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2018年12月20日
お笑いの評価とは
だいぶ時間が経ちますがいまだに
いろいろと問題がほじくりかえされるМ-1の問題。
人に対しての身体や感情を伴う非難は
単に相手にダメージを与えて自分の感情を発散させる行為
もしくはダメージを与えて自分の主張を通す行為であり
そんなの良くないに決まっていますので
いまさらどうこう言ってもしょうがないと思います。
私が考えたいと思うのは
漫才の審査を「面白い」「面白くない」で
判断して良いかという問題です。
この人の評価に関するところは
私が企業で心理的な商品開発のコンサルティングをしていても
よく遭遇する話なのです。
そもそもM-1は誰に見てもらい何を感じてもらいたいのか
という原点を考えるといいでしょう。
もし漫才の「技能性」をとらえているなら
その分野の専門家が細かい基準をもって
評価したらいい。
素人よりも専門家がその高度さに点数を付けるのです。
あくまでもお客様に楽しんでもらうものとするならば
審査員はお客様メインにすべきでみんなが単純に
面白いと感じたものを評価したらいい。
今回はこの問題が混載していて整理されていないので
ちょっと問題よと感じました。
そもそも人の「面白さ」というのは
本来、千差万別でとても標準化できるものではありません。
みなが感じる面白さは微妙に違います。
私は漫才はお客様のためにあるのだから
予選、本選通して
単純にお客様視点でいいんじゃないかなと思います。
専門家が「面白い」「面白くない」で
評価してしまうとハマるかハマらないかで
受ける人が不満に思うのは仕方ないです。
むしろ審査員は点数を付けるのではなく
アドバイザーとして
「こんなところをこうしたらもっと良くなるのでは」
と育成に特化してもいいのではないかと感じました。
いろいろと問題がほじくりかえされるМ-1の問題。
人に対しての身体や感情を伴う非難は
単に相手にダメージを与えて自分の感情を発散させる行為
もしくはダメージを与えて自分の主張を通す行為であり
そんなの良くないに決まっていますので
いまさらどうこう言ってもしょうがないと思います。
私が考えたいと思うのは
漫才の審査を「面白い」「面白くない」で
判断して良いかという問題です。
この人の評価に関するところは
私が企業で心理的な商品開発のコンサルティングをしていても
よく遭遇する話なのです。
そもそもM-1は誰に見てもらい何を感じてもらいたいのか
という原点を考えるといいでしょう。
もし漫才の「技能性」をとらえているなら
その分野の専門家が細かい基準をもって
評価したらいい。
素人よりも専門家がその高度さに点数を付けるのです。
あくまでもお客様に楽しんでもらうものとするならば
審査員はお客様メインにすべきでみんなが単純に
面白いと感じたものを評価したらいい。
今回はこの問題が混載していて整理されていないので
ちょっと問題よと感じました。
そもそも人の「面白さ」というのは
本来、千差万別でとても標準化できるものではありません。
みなが感じる面白さは微妙に違います。
私は漫才はお客様のためにあるのだから
予選、本選通して
単純にお客様視点でいいんじゃないかなと思います。
専門家が「面白い」「面白くない」で
評価してしまうとハマるかハマらないかで
受ける人が不満に思うのは仕方ないです。
むしろ審査員は点数を付けるのではなく
アドバイザーとして
「こんなところをこうしたらもっと良くなるのでは」
と育成に特化してもいいのではないかと感じました。