2014年02月27日
孔子巡礼の旅(7)孔子誕生の地ー尼山
孔林の出口でタクシーを拾った私はバスターミナルへと向かった。孔子の名前の由来ともなっている尼山に詣でるためバスに乗るためであった。尼山はまた尼丘とも呼ばれ、孔子の本名が仲尼とか仲丘と呼ばれるのはこの尼山にちなんでいる。
尼山は曲阜の町からバスで40分ほど離れた郊外に位置している。バスターミナルで「夫子洞」行きのバスの乗車券を購入してバスに乗り込む。「夫子洞」とは孔子の名前「仲尼」の由来となった尼山の麓にある洞窟で、孔子の母親がここで孔子を生んだという伝説がある洞窟である。
バスは曲阜の南へ向けて走っていくが、狭くあまり整備されていない畑の広がる田舎道へ入っていく。バスに乗っていた乗客は途中の村や集落で次々と下車し、バスの中の乗客はとうとう私一人となった。バスの運転手が「どこまでいくんだい?」と尋ねるので、「孔子の生誕場所まで」と答えるとバスの運転手も納得した様子であった。
集落が途切れた道の奥のカーブを曲がると前方に沢山の村人たちが集まってお祭りをしている様子が見えてきた。今日は新春の山開きのお祭りで屋台などが出て村人総出で賑わっているのであった。運転手に帰りの便もバスがあるかと確かめると、「夕方まで一時間に一本バスが出ている」という答えだったので安心してバスを降りた。もしバスがなければ車もほとんど通らないこの田舎道でタクシーを拾うのは相当に困難であろう。
尼山は現在きれいに公園として整備されているが、周囲は畑が広がり車の通りもほとんどないような田舎の山奥にある。今日は新春の開園記念として地元民には特別に無料で開放されているようで、村人たちは身分証明書を門衛に見せると入場を無料で許されていた。私は外国人なので門衛に入場券を購入して入園するよう言われ入場券売り場に行ったが、売り場の女性が怪訝そうな顔で私のパスポートを見ていた。曲阜から尼山までは相当離れているから、ここまで観光に訪れる外国人は珍しいのであろう。尼山には孔子の父親や先祖たちを祭る廟が建てられていた。
孔子の父親はこの尼山のほど近い村でいわば村長をしていたが、孔子が生まれた時にはすでに老齢に達しており60過ぎであったという。母親の顔氏もまたこの尼山の付近で孔子を生んだが、母親の顔氏のほうはまだ十代のうら若き乙女であった。歴史家の司馬遷が孔子の両親の関係を「野合」と記録していることからすると二人の結婚は正式なものではなかったようだ。
また孔子も母の死まで父親が誰かを知らなかったというから、孔子の誕生には複雑な家庭の事情があったようだ。尼山のふもとの夫子洞には伝説があり、孔子の父親は孔子があまりにも容貌が醜いのでこの洞窟に孔子を捨てたが鷹と虎が孔子に食べ物を運んで孔子を飢えから救ったという。この伝説にも孔子の誕生が周囲から祝福された幸福なものではなかったことが反映されているように思える。
尼山公園を一通り見て回ると、私は帰りの尼山公園の奥にあるバス発着所に向かった。バスの発着所には待合室を兼ねた寂れた食堂がある。15分ほどバス車内で待つと運転手が待合室から出てきて乗り込み、バスは曲阜の町へ向けて走り始めた。帰りのバスの車窓から孔子の生誕地の周囲を目に焼き付けるべく周囲の風景を眺めた。
少し離れた山間に大型ホテルと観光施設を建設する計画があるらしく、工事中の大きな建設機械と建物の基礎が見えた。さらに尼山の近くには大きな河川が流れておりダムがあり、バスはその付近を通る。中国の河川は日本の河よりも雄大でゆっくりと流れており、ダムの周囲はまるで海岸沿いに立っていると錯覚せるような景色だった。孔子は「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」と述べたが、なるほど孔子を生んだ山河には確かに偉大な人物を育むにふさわしい威厳がある。
尼山は曲阜の町からバスで40分ほど離れた郊外に位置している。バスターミナルで「夫子洞」行きのバスの乗車券を購入してバスに乗り込む。「夫子洞」とは孔子の名前「仲尼」の由来となった尼山の麓にある洞窟で、孔子の母親がここで孔子を生んだという伝説がある洞窟である。
バスは曲阜の南へ向けて走っていくが、狭くあまり整備されていない畑の広がる田舎道へ入っていく。バスに乗っていた乗客は途中の村や集落で次々と下車し、バスの中の乗客はとうとう私一人となった。バスの運転手が「どこまでいくんだい?」と尋ねるので、「孔子の生誕場所まで」と答えるとバスの運転手も納得した様子であった。
集落が途切れた道の奥のカーブを曲がると前方に沢山の村人たちが集まってお祭りをしている様子が見えてきた。今日は新春の山開きのお祭りで屋台などが出て村人総出で賑わっているのであった。運転手に帰りの便もバスがあるかと確かめると、「夕方まで一時間に一本バスが出ている」という答えだったので安心してバスを降りた。もしバスがなければ車もほとんど通らないこの田舎道でタクシーを拾うのは相当に困難であろう。
尼山は現在きれいに公園として整備されているが、周囲は畑が広がり車の通りもほとんどないような田舎の山奥にある。今日は新春の開園記念として地元民には特別に無料で開放されているようで、村人たちは身分証明書を門衛に見せると入場を無料で許されていた。私は外国人なので門衛に入場券を購入して入園するよう言われ入場券売り場に行ったが、売り場の女性が怪訝そうな顔で私のパスポートを見ていた。曲阜から尼山までは相当離れているから、ここまで観光に訪れる外国人は珍しいのであろう。尼山には孔子の父親や先祖たちを祭る廟が建てられていた。
孔子の父親はこの尼山のほど近い村でいわば村長をしていたが、孔子が生まれた時にはすでに老齢に達しており60過ぎであったという。母親の顔氏もまたこの尼山の付近で孔子を生んだが、母親の顔氏のほうはまだ十代のうら若き乙女であった。歴史家の司馬遷が孔子の両親の関係を「野合」と記録していることからすると二人の結婚は正式なものではなかったようだ。
また孔子も母の死まで父親が誰かを知らなかったというから、孔子の誕生には複雑な家庭の事情があったようだ。尼山のふもとの夫子洞には伝説があり、孔子の父親は孔子があまりにも容貌が醜いのでこの洞窟に孔子を捨てたが鷹と虎が孔子に食べ物を運んで孔子を飢えから救ったという。この伝説にも孔子の誕生が周囲から祝福された幸福なものではなかったことが反映されているように思える。
尼山公園を一通り見て回ると、私は帰りの尼山公園の奥にあるバス発着所に向かった。バスの発着所には待合室を兼ねた寂れた食堂がある。15分ほどバス車内で待つと運転手が待合室から出てきて乗り込み、バスは曲阜の町へ向けて走り始めた。帰りのバスの車窓から孔子の生誕地の周囲を目に焼き付けるべく周囲の風景を眺めた。
少し離れた山間に大型ホテルと観光施設を建設する計画があるらしく、工事中の大きな建設機械と建物の基礎が見えた。さらに尼山の近くには大きな河川が流れておりダムがあり、バスはその付近を通る。中国の河川は日本の河よりも雄大でゆっくりと流れており、ダムの周囲はまるで海岸沿いに立っていると錯覚せるような景色だった。孔子は「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」と述べたが、なるほど孔子を生んだ山河には確かに偉大な人物を育むにふさわしい威厳がある。
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タグ:中国 旅行 孔子 論語
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