2015年11月26日
中国と東京裁判(24):『梅汝璈日記』21
1946年5月12日日曜日
新聞を開けてみると、英国太平洋艦隊総司令フレーザー(Frazer)海軍上将が新聞記者を招待して談話を行った情況があり、彼は中国人民はみな英国が香港を保持するよう望んでいると述べていた。中央日報記者張仁仲氏はその場で彼と論争して勇敢に発言して、この帝国主義白人至上者のデタラメをいくぶんか正していた。
九時に私は代表団に話をしに行き、今日は日曜日だったので皆と会うことができた。十時過ぎにホテルに戻り、幾つかの文書を整理して、張仁仲氏のために法廷訴訟手続きに関する材料を探した。公亮(朱世明)から食事に誘う電話があり、代表団は今日の午後いくらかの中華料理を作ったとのことだった。私は食べに行ったが、あまりおいしいとは感じなかった。
三時から四時まで昼寝して、淡如(王之将軍)とホフ大佐が来てビルマ戦線の将軍である新一軍軍長の孫立人将軍が来て、帝国ホテルの一階10号に泊まっていると告げた。私はちょうど下の階に降りて挨拶しようと思っていたが、彼はすでに淡如と曾副官と共に私の部屋に来ていた。私はお茶とお菓子を持ってこさせ、みんなでおしゃべりをした。私と孫将軍が出会ったのはちょうど二十年前で(1926年夏季、彼は米国VMI軍校で学び、私と暘春叔と共に会いに行ったことがある)、それからは各自ばらばらとなり、会う機会がなかったが、指折り数えるとすでに一昔前になる。昔話をしたり、今の話をしたり、懐かしい話に花を咲かせた。
七時に公亮(朱世明)が孫立人を招いて京華酒家で中華料理を食べるというので、自然と私も行くことになり、覲鼎、明思、淡如、歌川もみな出席していた。料理はとても豊富で、私は東京に到着してから始めて最もやみつきになった。我々は食べたり話をしたり、なんでも話し、解散した時は知らず知らずにすでに十時になっていた。
ホテルに戻り日記をつけた。明日は開廷はおそらく緊張する一日となりそうなので、私は早く眠りたかったが、おなかがとても一杯で、ベッドに横になったのは一時になるころであった。
ここ数日は東京はとても騒がしい。フーバーが去った後はアイゼンハウアー元帥がまた来て(今日の朝のアイゼンハウアー元帥の閲兵に公亮も参加した。)このほかに英国海軍司令のフレーザー、米国対日賠償委員会首席のパウリー(Pauley)も東京にいた。残念ながら我国はちょうど内戦がたけなわで、なさけない有様で、そうでなければ世界に名前を轟かせてインドとビルマで功績を立てた孫立人将軍もこのように大いに顔を出せたことだろう。ここまで書いて、私は我国の国際的地位が日増しに低下するのを悲しみ、本当に筆を投げて三嘆した。
注*日記に登場する朱世明と孫立人は米国と関係の深い中国軍人であったが、後に蒋介石より謀反の疑いを掛けられ朱世明は暗殺され孫立人は軟禁された。
新聞を開けてみると、英国太平洋艦隊総司令フレーザー(Frazer)海軍上将が新聞記者を招待して談話を行った情況があり、彼は中国人民はみな英国が香港を保持するよう望んでいると述べていた。中央日報記者張仁仲氏はその場で彼と論争して勇敢に発言して、この帝国主義白人至上者のデタラメをいくぶんか正していた。
九時に私は代表団に話をしに行き、今日は日曜日だったので皆と会うことができた。十時過ぎにホテルに戻り、幾つかの文書を整理して、張仁仲氏のために法廷訴訟手続きに関する材料を探した。公亮(朱世明)から食事に誘う電話があり、代表団は今日の午後いくらかの中華料理を作ったとのことだった。私は食べに行ったが、あまりおいしいとは感じなかった。
三時から四時まで昼寝して、淡如(王之将軍)とホフ大佐が来てビルマ戦線の将軍である新一軍軍長の孫立人将軍が来て、帝国ホテルの一階10号に泊まっていると告げた。私はちょうど下の階に降りて挨拶しようと思っていたが、彼はすでに淡如と曾副官と共に私の部屋に来ていた。私はお茶とお菓子を持ってこさせ、みんなでおしゃべりをした。私と孫将軍が出会ったのはちょうど二十年前で(1926年夏季、彼は米国VMI軍校で学び、私と暘春叔と共に会いに行ったことがある)、それからは各自ばらばらとなり、会う機会がなかったが、指折り数えるとすでに一昔前になる。昔話をしたり、今の話をしたり、懐かしい話に花を咲かせた。
七時に公亮(朱世明)が孫立人を招いて京華酒家で中華料理を食べるというので、自然と私も行くことになり、覲鼎、明思、淡如、歌川もみな出席していた。料理はとても豊富で、私は東京に到着してから始めて最もやみつきになった。我々は食べたり話をしたり、なんでも話し、解散した時は知らず知らずにすでに十時になっていた。
ホテルに戻り日記をつけた。明日は開廷はおそらく緊張する一日となりそうなので、私は早く眠りたかったが、おなかがとても一杯で、ベッドに横になったのは一時になるころであった。
ここ数日は東京はとても騒がしい。フーバーが去った後はアイゼンハウアー元帥がまた来て(今日の朝のアイゼンハウアー元帥の閲兵に公亮も参加した。)このほかに英国海軍司令のフレーザー、米国対日賠償委員会首席のパウリー(Pauley)も東京にいた。残念ながら我国はちょうど内戦がたけなわで、なさけない有様で、そうでなければ世界に名前を轟かせてインドとビルマで功績を立てた孫立人将軍もこのように大いに顔を出せたことだろう。ここまで書いて、私は我国の国際的地位が日増しに低下するのを悲しみ、本当に筆を投げて三嘆した。
注*日記に登場する朱世明と孫立人は米国と関係の深い中国軍人であったが、後に蒋介石より謀反の疑いを掛けられ朱世明は暗殺され孫立人は軟禁された。
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