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2015年12月17日

黄石公の伝説

 黄石公というのは劉備の軍師であった張良に「太公望兵書」という兵法の書を授けたとされる伝説上の人物である。張良の伝説では、橋の上で会った老人に落とした靴を拾って来いといわれ拾ったところ5日後に橋で会おうといわれた。そこで五日後に行くと老人がすでに待っており来るのが遅いと言われ、また5日後に会おうと言われた。そこで5日後に朝早く行くと再び老人が待っており、来るのが遅いといわれ5日後に会うことになった。今度は張良は夜の暗いうちから出かけて待っていると、後から老人が来て兵法の書をさずけ「将来は王者の軍師になるだろう」と予言したという。

 ここまでは良く知られた話だが、曲陽という河北省保定市にある町では黄石公に関してさらに詳しい伝説が伝えられている。黄石公は安徽省の黄山に捨てられた孤児だったため黄公と呼ばれるようになった。彼には二冊の著作があり、一つは張良に与えた「太公望兵書」であり、もう一つは「彫刻天書」という彫刻の本であった。「彫刻天書」のほうは曲陽の宋天昊と楊芸源という名の二人の彫刻師に与えた。それで曲陽はいまでも白大理石の彫刻で有名な町となっているという伝説だ。

 これらの伝説が正しいとすると黄石公の活動範囲はかなり広いことになる。まず黄石公が活動の中心としていたのが安徽省の黄山だ。そして張良に出会ったのは江蘇省徐州市の下邳である。そして彫刻の街として知られるのが河北省の保定市である。徐州と黄山はまだ距離的に往来が可能な範囲に見えるが、河北の保定となるとかなり離れているのがやや嘘くさい。だが曲陽の二人の弟子の名前が秦末漢初という古い時代なのにはっきりとしているなど妙に詳細な点もある。はたしてどこまでが伝説で、どこまでが真実なのか気になるところである。

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タグ:黄石公
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