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2019年02月05日

◎天才と秀才の違いとは?◎

こんばんはぁ(^^ゞ

よく世間で言うところの、天才と秀才の違いは一体なんなのでしょうか?!

一般的には、元々…努力や練習などしなくても楽勝で何でもこなして、結果も出せるのが天才と云われています♪

一方で、人の何倍も努力して練習して頑張って、よっやく色んなことが出来たり結果を出せるようになるのが、秀才と呼ばれています(*^_^*)

ですが、最近になって…世に言うところの天才も実は人知れず、大変な努力をしているのではないかと思うようになりました!

ただ徹底的に他者に努力している姿を、見られたり悟られないようにしているとは思います(^。^)y-





考えてみれば人間…成長期の頃から同じような学校教育を受けて、大体は同じようなモノを食べて、着るモノを着用して育っていくので、それほど人間と人間との能力の差なんて、あまり無いと思えるのです(゜o゜)

しかし…個人によって向き不向きは必ずありますし、適正能力は人によって異なると言えます(・_・)

誰から見ても、向いていないと思えることをやっている人や、いつまでたっても進歩が無ければ違う進路を示してあげるのが、人間としての正しい行いと言えるかもしれません( ..)φ

少し話が脱線しましたけど…天才と呼ばれる人も実は秀才であって、秀才と言われている人も結果的に実れば天才と言えるのではないかというのが僕の結論です(^▽^;)





おしまいに先ほど少し触れましたが、年数やスキルに関係なく…出来ない人は永遠に出来ないという確かな実例も多々ありますので、向き不向きの適正があるのは間違いないでしょう(^-^)

=(完)=
タグ:天才

2017年06月27日

=依存症について=

こんばんはぁ(^^)/

さぁ僕の大好きな季節の「はず」の夏が迫ってきました♪

前にもブログで伝えました通り…今年はいつになくテンションが低い日々が続いているので「はず」と記述しましたが、この夏でテンションが復活する!と自分を信じることが大好きな僕であります(*'▽')/(←なんやねんそれ!)

さて今回は『依存症』について書き込みます( ..)φ

ざっくり依存と言われると非常に幅広く思われますが…ここで区別しないとならないことは、例えば恋愛していて相手のことをずっと考えていることは依存っぽい感じですが、依存には当てはまりません(^_^;)
敢えて言うのであれば依存ではなく執着のほうが近いと考えられます(・_・)
一途に相手を好きになり、その人の事をずっと思ったり考えたりすることが依存になるなら世の中の大半の人間が依存症になりますし、それは愛という素晴らしい魂なので症状扱いにするのは人道的に反しています(-。-)y-

あと好きなゲームにハマったり、好きな仕事に没頭することも当然ですが依存症にはなりません(@_@)





おそらく依存症か否かの境目は『それ』がないと…あるいは『それ』をしないと何にも手が付かず、落ち着かずイライラしたり他のことで気を紛らわすことも出来ない状態で、ひどくなれば指が震えてきたり体が硬直気味になったりで身体にまで支障がでるぐらい『それ』のことばかり考えて求めるようになった人は依存症と言えると思います(-_-)

その『それ』の代表的なのは…アルコール依存症、薬物依存症、ギャンブル依存症、買い物依存症、セックス依存症などが挙げられるでしょう(~_~;)

他にも…ニコチン依存症やネット依存症、カフェイン依存症なども一応あるようですが、このブログでは含みません(・_・;)
なぜなら…それらの人まで依存症にしてしまえば、依存症でない人のほうが少なくなるでしょうから、そうなれば依存症である人こそが人間といえる!といった風潮になり多数決理論で『異常が正常』という世の中になり兼ねません↓

まぁ…それは極論ですけども、結論ここでは何が言いたいのかと申しますと、依存症になってしまう人について、世間で多く意見されている間違った認識を紐解きたいのです!

よくメディアなどで依存症に携わる人のことを話題にする際、依存症になる人間は「意思が弱い」とか「物事から逃げる性分」みたいなことを平気で解ったような口調でコメントする小銭稼ぎのようなクズコメンテーターがいますが見当違いも甚だしい限りです(-_-メ)

これからメディアで発言するコメンテーターをキチンと厳選しないと、局そのものの信用も失いかねないことを各局の方々に学んで頂きたいもんだ(*'▽')/(←何様やねん貴様はっ!)

少し脱線しましたが…依存症になろうとしてなった人間は当たり前ですけど1人もいません。
まず依存症になる方は元々、責任感が強く物事を重く捉える傾向があって、誰にも言わず問題などを自分1人だけで抱え込むような性質の人だと思います。
そして煮詰まっている時に、たまたま手を付けてしまったのが酒や薬で、それをすることによって…その煮詰まった神経や心中が緩和された感覚を体が安堵感として覚えてしまい、それは精神が煮詰まって苦しくなった時の必須アイテムのようになるため、症状が強度になると常に身近にないと不安で仕方なくなるといった具合です。
それは自身の意志のみで使用を絶つことは不可能だと言い切れます。
あと残念ながら医療機関で完治する人も殆どいないでしょう。
命を絶つということが生物である以上、最も強い意志を必要とされるようですが、依存症状の酷い人の場合、その命を絶つことでしかアイテムを手放せないと悟り自ら死んでいった方も実在するほどなのです。
だからアルコールや薬物の依存症の方が多いとのことですが、別にそれでなくてはダメという訳ではないとも思われます。
ですので依存症の方にとっては、たとえ1人だけでもいいので絶対に不可欠なのが「理解者」という人の存在です。
この「理解者」というのは、別に依存症の経験者でないとダメだとか、身内でないとダメだといった定義はございません。
依存症の人が自分は依存症だということを正直に全てを話せる人間であればいいと思います。
ただし、この理解者になるための必要な条件が僕はあると考えます。
それは決して依存しているアイテムを無理矢理ヤメさせようとしないで「少しずつ量を減らしていこうな!」という姿勢で依存アイテムを絶ち切るまで付き合い続けれること!
あとは、これまでの付き合いがあるならば依存症と判っても、今まで通りの接し方を貫ける人!
つまり…依存症というのは1種の病気だと僕は思いますので、ヤメたくてもヤメれないため本人が1番苦しんでいるのに、一色単に人格まで否定されれば2度と誰にも打ち明けることなく依存症のまま一生を終えるでしょう。
それか、依存症の方専門の施設で同じような苦しみを持つ人間達との生活をしてもらうしか依存症脱却の方法はありませんm(_ _)m





長文になってしまいましたが…某局でバカコメンテーターがあまりにも的外れな意見を発する場面を観て立腹したので力が入ってしまいました(^^;)

では、また次回までごきげんようです(^^ゞ

=END=
タグ:依存症

2017年05月25日

=本当に正しい子供の教育方針=

こんばんはぁ(^^ゞ

いやぁ…久しぶりにブログを書き込みます(^▽^;)

度々このブログでも宣言しておりました『ガテン系副業アルバイトによる肉体美?保存計画』を実施するためにアレヤコレヤと動いていたこともあって…少し書き込みする間が空いてしまいましたぁ(・。・;)

しかし、やはり年齢のせいか…中々の筋肉痛で思うように体が動かしヅラかったのですが、僕の並外れた身体能力により即座に解消したぜ(*'▽')/(←くだらん強がりはやめろ!)

さて話しは変わりまして…最近の子供に対して僕は非常に切無さと子供らしさの無さを感じます(>_<)

僕自身…子供の教育に関しては、数年程度しか携わっていないので偉そうなことは言えませんが、それでも今の世の中で正しいとまかり通っている間違いと、本当の教育という点での正しさは明確に理解しています!はずです(゜o゜?)

確かに…このことでは現在は絶縁の親族をも含めて僕の考えとは真逆な人が多かったので殊更、残念で仕方ありませんでしたが、、、結果的に僕は自分の考え方が正しかったのだと今の相方と知り合ってから確信に変わりました(*^^*)





何故かと言いますと…その相方の実践実学における教育方針こそ、僕が考え言い続けていた形だったからです(・_・)

事実…相方の子供は近年では稀なぐらい、古き良き時代の正統な日本人の子供だと断言できるほど立派に育っています♪

子供らしく愛らしい純真は心の様が、真っ直ぐな瞳に照らし出されています(*^_^*)

相方は別に誰かから教育法などについて教わったわけでもなく、ただ我が子にたいして常に『この子にとってどうなのか?』という目線で物事を考え育んでいるだけだと言ってます♂

おまけに一切…色端会議をしたこともなく、普通に学生時代からの親友などを含む友人も実際に多々いらっしゃるので…ママ友みたいな人間は一人もいません(-。-)y-

なのに相方の子供は多くの友達と一緒に常日頃…元気に遊んでいます(^.^)

この時点でママ同士ある程度は仲良くないと、子供も孤立しがちになるという全国の児童問題点トップクラスの課題もなんのそのといった感じです(^-^;)

まぁブログですし、あまり具体的で蜜な形では記しませんけど一応『個人的所見』という考えの基で記述いたします( ..)φ

何点かある内の1点だけですが、ザックリ言うと現在の子供の殆どは親による『ダメダメ口撃(こうげき)』で自分らしさというか、その子が元来持っているはずの個性的な長所を本人も自覚しないまま消されてしまっているということです(^_^;)





「子供のためを思って…」という言葉を多用する親の殆どが実は「自分のためを思って…」という世間体を気にした本心の表れで、必要以上にヤル前から「アレはダメ、コレもダメ」と子供に口うるさく怒っている親をよく見聞します(-_-)

算数や国語などテストの答案用紙を見て大体70点以下ぐらいなら「勉強しなさい」口撃が始まりますよね、、、仮に80点以上を取っても決して「頑張ったな!」と褒めることは決してしないくせにです(・_・;)
それでいて、たかが学校のテストの点数や、その子の総体的な採点を今の教師レベルの人間が打ち出した通信簿等を前提にして…能力が平均程度の自分の子が「やりたい!」と言い出した何かしらに対して、一般的な事や流行り系などでなければ「そんなことして何になるんだ?」ということで子供の気持ちや意向を無視して、酷い場合は話しすら聞かないで却下します↓

つまり…もし自分の子供が外で問題を起こしたり、失敗するようなことがあれば「その子が可哀そう」ではなく「親である自分は人様に何と思われるか」という気持ちを最優先するから『ダメダメ口撃』になるんだと思います↓
こんな親の元で育つ子供は悲劇です。。。

でも皆様が考えている以上に実際そんな親だらけです(-_-メ)

それで結局…育ち盛りで感受性の強い幼少時代に挑戦する心を削がれ、周りと同じように何においても平均的を保とうとする『無難児(ぶなんじ)』になってしまうんです。。。

悪くても口うるさく言われ、何かがしたいと親に訴えても先述したような形で却下されれば…否応なく「普通が一番」「皆と同じようにしていれば怒られない」という精神構造に子供はならざるをえません。。。





ということで・・・おしまいに出来損ないの親達(←違う方はすみません↓)に対して僕の主張を次の通り伝えて終わります→『何かしら子供なりに強い意志で「やりたい」と言い出した事は、特別お金がかかりすぎるとか特別な理由がなければ、やらせてあげてください!
もし失敗したとしても、その時の気持ちを学ばせてあげればいいんです!
そして何かで頑張ったな!と思うことがあれば思いっきり褒めてあげてください!
褒めてあげることだけが子供にとっては頑張ることの動機になるんです!
何でも親の観点だけで判断しないでください!
その子の可能性を削ぐために育ててるんですか?
子供にしてはいけないと言うことを、自分は子供の前で堂々とやって、挙げ句に大人はいいんだという子供目線で納得できないことを一言で突き放さないでください!
人に迷惑をかけない、礼儀やマナーの大切さなど、その子が世間で恥さらしになるようなことをキチンとシツケることは大事ですが…もし中々できなくても頭ごなしに子供を怒るのではなく、せめて言い聞かせるように叱ることぐらいできませんか?
子供は部下や舎弟ではないんですよ!』

えぇっとぉ…今回はこのぐらいで留めておきます|д゚)

たいして子育てのスキルもないくせに偉そうだと思う方もいらっしゃいますかもですが、あくまでも冒頭で述べた通り『個人的所見』でございますので悪しからず・・・m(_ _)m

=END=
タグ:個人的所見
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