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2015年11月19日

中国と東京裁判(17):『梅汝璈日記』14

1946年5月3日金曜日
今日は極東国際軍事裁判の正式な開廷第一日目で、私が演出に参加する歴史的な劇の第一幕が開ける。私は三ヶ月前に重慶で政府から命令を受けた時のことを思い出していた。わたしは司法経験が欠乏しているし復員して家族の居る故郷に戻ったばかりで離れたくなかったので、政府の命令を受けた次の日に辞職願いを書いて外交部から行政院に提出してもらった。しかし数日もしないうちに外交部当局は孫院長に勧めの手紙を書かせて持ってきて、孫院長本人も私にこの命令を受けるように慇懃に勧める。

記憶しているのは、ある時に話していると彼は「これはとても得がたい機会で、価値があり興味深いだけでなく歴史に名を残すことができる。思ってみたまえ、半年も前には私たちは今日のようにほっと出来る日が来るとは思わなかっただろう?去年の今頃には独山も都奄煌ラ落して重慶の人でさえ恐れおののいて、どんな様子だったことか」と述べた。私は「国家の興亡は変化が激しくて予想しにくく、劇を演じているかのようです」と答えた。孫院長は「世界は元々一つの舞台で、歴史も一つの連続ドラマのようなものだ。劇だというのならば、君もひとつ配役を演じてもいいだろう」と述べた。

確かに彼の言う通りで私はすでに一つの役を担当しており、我々の劇はもうすぐ開演の時を迎えている。裁判所の規定時間は十時半だが、交通の渋滞を避けるためまた臨時法官会議が開かれるかもしれないので、私は九時半にホテルから裁判所へ向かった。街道では特に何も見えなかったが、もうすぐ陸軍省に着くという付近で行く人も車両も普段より多くなり、裁判所の入り口は警備が普通に比べて非常に厳重になっていた。大門を入ると広場にたくさんの車両が並んでいた。そのうちの一台の固く閉められた救護室のある大きな車が話によれば今日の朝二十六人の戦犯を乗せてきた車で、彼らは八時半に巣鴨監獄からここに連れて来られた(他の二人は南洋から今日の午前に東京に連行された)。

私は裁判所に入って毅然として自分の事務室に行った。マクドゥガル氏は私より先に来ていて、彼が近づいてきて数分間話をした。十時過ぎころ程なくして朱公亮(朱世明)将軍と私が迎えにやらせた羅秘書が一緒に来た。数分間話して私は羅秘書と方秘書を招いて彼らを「貴賓室」に座らせ、私は法衣を着て会議室に行き同僚と話したがこの時には九名の同僚がほとんど皆到着していた。それから英国のライト卿(Lord Wright 彼は特別に日本の視察に来ており、ニュンルンベルク裁判も見たという。彼はかなりの高齢だが国際法の権威として知られている)がいて、私たちと共にその場で話をした。

十時半になると総指揮が報告して二人のタイから連行された板垣征四郎と木村兵太郎の飛行機は今日の朝にすでに厚木飛行場に到着し、二人の戦犯を乗せた車は現在東京に向かっているところでまもなく法廷に到着するとのことであった。

私はこの知らせを聞いてとても嬉しく、観衆に三十分開廷を延期する事を報告するよう総指揮に命じる決定をした。この二人の戦犯のために日を改めてもう一度「演出」する必要をなくすためである。十一時すでに十分を過ぎたが、二人はまだ到着せず、電話で飛行場に尋ねると出発して二十分しか経っていないというので、少なくとも到着まであと一時間はかかる。我々は観衆が失望しないように、すぐに開廷する事にし午後に続けて開廷した時に起訴書を再読することにした。

裁判官たちの入場と席次はもう問題ではなくなっており、今日裁判所に到着した時に裁判長から書面で通知があり、裁判長が一番目のほか行列と席次は米、中、英、ソ、カナダ、仏、ニュージーランド、インド、フィリピンの順序となった。私たちは一列に並んで、私は米ソの間に入り、門のところに到着すると、総指揮が「静粛に」(Silence!)と声を上げ、我々が門に入る時には「観衆起立」(Spectator rise!)と叫び、我々は順番に審判席に上がり、各人が自分の席の前に立って、全員がそろってから座った。私たちが座ると、総指揮が「着席」(Be Seated!)と叫び、その場にいた検察官・職員・観衆の全体が席に就いた。

法廷はとても大きく、廊下はとても長く、審判席は高く、裁判官の人数は多くて、動きにくい法衣を着ているので、裁判官の登場だけで十分近くを占めてしまった。この時は最も緊張して、全会場からフラッシュが光り、太陽の下にある広場のようにカメラや撮影機から不断に光が浴びせられる。

裁判長のウェッブ氏は彼の準備した開幕の辞を読み、続けて通訳がなされた。憲章に基づいてこの裁判では日英の二種の言語で進められることになっていたからである。裁判長が開幕の辞を読んでいる間、私は裁判所の様子を一通り見渡してみた。審判席の向かいには秘書席と検察官席があり、キーナン検察長が中に座り、中、英、ソ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、インド、フィリピンの各国の陪席検察官が長方形の机を囲むように座っている。検察官席の左右は二つの大きな長方形の机があり、一つは被告の弁護士、一つは裁判の記録係りと通訳人員である。発言のスピーカーは検察官席と被告弁護士の間に置かれている。

この三つの大きな机の後ろに、審判席に面しているのが戦犯の座席で、これは地面より数メートル高い長方形の台の上にある。二十六人の戦犯が二列に別れて整然とそこに座っている。フラッシュがとても強く、撮影記者がうろうろしており、裁判官たちの挙動も人々の目の監視下にあるので、私はこれら戦犯たちを一人一人を確かめる余裕はなかった。どの裁判官の席にも戦犯の写真が並べてあり、しかも彼らの席順に並べてあった。私はただ中央に座っている東条と太って丸顔の土肥原を確認できた。東条の後ろに座っているのは大川周明であったが、精神病のふりをして時々に騒ぐので、米国の憲兵が後ろで制止して、あるときは力で押さえ込んでいた。彼はすでに書面で精神と身体の状態を鑑定するよう申請を出していた。彼は二十六名の中で最も滑稽で最も注目を浴びた演技者の一人であった。そのほかの各人は仏頂面で、落ち着いた様子をつくろい、特に東条はずっと動きもせず、まるで石膏の人形のようであった。

私はこれら二十六人の人々を認識する余裕はなかったが、彼らと対面している我々は、内心で無限の憤りと、無限の思いが込み上げてきた。これらの人々はみな中国侵略の専門家で、中国を数十年にわたり害し、我々の数百万の同胞が彼らの手によって殺された。だから我々の憤りは同胞の憤りでもある。私が今日審判席に上がってこれらの巨悪の元凶を懲罰する事ができるのは、我々数百万の同胞の流した血と引き換えなのである。私は警告しなければならぬし、また私は慎重にならざるを得ない。

裁判所の右側は二層の座席で、下の座席は完全に新聞記者とカメラマンが占めており、連合国と日本がそれぞれ半分を占め、合計で約四五百人いた。彼らは今日の仕事が一番忙しい一群である。会場の傍聴している群衆は、やはり連合国と日本人がそれぞれ半分を占め、その間ははっきり分けられていた。いうまでもなく傍聴席は人が多くて一杯だが、秩序は良く取れていた。入場券のないものは入れなかったから、今日入れたものはみな何かのツテがあったもので、幸運だったのだろう。聴いたところでは入場券は一週間前にはなくなってしまったそうである。

裁判所の左側はみな二層の座席であるが、場所はやや小さく、およそ一二百人だけが座れる。これらの座席は「貴賓席」である。今日の貴賓席に座っているのはみな連合国の東京にいるVIPたちで、特に米国陸海軍の高級軍人たちであった。我国からは朱公亮(朱世明)将軍一人で、私が羅秘書を遣って招待した。彼は第八軍の軍長でマッカーサー元帥の部下の第一のお気に入りアイケルバーガー将軍と並んで座り、たいへん注目を引いた。マッカーサー自身が会場にいなかったのは、極東に食糧危機の調査に来た米国のフーバー前大統領を迎えに行ったからだそうである。

裁判長の開幕の辞が終わると、キーナン検察長が各国の陪席検察官の紹介をしたいと申し出た。明思(向検事)は真っ先に紹介された一人で、フィリピンのロペス(Lopez)氏の次であった。その次に、裁判の記録官と米国籍と日本籍の通訳人員が宣誓し、総指揮のヴァン・ミーター(Van Meter)氏が宣誓式を司会した。これらの手続きが終わると、裁判長は休廷を宣言して、午後二時半に二人の戦犯が到着してから再度起訴書を朗読する事にした。総指揮が大声で全体の観衆に起立を求め、我々は並んで退場した。裁判官たちは会議室でしばらく休憩して、ホテルに戻って昼食を取る事にした。

昼食の後一時間ほどうたた寝し、二時半前に裁判所に戻った。開廷の儀式は午前と同じで、観衆は依然として一杯であった。戦犯席は二人増えて、今日の午前に専用機でタイから連行された板垣征四郎と木村兵太郎がいた。板垣は中国侵略の主導者で、この名前を私は良く知っていたので、まじまじと彼の顔を見た。

しかし今日は開廷の一日目であったので、すべてが何もかも新鮮で、わたしも対面していた一群の犯人たちばかりを注目してもいられなかった。しかし私はこれらの一群の人々を見ていると義憤に駆られ、まるで同胞の憤りや恨みがすべて私一人の胸の中で叫んでいるかのようであった。まだ時間は早く、これは始まりにしか過ぎず、これらの巨悪の元凶たちはすでに法の縄に就いているのであるから、彼らが正義と公正の厳正なる制裁を免れる事はない。

今日の午後の手続きはとても簡単で、ただ総指揮のヴァンミーター氏と代理書記長のデル(Dell)氏が交代で起訴書を朗読しただけであった。一つの訴因(count)を読み終わるごとに一度通訳が入る。二つの言語を用いるので、これは避けられない面倒である。私は米国から八百個のイヤホンを調達し、この面倒を最適限度まで減少させるよう希望した。

二時間経って、ようやく二十二の訴因を朗読し終えたところで裁判長が休廷を宣告し、明日の九時半に再開する事になった。休廷を宣告している時に、あの狂人を装った大川が東条の頭を二度たたいて、「私は東条を殺したい」と叫び、会場に笑い声がどっと溢れた。

我々が退出した後に会議室に行き、コーヒーを飲みながら大川の問題を討論したが、結果は申請を許可して、彼を収監して裁判所の指定する二人の医者に彼の精神状態と身体の状態を検査させて、法廷で審査するに適しているかどうかを見ることにした。この議案が通過すると、みなは急いで去っていった。これで苦労の一日がようやく終わった。私は明日に中国の飛行機が上海に戻るので、ホテルに戻ってから手紙をすぐに整理し、婉如への贈り物を包んだ。

七時半に私は車に乗って代表団のところに来て、自ら李済之氏に手渡した。約十分間別れの言葉を述べてから、食事のために戻った。食事が終わったのはすでに九時であった。マクドゥガル氏が映画に誘ってくれたが、とても疲れていたので最後まで見ずに映画館を出た。太極拳を練習して、シャワーを浴びたときにはすでに十二時になっていた。今日は裁判が本当に動き始めた一日で、私はすべてがこれから順調にことが運んで、遅延しないように願った。ここまで思うと、私は言葉にできない愉快を感じた。

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