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2015年12月04日
蒋百里
今日の中国中央テレビのドキュメンタリーチャンネルの番組「大後方」で取り上げられていたのが、蒋百里という軍事理論家であった。あまり日本では有名ではないが、1904年に日本の陸軍士官学校を卒業しており奥さんも日本人だ。蒋百里は日本留学後もドイツに留学して軍事を研究し、帰国してからは中国の保定陸軍軍官学校校長や中国の陸軍大学校長などを歴任した。
軍人なのだが実戦で軍隊を率いるタイプではなく、どちらかというと専ら軍事理論と教育の方面で活躍した人物だった。奥さんは日本人で女の子ばかり五人を産んで育て、そのうち三女は後に銭学銭というロケットや原爆の開発で有名な物理学者と結婚した。蒋百里自身も学究肌で梁啓超や胡適や徐志摩といった文人とも交流があった。
1933年には日中戦争が起こることを予見し、日中がもし開戦した場合には中国は海岸沿いを放棄して内陸深くに後退し持久戦に持ち込んで日本の消耗を待つという作戦を立てた。そして蒋百里の作戦通りに中国は以前の首都であった北京や南京が陥落すると四川の重慶という内陸の都市に移動して、持久戦に持ち込んだのであった。
また西安事件では張学良に軟禁された蒋介石を説得して周恩来と会談するよう仲介した。蒋介石は若い頃に蒋百里が校長だった保定軍官学校の生徒であったことがあり、このかつての恩師を尊敬していたという。
今年は習近平と馬英九が握手するなど中国共産党と国民党が再び合作する姿勢を見せているせいか、これまであまり取り上げられることのなかった国民党系軍人が再評価されており、蒋百里はその再評価された一人であろう。
軍人なのだが実戦で軍隊を率いるタイプではなく、どちらかというと専ら軍事理論と教育の方面で活躍した人物だった。奥さんは日本人で女の子ばかり五人を産んで育て、そのうち三女は後に銭学銭というロケットや原爆の開発で有名な物理学者と結婚した。蒋百里自身も学究肌で梁啓超や胡適や徐志摩といった文人とも交流があった。
1933年には日中戦争が起こることを予見し、日中がもし開戦した場合には中国は海岸沿いを放棄して内陸深くに後退し持久戦に持ち込んで日本の消耗を待つという作戦を立てた。そして蒋百里の作戦通りに中国は以前の首都であった北京や南京が陥落すると四川の重慶という内陸の都市に移動して、持久戦に持ち込んだのであった。
また西安事件では張学良に軟禁された蒋介石を説得して周恩来と会談するよう仲介した。蒋介石は若い頃に蒋百里が校長だった保定軍官学校の生徒であったことがあり、このかつての恩師を尊敬していたという。
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