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2015年11月23日

中国と東京裁判(21):『梅汝璈日記』18

1946年5月9日木曜日
起きてからすぐに、ヒギンズ氏より電話があった。彼によれば専用機の交渉はすでに難関を突破しおおむね成功したので、現在はただ手続きの問題だけである。彼は私に十時に裁判所の事務室へ相談に来るように告げた。私はたいへん喜んで応諾し、彼が熱心に奔走した事に敬意を表明した。

十時に私たちは裁判所の私の事務室で会い、秘書長が一枚の中国行きの理由を書く表を持ってきたので、私とヒギンズ氏とで署名をした。我々三人は旅行のプログラムを相談したが、方秘書は上海人なので彼も参加することになった。我々はとても楽しく語らい、ヒギンズ氏は自分のことを「中国の愛慕者」と称した。我々の専用機には私たち二人と方秘書とフェロス秘書とパイロットの五人以外に、もう一人コルバート(Lt. Colbert)が我々の護衛武官(Military Aid)として付いてくることになった。全て妥当に手配をして、あとは司令部の批准を待つだけとなった。

裁判所を出てから中国代表団に行った。明思(向検事)と電話で会う約束をしていたからである。私と公亮(朱世明)、明思(向検事)の三人は長いこと相談したが、それは起訴書の中の二項における「モンゴル人民共和国」の問題であった。

相談が終わってから、公亮(朱世明)が二品の中国料理を注文し、私にも残って代表団で食事するように言った。食事の後にホテルへ戻って少し寝た。起きてから太極拳を練習し、新聞紙を読んだ。まもなくボーイがコールマン少佐の「国際弁護班」設置に関するマッカーサー元帥宛の文書を持ってきた(彼は憲章の修正を求めていた)。私は一通り見たが、大変に不合理であると感じた。

夕食後に裁判長のウェッブ氏とこの事を話したが、彼も同感で、私よりも憤慨していた。彼は明日裁判官会議を招集して対応を協議すると言った。

ヒギンズ氏が常々あこがれている「中国旅行」について、彼は私のところに来て長く話をした。我々は一緒に映画館に行き、見終わると再びバーで話をした。私は彼がとても興奮していたので、彼に警告して「あんまり高く期待しないでください、そうでないと失望する事になりますよ」と言った。彼は「例えどのようであれ、私は失望しないよ」と答えた。

十一時に別れて、私は部屋に戻り、日記を続けて書き、約十二時に就寝した。

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