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2019年09月28日

怪談を楽しむのは生命への冒涜だろうか?

今回は、霊感や実体験のない人間が推測でペラペラ語るだけの話です。


この間のブログ↓

【ポケモン】シオンタウンのBGMと都市伝説が怖すぎる!

「ドッペルゲンガー!?」な こわいゆめをみました

を書きながら考えたことや、
その後気になってきたことなどを書かせていただきます。

霊感なしの人間が幽霊さんのことを考えたって
薄っぺらい上に間違ったことしか言わないと思うので、
あまり真剣にとらえずスルーでお願いします。

*********************************


夏といえば怪談。
時々テレビで、心霊映像スペシャルをやっていたりしますね。

そして、夏じゃなくても怪談。
学生の頃、人が集まると怪談大会になったりしました。


それらの話に出てくる存在は、本物なのかどうか。
分からないけれど語り継がれる、映像がある……

そんなところが魅力なわけですが。
怪談を「楽しむ」ってのは不謹慎な気もします。
夏の風物詩みたいになっていますが、
幽霊へのマナー的に大丈夫なんでしょうか?


遊び半分に語ったり、見たりするのは失礼なような……。
じゃあ、「楽しむ」じゃなく、
どのような気持ちでいれば良いのでしょう。

真剣な気持ちで?
言い換えたって結局「好奇心」のような……。

私は怪談が「好き」ですが、
好きってのもちょっとダメでしょうか。


もし自分が幽霊の立場だったら……。

急に死んでしまって気持ちの整理がつかなくて、
仏教知らないから成仏の仕方も分からなくて
これからどうしたら良いのか見当もつかず
不安な気持ちを抱えて一人でさまよっているときに
カメラに写ってしまったら……。

で、たまたま映像に写ったために
プライバシーも何もなくネットやテレビでさらされて
好き放題「キャー!!」とか
「ほら、ここに不気味な顔が写っている」とか言われて騒がれたら……
一体どんな気持ちでしょうか。


多分泣きたくなりますね。
「誰も助けてくれる気はないんだ」って。

案内してくれない、手を差し伸べてくれない、
会話もできない、他に誰もいない。
ひたすら不安な中、見せ物のようにされて
一方的に何か言われていることだけ漠然と分かって。

そしたら多分次は怒りますね。
「私を助ける気もなく、人間扱いすらしてくれないんだったら
 せめて放っておいてよ、そっとしておいてよ!」って。
マスコミに追いかけられる人みたいな気分でしょうか。
人間不信になりそうですね。


よく、「この場に立ち入られて霊が怒っている」
とかいう表現がされますが、生身の人間であるこちらからすると
「霊ってなんでそんなカッカしているんだろう?」
「せっかく生の苦しみから解き放たれたんだから、
怒ってないで明るく楽しく過ごせば良いのに」とか思いますが

手助けしてくれるわけでもなくギャーギャー騒がれ
話のネタにされた後、忘れられるだけだったら
そりゃ怒りたくもなるだろうしイライラしてくるでしょうね。


……と、このような解釈で合っているんでしょうか?
まるっきり見当違いだったりして。


でも私が幽霊だったら……

幽霊じゃなくて人間であっても、
あるいは動物であったとしても、
とにかく優しくしてほしいですね。


死んだ後スッと行けるなら良いですが、
もし迷ったらきっと心細いでしょう。

生きていたって、ショックなこと・困ったこと・驚いたこと
何か起こったら人に
「こんなことがあってね……こうなってね……」って
延々と話を聞いてもらいたい時もあるのだから
幽霊にだってあるでしょう。

それが急に誰にも発信できなくなったら、
不安でしょうね……。
幽霊さんも怖いかもしれません。


そんなとき誰かが優しく話しかけてくれたら、
どれだけホッとするでしょう。
話を聞いてもらえたら
どれだけスッキリし、元気になれるでしょう。
真っ暗な中で光を見つけたように。

カウンセリング、メンタルケア
そんなことが必要な気がします。


でも……
幽霊に感情移入しない方が良いって話もありますね。
呼ばれて引っ張られると、こちらも命を失ってしまうとか。

じゃあ、優しくするのも違うんでしょうか……
実際のところどうなんでしょう。
ただワーキャー言うよりは
誠意ある対応のような気がするんですが……。

難しいですね。
生きていたって人間関係は難しいですしね。



怖い話といえば幽霊以外に
謎の死、怪死の話とかも定番ですね。
「◯◯を見たあと死んだ」とか。

でもこれも、死への恐ろしいイメージとか
理解できないものへの恐怖ばかりが先行していますね……。

普段は死が怖いとは思わないけれど、
恐怖心を煽られるとこちらも怖くなってくるような。
イメージの伝染ですね。


イメージってのは強力です。
例えば動物に対する一般的なイメージとかも、
本当の生態・実態より広まって
そのうちイメージの方が本物と見なされているような。

本質よりイメージの方が強いってこと多そうですよね。


「死=怖い」と思うのは、本物の死に慣れていないからかも。
まだ死に触れたことがあまりない自分はそう感じます。

一応、生き物たちの死骸や捕食の様子は見ていますし
食べることも日々「死」に触れることではありますが
それをハッキリ「死」だと理解してはいないような。

すると、「死」「痛み・苦しみ」「恐怖」がごっちゃになる気がします。

それぞれ近しいところにはあるけれど別物だと思うし、
痛みや苦しみや恐怖を伴う死もあるだろうけれど
イメージを変えてその連鎖を断ち切ることもできるはずです。



でも結局死をどうとらえるのが正解か、
亡くなった方に対しどのように思うのが正解かってよく分かりませんね。

今生きている世の中も
後になってみればおかしいと感じるところが山ほどあるんだろうし、
生きている人間との関わり方だってこれで良いのかどうか分かりません。
法律やシステムだって全部。

結局何が正しいかなんて決まっていないのだとしたら、
幽霊をバカにするような態度は絶対失礼だけれど、
死後の世界に興味を持つのは間違いじゃない……気がします。


いや、そもそも、
社会は間違ったり失敗したりして発展していくものなのかも。
事故や事件や戦争だってできれば起こってほしくないと思うけれど、
それがないと今の世界はなかったのかも。

悲しい出来事だって全部無駄ではなくて、
死もそれで「終わり」じゃなくて
これからもずっと先があるのかも。

だから現時点での死へのとらえ方が間違っていたとしても、
これから成長していけばいいですね。


ということでこれからも、人の気持ちを考えて
「現段階でのとらえ方は間違いかもしれない」
ということも視野に入れつつ、怪談を聞いていこうと思います。

どうしても「ギャー怖い」などと思いつつ、
それでも気になる、なんて気持ちで見てしまったりするのですが……。
あまり失礼のないように気をつけたいです。


いつかはこちらと死後の世界が繋がって、
クリアになったら良いですね。


ではこれで終わります。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!



posted by 四月一日 at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月27日

それぞれの生き方に目覚める「効率のいい教育」ってないんだろうか

学生の頃、何度か大人の人から
「もっと勉強しておけば良かった」という話を聞いて
「そっかー、勉強は大事なんだな」と思っていました。

しかし今になって思います。
「もっとお金の大事さとかお金の稼ぎ方とか、
 最低限の生き方を知りたかった」と。


常に自発的に高みを目指す人、進むべき道が分かる人には
お金がどうとか生き方とかはそこまで関係ないことかもしれません。

しかし私は正直頑張りたくない。
必要のない努力はしたくない。
ラクしたい。

そしてそんな生き方が分かりません。
世の中「頑張るのが当然」みたいな風潮になっていますが、
頑張りたくない人がどうしたら良いかって分かりませんね。


自分は学生の頃、困難という壁にぶち当たるとよく
「嫌だ、できない」と言って抵抗しました。
体育とかスポーツとか人付き合い(連絡)とか、
給食の苦手な物を残さず食べるとか。

で、嫌なことに抵抗しまくった結果
何度か先生やクラスメートから激しく怒られた覚えがあります。


今でもなんで怒られたんだか、
なんでやる必要があったんだか分かりません。

体育は嫌いだったけれど運動不足だったとは思わないし
苦手な食べ物があったら残して、
それが好きな人で争奪戦でもしてもらえば良いような。


……。

「なんで怒られたんだか分からない、
 だって自分のやり方で今成功しているもの」
って言えたらカッコいいんですけど、実際今も落ちこぼれなので
「そらみろ、わがままばかり言っているせいだ」って笑われそうですね。


さて、人付き合いできないのはかなり問題でしょうが、
やりたくもないことを押し付けてきたり
興味もない話題で溢れかえっている社会と付き合えと言われたって
面白くないんだからできませんよねー……。

私は小さい頃から、虫や動物の命が
人間社会で軽視されていることに違和感があったし
みんながどうしてそういったことに関心を向けずに
「人間」だけで寄り集まって生きていこうとしているのか
分かりませんでした。

今じゃ心が薄汚れて、
生き物からも人間からも遠ざかっていますがね……。


しかし、あの頃苦手だったけれど頑張ったおかげで克服したこととか
克服しておいて良かったと思うことって特にありません。
苦手なことは今でも苦手なような。

苦手を克服する気がある人は克服したら良いけれど、
なぜ苦手を克服するべきなのか未だに分かりません。
克服することが人としての成長ってことでしょうか。

別に苦手は苦手で良い気がするし、
どうにもならない苦手と向き合う時間って
ひたすら無駄じゃないかと思うんですが……。


別に苦手というほどではなかったことも
もう何を習ったんだかサッパリ思い出せません。
文法も方程式も頭から抜けました。
部活動でやっていた楽器も、もう吹けないと思います。


今、アフィリエイトとかポイントサイトとかやっているのですが
あまりうまくいっていなくて焦っているからか
「私にとって、学生の頃のあの時間って何だったんだろう」
とボンヤリ思います。

あのありあまる時間、
「あー、明日の体育憂鬱だな」とか思いながら現実逃避している時間、
それでも必ずまたくる明日……
ダラダラと時間をつぶす日々。

あの時間を、今にもってくることができたら……。
あの時、アフィリエイトとかポイントサイトとかやっていれば……
そう思います。


自分はボケーッとした子どもだったし、
何を読んでも意味も分からず興味も沸かなかっただろうし

今の子どもたちのように
生まれたときからネットやスマホが身近なわけでもないから
「ああしていれば」なんてまったく無意味な後悔なんですが。

ありあまる時間に
今のようなチャレンジと失敗を思う存分やっていれば……
心残りも焦りもなく、
生きることやお金に対する目覚めも早くなったと思います。


テレビで天才的な子どもとか
若くして企業した子とか出てくるのを見て
以前は「自分じゃ無理だなー」って思っていたのですが
本当に無理なんでしょうかね。

教え方によっては子どもってみんな、
すごい能力を発揮するんじゃないでしょうか。

今の教育って一部の人には役立つでしょうが、
私のような落ちこぼれもいっぱいいますよね。


まだ訳も分からず、自分が人間だという自覚も、
どうなりたいという思いも芽生えないうちに
ひたすらお金だけかけて知識を詰め込んで。

教育を垂れ流しているようでもったいないですねー。


大きくなってからだったら、
「あの授業、お金を出してでも買いたい」
という授業はたくさんあるだろうし

そうやってハッキリした意志で
自分で買うなら集中して真剣に聞くだろうし、
向いていないと思ったら解約することもできれば良いわけで……。

訳も分からないうちに勉強させられて
真剣に授業を聞かずに騒いだり反抗したり眠ったり
それって自分で選ばせてもらえていないからですよね。


もったいないんじゃないですかね……
先生も子どもも、教育費を出す人も時間も。

もっと一番最初にやるべき教育と、
後で選べる教育ってないんですかね。


私は学校選びをちょっと後悔しています。

そりゃ進路はよく考えて選べって言われたけれど、
人生のごくごく序盤に大事なことを詰め込みすぎでは?
しかも後で修正がきかないし。
だから学歴社会になって学歴差別とか出てきて、
低学歴の人とか落ちこぼれとかいるんですよね〜。


人間としての目覚めって遅い人も早い人もいるだろうに……
結局早い者勝ちなんですね。

夢とか目標とか決まらない人、
現実味がないまま序盤を生きた人って不利ですね……。
決まらないままでも器用にやっていける人はすごいけれど、
モチベーションを保てなかった人は……。


学校で習った勉強を、その後もずーっと使う人もいるのでしょうが
そうでない一般人にとって社会的に教育する期間ってのは
「協調性を学ばせる」とか
「ある程度言うことを聞き、その上でちゃんと自分で考える」
人間を育てたり見定めたりするためのものなんでしょうね。


昔から、平安時代は姫はお歯黒をするものだとか
色々しきたりがあったそうだし
昭和の流行とか、平成・令和特有の常識とかもありますが、
大事なのはそれらが正しいかどうかじゃなく
「ちゃんとそれについて行けるかどうか」なんですよね。

もしついて行けないならば、ついて行けないなりのやり方を
自分で見つけなければいけないようです。


批判ばかりしても改善策は分からないんだから
こんなことぼやいたってしょうがないですが
もっと最初から、自分にとって必要なことを
ピンポイントで知りたかったですね。
「抜けている部分」って人それぞれ違うでしょうから。

肩書きは立派でも問題行動起こした方とか色々おられますし……
「ここが崩れたらどうなるか」ということを
分かっていない部分がそれぞれあるのだと思います。

必要のないことや苦手なことを詰め込むんじゃなく、
それぞれにとって必要なことを
見極めて教えてくれる技術とか出てきたら面白いですね。


ごく最初から子どもでも働けるようになって、
「自分のお金」で「自分の選択」をできるようになって
仕事は今よりシンプルで、やめたり始めたりするのも簡単で
業界の闇とか人間関係のストレスもなくて……。

と、ここまで言うとただの空想的理想ですが。

詐欺とか悪徳業者とか戦争とか防衛費とか
いじめとか勝ち負けとか……
余計な概念と回りくどいシステムがなくなれば
意外と簡単かもしれません。


まぁ、未来のAIと文明の発展に期待しておきます。

でも結局、自分の他力本願な考えを
何とかした方が良いという話かもしれませんね……。



posted by 四月一日 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(2) | 雑記

2019年09月26日

Gの赤ちゃんの不可解な行動……

最近、怖い話を聞いたり怖い夢を思い出したりして
いつもよりビクビクしています


怖い話と怖い夢のブログ↓

【ポケモン】シオンタウンのBGMと都市伝説が怖すぎる!

「ドッペルゲンガー!?」な こわいゆめをみました


怖い話を聞いたあとって、何でもないことに驚いたりしますね〜。
タブレットのバグ(エラー?)で画面がフリーズしたり
白くなったりしただけでビックリします
暗闇もいつもより怖かったり……。


心霊番組では最近あまりダメージを受けなくなったんですが
心霊番組は、暗く重く怖くなりすぎないように
調整されている気がします……。

ネットで見る都市伝説などはもっと怖く感じるし
ネットからダメージを受けることが多くなりました

話自体怖いし、映像とか音楽とか付いていなくて文章と画像だけなぶん
脳内で勝手に、自分にとって一番怖い映像に変換されて
恐怖が止まらなくなります。
こうなったら数日間は元に戻りませんね……。


そんな感じでまだ恐怖を引きずっているモードの時に
部屋の壁にゴキブリの赤ちゃんがくっついているのを見かけました。

これが大きいゴキブリだったら
「ギャーッ!」と叫んだかもしれませんが
別に赤ちゃんは苦手ではありません。

しかし赤ちゃんとはいえ走るのが早いところが
やはりゴキブリっぽいですね。
小さいからスピードが目立ちませんが、
大きくなると同じスピードでも早く感じるだろうなと思いました。


……と、ゴキブリを眺めていると
なんだか急に恐怖心を感じ始めました。
なぜでしょう……。


ゴキブリの赤ちゃんは壁を走り回りつつ、
時々顔を上に上げています。

この動きは前にも見ました。
以前、壁を歩いていたゴキブリの赤ちゃんが何度も頭を上げ……
壁から、2〜3m下の床に飛び降りるのを見たんです。

そして、今回見たこの子も
壁から飛び降りて、30cmほど下の床に着地しました。


なんだか衝撃的でした。

虫と人間じゃ、身体の造りも重さも
かかってくる重力も違うでしょうが
羽も生えていない幼虫が急に高いところから飛び降りるなんて
不気味に感じたんです。

でも赤ちゃんは平気そうだったし、
壁より床の方が食べ物が多そうだから跳ぶのかもしれないし
ゴキブリにとっては普通の行動なのかもしれません。


他の虫も、危険を感じると高いところから転がり落ちるとかして
身を守ったりするようですね。
人間が高いところから落ちたらただではすみませんが、
落ちても平気な種類の虫もいるみたいです。
(主に小さくて軽い虫だと思います)

とはいえ急に飛び降りられると驚きますね。
身近な虫の日常的な行動でも、
意外と知らないものなんだなぁと思いました。



posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月25日

鏡が怖いのは自分だけじゃなかった!

↓この間、夢にドッペルゲンガー(?)が出てきた話を書きました。
「ドッペルゲンガー!?」な こわいゆめをみました


その中で、私は鏡が怖いと言っていたのですが
その後、自分と同じく鏡を怖がっている人(?)を見ました。


ある朝、充電が終わったタブレットから充電器をはずそうとしたら
その近くの壁にハエトリグモがくっついていました。
その子はしばらく歩いた後、タブレットに写る自分の姿に気づいて、
まじまじと見ながら……後ずさりしていたんです。

自分は今ちょうど鏡が気になっているところだったので……
鏡を見て後ずさりするハエトリグモと自分の姿が重なって、
なんだかすごく親近感を覚えてしまいました


まぁ、人間の怪談に対する恐怖は漠然としたものですが、
生き物たちは判断を誤ると自分が食べられてしまう危険があるから
毎日命がけだと思うので……
我々と同じレベルの「恐怖」ではないんですけどね

ハエトリグモさんは、鏡に写った自分を敵だと思って、
刺激しないよう背を向けないよう後ずさりしたのだと思います。


しかし、鏡を見たときのハエトリグモの反応は
みんな違うようで面白いです。

種類によるのか、一匹一匹の個性によるものなのか
まだ私は知らないのですが
鏡を見ると鏡に飛びかかる子もいれば、
恐る恐る近づく子も、逃げ出す子もいるようです。
私がハエトリグモの写真を撮っていたときも、
レンズに飛びついてきた子がいました。

「ハエトリグモ 鏡」で検索すると、
ハエトリグモたちが様々な反応をする
可愛い動画がたくさん見られます


今の自分の状況や気になることと被るものを
偶然目にすることってありますね。
なんだか面白いです。

そしてハエトリグモの動きって、
見上げたり、振り向いたり、後ずさりしたりと人間っぽくて
何を考えているんだろうと気になりますね。

ということで今回は、
小さなシンクロニシティとハエトリグモの話でした。



posted by 四月一日 at 20:02| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

2019年09月23日

「ドッペルゲンガー!?」な こわいゆめをみました

私がこの間見た怖い夢の話です。


ある日、私が夢の中で目覚めると家のトイレにいました。

夢の中で目覚めるってのもおかしいんですけど、
なんだか寝ぼけているような感じでした。
おや、ここはトイレだなーって。
で、トイレの扉の前に「私」がいました。


自分の姿が見えたんです。

ああ、私だな。
改めて見るとこんな顔していたんだな〜。
これ鏡かな?

などと思いつつ目が覚めていき……
次の瞬間凍りつきました。
「うちのトイレに鏡なんかなかった」と。


すると目の前の自分は……?

よく見ると鏡みたいな平面なんかじゃなく、
立体的な人間です。
これはドッペルゲンガー!?


その人は扉の前にいます。
狭い個室の中、私には逃げ場がありません。
なぜだか「やられる!」と思い……
どうしようもなくなった私は、
ドッペルゲンガー(?)に抱きつきました。
そこで夢が終わりました。


文章にすると少し長く感じますが、
この夢は始まりから終わるまで
10秒くらいしかなかったような気がします。


夢の中のこととはいえ……
ドッペルゲンガーに出会うと何かが起こる、なんて噂もあるので
この夢を見た後しばらくはビクビクしながら過ごしました。
しかし、数週間過ぎても特に何も起こりませんでした。


怖い夢といえば以前にも、
「お風呂にある鏡に写っている自分が動いた」夢を見ました。
思わず夢の中で叫んで飛び起きてしまいました。
現実でも叫んでいたのでしょうか……(汗

その夢は多分、テレビで見た心霊映像の影響だと思うんですが……。
いずれにせよ私は
「狭い空間」と「鏡」が苦手なようです。


鏡は、深夜の決まった時間に覗くと何かが起こるとか、
合わせ鏡の奥に不思議なものが映るとか、
怖い話に登場することが多いですね。
その影響か、鏡を見ていると怖くなることがあります。

狭い空間は、逃げ場がないので
一人で入っていると早く出たくなるときもありますね。
リラックスしていたら大丈夫ですが……。


しかしよくよく考えてみると、
「本当に怖いのは鏡や狭い空間なんだろうか?」
と疑問が出てきました。


私は鏡を見るときいつも無表情です。
というか作り笑いが下手なので、常に無表情です。
だから自分の顔といえば無表情の記憶しかないし、
夢に出てきた自分も無表情でした。
笑っていたらそれはそれで怖いかもしれませんが……。

もしかしたら、私は私が怖いのかもしれません。


そういえば私は怖い雰囲気の人が苦手ですが、
自分自身がその怖い雰囲気を放っていたような気がします。

ということで、
今度から鏡を見るとき笑いかけてみることにしました。
これで少しは優しい印象になるだろうし、
笑顔の練習にもなって一石二鳥かもしれません。


「鏡は先に笑わない」という言葉があるように、
優しさや楽しさ、幸せはこちらから先に発信しなくてはなりませんね。

ずっとこちらが笑っていれば、夢の内容も、
そして現実まで変わるかもしれません。



posted by 四月一日 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

2019年09月19日

「毎日誰かの誕生日」って素敵な言葉ですね

「毎日誰かの誕生日」って素敵な言葉ですね。

誕生日は必ず、
366日のうちのどれかになるわけで

「366」って多いような気もしますが、
SNSを始めて
たくさんの投稿や数字を見かけるようになって
わりと少ない数字のようにも思えてきました。


誕生日が366種類なら、

単純に考えて

366人集めたら、
誕生日コンプリート(?)できますね!


実際はそうはならないかもしれませんが
1000人くらいいれば、
毎日が誰かの誕生日であることは
ほぼ確実です。

駅や町でもきっと
誕生日の人とすれ違っているでしょうね(*^-^*)


外出先の飲食店で
誰かの誕生日のお祝いをしているのを見かけたり


誕生日じゃなくても、
たまたま何かのイベントをやっているのを見かけたり、
今旅行中の人がいたり。

今日自分に予定がなくても、
誰かにとっては楽しみだった日なんですね。
そう思うとちょっと楽しい気分です。

「毎日誰かの誕生日」って素敵な言葉ですね。





posted by 四月一日 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月18日

最近何を言っても矛盾しかしてない(汗

今回のブログは主に学生時代の話です。
そしてこれを書いているとき私は
「時間の感覚」が疎かったです。

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+


差別や偏見、いじめ、環境破壊などなど
「良くない」と言われていることはたくさんありますね。

私はそれらが「良くない」と聞いて、
わずかな情報を耳にしたのみで
言った人の言葉を鵜呑みにして

「そうだ! 差別も偏見もいじめも環境破壊も全部いけない!」
って思っていたのですが


よく考えたら、
「偏見や差別って何か?」
って未だに分かっていない気がします (°ー°;)


「いじめ」は分かります。
やられたことあるんで(ノ∀`*)


環境破壊も分かります。
川が汚れるとか地球温暖化とか、
ビデオで見たので。


けど「偏見や差別とは何か?」
という、人の醜い部分、
生の「差別や偏見」って
あんまり記憶にありませんでした(*'ー')


というか、気づいていませんでした。


そういや学生のとき、
「◯◯ちゃんをみんなで無視しよう」って言われたんですが

「ああ! コレいじめか!」
って気づきませんでした。

後になって気づきました。
情けないことに。


そのときの理由が「無視したら面白いから」とかじゃなく
人間関係でなんやかんや色々あったみたいで
ややこしくて、複雑に感じたので
一発で「いじめだ!」と認識できなかったんです。


もう倫理観に自信ないです……。


どんな時でも、誰が相手でも、
「そういうやり方好きじゃない!」
ってぶつかれたら良いんですけどね(ノД`;)


特に、いつも仲良くしてくれている人や
そんなに悪い関係じゃない相手に。

関係が壊れても、ターゲットが自分になっても、
真っ向からぶつかれる力が欲しいです。

まぁできればそんな状況になってほしくないし、
ぶつかる必要がない状況で
むやみに体当たりするのもダメですけどね(´ーωー`;)


しかし自分は
普通に会話しているだけでもオドオドするほど
対人恐怖症で……。

毎度何もせずに後悔ばかり。
しかも発言も勝手な偽善で、
誰の心にも寄り添っていませんし
ホント弱くて情けないです。


しかし、どれが正義とかって……そんな単純じゃないですね。


「欠点を直して」って何度も言っているのに
直してくれない人に対して
制裁的な態度をとるとかあったみたいで……
「ちゃんと言えば絶対伝わる」ってもんでもないし、
それも一つの方法かもしれませんね。

でも人それぞれ苦手なことはあって
言われている方も自覚はありつつ
なかなか変えられないのかもしれないし、
制裁で直る訳じゃないだろうから変ですが……。

「どうにかしてほしい」と思って言っている側も
何が最善か分からないんだろうから難しいです。


もちろん私も何が最善かとか分かりません。

私が「できる人」だったらもうちょい胸張って
「そのやり方は違うんじゃない?」って言えるのですが
自分は「の◯太くん」みたいなタイプなので
堂々と意見言える立場じゃないです(×_×;)

言い訳ですけどね。


私は最近まで、
「頑張っている人・できる人」が優遇されて
「頑張らない人・できない人」が冷たくされるのは
変だと思ってきました。

頑張るとか頑張らないとか、どのくらいできるとか、
それぞれ違うのが個性であって
押し付けることじゃないと思うんで。


けどそれも……。

「できる人」と「できない人」が同じ扱いだったら
平等じゃなく不平等ですよね……。


最近自信ないし、軸がブレまくりです。本当に。


あと、前述の通り自分は「の◯太くん」みたいなタイプで
鈍くさくて、何をやっても駄目なタイプなのですが
不思議とかまってくれたり気遣ってくれたり、
とにかく気にかけてくれる人がいたりしました。


で、「優しい人多いなあ……」って思っていたのですが


その自分に優しい人が、
他の人の容姿を馬鹿にして大笑いした、
って場面を二回見ました。

それぞれ別の人(たち)です。


それを見て、
「あの人たち、トロい私には優しくしてくれるのに、
 なんで急に人の外見を馬鹿にするんだろう」
って変な気分でした。


けどその時も何も言えませんでした。
卑怯ですね……。


でも自分は欠点だらけだし
人も全員欠点があるような気がするし
何が卑怯でどれが正義とか
誰をかばうべきとか無い気もします。

「できる人」だけど性格悪い人、
「できない人」だけど優しい人、
色々いそうですね。

自分も、みんなも、結局自業自得かもしれません。
でもどうせみんな同じなら、
自分は自分の価値観で動けるようになりたいですね。





posted by 四月一日 at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月17日

座るときの姿勢が悪すぎて、腕が痛くなりました

今回は、姿勢が悪すぎて腕が痛くなった話です。

私は椅子に座るより床に直座りする方が好きで
よく家の床に座っています。
その時、利き腕でない方の左腕を床について
タブレット端末を使っていることが多くありました。


そして最近。
急に左肘が痛くなりました。

これといって、強くぶつけたとかはありませんが
以前から姿勢が悪いので、そのせいだろうなと思いました。

以前、寝る前に両肘に体重をかけるような姿勢で
マンガを読んだり絵を描いたりしていたことがよくあって
肘を長くついていると痛みを感じるようになったので
あまり腕に体重をかけないよう気をつけようと思っていたのですが
ついつい、悪い姿勢をやめられずにいました。


痛いのは多分肘なのですが
腕全体が筋肉痛のようにだるく痛みがあり
指の先までピリピリとしびれている感じで
手を握りしめてみても違和感がありました。

また、腕や手を床についても痛みがあり、
二の腕まで痛いような気もします。

この、どこを痛めたのかよく分からない感じは……
以前すべって転んで右手を骨折したときのものに似ています。
あの時も手をつくと痛みがあって、楽な姿勢を探していました。


まぁ……
骨折みたいといったって、今回は大した痛みではなく
何かに集中すれば痛みのことを忘れてしまうレベルで
腕も指も動かそうとすれば普通に動くのですが

今まで腕に体重をかけていることを軽く見ていたせいで
不調が出てきたんだと思うので
これは対応を間違えると悪化するかもしれない、
できるだけ左腕に体重をかけないようにしようと思いました。

ということで、重い物は右手で持ち、
左腕はあまり使わないようにしながら過ごすことにします。


傷みを感じた日の翌日。
まだ痛みは消えておらず、あまり変化がありませんでした。
まさかこのまま治らないんじゃないだろうかと少々不安になりましたが
まだ二日ぐらいじゃ分からないと、様子を見ることにしました。

3日目。
しびれはなくなっており、痛みも和らいでいました。
これは翌日には痛みが消えるかもしれないと、ホッとしました。

4日目。
少々油断して左腕を動かしたりしたせいか、
ちょっぴり痛みが増してしまいました。
しかし夜になり、気づくと痛みがほとんどなくなっていました。
「あれっ、痛くない!?」と
思わず腕を曲げたり伸ばしたりしてしまいましたが
ここで調子に乗ってはいけないですね。
しばらく、できるだけおとなしくしています。

5日目。
少し痛みがありましたが、夜になるとほとんどなくなりました。
やっぱり、夜の方がマシになる……?

6日目。
だいぶマシになりました。
痛みも違和感もほとんどありません。

7日目。
庭が雑草まみれになっていたので草むしりをしました。
もう少し暑さが和らいでから……と思っていましたが、
ここ数日暑さが増すばかり、草もぐんぐん伸びているようで
待っていても仕方ないと思いました。
こんなことなら腕の調子が悪くなる前、
涼しい日が続いたときにやっておけば良かったです……。

8日目。
前日に草むしりをしたものの、悪化したりはしませんでした!
もう痛みはなく左腕も普通に使っていますが、
激しい動きをしたり重いものを持ったりすることは避けています。

9日目。
痛くないです。変化なし。

10日目。
痛くないです。もう治ったと思います!


ということで、10日間で治りました。

まだほんのちょっとだるいときがある気もするので
激しい動きは避けようと思いますが
今後も気をつけていれば大丈夫かと思います。


腕だけでなく手にまで痺れや痛みを感じたときは、
このまま治らなかったらどうしよう、
悪化したらどうしようと不安でしたが
無事元に戻って良かったです!

できるだけ左腕を使わないようにしたのが良かったと思いますが、
腕の痛みがなくなってくると
気づいたらついうっかり軽いストレッチをして
左腕を動かしていた、なんてこともありました。

怪我をしたときでも、
せっかく治りかけた傷をかきむしってしまって
また血が出る、なんてこともありますし
なんでも治りかけのときほど注意しないといけないですね。


それから……

今回私は痛みがあってもそのまま様子を見ましたが、
皆様には痛みがあったら素直に病院へ行くことをオススメします。


以前私がすべって転んで右手を骨折したとき、
まさか骨折しているとは思わず
そのうち痛みが治まるだろうと何日も放っておいたのですが、
結構痛みが長引いたので病院に行ったところ
お医者様から骨折だと言われました。

もうだいぶ治りかけだったそうです。
そして聞いた通り、その後すぐ治ったのですが、
折れた骨を固定もせず放っておいたため
変なくっつき方をしたようで
骨折した指の動きが少し悪くなってしまいました。

幸い、人差し指や親指ではなく薬指だったので
動きづらくてもなんの支障もなかったのですが、
折れたのが別の場所だったら、影響があったかもしれません。


ということで、骨が折れたかもしれないと思ったら
すぐ病院に行って固定とかしてもらった方が良いと思います。
折れた骨がそのままくっついたら、変形してしまうかもしれません。


さて、今回のことがあったので、腕を痛める原因や
痛めないための方法について少し調べてみたのですが、
硬い机などに肘をついて不安定な姿勢で
スマホやパソコンを操作したりしていると
思わぬうちに肘に強い力がかかっている可能性がある
という情報を目にしました。

スマホ・PCを使うときにはクッションや衣服で肘を保護し、
片手だけに負荷がかからないようにするのが良いそうです。
また、頬杖をつくのはできるだけやめるようにした方が良いようです。


頬杖も体に悪いんですね……。
私は頬杖をつく癖はありませんが、
腕にかけている負荷の状態は頬杖に近いものがあるので
気をつけようと思いました。

また、今回私が痛めたのは腕でしたが、
姿勢が悪いままだと背中や腰も悪くするかもしれないなぁと思いました。

姿勢は大事ですね。
皆様もお気をつけください。









posted by 四月一日 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

2019年09月16日

小さなシンクロニシティ

自分の好きなもの、気になるもののことを
「あれってどうなったっけ? 最近見ないなぁ」などと考えていると
お返事のように、テレビやネットを通して目の前に現れます(>∀<*)

最近好きになったものでも
やけにたくさん、関連情報を見かけるように
なったりしました( ̄▽ ̄*)

類は友を呼ぶとか
シンクロニシティとか
ホントだなぁ…… と薄々思います。


逆に、嫌なことであっても、
そのことばかり考えていると
頭の中で巨大化するし

モヤモヤし続けると
その嫌なものを目にすることが
増えるように感じます。


気のせいかもしれませんが、
自分の中ではホントです。


事件・事故のニュースとかでも
似たようなこと、続いたりしますね。
事件は模倣犯の場合もあるかもしれませんが
事故は違う気がします。
(メディアさんが、わざと似たような話ばかり
取り上げているのもあるかもしれませんが……。)


悲しいこと・嫌なこと
色々あるから難しいですが、
せっかくだから
嬉しい連鎖・幸せな連鎖をたくさん起こしたいですね。







posted by 四月一日 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2019年09月15日

なんで食物連鎖の世界にしたんだろう……

自然のサイクルにおいては……
みんな誰かの「たべもの」なんですね。

蝶々も小鳥もトンボも。


肉食動物だって、最終的には
虫や微生物や植物の養分になるし

草食動物だって草を食べるんだし

みんな何かを「食べる側」であると同時に
「食べられる側」ですね。


小さい頃見た、生き物の番組でも
しっかりそんな話が出てきていたし……

理科でも習ったのに……


なぜか未だに納得していません( ̄▽ ̄;)


「みんな食べられて当たり前」ってなかなか飲み込めなくて……。
でも、「そんなはずない」と抵抗しても答えはなくて。


なぜだか分からないけれど、

動物の世界ってもっと夢みたいで、魔法や愛や優しさで満ちていて、
思いやりや正義や美学があって、ゆったりと穏やかな、心地いい、
「自由」な空気で溢れていると思っていました。

だから人間もいつか「自然」に還り、
のんびり楽しく暮らせるのではないかと。


なぜそんな勘違いをしていたんでしょうね。

絵本の世界ではそうだったかもしれないけれど、
自然界の答えなんて、早いうちから教わっているのに。
ライオンは肉を食べるってことも知っているはずなのに。

信じていないのか?
誤解したイメージの方が強かったのか?
真実を知ってもなお、「どこかに夢の扉がある」と寝ぼけていたのか?

随分と長いこと、
「自然界は自由で夢いっぱい」と思いこんでいました。


でも本当はみんな忙しくて、一生懸命で、
命がけなんですね。

ゆっくりと「それ以外ない」ことを知っていき
動物の世界にも食べ物や縄張りの奪い合いやいじめがあると聞き
私の中の「夢」がゆっくりと崩れていきました。


「動物はやはり動物か」と思ったんじゃありません。
「動物界も、人間と一緒なのか」と思ったんです。


動物も人間も、悪い存在だとは思いません。
そうじゃなく、システムが変だと思うんです。

システムってのは人が一生懸命造った社会のシステムのことじゃなく
もっと根本的な、弱肉強食のことです。

奪わなきゃ生きていけない。
もし真の「優しさ」というものがあったって、
それは結局誰かを選び、誰かに味方し、
他の誰かを犠牲にするということ。
それが悲しいなと。


しかし私には、ある特定の生き物だけに味方したくなる、
「ひいき」というかエゴもありました。

勝手に良いイメージや悪いイメージを付けて、
「この生き物は好きだから」と応援するのも変なんですけどね。


可愛い生き物だけもてはやされ、
醜いとされる生き物は魔物呼ばわりされたりするのも。

「害虫」「害獣」は明確な理由があるからしょうがないけれど、
それ以外はこちらの勝手ですよね……。


本来誰がどうとかいうことなく平等なんですよね。
自然のサイクルにおいては。

誰かが誰かを食べていたら、
「獲物がとれておめでとう」と祝福すべきかもしれません。

大体、私も生き物を食べているのに、
生き物を食べているという実感もなく、
自然の中の本物の「食」のシーンを見たら
違和感を覚えるのってすごく変ですね。


そして

美しい花々や山や海や川、害のないもの、
目に心地いいものだけを「自然」と呼び
愛すべき風物詩とするのも不自然ですね。

「本当の自然はそれだろうか?」と思います。
綺麗な部分しか見ようとしていないような。


けどそんな矛盾だって
愛情のあらわれじゃないかとも思います(*´ω`*)

グサッとくるようなものを見たって、
モヤモヤするだけで嬉しくありません。

美しいものを求め、自然に癒やしや温かさを求め、
「心の故郷」として何が悪いのかと。


……しかし

結局いつまで経っても腑に落ちる答えが出ません。
そもそも弱肉強食や自然に、美学や答えなんてないのかも。

「生きる」
……良くも悪くもそれだけ。

でも自然が自然なら、
自然を不自然と感じる心もまた、
自然だと思うのです。









posted by 四月一日 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(5) | 雑記
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