が載ったら嬉しいだろうなー」
とちょっと想像しました(*´ω`*)

考えてみれば「名前」って文字の組み合わせですが
そこに、名前を付けた人や
名前を受け取った人の思いがこもったりして
意味とか「人生」が入ってくるんだから不思議ですね。


有名な方の名前とか……。
誰かの「名前」を目にしただけで、
「ああ、あの人ね」と思い浮かぶものがありますね。

エンドロールで並んでいる名前とか
学校の卒業アルバムに並んでいる名前とか
自分が属した団体で渡された名簿とか

すべての「名前」の意味は知れないけれど
その人たちみんな、一人一人名前というドラマを持った
「人間」なんですよねー。


よく知らないまますれ違って別れて……。

自分にとってあまり関わりのない方って
背景と共に記憶から抜けていく感じですが、
一瞬一緒にいただけの人とも、何かを交わしていそうですね。







posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年11月04日

「積ん読」を繰り返してしまう理由が分かったかも?

以前のブログで、
「積ん読」を繰り返してしまう話を書きました。
気になるあれこれ、今日もいっちょ積ん読?

今回はその話の続き(?)です。


最近買いたい漫画を見つけたのですが
もう本棚がいっぱいなので、整理することにしました。
どれを残すか悩んだけれど、いくつか読み終わった漫画を手放して
まだ完結していない漫画も読み続けるのをやめて売ることにしました。

何巻くらいまで続くかは、ド素人の私には分からないのですが、
読む作品を増やすということは
漫画を揃えられるスペースを空けておかなくては
いけないということなんですね……。
あんまり、気になった漫画を何でもかんでも買っちゃダメですね。


もっと本を増やすスペースがあれば、
全部手元に置いておけるのになぁ……
そんなことを思いつつ整理をしていたとき、
「積ん読」が目に入って
「これ読んでいないけどどうしよう……」と困りました。

読んでいない本を売っちゃダメな気がしますが、
かつて読もうと思って買った本を読めずに
売ってしまったことがあります。


なぜ私はこんな効率の悪い行動を繰り返してしまうんでしょう……。
本は売ることができるといったって、買うときの方が高いんだから
本気で読みたいわけでもない本を
何度も売ったり買ったりしない方が良いですよね……。

最初は本当に読みたくて買ったけれど、
読んでいる途中で合わないと感じた場合は別ですが。


なぜ積ん読を繰り返してしまうのか
考えてみると、本屋さんで本を読んでいる時と
家に持ち帰って読んでいるときでは
本から受け取るイメージが変わることに気づきました。

家で本を読むと、本の内容のみに集中するため
あんまり「思い出」にはなっていないのですが、
外出先の本屋さん(特に遠くてあまり行かない場所)で読むと
なんだかそれが思い出になっているんです。

流れてくるBGM……。並ぶ本たち……。行き交う人々……。
書店の「空気感」があるわけですね。
そしてそこに向かうまでの道のりでの出来事とか
気分(外出したときのワクワク感とか)もプラスされます。


今まで、読書ってのは本の内容を見ているのだから
どこで読もうと一緒だと思っていたのですが、
思い返してみるとその場の「空気」も重要ですね。
もしかしたら私は、本屋さんにいる本好きの熱意に釣られて
つい本を手にとってしまうのかもしれません(笑)


本以外の物もそうですよね〜。
お祭りやイベント、テーマパークでは何か買いたくなります。
同じものを近所のコンビニで売っていても手を出さないかもしれませんが
外出したのに何も買わずに帰るとなんだか寂しいです。
お土産が欲しくなるんですね。


ということで自分が「積ん読」してしまうのは
雰囲気に飲まれて(?)本を持って帰るからだと分かりました。
買う前に一旦、家でその本を読んでいる自分をイメージしてみると
良いかもしれませんね。

本を置けるスペースは(うちでは)限られているのだし、
つい何でも買ってしまうのはやめて、
本当に心に残る本を丁寧に選んでいこうと思いました。


しかしこの結論には、
「気になるあれこれ、今日もいっちょ積ん読?」
でも既にたどり着いていたような……。



posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年11月03日

小学校で流行った「ねりけし」

私が小学生の頃、
練り消しゴム(ねりけし・ねりゴム)が流行っていました。



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香りつきで柔らかく、引っ張るともちのように
ビヨーンと伸びるものです。
男子も女子も持っていた気がします。

最近でもハンドスピナーとか流行りましたが
時々そういう、シンプルなものが流行ることがありますね。
冷静に考えるとねりけしって伸ばしたりこねたりするだけだし
そこまで面白いかどうか分からないのですが
みんな持っていると欲しくてたまらなくなります。
流行って多分そういうものですね。


私はこの練り消しゴムを両親にねだったかどうかは忘れましたが
小学生の頃、持っていませんでした。
人が持っているのをうらやましく眺めたり、
誰かが落としていないかと床や廊下を見回したりしていました(笑)

そしてあるときすごいことを発見します。
学習ノートなどに付いているシール
(社会、算数など科目が書いてある、ノートの表紙に貼るためのシール)
の粘着面を消しゴムでこすると、消しかすがねりけしっぽくなるんです!

ということでそれを思い付いたときから
せっせとシールを消しゴムでこすっていました。
できあがったねりけしは柔らかく、こねることができましたが
流石に伸びはしませんでした。
でもその小さなねりけしを大きく育てようと頑張っていました


そんなこんなでMyねりけしに熱意を注ぎましたが、
やはり本物が欲しかったです。

中学生になり、部活の休憩時間にねりけしの話になって
「あれ欲しかったんだよねー……」と私が寂しそうに呟いたとき……
かどうかは忘れましたが、なんと優しい方が、
「まだ持っているからあげる」とねりけしをくれました!
なんとありがたいことでしょう。
嬉しくて嬉しくてこね回しました


そのねりけしは消しゴムとして使って
真っ黒にしてしまった気がしますが
その後買ったものは今もまだ持っています。


懐かしいものって良いですよね〜。

流行っていた当時欲しかったけれど持っていなかったものとか
持っていて思い入れがあったものとか
今でもそういう懐かしいアイテムたちが気になります。


今でもまだ売っている懐かしアイテムはたくさんありますが、
いつの間にか消えてしまうものも多くあるので
なくなる前に集めたくなってしまいます。

時代が変わっていくという実感がさほどないまま
日々新型の物が登場し、
使われなくなったものはやがて思い出に変わっていくんですね。


さて、そんな練り消しゴムですが
その後意外なところでも再会しました。

いや、絵に詳しい方にとっては意外でもないのかもしれませんが、
絵の通信教育を受けたとき、購入した画材セットの中に
練り消しゴムが入っていたんです。







もちろん、色や香りつきのものではありません。
デッサン等に使うためのものでした。
画材セットの中に入っているねりけしを見たときは、
絵を描くことに使うための専用ねりけしもあるのかと驚きました。

鉛筆画を描く場合、普通の消しゴムより
練り消しゴムの方が適しているときもあるみたいですね。
私はまだよく分からないのですが……
画家さんには練り消しゴムが重宝されているのかもしれません。


ということで今回は懐かしのねりけしの話でした。





最後までお読みいただきありがとうございました。
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よだかの涙

2019年11月02日

よだかの涙

最近ふっと宮沢賢治の「よだかの星」を思い出し、
読み返してみました。



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よだかはお話の中ではみにくい鳥で、
鳥仲間から嫌われています。
そしてある晩よだかが、虫を食べている時に
「自分が虫を殺している」ということを強く実感して辛くなります。


今よだかの画像を検索してみたのですが、
木の上にちょこんと乗っている写真が多く、
ぱかっと開く大きな口が可愛らしかったです。
以前写真を見たときも、別にみにくくないと思ったような。

しかし問題は、本物のよだかがみにくいかどうかじゃないですね。
お話の中のよだかがどういう存在であり、どう感じていたかです。


以前よだかの星を読んだときに感じたことは
もう思い出せないのですが、
多分、よだかが虫を飲み込んで嘆くシーンの意味が
分からなかった気がします。

絵本では、悪者のオオカミなんかは
「ガオー、おまえを食ってやる」などと言いながら
人や動物を食べてしまうイメージです。
「悪いヤツだから人を食べる」「食べることは悪だ」という印象ですね。

しかし、このお話のよだかは
自分で虫を食べ、食べておいて悲しみます。


このシーンの意味を、今ようやく感じられるようになった気がします。
以前は、私たちも命をいただいて生きている存在で
オオカミと一緒なのだということを実感していなかったんだと思います。

誰かを殺したいわけではなくても、
生きるということは誰かを食べ続けるということ。
よだかが清らかな星になりたいと願った理由も分かってきます。


日々虫の命を奪っているということについて、
みにくいよだかでなければ考えることはなかったでしょう。

よだかを嫌っている普通の鳥たちは、
自分の存在がどうとか、虫を食べることがどうとか、
そのようなことに思いを馳せはしないはずです。
同じ鳥仲間であるよだかの気持ちも、どうでもいいのでしょうから。

しかしよだかは、
嫌われる悲しみ、食べる悲しみ、生きる悲しみをもって
星を目指しました。
よだかの心が一番美しかったのだと思います。

清らかな魂は美しく永遠である……。
そんなことを感じさせてくれるお話ですね。


久しぶりによだかの星を読んでみると
受け取るものが変わりました。

子どもの頃に読んだ、なんとなく筋を覚えている話でも
今読み返してみるとまた違った印象になりますね。

ということで今回は
宮沢賢治の「よだかの星」に関するブログでした。

2019年11月01日

コロコロに載ってた西遊記のギャグ漫画【全9巻完結】

西遊記って面白いですよね!

……嘘ですごめんなさい。
本家西遊記はよく知りません

西遊記と聞いて思い出すのは、
コロコロコミックに載っていたギャグ漫画の方です。



「ゴゴゴ西遊記―新悟空伝」
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三蔵法師が三人の妖怪
孫悟空・猪八戒・沙悟浄を連れて
天竺に向けて旅をする系の話なのですが、
こちらの「ゴゴゴ西遊記」はギャグ漫画なので
もちろんふざけています。

この漫画のことを思い出して調べたら、
なんとゴゴゴ西遊記が全巻無料公開されていたので
(無料で読めるのはAmazonの方ではないです。
 「ゴゴゴ西遊記 無料」で検索したら出ると思います。)
懐かしい気持ちで読み返しているところです。


この漫画の内容は、こう言っちゃ失礼なのですが
無意味に人を殴るなど教育上宜しくない表現のオンパレードです。
この作品に限らずコロコロコミックのギャグ漫画といえば
下ネタがキツいとか暴力的表現が多いとかそんな感じで
読んでいた当時も少し「これは良いのか?」と思っていたのですが……。

今読み返してみると新鮮でした。

内容やイメージは以前読んだものと変わらなかったのですが
(でも作者さんが、単行本化するにあたり
 描きかえた部分もあると言っていたような……?)
小学生男子向けのギャグ漫画を読むのは久しぶりだったもので
懐かしかったです。
なんだか癒されました。


人間って大人になると、ある程度まともで筋が通ったこととか
普通のことしか言わなくなるんですよね。
(ネット上の炎上・悪口などは別ですが)

テレビでも失言や失敗をした人がなんだかんだ言われていたりして、
反面教師にすればいいんだとは思いつつも、どこか窮屈さを感じたり。


その点こういうギャグ漫画って、
主人公サイドのキャラクターが
当たり前のように悪いことをしていたりして
かえって清々しいです。

「そういえば子どもの頃は悪いことをしてしまっても
 数日経ったらケロッとしていたなぁ」とか
「そんなに善悪にこだわっていなかったなぁ」とか色々思い出します。
あんまり気を使ってビクビクすることもなく、
どこか「自分は許される」と思っていて気楽で自由だったような。

子どもの頃って良いですねー

少し話がそれましたが、そんなわけで
過激なギャグにも何かしみじみとしたものを感じました。


ゴゴゴ西遊記は暴力的表現はキツいですが
(主に孫悟空が悪いヤツです)
三蔵法師とキントウンがカワイイし沙悟浄カッコいいし
やっぱり面白かったです!

改めて読んでみると三蔵法師さんの可愛さは結構
全面に押し出されている感じがしました。

普段は性格が悪い孫悟空が三蔵法師には忠実なところとか、
猪八戒の仲間思いなところも素敵でした。


ということで今回は
「ゴゴゴ西遊記―新悟空伝」に関するお話でした。






ゴゴゴ西遊記の作者さんは、
コミック版妖怪ウォッチも担当されているようです。
妖怪ウォッチ…… あっ、妖怪繋がりですね!





最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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