2017年01月08日
屋号#大阪丸その(49) (四天王寺)そのB 金堂と壁画
(四天王寺)そのB 金堂と壁画
四天王寺さんには、独自の配置があります。
よく法隆寺の配置と比較対象になるくらいです。
【四天王寺式伽藍配置】
中心伽藍は、南から北に一直線に中門・五重塔・金堂・講堂が並び、中門の左右から講堂までを回路で結んでいます。
日本で最も古い建築の様式のひとつです。
その配置の中に金堂があります。
今回はその美しい金堂にスポットライトを当てたいと思います。
美しい金堂・・・美というのは不思議なとらえどころのないものですが、この金堂の美しさは、ひとつには仏教美(宗教様式の美とでもいうのでしょうか。)であり、ひとつには普通に見受けられる美(単純な美?)でもあり・・・ともかく美しいのです。
私自身はやはり、わっか市(四天王寺さんの門前市)と同様、若い頃に何も知識のないまま、この金堂を訪れたことが、ありました。
小学生頃、当時、父が凝っていた西国三十三か所のお寺参りによく家族で出かけていた私は、なんとなくお寺文化に慣れていました。
なので、あまり驚くこともなく、お寺文化の慣例を見学していました。
話は脱線しましたが、お寺文化に慣れたはずの私ですが、四天王寺さんの金堂に入った時、正直、目を見張りました。
他のお寺にはないものがあったのです・・・そして、それは美しい世界を描いていました。
四天王寺金堂の中は美しい色彩豊かな壁画に内壁が囲まれていたのです。
渋い茶系の・・・時にそこに仏像・仏具の金色を見出すようなお寺独特の色彩。
鮮やかな色とりどりの色彩はやはり仏教寺院の壁にかけられている五色幕や時に朱色に塗られた柱などしか記憶になく。
四天王寺金堂の内部には極彩色に彩られた絵が四方を取り囲んでいます。
その美しい絵は、単なる壁画ではなく、釈迦の一生を描いた壁画でした。
釈迦の誕生から〜入滅(死亡)いわゆる涅槃までの物語を美しい色彩が紡いでいきます。
四天王寺金堂*壁画(作者:日本画家の中村岳陵氏の「仏伝図」)
●釈迦の母君である麻耶夫人の美しい風情を同じく美しい背景とともに描かれていました。
●麻耶夫人の右脇から生まれたばかりの釈迦が7歩歩んだ後、蓮の花の上で右手を上げて立っておられる絵図。
既に幼い釈迦に後光も指しています。
まさしく、この図は釈迦の誕生時の伝説を描いているのだろうと見つめてしまいました。
*釈迦は麻耶夫人の右脇から生まれたとされ、その直後に七歩歩いて、右手は天を指し、左手は地を指して、「天上天下唯我独尊」と言われたとされている。
●出家を思い立った釈迦が白馬に乗り、王位を捨て、思想の旅に出る為、城を出る図。
●降魔成道。
●初転法輪。
●沙羅双樹の下での釈迦入滅。涅槃図。
涅槃図なのにとても印象的な美しい絵図でした。
(注釈:貴重な本からの一部抜粋の絵図です。画像集に載っていたものを一部抜粋し、掲載しています。この「仏伝図」を描いた日本画家の中村岳陵氏の本は現在、古本であっても入手困難になっています・・・ちなみに私は(古本屋ともリンクしている)Amazonで中村岳陵氏の四天王寺金堂壁画(1960年)を探しましたが、現在、在庫切れでした。もちろん、市場に彼の画集が出ない限り、今後、手に入る見込みもありません。)
やはり、実物に勝るものはありません。
一番圧倒的なのは、実物の壁画を自分の目で見て 感じ取ることなのですが・・・。
壁画に囲まれた金堂の空間には、四天王寺本尊(救世観音菩薩半跏像)が中央に位置し、その四方に四天王像が祭られています。
ここに聖徳太子の想いも込められているようです。
(前述したように(四天王寺@参照)日本最古の書物・日本書紀に残っている記録に、聖徳太子は物部氏との戦いに勝つことが出来たのなら、願を賭けた四天王を祭ることのできる寺を建立すると誓願したとあります。
そして願いはかなえられ、聖徳太子は四天王寺を建立します。)
この金堂の四方に祀られている四天王は、まさしく聖徳太子の悲願でもあり夢でもあるのでしょう。
四天王を四方に配し、中央に救世観音菩薩半跏像・・・仏教の曼陀羅のような配置とも言えます。
私自身は美しい壁画と曼陀羅的な配置の仏像の金堂を観て、ひとつの宇宙的な空間を感じました。
他にはない空間がこの金堂にはあるように思えました。
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(次号に続く)
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