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2015年10月18日

旅順の思い出(3)白玉山塔

203高地を後にした私はタクシーの運転手に半分無理やりに白玉山塔に連れていかれた。そもそも私はこの建物の存在を知らなかった。再三断ったにもかかわらず、タクシーの運転手がどうしても見て行けというので仕方なく来たのだが、確かに来て十分見ごたえのある建築物だ。タクシーの運転手に感謝しなければなるまい。
写真は白玉塔の入口と全景。

白玉塔白玉山塔

この建物は元の名前を表忠塔と呼び、乃木希典が旅順攻略の際に犠牲となった日本兵の部下たちのために建立した塔だ。現在は白玉塔と呼ばれており、名前の通り白い大理石でできた大変に豪華で立派なものだ。

旅順港白玉塔

この塔からは旅順港が一望でき大変眺めがよいこともあり、中国人観光客も多く訪れる観光スポットとなっている。この白玉塔で追悼されているのは日露戦争で旅順攻略の際に命を落とした兵なのだが、壊すのも大変なためか中国政府も名前だけ変更して壊さずに保存している。

旅順港はロシア艦隊が太平洋や日本海側に出るために何度となく日本と争奪を繰り返した良港だった。そういえば旅順に来る前に大連の百貨店で刺青をして凶悪そうなロシア人の水兵を見かけたが、今でもウラジオストックやサハリンあたりのロシア艦隊がここらへんまで南下することがあるのだろう。司馬遼太郎に日露戦争を描いた『坂の上の雲』で無能な将軍として描かれた乃木希典だが、下の本では乃木希典の指導力や作戦が再評価されている。

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旅順の思い出(2)203高地

タクシーで向かったのは203高地。運転手はすぐに私が日本人だと気づいたようだ。運転手になぜわかったのか聞いてみると、「203高地に来るのは日本人だけだから」という答え。言われてみれば確かにそうだ。中国人もロシア人もこの山に来ることはほとんどあるまい。

自動車で上がれる山の中腹からしばらく歩くと、旅順港を見渡せる展望台がある。

203高地

さらに上に上がると当時の大砲を利用して作った「爾霊山」と彫られた碑石がある。この「爾霊山」は(にれいさん)と読み「203」と同音になっている。

碑文

日清戦争ではわずか1日で旅順を陥落させた乃木希典であったが、日露戦争でロシア相手にはかなりてこずった。ことに旅順港を一望できロシア艦隊を爆撃できる位置にある203高地はロシア兵により難攻不落の要塞となっていた。ここを落とすのに乃木希典は歩兵の突撃を繰り返し無駄に犠牲を増やした。203高地の戦闘についてはさだまさしの名曲がしみる下の映画を見てください。

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乃木希典が手こずって膠着状態にあることを聞いた児玉源太郎はわざわざ参謀として赴き、ここに大砲による爆撃を徹底的に行い203高地の占領を成し遂げた。司馬遼太郎は『坂の上の雲」で頭の切れる天才参謀の児玉源太郎と比較して、乃木希典を凡庸な将軍であるかのように描いている。しかしすでに旅順港のロシア艦隊は戦力を失っており203高地の攻撃は不要であると唱えた乃木希典に対し、執拗に攻撃を主張したのは内地の大本営であった。映画の203高地が古く感じる世代の方にはNHKのドラマで放映されたこちらの方をどうぞ。

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旅順の思い出(1)旅順大虐殺

旅順は三年前に一度行っただけだが印象は深いものがあった。
たまたま仕事で行く用事があり、そのついでにいくつかの観光スポットを回ったのである。
その時の写真がいくつか出てきたので、旅順の思い出として3回にわけて語っておきたい。

旅順には大連からバスで3時間ほどかかり、交通はあまり便利とは言えない。
ただ市内は中規模の街並みとなっており、それほど田舎という感じではない。
海と山が見えるどこか日本の海岸沿いの地形に似た風景があるのが旅順だ。
下の写真は「虎の尾」と呼ばれる旅順港の一部。

旅順港

市内でタクシーに乗り移動したが、タクシーの運転手から旅順大虐殺を知っているかと尋ねられた。
虐殺の舞台の一つとなった旧病院の建物の近くを通りかかったときのことである。

南京大虐殺はよく聞くが旅順大虐殺があったとはこのときに初めて聞いた。
後に気になって調べてみると、1894年の日清戦争の際に日本軍が市内の民間人を数千人規模で虐殺した事件だ。虐殺を命じたのは第一師団長山地元治であったようだが、南京大虐殺と同じく民間人に変装した便衣兵を掃討するためだった。

この事件が発生した時の旅順攻略には第二軍司令官大山巌大将や第一旅団長乃木希典少将が軍を率いており、この際には旅順の要塞を1日ほどで陥落させている。海外の新聞などで虐殺が報道され問題とされたものの、当時の日本政府は事件のもみ消しを図り結局は軍関係者へのおとがめもなかったようだ。

日本人は加害者であることもあり歴史をすぐに忘れるが、被害者の側の地元の人は100年たっても忘れていないのだから恐ろしいものだ。

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