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2017年12月29日
大阪のお好み焼きD【鶴橋 風月】本店
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お好み焼きシリーズ【鶴橋 風月】本店
大阪のお好み焼きシリーズ、今回は【鶴橋 風月】本店を訪ねてみました。
鶴橋・・・以前にも特集したことがあるのですが、独特の魅力を持つ街です。
また環境省の日本香り100選にも選ばれたことがある焼肉の香ばしい香りが満ちた街でもあります。
(その鶴橋・近鉄出口側から焼肉店が軒を並べる路地を進んで行くと、【鶴橋 風月】本店があります。)
(店舗の外壁に美味しそうで豊富なメニューを貼り出していました。)
(また外は並んで待てるように長椅子とストーブもありました。)
(しばらく並んだ後に店内に。)
(店員さんが器用な手つきでお好み焼きを焼いていきます。今回は目の前で焼いて頂いたので、写真で焼き具合を少し追ってみました。)
(焼き方は独特です。風月流?!なのかも知れません。)
(まずは(風月焼き)、いか、えび、ぶた、牛肉のミックスお好み焼きです。)
(こちらは、ぶた玉モダン焼き。)
(普通?のお好み焼きは具材をくるくると回して混ぜていきます。写真では分かりづらいかも知れませんが、風月の方はくるくるとかき混ぜず、縦にスプーンを突くような感じです。なので突く作業で混ぜる形なので、混ぜ終わるまで時間は少し掛かり、具材もぐちゃぐちゃした感じや粘り気のようなものは感じられません。)
(粉と具材が一体化した感じではなく広島風お好み焼きにやや近いようなキャベツと粉がそれぞれ独立したような感じに見受けられました。)
(チーたまぶた玉用の卵とチーズ。)
(3枚目は風月NO.1の人気だという(チーたまぶた玉)を注文しました。)
(上右・チーたまぶた玉、上左・ぶた玉モダン焼き、下・風月焼き(ミックスお好み焼き)
(学割もあります。)
(モダン焼きにもそばが入り、それぞれにかつお節が踊ります。)
(かつお節の方を下にひっくり返して、じっくり焼き上がるのを待ちます。)
(お好み焼きが焼き上がるのを待つ間に焼きそばを頂きます。)
(美味しいです。もっちりとした太麺、イカやぶた肉の具材も存在感のある焼きそばでした。)
(ここで熱い鉄板に卵が落とされ、そこにチーズが乗りました。卵がジューと焼ける音が聞こえます。)
(その卵とチーズの上に焼いていたお好み焼きをかぶせます。)
(そして、ひっくり返されました。)
(卵とチーズとぶた玉が融合しています。)
(マヨネーズを塗っていただいて・・・。)
(*マヨネーズはお好みです。)
(次はソースの出番です。)
(完成です。お好みで各自、テーブルにある青のりや七味唐辛子をふりかけます。)
(ぶた玉モダン焼き。)
(上・ぶた玉モダン焼き。下・風月焼き。)
(右・チーたまぶた玉。左・ぶた玉モダン焼き。)
(風月焼き・いか、ぶた、えび、牛肉の入ったミックスお好み焼き。)
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いずれも美味しいお好み焼きと焼きそばでした。
焼きそばもイカやブタの具材がしっかり入り、食感も良かったです。
お好み焼きの方もスプーンで突いて具材を混ぜ合わせる作り方から想像がつかなかったのですが、ふんわりとした感じに仕上がっていました。
いわゆる粉っぽくない感じです。(*粉っぽくないは、大阪のお好み焼きのほめ言葉です。)
もちろん、いずれも美味しかったです。
ぶた玉モダン焼きはシンプルな定番の味、風月焼きは具だくさんで楽しめると思います。
そして人気NO.1だというチーたまぶた玉・・・NO.1だけあって、チーズと卵とぶた玉が絡んで、なんともいえないチーズ系独特の美味しさとお好み焼きの美味しさが融合していました。
個人的にもお勧めです。
【鶴橋 風月】本店は路地の少し奥まったところにあるのですが、駅からはすぐです。
創業六十数年、最初に開業されたお店だそうです。
第二次世界大戦後、貧しい人々が鶴橋の闇市に群がっていた時に(お腹いっぱいにしたい!)と生まれたのがお好み焼き。夫婦二人で狭い路地でのお好み屋さん。
安い、そして美味しいということで、小さなお店はたちまち大繁盛になったそうです。
その味は今も昔も変わらず、守り続けられているそうです。
老舗を引き継がれた現・代表取締役がお店のオーナーであったおばあちゃんとの約束を頑なに守って来られたようです。
(味を変えない!)
頂いたお好み焼きは美味しかったです。
昔も今も関係のない美味しさ。
たかがお好み焼き、されどお好み焼き。
今まで頂いたお好み焼き、どれもそうですが、そこには味はもちろんのこと、その歴史も含め、とても大切にされている思い入れも感じられることが多かったです。
お好み焼きは色々な意味で温かな食べ物で、個人的にも大好きな食べ物のひとつです。
何より文句なしで美味しい。
御馳走さまでした。
(帰りの近鉄・鶴橋駅)
(ふと足元を見ると、そこにだけモザイクのような模様が・・・。よく見ると伊勢志摩の夫婦岩でした。上本町行きホームの方に何故か?ひとつだけのモザイク模様。不思議なものを見つけた感じ、少しだけラッキーな感じがしました。)
(次号に続く)
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2017年12月24日
日本橋で開催:スーパーキッズランドプラモデルコンテスト
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前回の【五階】は、でんでんタウンの一角にありました。
場所は、日本橋の電気街(でんでんタウン)近く。
外国の方や若者、家族連れの買い物客、オタクやマニアックの人達で賑わう街並み。
12月2日(土)、3日(日)にその日本橋・スーパーキッズランド本店で、第12回スーパーキッズランドプラモデルコンテストが開催されました。
今回は出展された作品数は220もあったとの事。
過去最高の出展だったようです。
数多くの作品が並び、いわゆるプラモデルの世界も多種多様なのだなぁと思いました。
鉄板ものの戦闘機や戦車や潜水艦、人気アニメのフィギュアあり。
面白いものでは、餃子の模型もありました。こんがり焼き目のついた美味しそうな餃子がお皿の上にある。そんな感じです。
他にも趣向を凝らした作品がずらりと並んでいました。
コンテスト会場の作品はやはり作者の思い入れもあり、いずれも力作です。
中でも目をひいたのが、白いテーブルに他作品と一緒に置かれていた(信長公 天下への道 岐阜城築城)。
全体のバランスが難しい城郭模型を本当に上手にまとめ上げられていました。
もちろん、細部も手が混んでいて。
私自身は発表のある前日に作品見学に行ったので、その時点では翌日のコンテストの結果は分からなかったのですが、間違いなく、この岐阜城が一番インパクトがありました。
(次のインパクトは餃子でしたが・・・w)
そして、やはりこの作品がスーパーキッズランド大賞と、最多投票数賞の二つも受賞されていました。
やはり、皆、思うことは同じなんですね。
写真ではその良さをお伝えしきれないのですが、素敵な作品でした。
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また、こちらは童友社賞受賞のPHANTOM(大和郡山城)です。
幻の七重の塔を幻想的に五重の塔などとまとめ上げた作品のようです。
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スーパーキッズランド大賞と最多投票数賞(信長公 天下への道 岐阜城築城)は城モデラ―さん。
実は城郭模型の世界では知る人ぞ知る有名な方です。
童友社賞受賞のPHANTOM(大和郡山城)はGegeさん。
お二人とも、実は全国城郭模型普及協会所属です。
(全国城郭模型普及協会:blogs.yahoo.co.jp/zenzyoukai)
全国城郭模型普及協会の主宰をされていた城モデラーさんと数年前にコンテストで出会い、Gegeさんも所属するようになったようです。(コンテストと賞がつなぐ偶然の出会いですね。)
また全国城郭模型普及協会は毎年開催される静岡ホビーショーにも出展されています。
毎年、会員さん達の力作・城郭模型が展示されています。
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上記は城郭模型作家・島氏の作品です。
以前、大阪丸の【豊臣大坂城】編でご協力頂きました。
その節はありがとうございました。
(城郭模型作家・島 充氏の作品ギャラリー*** http://www.geocities.jp/joukakumokei/ )
実は島氏もご夫妻で全国城郭模型普及協会に参加されているようです。
城郭模型の個性はそれぞれのカラーですが、素直にすごいメンバーだなぁと思いました。
また偶然ですが、三方ともアーマーモデリング(模型雑誌)にも城郭模型が掲載されています。
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今回はマニアックな街でもある日本橋で開催された模型コンテストを取りあげてみました。
前回の【五階】とも異なる日本橋の側面でした。
(次号に続く)
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2017年12月15日
大阪【五階百貨店】
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大阪【五階百貨店】
(三階建てのビルなのに【五階】?!の看板)
【五階】あるいは【五階百貨店】の名を持つ街をぶらりと散策して来ました。
場所は、日本橋の電気街(でんでんタウン)近く。
外国の方や若者、家族連れの買い物客、オタクやマニアックの人達で賑わう街並み。
その中に【五階百貨店】と呼ばれる界隈がありました。
(大阪日本橋の電気街・でんでんタウン)
(日本橋4丁目の交差点)
大阪市浪速区日本橋4丁目堺筋をひとつ西隣の筋に入ります。
通称【五階】と呼ばれる電気商などが集まる地域です。
(電気街の大通りを1本中に入ると進行方向には、通天閣の姿も見えます。)
(日本橋4丁目堺筋をひとつ西隣の筋周辺に到着。)
(有名な(大阪名物・五階)の看板があがる三階建てのビル。)
実は【五階百貨店】という名称を聞いて、五階建てビルの百貨店と誤解する方が多いようです。
この【五階】を(誤解)することから、大阪ならではの洒落(しゃれ)や宣伝ではないのだろうか?という解釈をされる方も・・・やはり、これも(誤解)なのですが・・・。
因みに上記写真のビルは(新五階)と称される五階百貨店を構成している建物のひとつ。
五階百貨店の全てではなく、一部に過ぎないそうです。
確かによく見てみると、大きな黄色・赤文字の【五階】看板のビルから、道を挟んだお向かいの白いビルにも【五階】の文字がありました。
(辺りの商店街シャッターに貼られた【五階】の歴史と由来を示したもの。)
(明治時代、この界隈に建てられた五階建ての展望台・眺望閣(ちょうぼうかく)の写真。)
(眺望閣(ちょうぼうかく)と五階(ごかい)について。と書かれた文章)
◯眺望閣(ちょうぼうかく)と五階(ごかい)について◯
〜以下、上記・原文のまま〜
・・・
・・・
わては生粋の大阪商人だす せやから文章も大阪弁にさしてもらいまっさ すんまへん。
五階百貨店を語るに「眺望閣(ちょうぼうかく)」をなくしては語ることはでけまへん。
眺望閣が建たんは明治21年4月21日のこと、当時の所在地は大阪府西成郡今宮村大字関谷(せきや)でした
この眺望閣を中心にして色んな店が軒を連ね所狭しと商品が並べてあったそうです。
そんな中に高価な商品がうす汚なく他の商品とゴッチャ混ぜにしてあって、目の利く客が目ざとく見つけて買っていったそうです。
船場、島之内の商屋や旧家から出たゴミの中に混ざってましたんやろ。
そんな事で、いつしか「ミナミの五階へ行ったらエエ掘り出し物あるでぇ」と人々の口にのり忽ち巷に広がり、近郊近在はもとより遠い所からも買いにきたといいます。
眺望閣と共に露店も賑わいを呈しましたんや。
五階(ごかい)の名はお客はんが付けてくれたんだす。わてはそう思ってます。
そうして一躍「大阪名物」と化した眺望閣の露店でしたが、眺望閣の老朽化に伴い終号を迎えました。
・・・涙が出ましたわ
眺望閣なきあと商人は周辺の空き地を求め商いを続けました。
大正時代に入り、東関谷町1丁目から2丁目にかけての空き地で腰を据え商いをしていましたけど・・・時恰も大阪市に於いて市道下寺・芦原橋線の設置計画が持ち上がり、大騒ぎに発展しましたけど、この辺の大地主、泉岡氏が商人に愛の手をさしのべてくれはりました。
まさに商人にとり「福の神」でした。
五棟中二階の建物(五会百貨店)と露天(通称ひろっぱ 五階百貨店)を設け多くの商人を入れました。昭和二年のことです。
それから昭和二十年迄の十八年間、これまさに第二期黄金時代の幕開けだす。お客さんも沢山来てくれはりました。
眺望閣の事、五階の事、お客はんは忘れてはしまへんかった、嬉しおました。
時は流れ、日本は太平洋戦争に突入。 昭和二十年三月十三日 B29爆撃機による大空襲により一瞬にして焦土となってしまいました。 それはものすごくエゲツナイものでした。
終戦を迎え商人はなけなしの品を持って五階の地に帰ってきはりました。
昭和二十一年秋、日本橋筋四丁目から東関谷町一丁目いかけての細長い土地に復興しました。五階商人の意気込みでんな。建物こそ戦前には及びまへんが、活気は戦前以上のものがおました。当然周辺の店にも大きな影響を与えたことは云ふまでもおまへん。
昭和三十年代に入り、土地の権利は泉岡氏から大南氏へ移り、一時は「五階」の灯も消へるではないかと危ぶまれましたが大南氏は東関谷町側に「五階」を残すことにしましたんやけど全部ははいれまへん。入れなかった人は少し南にあった泉岡氏と高橋氏の土地に入りました。
大南氏の方を「五階百貨店」、泉岡氏、高橋氏の方を「日本橋五階百貨店」として現在に至りました。
因みに戦前の五階昼店の跡に新五階という商店街ができましたんや、後に「日本橋商店会」と改称しましたんや。
明治から平成と五階商人が辿った道は決して平坦なものではおまへん、厳しいものでした。
でもお客さんが五階を愛してくれている間は、わしらはこの灯を消してはあきまへんのんや・・・消しては。
商売人とお客さんの心はいつまでも繋がっている、これからもそんな街を大切に守っていきまっせえ。
・・・
・・・
「五階」に対する強い愛情と思い入れと歴史が、今の大阪でもほとんど耳にすることが少なくなった大阪弁で綴られています。
文中にもある(船場)・・・谷崎潤一郎氏の有名な「細雪」は船場言葉が出てきます。当時の船場は裕福な商家や旧家のいわゆる(*ええし)の文化がありました。
(*ええし)、良家、良い家柄の意味。
大阪弁には種類があり、泉州弁や河内弁などありますが、船場言葉もそのひとつです。
(やはりお店の窓辺に「眺望閣」の写真)
(上記文中にもあった「日本橋五階百貨店」)
(この辺り一帯の地図のようです。)
(上記文中にもあった「日本橋商店会」)
(「日本橋商店会」の中の着物屋さん)
実はこの「五階」界隈に来たのは、人形造りに使用する着物を探しに訪れた人形作家から聞いたことがきっかけでした。面白い場所があるとのことで。
沢山の着物・・・ピンキリ(上物から安価なものまで)ですが、いくつかのお店に沢山の着物が眠っています。玉石混合ながら、掘り出し物探しにはピッタリの場所でした。
お店の方もとても気さくで面白い大阪商人の方も。(吉本のような話方で。)
お聞きすると、本来の目的以外にも人形造りや着物から服へのリフォーム、またバッグなどの小物づくりにも素材として探しに来られる方が多いとのことでした。
「五階」という独特の文化と歴史のある街並みに入ってみると、そこはタイムスリップしたようなレトロな独特の雰囲気。
大阪の街は、新しくも、古くも、本当に面白いと思います。
街全体が(お好み焼き)のような感じとでも言うような・・・。
(次号に続く)
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http://r.goope.jp/ne-casa-ruoka
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