2020年01月12日

「意見を押し付ける」と「押し付けていないただの意見」の違いって?

「意見を押し付けてくる人が苦手」って、よく聞きますね。
えっ、そうでもない?
個人的によく聞く言葉です。

私も、意見を押し付けられるのは苦手です。
「人それぞれでいいじゃん」って思うんですよね〜。


しかし、じゃあ自分は人に意見を押し付けたことがないのか?
というと、「ありません」とは言えません。

意見を押し付けてはいないつもりだし、
「あの人って押し付けてくるよね」などと思われていたらイヤですが……
そもそも「押し付けているかいないか」の基準が分からないのです。

検索したら、意見押し付けチェッカーとか出てきますかね?
でも怖くて検索できません……。


「何をいじめと感じるか」の感じ方レベルが人によって違うように
意見の押し付けと感じるレベルもそれぞれバラつきがあるんですかね?






私は、会話の中で「私はそうは思いません」と言ったら失礼かと思って
「そうなんだ〜」「みんな考え方違うよね」と言う場合があるのですが
(あえてハッキリ「そうは思わない」と言うこともあります)

「私は同感ではない」と態度で示している(つもり)なのに
そのまま「私はこうなんだよね」とずっと意見を言われ続けると
なんだかモヤモヤします。

こちらの意見を変えてほしいのか?
うなずいてほしいのか?
私は相づちマシーンか? と。

……黙って話を聞いてあげられない、私が小さすぎるのでしょうか……。


「人それぞれでいい」とは思うけれど、
相手の主張を最初から最後まで聞いて、
それでどうしてほしいのか分からないです。
「……で、何?」という状態です。

もちろんこちらの言動も相手から見て
「どうしてほしいの?」あるいは
「こうしてほしいのが見え見えだけど、私はやりたくない」
と思われている可能性は十分にあるのですが……


やはりすべて、「基準が違うのだろうからなんとも……」
というところに行き着きますね。
こっちのセーフラインが向こうの方にとってはアウトかもしれないです。

しかし一般的には、
「私は◯◯」と言っているうちは「ただの意見」で
「あなたもこうした方がいいよ」とまで言ったら押し付け、
でしょうかね?






でも私は、話に相づちを打たざるを得ない状況で何度も
「私はこう思う。それで私だったらこう。で、私は……」
と言われるとまいってしまいます。
納得できる意見だったら「うんうんうん」となるかもしれませんが
「私、私、私……」と言われると大抵モヤつきます。

「私は」と言っている地点で、押し付けではないはずなんですけどね?
「あなたは」「あなたも」とは言っていないので。
「私は」の連発も押し付けに感じる……
これってどうなんでしょう。私が間違っているんでしょうか。


「私」連発の話ですが、個人的には、文章だったらまた別です。
文章は「私はこう」と言う場だと思うからです。
たとえ書いた本人が極めて客観的で、
自分を抑えた話をしているつもりでも
文章なら「私は世界をこう捉える」という主張だと思っています。

しかし文章でも、読んでいて心地よくて
吸い込まれるような「私は」もあれば
読み終わったあとモヤモヤするような「私は」もありますけどね。
それは完全に好みだと思います。


じゃあ文章と会話で何が違うのかといえば……

文章なら「合うか合わないか」で判断して
読むか読まないか、取り入れるか取り入れないかを決められるけど
(読む側に権利があるべき。それが文章ですね)
会話で「私ワールド」を繰り広げられると逃げられないということです。

会話でも本やブラウザを閉じるように逃げることができればいいですが……
逃げたあと丸く収まるとは思えませんね。


できれば会話上では自分ワールドを展開せずに
相手の様子をうかがい、入りやすいワールドにしてほしいものですね。
そして「入りたい人のみ入れる」文章の世界などで
ディープな自分ワールドを発信していただきたいです。






でもまた最初の話に戻りますが、
自分は意見を押し付けないようにできているのかというと、
そうとは言えないです。

私自身は、相手の方が「私は地動説を信じています」と言おうが
否定しないし、受け入れる心を持っているつもり……ですが、
自分の意見と対立する意見でなければ受け入れられたとしても
「自分の価値観を否定されているかのような意見を受け入れられるか」
というと、そこに関してはものすごく許容範囲が狭そうです。

そして誰かの意見に対する応戦でなくても
「私はこうです」と自ら発信している言葉自体にトゲがあり
相手の方をモヤモヤさせてしまっていることもあるかもしれません。


……あるかもしれないというか、あるんでしょうね。


でもそれはきっと人間全員。
「私は◯◯」は押し付けではないはずだけれど
それを聞いて否定されているように感じる人もいる。
責められているように感じる人もいる。

私は人の「私は◯◯」を聞いてモヤモヤすることがあるし、
人も私の「私は◯◯」を聞いて傷つくことがあるのでしょう。


もし「私は◯◯」が意見の押し付けになるのだとしたら……

もう、意見の押し付けはどうやっても防ぎようがないですね。
意見は多かれ少なかれ全員にあって、
完全にそれを出さないということはできないですから。


とにかく、会話の中でできるだけ多くのタイプの方への逃げ道を作る。
それが大事かもしれませんね。
逃げ道っていうと変かもしれないですが、
個人的にはそれがしっくりきます。

冗談や占いで「◯◯は◯◯です」などと
断定的なことを言われると面白かったりしますが、
真面目なトーンでの、視野の狭い決め付けはキツいです。
聞いていて疲れます。


もしかしたら、相手の方が逃げられない
「私ワールド」を作ってしまっていないだろうか?
相手の方を追い込んでいないだろうか?

もし自分が「私ワールド」を発してしまったとしても、
発してしまったことにすぐに気づけるような人間になりたいですね。










posted by 四月一日 at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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