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タグ / 川島芳子生存説

記事
川島芳子は生きていた(37)憲立の証言 [2016/05/18 07:46]
https://fanblogs.jp/kawasimayoshiko/よりの転載 日本訪問期間に我々はまた川島芳子の同腹の兄である愛新覚羅・憲立が川島芳子について書いた手記を手に入れることができた。これは我々調査団にとって、貴重な資料的価値があるものだ。 清粛親王善耆には五人の妻がおり、合わせて三十八人の子供を設けた。そのうち第四側福晋、張佳氏は善耆の五番目の妻で、十人の子供を生んだが、憲立はそのうちの最も長じた子供(全部合わせると第十四王子)で、川島芳子は三番目の子..
川島芳子は生きていた(8)段連祥の経歴 [2016/03/08 07:38]
https://fanblogs.jp/kawasimayoshiko/より転載 段連祥は、川島芳子が一九四八年三月二十五日に死刑を逃れた後に、長春市郊外新立城に逃亡し落ち着くまでの主要な幇助者の一人で、また解放後には川島芳子と夫妻の形式で共に生活し、忠実に川島芳子が一九七八年に死去するまで付き添い、三十年間の長きに渡る唯一の当事者であるが、そこで次のような質問が避けて通れないだろう。「すなわち段連祥とはいったい何者か?」という問である。歴史上彼と川島芳子にはどんな関係が..
川島芳子は生きていた(7)李剛の決意 [2016/03/07 08:56]
https://fanblogs.jp/kawasimayoshiko/よりの転載 同年代の人々に比べて、李剛の出身と経歴は比較的波乱に富むものであった。その家族の一世代前の十数人が皆中国のために苦労して重大な貢献をした革命家であった。彼等のうちのあるものは東北抗聯の重要な指導者であったり、北京の共産党地下活動の責任者であり、元吉林省共産党委員会書記で省長の前世代の革命家であった于克からは「紅色家族」(紅は革命の色)との名誉を受けていた。李剛の父親に当たる李延田は一九三五..
川島芳子は生きていた(6)理解者が現れる [2016/03/06 08:52]
https://fanblogs.jp/kawasimayoshiko/より転載 二〇〇六年夏、張玉はすでに段連祥の遺言の陰影から抜け出し、画に専心して『紅楼夢』の十二美女人物画を創作した。人から吉林省文化庁周維傑庁長(現在既に退職)が人物画の造詣にたいへん深いと聞くと、張玉は自分の画を持って周文化庁長に面会に行った。周庁長は張玉の人物画を見た後に、画に対して賞賛する意見を述べただけでなく、彼女に『紅楼夢』に出てくる全ての女性人物を描いて、『紅楼夢』の美人達を集め、『紅楼..
川島芳子は生きていた(4)方おばあさんの遺品 [2016/03/04 08:16]
https://fanblogs.jp/kawasimayoshiko/よりの転載 段連祥は秘密を語り終わると、手で指示して身辺の物を詰めた箱を持ってこさせ、張玉に箱を開けるように言った。箱の中にあった品々はそれぞれ祖父段連祥と方おばあさんに関連する物品で、段連祥は一つ一つ品物の来歴を説明した。 日本女性が風呂場にいる絵の掛け軸で、牛皮紙で表装してあるもの。段連祥が言うには、これは張玉が生まれる前に方おばあさん(川島芳子)が新生児(張玉)のため記念に書いた絵である。..

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