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2015年11月27日

中国と東京裁判(25):『梅汝璈日記』22

1946年5月13日月曜日
今日は九時半に開廷し観衆は特別に多く主に日本人が多かったが、おそらく彼らは被告の動議(法廷管轄権の問題)に大きな関係があるのであろう。孫立人将軍も参観に来て「貴賓席」に座り、私はまたも羅秘書を招待した。淡如(王之将軍)と孫立人の副官曾君も会場に来ていた。

先に被告の弁護士代表である清瀬一郎が先日提出した書面申請が力を発揮した。この老人は従容として繰り返しながら一段落述べればそれを訳し、彼一人だけで一時間半を占めた。話した言葉は多かったが、あれこれ言っても、書面よりも新規なことは何もなかった。様々に引用をしたが、つまるところは憲章に侵略戦争に対する処罰と平和と人道に対する罪が規定されているのはポツダム宣言範囲外であり、投降書の条件の許すところではないという主張であった。彼の主張によれば日本の投降は条件付ということになる。彼のこの論点は私から見れば、とても危ういものである。

裁判長は十分の休憩を宣言した。法廷が再開するとキーナン氏が答弁を始め、彼は彼の準備した長い文書を読み始めた。十分も立たないうちに、ウェッブ氏がキーナン氏の発言に干渉して、これらの修辞学上の文句は必要なのかと尋ねた。キーナン氏は怒り、腹を立てながら答えた。彼はなおも読み続けて、スターリンやルーズベルトの名言を引用し始めると、ウェッブ氏はわざと干渉して、彼の演説はあまりに扇動的だと言った。キーナン氏はまた怒り、なおも強弁したので、法廷は彼にしゃべりおわるまで続けさせたが、彼は面子をつぶされたようであった。私は1,2度ウェッブ氏に干渉しないように忠告した。私はウェッブ氏があまりにも感情的過ぎると思ったからである。あるいは彼はキーナン氏をまったく相手にしていなかったのであろうか。しかし、ここは報復をする場ではない。

十二時に休廷し、午後一時半に再開した。私は急いでホテルに戻って昼食を取り、十分間昼寝して、再び方秘書と共に裁判に戻った。一時半はまったく十分な時間ではなく、特に私にはそうであるがなおも観衆は満席であった。

キーナン氏は英国の陪席検察官カール(Carr)氏を紹介して、もう一方の答弁を開始した。カール氏は論文を読むように彼の答弁書を一度読んだが、大方四五十分を費やした。材料は比較的具体的で充実していた。キーナン氏が世界に向けて演説するのに対して、カール氏は法廷に向けて弁論を提出する。おしいことにカール氏の朗読の技術があまりよくないため、英国のアクセントが耳障りで、少なくとも私にはそうであった(ここ数日私の内心の反英感情はとても高くなっていた)。

休憩を十分とり、カール答弁書の日本語訳を読み始めた。私は黒眼鏡をかけて、もう少しでうたた寝をするところであった。読み終わると、清瀬がまた反駁したが、この老人はよどみなく話すわりには新しいところがない。ウェッブ氏は彼が条件付きの降伏と無条件降伏との区別がつかないようなので笑ったほかは、彼を制止したり干渉したりはしなかった。

清瀬がトルーマン大統領の今年正月の演説を引用した時、キーナン氏はたまらず法廷に抗議をした。ウェッブ氏はたいへん偏見をもっているようで、抗議の理由を問うこともなくキーナン氏に「さっきあなたはルーズベルト氏の引用をしたのはよくて、どうしていまトルーマン大統領を引用するのはいけないのか?」と述べた。キーナン氏はますます怒って、彼は元々顔が赤く赤鼻であるのに、ここに至って、ほとんど紫色になっていた。彼は憤然として、「私が引用したのはポツダム会議以前の話で、会議のときの人々の戦犯に対する理解を説明している。トルーマン大統領の今年の正月の演説は本題と何の関係があるのか。私は誰の話かで区別したり偏見をいだいているわけではない。」ウェッブ氏は自分のほうに理がないのに気が付くと、わざと左を向いて私に尋ね、また右を向いてヒギンズ氏にキーナン氏の抗議を受け入れるかどうか尋ねた。私は受け入れるように主張し、ヒギンズ氏も同意した。そこで彼は清瀬の発言を止めざるを得なくなった。

今日はとても緊張し、また暖房がまた熱く、着ている衣装も多かったので、もうすこしでめまいがしそうであった。幸運にもすぐに閉廷解散が宣告された。

ホテルに戻りお菓子を食べて、少し寝た。合作社ですこしの物を買い、土産の準備をした。裁判官たちとテーブルで食事をする際に、私は露骨にマクドゥガル氏、レーリンク氏、パル氏、パトリック氏に対してウェッブ氏の今日の態度への不満を表明した。公亮(朱世明)が来て、みなで孫立人の部屋で話をした。九時に私は部屋に戻り二通の手紙を書いて孫立人に託した。日記を書いた。

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