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2018年09月09日
地震現場の報道について
震度7を記録した北海道胆振東部地震によって
北海道全体に大きな被害がでました。
厚真町では地滑りによって家が飲み込まれてしまい
多くの被害者がでました。
現場に行ったレポーターは
親族と思える方に状況や心境を聞いている報道が
たくさんニュースから流れてきました。
中でも高校生にマイクを向けて
残された親族のことを聞く
高校生は涙ながらに一生懸命に
現状と家族が助かってほしいという
気持ちを話してくれます。
見ている私たちはそれを見て
一緒に助かってほしいと願い
被害の大きなに一緒に苦しみました。
報道としては現状を伝えるという使命を
免罪符にいろいろと切り込んでいきますが
私はやっぱり高校生にそんな辛いことを
話をせめるメディアに違和感を覚えます。
高校生以外にもいろいろな人が
自分の兄弟や親が犠牲になったという
話をしてくれます。
こうした取材が全て悪いとは思いません。
被害者の方は第三者が近くにいることで
冷静になれたり
話をすることで気持ちが整理できたり
する心理があります。
話をしてもいいのか
したくないのか
それは人それぞれです。
でも高校生にそうした立場を用意してしまうのは
本人の気持ちを考えたら
辛さが増すのではないかと考えてしまいます。
また
この報道の背景にあるのは
報道する側はジャーナリズムや
何かを伝えて活かすという使命感が前提にありますが
ニュースの作り方を見ている限り
圧倒的に「数字が取れたらいい」という気持ちが
垣間見れます。
正義を盾にした個々の野心です。
テレビ局によってはそれがひどく
テレビではうつしていない現場での横暴ぶりは
私のところにもよく入ってきます。
また見ている側も
好奇心や無意識に「かわいそう」と思いたい気持ちが
あるようにも思えます。
人は他者を「かわいそう」と感じたい残酷な気持ちが眠っていて
それが高まっていくと
こうした報道を求めているのです。
もちろん、こうした気持ちが募金に繋がったり
支援に広がることも多いので
悪いわけではないと思います。
被災された方や現場にしてみれば
気持ちもうれしいと思いますが
何より物理的な助けがあることが
とても大事だと思うからです。
報道やそれを求める私たちも
苦しんでいる人や困っている人にもっと
よりそえるような社会になってほしい
そうなったらいいのにと思います。
亡くなった方のご冥福をお祈りします。
北海道、関西をはじめ全国の
被災された皆様が一日でも早くもとの生活に戻れますように
お祈りいたします。