何もほしいものが無いのになぜ働くのか?

自分の買うモノが
その人を雄弁に語らなくなる。


高級ブランド品はますます意図的に高級化し、
人々はそれに対するあこがれや渇望を失い、
ブランドを時代遅れとみなすようになる。



高級時計を買って見せびらかすことが
実はどんだけ恥ずかしい案件なのかってことだ。
ほめてくれる人もいるが、内心見下されていることに気付くべき。


ラグジュアリーブランドで差を見せつけることが
うれしいと感じる感覚は
2000年ごろの感覚だよって話。今は2016年だ。


最近では、地産地消、ハンドメイド、自作
がもっぱらのトレンドだ。
この辺りは、外から見て判断のしようがない部分。
品質が高いかどうかは、使っている本人しかわからない。


そういう意味で、
消費に対して、
多くの人と共感を生んだり、
一種の優越感や、連帯感を感じることは
どんどん難しくなる。

自分の目で見て、使ってみて品質を確かめて
満足するものを、自分で選ぶ

そこに他人は関係ない。
そういう消費行動がスタンダードになる。


自己満足の感覚だけで、
どれだけ自分が満たせるのか。


日用品以外に
憧れのある、夢のある消費が急激に減っている時代に
人々は自分の欲望の再認識を迫られる。


答えなんか簡単には見つからない。
見つからないから、忙しいふりをして考えない。
私はそうしてきた。


これを探すことは、じつは苦痛でしかないのかもしれない。
自分は何のために生まれて、何がしたいのか?
そんな命題にまで行きついてしまう。


我が子を育てる
これが答えだと思い込んでいる人は多いはず。
はたして、それが答えなのか?

子供が巣立てば、お役御免で自殺するのか?
違うよね。



セミナーで金を取れるレベルの命題だ。
お金を稼いでどうするのか?とは
突き詰めていくと、自分は何者なのかを問われている。


物欲が無いって話は
自分の存在意義まで問える包容力だ。



お金を手に入れて何をしたかったのか?


市場で求められるものの価値基準は変わっていく。

新しい、見た目のいい、機能の多い、高級な、

から

信頼できる、かかわった人の顔が見える、長く使える、公益的な

へと変わる。今は過渡期だ。


もともと、欲しくもなかったはずのものを
恣意的に買わされてきたことにようやく気付いたワケだ。



物質的に豊かになることが、幸せになることだと思って邁進し、
それを手に入れたけれど、幸福にはなれなかった。

今は、誰しもが幸せになることが至上命題になっている。

モノでは満たされないことを知っている。じゃあ、何で満たせば幸せなのか?
その答えを誰しも探している。


物欲が無い時代に
何が欲しいのかを自分の言葉で語れること。
これが、時代を謳歌するための条件となる。




若い世代はますますお金をネット上での物欲を満たすための商品購入に使わなくなる。
アフィリエイトが目指すべき道はいくつかしかない。
ひとつは、上の世代、まだモノを所有することが幸せな世代をねらうこと
もう一つは、生活必需なものを世代を問わずに提案すること、
そして、誰にも相談できない悩みを解決するサービスを提案すること。
娯楽を提供すること。





とくに才能の無い平凡な私には
暇な時間をどう使うかは恐ろしい問題だ。

近代経済学の祖ジョン・メイナード・ケインズによると、
金持ちは時代の前衛であり、
後続の人々のために約束の地の情報を集めようとキャンプをはっているのだとか。
この階級の多くの人々、つまり独立した所得があるが、所属する組織や義務や義理が無い人のほとんどは、課された問題の解決にみじめな失敗を重ねている、と彼は判定する。
明確な答えを誰も出せていないってことだ。



人並み以上に稼げるようになった途端、
目の前に突然立ちあらわれたこの問題
(物を所有しても心が満たされない、そもそも欲しいものが無い。じゃあ私は何をしたいのか?)
に、
糸口もつかめず、みじめな失敗をしてしまいそうだ。


たとえ、単月1000をキープできたとしても、
組織化して脇目を振る暇もないほど忙しくしたとしても、
この問題を考えることを先延ばししただけなのだよな。



菅付雅信著「物欲なき世界」より





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