2013年06月23日
不思議の国インド旅行その6
釈迦4大聖地 初転法輪の地サルナート
初転法輪(しょてんぽうりん)とは 釈迦が初めて自ら得た悟りを人びとに説いたことを言います
釈迦はブッダガヤの菩提樹下で悟りを開いた「降魔成道」の後 サールナートで5人の修行仲間(五比丘)に初めて自ら得た悟りすなわち法を説きました
このサルナートの地において仏法と言う法輪が初めて回り始めたのです
釈迦は当初 自ら得た悟りは言葉にして理解をするには難しいと感じ 衆生に悟りを説いても理解されないだろうと法を説くことをためらったとされています
沈黙する釈尊を梵天をはじめとする数々の如来や菩薩が説得し 梵天らの懇願を受け入れたのが「梵天勧請」です
梵天勧請を受けた釈迦はサルナートの地において初転法輪を行い その後 クシナガラで入滅するまで八万四千の法を説いたと言います
今の時代のように記録する紙や鉛筆もなく ましてや録音するテープさえない状態で これらの説法を口伝により経典として 数々の弟子たちが残していったのでした
サルナートの遺跡の前に座り 同行の方のお説を聞きながら
2600年近くの昔 ここで釈迦はどのような気持ちで どのような背景の中で法を説いたのかという思いを馳せめぐらせました
2600年というと日本の起源がおよそそれぐらいではないかということを聞いたことがあります
ここインドではメンテナンスをしない国柄だという話に触れましだが
広大なインドの大地では文明の転生輪廻を垣間見ることができます
日本では島国であるがゆえに建造物などは傷めばそれを直しつつ使用し 古くなり直せなくなれば壊して新しく建て直します
日本の文明は日本という島国において継承されつつ進化してきました
しかし このインドでは文明の栄枯盛衰は一つの文明が終わればそのまま捨て去られ 新しい場所に新たな文明が起きてくる というもので過去の文明は風化しつつそのまま残っているのです
まさに諸法無我がここにあります
諸法無我
諸々の法 それぞれの文明 そしてその根幹である法 すなわち教えや風習そして建造物などの空間でさえ
我ならず 本当は無に帰するものだ
そして 不思議の国インドでは文明をも無に帰するほどの巨大なる「空」があるのです
「空」とは「無」ではなく 何かの存在を許すことの出来る空間であり 場所なのです
初転法輪(しょてんぽうりん)とは 釈迦が初めて自ら得た悟りを人びとに説いたことを言います
釈迦はブッダガヤの菩提樹下で悟りを開いた「降魔成道」の後 サールナートで5人の修行仲間(五比丘)に初めて自ら得た悟りすなわち法を説きました
このサルナートの地において仏法と言う法輪が初めて回り始めたのです
釈迦は当初 自ら得た悟りは言葉にして理解をするには難しいと感じ 衆生に悟りを説いても理解されないだろうと法を説くことをためらったとされています
沈黙する釈尊を梵天をはじめとする数々の如来や菩薩が説得し 梵天らの懇願を受け入れたのが「梵天勧請」です
梵天勧請を受けた釈迦はサルナートの地において初転法輪を行い その後 クシナガラで入滅するまで八万四千の法を説いたと言います
今の時代のように記録する紙や鉛筆もなく ましてや録音するテープさえない状態で これらの説法を口伝により経典として 数々の弟子たちが残していったのでした
サルナートの遺跡の前に座り 同行の方のお説を聞きながら
2600年近くの昔 ここで釈迦はどのような気持ちで どのような背景の中で法を説いたのかという思いを馳せめぐらせました
2600年というと日本の起源がおよそそれぐらいではないかということを聞いたことがあります
ここインドではメンテナンスをしない国柄だという話に触れましだが
広大なインドの大地では文明の転生輪廻を垣間見ることができます
日本では島国であるがゆえに建造物などは傷めばそれを直しつつ使用し 古くなり直せなくなれば壊して新しく建て直します
日本の文明は日本という島国において継承されつつ進化してきました
しかし このインドでは文明の栄枯盛衰は一つの文明が終わればそのまま捨て去られ 新しい場所に新たな文明が起きてくる というもので過去の文明は風化しつつそのまま残っているのです
まさに諸法無我がここにあります
諸法無我
諸々の法 それぞれの文明 そしてその根幹である法 すなわち教えや風習そして建造物などの空間でさえ
我ならず 本当は無に帰するものだ
そして 不思議の国インドでは文明をも無に帰するほどの巨大なる「空」があるのです
「空」とは「無」ではなく 何かの存在を許すことの出来る空間であり 場所なのです