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2019年04月07日

4月7日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1498年4月7日は、フランス・ヴァロワ朝(1328-1589)の8代目国王ルイ12世(1462-1515)の即位年月日です。

 1494年にイタリア戦争(1494-1559)を起こし(こちら。『世界史の目』より)、そして敗れた先代の温厚王シャルル8世(位1483-98)が突然の事故死に遭います。シャルル8世の継承者対象となる子どもたちは夭逝していたため、ヴァロワ朝の本流が途絶え、ヴァロワ王家存亡の危機が訪れます。
 この頃、4代目の狂気王シャルル6世(位1380-1422)の弟オルレアン公ルイ1世(公位1392-1407)を父にもつ、オルレアン公シャルル1世(公位1407-65)が、3番目に結婚したクレーフェ公女マリー(1426-87)との間になした一男、ルイが、父亡き後に幼少からオルレアン公ルイ2世(公位1465-98)として即位していました。このルイ2世がヴァロワ朝の王位継承者となり、8代目フランス国王ルイ12世として即位することになりました(王位1498-1515)。こうして、ヴァロワ朝は傍系か引き継がれたことで存亡の危機を脱しました(ルイ12世のヴァロワ朝は正式にはヴァロワ・オルレアン朝といいます)。

 ルイ12世の治世においても、先代のシャルル8世に引き続いて、イタリア戦争が再開されました(1499-1513)。1508年、ルイ12世はローマ教皇ユリウス2世(皇位1503-13)、神聖ローマ帝国(962-1806)の皇帝マクシミリアン1世(ハプスブルク家。帝位1493-1519)らと対ヴェネツィアカンブレー同盟を結んでヴェネツィア相手に戦いますが、フランスの強大化にユリウス2世をはじめ同盟国側が脅威を持ち初め、ユリウス2世が主導となって1511年神聖同盟をイギリス、スペイン、神聖ローマ帝国、そしてヴェネツィアらと結成し、今度は対フランスを掲げた戦争になりました。フランスは神聖同盟軍相手にラヴェンナ戦では勝利したものの次第に劣勢になり、1513年に敗北してイタリアの全権益を失うこととなりました。

 ルイ12世は男子を残さず1515年1月1日に没したため、ヴァロワ・オルレアン朝は一代で終わり、ルイ12世の従兄のアングレーム伯シャルル(伯位1467-96)の子であるアングレーム伯フランソワ(伯位1496-1515)がヴァロワ王家に迎え入れられました。これがフランソワ1世(王位1515-47)です。ヴァロワ朝はまたもや傍系であるアングレーム家を引き寄せてヴァロワ朝の存続維持に成功し(ヴァロワ・アングレーム朝といいます。1515-89)、フランス王家を守り抜きました。

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