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2015年12月06日

重慶大空襲

今日の中国中央テレビでのドキュメンタリーチャンネルでは重慶大空襲が取り上げられていた。日本人は東京大空襲は知っていても、日本軍が中国の首都であった重慶を何度も空襲していたことはあまり知らない。日本軍は占領した漢口の飛行場から1938年から1943年までの間に218回も重慶を空襲し、出動した爆撃機は延べ9000機、投下した爆弾の数は11500発にも上るという。

また、この爆撃では焼夷弾も用いられたが中国の家屋は日本とちがい木造ではなくレンガ作りが多いので東京大空襲ほどには効果がなかったようである。重慶市民は防空壕を掘って対応したが、それでも長期にわたる頻繁な爆撃で2万人以上が空襲で死んだと推計されている。

中国側も防衛のため飛行隊を飛ばして反撃したりソ連の志願飛行部隊による反撃を試みた。また地下に大規模な防空壕を掘り対応したが、初期には防空壕に入るためにチケットを金を出して購入する必要があり金持ちしか入れなかったという。また後期にはあまりに多くの人が防空壕に殺到したため、酸欠になり防空壕の中の人が呼吸困難で死ぬという事件もあったという。

重慶大空襲は日本軍の陸軍航空隊指揮官であった遠藤三郎中将が度重なる爆撃にもかかわらず、あまり効果がないことを知り「重慶爆撃無用論」を陸軍参謀本部に提出し爆撃を中止したという。遠藤三郎中将によれば、中国側は深く張り巡らされた防空壕や郊外への疎開により対応しており、首都への爆撃という心理的な作用に対する効果は期待されないとする内容であった。

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