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2019年09月28日

怪談を楽しむのは生命への冒涜だろうか?

今回は、霊感や実体験のない人間が推測でペラペラ語るだけの話です。


この間のブログ↓

【ポケモン】シオンタウンのBGMと都市伝説が怖すぎる!

「ドッペルゲンガー!?」な こわいゆめをみました

を書きながら考えたことや、
その後気になってきたことなどを書かせていただきます。

霊感なしの人間が幽霊さんのことを考えたって
薄っぺらい上に間違ったことしか言わないと思うので、
あまり真剣にとらえずスルーでお願いします。

*********************************


夏といえば怪談。
時々テレビで、心霊映像スペシャルをやっていたりしますね。

そして、夏じゃなくても怪談。
学生の頃、人が集まると怪談大会になったりしました。


それらの話に出てくる存在は、本物なのかどうか。
分からないけれど語り継がれる、映像がある……

そんなところが魅力なわけですが。
怪談を「楽しむ」ってのは不謹慎な気もします。
夏の風物詩みたいになっていますが、
幽霊へのマナー的に大丈夫なんでしょうか?


遊び半分に語ったり、見たりするのは失礼なような……。
じゃあ、「楽しむ」じゃなく、
どのような気持ちでいれば良いのでしょう。

真剣な気持ちで?
言い換えたって結局「好奇心」のような……。

私は怪談が「好き」ですが、
好きってのもちょっとダメでしょうか。


もし自分が幽霊の立場だったら……。

急に死んでしまって気持ちの整理がつかなくて、
仏教知らないから成仏の仕方も分からなくて
これからどうしたら良いのか見当もつかず
不安な気持ちを抱えて一人でさまよっているときに
カメラに写ってしまったら……。

で、たまたま映像に写ったために
プライバシーも何もなくネットやテレビでさらされて
好き放題「キャー!!」とか
「ほら、ここに不気味な顔が写っている」とか言われて騒がれたら……
一体どんな気持ちでしょうか。


多分泣きたくなりますね。
「誰も助けてくれる気はないんだ」って。

案内してくれない、手を差し伸べてくれない、
会話もできない、他に誰もいない。
ひたすら不安な中、見せ物のようにされて
一方的に何か言われていることだけ漠然と分かって。

そしたら多分次は怒りますね。
「私を助ける気もなく、人間扱いすらしてくれないんだったら
 せめて放っておいてよ、そっとしておいてよ!」って。
マスコミに追いかけられる人みたいな気分でしょうか。
人間不信になりそうですね。


よく、「この場に立ち入られて霊が怒っている」
とかいう表現がされますが、生身の人間であるこちらからすると
「霊ってなんでそんなカッカしているんだろう?」
「せっかく生の苦しみから解き放たれたんだから、
怒ってないで明るく楽しく過ごせば良いのに」とか思いますが

手助けしてくれるわけでもなくギャーギャー騒がれ
話のネタにされた後、忘れられるだけだったら
そりゃ怒りたくもなるだろうしイライラしてくるでしょうね。


……と、このような解釈で合っているんでしょうか?
まるっきり見当違いだったりして。


でも私が幽霊だったら……

幽霊じゃなくて人間であっても、
あるいは動物であったとしても、
とにかく優しくしてほしいですね。


死んだ後スッと行けるなら良いですが、
もし迷ったらきっと心細いでしょう。

生きていたって、ショックなこと・困ったこと・驚いたこと
何か起こったら人に
「こんなことがあってね……こうなってね……」って
延々と話を聞いてもらいたい時もあるのだから
幽霊にだってあるでしょう。

それが急に誰にも発信できなくなったら、
不安でしょうね……。
幽霊さんも怖いかもしれません。


そんなとき誰かが優しく話しかけてくれたら、
どれだけホッとするでしょう。
話を聞いてもらえたら
どれだけスッキリし、元気になれるでしょう。
真っ暗な中で光を見つけたように。

カウンセリング、メンタルケア
そんなことが必要な気がします。


でも……
幽霊に感情移入しない方が良いって話もありますね。
呼ばれて引っ張られると、こちらも命を失ってしまうとか。

じゃあ、優しくするのも違うんでしょうか……
実際のところどうなんでしょう。
ただワーキャー言うよりは
誠意ある対応のような気がするんですが……。

難しいですね。
生きていたって人間関係は難しいですしね。



怖い話といえば幽霊以外に
謎の死、怪死の話とかも定番ですね。
「◯◯を見たあと死んだ」とか。

でもこれも、死への恐ろしいイメージとか
理解できないものへの恐怖ばかりが先行していますね……。

普段は死が怖いとは思わないけれど、
恐怖心を煽られるとこちらも怖くなってくるような。
イメージの伝染ですね。


イメージってのは強力です。
例えば動物に対する一般的なイメージとかも、
本当の生態・実態より広まって
そのうちイメージの方が本物と見なされているような。

本質よりイメージの方が強いってこと多そうですよね。


「死=怖い」と思うのは、本物の死に慣れていないからかも。
まだ死に触れたことがあまりない自分はそう感じます。

一応、生き物たちの死骸や捕食の様子は見ていますし
食べることも日々「死」に触れることではありますが
それをハッキリ「死」だと理解してはいないような。

すると、「死」「痛み・苦しみ」「恐怖」がごっちゃになる気がします。

それぞれ近しいところにはあるけれど別物だと思うし、
痛みや苦しみや恐怖を伴う死もあるだろうけれど
イメージを変えてその連鎖を断ち切ることもできるはずです。



でも結局死をどうとらえるのが正解か、
亡くなった方に対しどのように思うのが正解かってよく分かりませんね。

今生きている世の中も
後になってみればおかしいと感じるところが山ほどあるんだろうし、
生きている人間との関わり方だってこれで良いのかどうか分かりません。
法律やシステムだって全部。

結局何が正しいかなんて決まっていないのだとしたら、
幽霊をバカにするような態度は絶対失礼だけれど、
死後の世界に興味を持つのは間違いじゃない……気がします。


いや、そもそも、
社会は間違ったり失敗したりして発展していくものなのかも。
事故や事件や戦争だってできれば起こってほしくないと思うけれど、
それがないと今の世界はなかったのかも。

悲しい出来事だって全部無駄ではなくて、
死もそれで「終わり」じゃなくて
これからもずっと先があるのかも。

だから現時点での死へのとらえ方が間違っていたとしても、
これから成長していけばいいですね。


ということでこれからも、人の気持ちを考えて
「現段階でのとらえ方は間違いかもしれない」
ということも視野に入れつつ、怪談を聞いていこうと思います。

どうしても「ギャー怖い」などと思いつつ、
それでも気になる、なんて気持ちで見てしまったりするのですが……。
あまり失礼のないように気をつけたいです。


いつかはこちらと死後の世界が繋がって、
クリアになったら良いですね。


ではこれで終わります。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!



posted by 四月一日 at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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