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2016年09月16日

屋号#大阪丸その(41) (大阪城*V 徳川大坂城)





(大阪城*V  徳川大阪城)



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現在、私達が見ている大阪城は、通名・徳川大坂城。



江戸時代に修築された大坂城の遺構からのものです。



(実際の天守閣は、現在、SRC造(鉄骨鉄筋コンクリート造)になっています。
徳川大坂城は江戸時代からの火災や落雷で消失した後、昭和初期に市民の寄付で再構築、その後、第二次世界大戦の空襲の標的にもなり、度重なる災難の後、いくつかの手を経て現在の姿になっているようです。)



前述したように、石垣なども江戸時代当時の遺構のままです。



私自身が最初に疑問を抱いた大坂城天守閣入り口付近にあった金明水・井戸の【葵のご紋】も、もちろん、徳川家・江戸時代の名残のものでした。



因みに現在の大阪城の天守閣に入場すると、3階・4階は撮影禁止となっています。



実は、ここには大坂城にまつわる数々の当時の自筆の文書や品々が保管展示されていて、また大阪城にまつわる史実なども紹介されています。



大阪城の3階・4階にある膨大な資料の中から、いくつか目についたものを書き記そうと思います。
(詳細は大阪城、若しくは大阪城関連図書をご参照下さい。)



まず、文書や品々は、やはり豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家康関連のものが多く目につきました。


史実なのですが、秀吉はもちろんのこと、家康関連も多く、展示されていました。
またこの二人の天下人に関わった大名たち。


絵屏風や絵巻物も解説文と共に展示されていました。


歴史物に興味がある方や好きな方には、十分、見ごたえがあるかと思います。


自筆の文書に目をやったり、様々な展示物をゆっくり見学するのも趣きがあると思います。


またVTRでの大阪城にまつわる史実の紹介コーナーもあり。


館内は外国客の方も含めて、結構なにぎわいでした。



私も大勢の中、列に並びつつも、3階や4階を見学して回りました。



意外に徳川家康関連の展示も多いことが判明しました。



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〜〜〜〜〜



*徳川家康を身ごもった母親が後光を放った観音菩薩?から、啓示を受けているような絵もありました。



沢山ある資料の中で、この絵・・・何故?目に留まったのかというと・・・・・・・・。


@歴史に詳しくない私は、この天守閣近くの井戸に【葵のご紋】を見つけて不思議に思ったこと・・・大阪城は豊臣秀吉が築城したままだと思い込んでいたこと。

大阪城の井戸にある【葵のご紋】の徳川家康由来を知ろうと、展示物をくまなく見ているうちに、この絵と前後の史実解説文に行き当たりました。



Aこの絵は、徳川家康を身ごもった母・於大の方が右手・家屋の下に描かれており、左手・外界天空に雲が浮かび、その上に観音菩薩?が、於大に啓示の光を送っています。


(その昔から、例えば仏教の釈迦の場合は、マーヤ妃が6本の牙を持つ白い象がお腹に飛び込んで来た夢・啓示を受け懐妊したと言われ、やはり三大宗教の一つであるキリスト教のイエスもマリアの処女懐妊を大天使ガブリエルから啓示を受けている。
日本の場合、聖徳太子の母・間人皇女は救世観音が体内に入り、身ごもったとの伝説がある。他、古今東西の聖人や偉人について同様の伝承伝聞がある。)


そうです。この絵を見て、古今東西の聖人や偉人を懐妊した時にまつわる話や神兆の伝説を思い出したのです。



Bそして、この絵は丁寧に彩色され、後光が指す観音菩薩?も、於大の方も美しく描かれていたのですが・・・
将来の天下人・家康(竹千代)を懐妊した母のいる家屋の描き方が・・・全く遠近法を度外視して描かれているところに思わず、見入ってしまいました。


ぱっと見た感じでは、遠近法に目が慣れている現代人には違和感がある家屋の書き方でした。
(何故か?家屋だけが、いびつな形に・・・)


まだ西洋絵画の技術が入ってこない時代の建物の描き方なのだと確信。
昔の人は不思議には思わなかったに違いありません。






〜〜〜〜〜





また史実の解説文を読むと、家康の母・於大の方は、家康の父・松平弘忠に離縁されていました。

元々は於大の父が決めた政略結婚でした。
戦国時代ならではの結婚や離婚でした。

於大の方の兄が松平氏の主君である今川氏と絶縁して、織田氏に従った為、今川氏との関係を慮った弘忠に離縁されていたのです。

離縁された母は、永らく家康と音信不通も。

(後日、皮肉なことに父の意向とは相反し、家康は今川氏から独立し、織田氏と同盟を組みます。)

桶狭間の戦い以降、家康は再婚した母と義理の兄弟を迎え入れます。
晩年、再婚相手死去後、母・於大の方は剃髪し、出家します。



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〜竹千代(後の家康)自身も幼少時より、人質として数奇な人生を歩んでいることは有名です。〜




一時は命を狙われた父・弘忠は従属していた有力な守護大名・今川氏に忠誠を誓う為に竹千代を人質として差し出すことにした。


しかし竹千代が今川氏に送られる際、同盟の戸田康光に奪われ、今川氏と敵対する織田氏に送られ、人質となる。
竹千代は織田氏の元で数年過ごしたのち、織田信広との人質交換で再び、今川氏の元に送られた。

また数年、今度は今川氏の元、忍従の人質生活を強いられる。

その後、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれた後、混乱に乗じて岡崎城に入城し、今川家と決別。
信長と同盟を組んだ。(清州同盟)





・・・・・・・・・・・・・・





その後の活躍は、よくご存じの通りです。









秀吉没後に関ケ原の合戦に勝利し、覇権をものにする。

征夷大将軍になり、江戸幕府を開いた。




天下を取ったように思われた家康だが、秀吉亡き後も豊臣家は最大の脅威であり続けた。

最晩年を迎えていた徳川家康の望みは、天下取りを盤石なものにすることであった。


後継者をめぐるお家騒動に近いものもあったうえ、一大名に転じたものの、未だに豊臣家は特別な存在であり、西側の他大名の多くはこれに従った。
徳川家康には、いつの日にか天下を奪い返す位、驚異ある勢力と映っていたに違いない。


そして慶長19年(1614年)の方広寺鐘銘事件をきっかけに、豊臣氏の処遇を決するべく、動いていく。

豊臣氏は家康の勧めで方広寺を再建。
慶長19年(1614年)4月のことである。
同8月3日、大仏の開眼供養を行う予定であった。

しかし、方広寺の梵鐘の銘文中に不適切な語があると供養を差し止めた。

その語とは「国家安康」で家康の名前の文字を避けなかったのは不敬罪に当たるというものであった。
家康の名を分断し、呪詛する言葉とし、「君臣豊楽」など言葉も豊臣氏を君主として繁栄を願うものと解釈された。

これを受けた豊臣氏は弁明を持たせた家臣を江戸に送るが、家康は会見すら拒否をする。




この件は、豊臣氏攻撃の口実、言いがかり的とも、いや当時の常識では不敬罪にあたるので、秀頼の軽率な呪詛・挑発など、諸説様々である。


いずれにせよ、この件をきっかけとし、大坂城冬の陣が起こることになる。


そして大阪城夏の陣で、ついに豊臣家(秀頼・淀君)は滅んでしまう。


******


この後、徳川二代目秀忠により、大坂城は、徳川家・江戸幕府により、豊臣色を払しょくした修築工事を行う。


これが、私たちが今日見ている大阪城の基盤となる徳川大坂城である。





余談ですが・・・竹千代(家康)は、織田家・今川家の両方の人質となったのですが、最終的には、元々の君主であった今川家よりも対立する織田家を選び、同盟を組んでしまうのは、何故なのだろうか?

*竹千代の家(父)は、有力大名・今川家に忠誠を誓っていた。
*その誠実さを示すために竹千代を人質に差し出し、また妻の兄が織田家に付くと、離縁したほどである。

・・・・・・・





後の家康である竹千代は、父方よりも母方に感性が似ていたのだろうか?
竹千代の伯父(母の兄)は、織田家を選んでいる。

若しくは将来の天下人の嗅覚なのだろうか?

あるいは、自身を人質に差し出し、母を離縁した父やその原因である今川家に背いたのだろうか?





家康は思慮深いと、(あるいはタヌキとも)言われています。
彼の長い人質生活が、与えた後天的性質かも?知れません。
感情を表に出さないことで過酷な環境の中、生き残って来た人なのだろうなぁと思います。





織田信長の豪放磊落な性質は、野生児で思うままに生きて来た証だとしたら、豊臣秀吉の創意工夫も家康の思慮深さもなんとなく腑に落ちるような気がします。



家康の思慮深さ・・・時に非人間的な策略家であったり、良くないイメージもありますが、自身の大坂城入りが間に合わず、秀頼自害の報を聞いて泣いた。という伝説も残っています。



現在に生きる私達は、当然、その場にいたわけでもなく、会ったこともない歴史や歴史上の人物なのですが、色々な史実(もちろん、真贋は別とした伝説も含む)や残された品々を見ていると、なんだか身近に感じられたのも不思議でした。



(次号に続く)




























































2016年09月13日

屋号#大阪丸その(40) (大阪城*U  豊臣大阪城)






(大阪城*U  豊臣大阪城)





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私自身は、大阪城と聞いてまず思い浮かぶのは、昔、学校の歴史で習った豊臣秀吉が安土・桃山時代に築城した大阪城でした。




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しかし、(大阪城Tで前述もしましたが)現在の私たちが目にしている大阪城は、豊臣秀吉が建てたものではなく、実は徳川家二代目秀忠・江戸時代の遺構の上にあるものなのです。

(厳密には、現代の天守閣は鉄骨鉄筋コンクリート造=いわゆるSRC造です。近年に再構築されました・・・【近代における大阪城】は後述予定。)



冬の陣・夏の陣も記憶にはあるのですが・・・知識不足ゆえ、その後に徳川2代目徳川秀忠や江戸幕府により、豊臣色を払しょくする修築工事が行われていることは知りませんでした・・・。




(端的に言うと、江戸時代からの度重なる火災や落雷→ほとんどが消失→昭和初期に市民からの募金150万円で再建→第二次世界大戦での空襲の標的も経る。→幾度もの災難をくぐり抜け、その都度、沢山の手を経て、現在の姿があります。現在の大阪城の土台は、徳川家と江戸時代築城の時のものです。)



1959年(昭和34年)の大阪城総合学術調査において、城跡に現存する櫓、石垣などは全て徳川氏、江戸幕府によるものであることが確認されています。






************





本来の羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が築城した大坂城。
(註釈*当時、大阪は大坂と表記されていました。)


実は地中に【豊臣大坂城】の遺構が残っています。
(豊臣大坂城は、丹羽長秀が築城した安土城の石垣をそのまま踏襲。)
現在の大阪城地下7メートル下から、当時の石垣が発見されています。


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今回は、【豊臣大阪城】にスポットを当ててみたいと思います。





〜安土・桃山時代に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)により築城された・・・通名【豊臣大坂城】〜





摂津・上町台地北端に築いた平山城である。または輪郭式平城。

地形的に恵まれてもいた。
北に流れる淀川に旧大和川が合流し、その辺りには瀬戸内海最大の港・渡辺津があった。
また堺や京都、山陰をもつなぐ陸上的にも重要な箇所でもあった。
つまり水陸ともを網羅出来る要塞なのである。

元は浄土真宗の本山である石山本願寺があったとされるが、天正8年(1580年)、石山合戦の講和後、織田信長に明け渡された地でもある。
織田信長は、この地に新たな城を築くことを検討していたと言われている。


しかし本能寺の変で織田信長は暗殺される。


●翌・天正11年(1583年)
信長の後継者として天下統一を目指す秀吉がその拠点として、石山本願寺跡地に築城を開始する。

・輪郭式平城・・・本丸を中心とし、大規模な郭を同心円状に連ねている。その間に内堀・外堀を配置した。
秀吉は水陸の要塞として、辺りも見渡せるよう考慮したといわれている。


●天正13年(1585年)
豪華な望楼型天守の完成・・・5層6階地下2階。
金箔瓦。金の飾り金具。黒塗りの下見板など。
秀吉の当時の威光を表わすにふさわしい豪華絢爛たる城であった。


●天正18年(1590年)
小田原攻めより、小田原城の総構えからヒントを得て、町屋を囲む総構えを築く。


●慶長3年(1598年)秀吉死亡まで、城の拡充は続いていた。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜



ここまでが、【豊臣大坂城】の簡略化した歩みなのですが・・・



豊臣秀吉死後、関ケ原の合戦に敗れたのち、豊臣家は摂河泉65万7千400石の一大名に転落します。・・・しかし二代目秀頼は、秀吉亡き後も、豪華絢爛な大坂城を居城としていました。


●1614年(慶長19年)大坂冬の陣・・・徳川家康率いる大軍に攻められ、篭城戦を行う。
そして講和が結ばれ、二の丸、三の丸などの破却が取り決められ、大坂城は内堀と本丸のみを残す裸城となる。


●秀頼は堀の再建を試みる。
しかし、これが講和条件破棄とみなされる。


●1615年(慶長20年)大坂夏の陣・・・冬の陣から4か月後、大坂城はついに落城し、豊臣家は滅亡。



ここまでが、実質の豊臣大坂城の(簡略化した)歩みとなります。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜



その後は、どうなったのか?というと、前述(大阪城T参照。)した通りです。




●落成後の大坂城は、徳川家康の外孫である松平忠明に大坂城下の復興の任務とともに与えられます。


●1619年(元和5年)に忠明は大和郡山に移封。


●江戸幕府は大坂藩を廃止し、大坂を幕府管轄領(天領)とした。


●その後、二代目将軍・徳川秀忠、江戸幕府による豊臣色を払拭する大坂城の修築工事が行われた。


(因みにこれ以降の大阪城を【徳川大坂城】と呼びます。)



〜〜〜〜〜〜〜〜〜





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(上の図=豊臣大坂城(右)、徳川大阪城(左)にある極楽橋。下写真は徳川大阪城由来の現在のもの。その下絵図は豊臣大坂城の極楽橋。)


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【豊臣大坂城】と【徳川大阪城】

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【豊臣大坂城】の図面資料

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はるか悠久の史実に想いを馳せながら、【豊臣大坂城】の姿を想像するのも良いかも知れません。





全体像が分かり易い*写真は、当時の【豊臣大坂城】を再現された城郭模型作家・島 充氏の作品です。
(今回、ご無理を言ってお願いし、島さんより写真をご提供して頂きました。)





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上記は城郭模型作家・島氏の作品なのですが、当時の【豊臣大坂城】を三次元・立体の姿で垣間見ることが出来、大変、参考になりました。

(城郭模型作家・島 充氏の作品ギャラリー*** http://www.geocities.jp/joukakumokei/ )




(城郭模型作家の島 充さん、ご協力、本当にありがとうございました。)







(次号に続く)










































2016年09月05日

屋号#大阪丸その(39) (大阪城*T)







屋号#大阪丸その(39)
(大阪城*プロローグ)




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今回は、大阪城を特集してみたいと思います。



大阪城の様々な側面を上手くとらえることが出来たら、良いのですが・・・。






〜〜〜〜〜〜〜〜〜





【大阪城/大坂城】
(別名:金城、錦城)



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●以下、プロローグ編



大阪にある歴史的にも有名なあの大阪城です。




今から数カ月前の暖かなある日のこと、大阪城に行ってみることにしました。
子供の頃以来のことです。



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環状線・大阪城公園駅で降り、大阪城ホールの方向を歩いて行きます。



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その日は若い女性が、沢山、駅で降り、大阪城ホール方向に向かって歩いていました。
思い思いのお洒落をお友達と楽しみつつ、うちわやタオルなど、グッズを手にして・・・。

その賑わいは大阪城ホール前周辺ではピークに達していました。



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本当に沢山の人達・・・・・ほとんどが、綺麗に装った若い女性達。


後から知ったのですが、TVにも出ているジャニーズの若手グループのコンサートのようでした。

(余談ですが、コンサートが始まる前の早い時間帯に大阪城ホールか→駅→電車で戻っていく人達は、ジャニーズファンでありながらもチケットが取れず、せめてとばかりにグッズだけ買いに来て戻る人達のようです。
偶然ですが、知人の娘さん達もチケットが取れず、グッズだけを買いにこの日、大阪城ホールに向かったそうです。)





その人並みをかぎ分けるように大阪城ホールの横を通過し、大阪城公園に。
(裏にあるコンサート用のトレーラーも越えて、大阪城公園の中心部を目指します。)



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やっとのことでたどり着くと、大阪城のお堀の外側で、皆、楽しそうにバーベキューしていました。
子供たちもバーベキュー横で、ローラースケート、ローラーボードや一輪車、などを楽しんでいて。



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こんなところでバーベキューは有り?なのかなぁとも一瞬思いましたが、実は、この辺りはバーベキュー解放地区でした。
わいわい、楽しそうです。


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*********************************





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お堀沿いに真田幸村の恰好をされた方達の行列に出くわしました。
NHKの大河ドラマで脚光を浴びた大阪城のPRのようです。



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季節は春から夏にかけてのこと・・・この日も暑い一日で、赤い武将の恰好の方も汗をぬぐいながらの出陣でした。






お堀の周りにある水路に架かっている小さな橋を渡り、既に見えている大阪城を見ながら、城壁の石垣を眺めつつ、進んで行きます。



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いわゆる残念石(築城の為に切り出されたが、実際には使われなかった石達)が設置してある小さな公園を歩きました。

山里丸という場所だそうです。



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模様が入った様々な石が、あります。
刻印石=築城にかかわった大名が持って来た石を示す印。他大名に持っていかれない為に刻印したといわれています。



少し奥に、敵陣に追い詰められた秀頼と淀君が自決した辺りに石碑があります。



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木々に囲まれた空間は、はるかかなたの歴史に想いをはせながらの小休憩には良いかも知れません。



幾人かの鷹匠の方達が、タカを手に止まらせていました。

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さらに木々の間に見える大阪城天守閣方面を目指して行きます。




大阪城のチケット売り場で、チケットを購入後、長い列を並んで入場を待ちました。
列の中には外国からの旅行者の方も多かったです。




列で並んでいるときに横にある案内板で、お城の天守閣近くの小高い丘の地下に上水道【大手前配水池】があると書かれていました。

こんな場所に、しかも地下に?と思いましたが、約120年前に作られた明治生まれの近代的上水道は今も健在だそうです。

今、現在も淀川からくみ取った飲み水を電力を使用せず、自然放流やポンプで周辺地域に供給しているらしい。


一日の配水量は大阪市内全体の3%を占めるとのこと。(約3万6千世帯に水を供給する貯水槽。)
場所は、大阪城天守閣に隣接しています。



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城前にあるサッカー場のような広い芝生に水槽が埋まっているようです。






かなり脱線しつつではありますが、ようやくお城の石垣に囲まれた大きな階段を上って行きます。



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石垣・・・・・クレーンなどの重機もない昔の人たちのすぐれた技術に驚きます。

大きな石をうまく組み合わせているのが分かります。



いよいよ大阪城。




その手前左側に井戸がありました。



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私はここであるものを発見しました。



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井戸の上に紋があったのですが、その紋はTVの「水戸黄門」などでおなじみの【葵のご紋】なのです。



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【葵のご紋】・・・・・三つ葉葵紋は、徳川家のルーツである松平家の家紋であったとのこと。(他説では、元は本多家や酒井家の説もあり。)
そもそもは賀茂神社の神紋であった葵紋(二葉葵)から、三つ葉葵紋は派生したとも言われています。
江戸時代には、この三つ葉葵紋を他家での使用禁止とし、徳川家一門だけに許された権威ある紋となりました。




私自身は、あまり歴史に詳しくないので、実は、一瞬、あれっ?!と思ったのですが・・・。
大阪城は、豊臣秀吉が築城したと記憶していたので。



豊臣秀吉築城は正解ではあるのですが、大坂城の歴史はそれだけではなく、その後、城の運命は激動の時代を経て来ているようです。






実は、通称「太閤さんの城」と言われる大阪城ではあるのですが、現在、地表に見える大阪城の遺構=城跡に現存する櫓や石垣も全て、徳川家、江戸幕府によるものと調査で判明しているそうです。



つまり私達が現在見ている大坂城は、豊臣秀吉による大坂城ではなく、徳川家、江戸幕府による大坂城跡なのです。
(厳密にいうと、江戸時代からのたびたびの火災や落雷、ほとんどが消失・・・昭和初期に市民からの募金150万円で再建。しかし第二次世界大戦の空襲でも大坂城は標的となり、火の手をあげ、多大な被害を受けています。幾度もの火災などの災難をくぐり抜けて、現在の大阪城は存在しています。)




●また後の号で、大阪城の簡単な史歴にも触れる予定ですが、簡単に要約すると、豊臣秀吉死後、関ケ原の合戦に敗れたのち、摂河泉65万7千400石の一大名に転落・・・しかし二代目秀頼は、秀吉亡き後も、豪華絢爛な大坂城を居城としていました。


●1614年(慶長19年)大坂冬の陣・・・徳川家康率いる大軍に攻められ、篭城戦を行う。
そして講和が結ばれ、二の丸、三の丸などの破却が取り決められ、大坂城は内堀と本丸のみを残す裸城となります。


●秀頼は堀の再建を試みます。
しかし、これが講和条件破棄とみなされます。


●1615年(慶長20年)大坂夏の陣・・・冬の陣から4か月後、大坂城はついに落城し、豊臣家は滅亡します。



●落成後の大坂城は、徳川家康の外孫である松平忠明に大坂城下の復興の任務とともに与えられます。





●1619年(元和5年)に忠明は大和郡山に移封。



●江戸幕府は大坂藩を廃止し、大坂を幕府管轄領(天領)としました。



●その後、二代目将軍・徳川秀忠、江戸幕府による豊臣色を払拭する大坂城の修築工事が行われました。





(その後やその他の史歴は、また別号にての予定です。)



〜〜〜〜〜〜〜〜〜






私が、ふと不思議に思った大阪城の井戸にある【葵のご紋】の意味が・・・大阪城の歴史を知ることで、やっと腑に落ちたのでした。





(次号に続く)


































2016年08月29日

屋号#大阪丸その(38) (あべのハルカス周辺no.17*隠れ家的なホテルランチ)




(あべのハルカス周辺no.17*隠れ家的なホテルランチ)




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あべのハルカス周辺の賑わいを離れて、隠れ家的な位置にあるホテルランチを今回は取り上げてみたいと思います。



実は、(あべのハルカス)のすぐ近くにあるホテルです。



(ホテル・トラスティ側から見たあべのハルカス)

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JR天王寺駅から、階段またはエレベーターで陸橋の方に出ます。

階段ふもとには、大阪名物豚まんの(551)があり、お客さんが並んでいたりするので、分かりやすいかと思います。



陸橋から、ほぼ正面向かい側に、ハルカスの薄い青緑のビルがそびえ立っています。
ハルカスビル下層に入っている近鉄百貨店の入り口が見えます。

そのハルカスを右手に、陸橋のやや左前を進んでいきます。

そして、突き当たりにあるビルに沿って左側の通路を歩いて行きます。
キューズモール方向です。



(阿倍野センタービル)キューズモール手前のビルです。



そのビルとキューズタウン・キューズモールの間に当たる空間に、Hotel-TRUSTY(トラスティ)Osaka Abenoはあります。

会員制のシティホテルですが、エントランスおよび隣接するレストラン等は自由に利用することが出来ます。



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位置的には、あの(ハルカス)と(キューズタウン・キューズモール)の間にあり、賑わう陸橋沿いに入り口があります。



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コンテンポラリーモダンな内装で、落ち着いた雰囲気のロビー。
そのロビーと地続きにあるカフェラウンジとバーが一体となったリビングダイニングルーム。


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(テラスカフェバー)で、朝食からランチまたはアフタヌーンティ、ディナーまで楽しむことが出来ます。



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*******



●営業時間


ブレックファースト・・・・・7:00〜10:00(LO  9:30)
         (日・祝)7:00〜10:30(LO 10:00)


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ランチ・・・・・・・・・・11:30〜14:00(LO 14:00)



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アフタヌーンティー・・・・14:00〜17:30



ディナー・・・・・・・・・17:30〜22:30(LO 22:00)



バー・・・・・・・・・・・17:30〜24:00(LO 23:30)




(注:LOは、ラストオーダーの略。)





*******



*LUNCH メニュー*



サラダやスープ食べ放題付きのお得なカフェランチ。
好みの一品+サラダ・スープのバイキング+コーヒーまたは紅茶を1ドリンク。(ホットコーヒーのみお替わり可)



●サラダランチ(サラダブッフェのみ)
・・・・783円(845円)


●牛すじカレー
・・・1044円(1127円)


●オムライス
・・・1212円(1309円)


●本日のパスタ
・・・1305円(1409円)


●今月のパスタ
明太子とじゃがいものクリームソース
・・・1305円(1409円)


●シーフードドリア
・・・1305円(1409円)


●チキンカツおろしポン酢
・・・1381円(1491円)


●ローストビーフ丼
・・・1515円(1636円)


●本日の魚介料理
・・・1566円(1691円)


●黒毛和牛のビーフカツ80g
・・・2356円(2545円)


●シェフズランチ
・・・1936円(2091円)


●スペシャルランチ
・・・3198円(3454円)


●シェフ自慢のスペシャリテ (〜要予約)
シェフの本格イタリアンコース ・・・3241円(3500円)



*事前申し込みで、食物アレルギーも相談出来るそうです。


*朝食(ブレックファースト)、Afternoon tea(アフタヌーン・ティ)、Dinner(ディナー)、Bar(バー)などのメニューやその他詳細はホテルのホームページなどでお確かめ下さい。



*******






にぎやかな天王寺の中心地にあると思えない落ち着いた雰囲気あるホテル内にある(テラスカフェバー)。



入り口は、阿倍野センタービルとキューズタウン・キューズモールの間に、ひっそりとあり、知る人ぞ知る、しかしパッと見には分かりにくいような場所なので、少し隠れ家的で素敵です。



(カフェテラス・バーは、ホテル・トラスティ Osaka Abenoの3階にあります。)

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店内は、数名ないし、何人かの女性客が多く(お友達同士若しくは女子会、ママ友会など)、ランチも自由に選べますし、アフタヌーンティーでケーキも選べるので、ゆっくりお話をするのに最適です。



また奥の部屋もあり、団体も可能なようです。

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にぎやか都心の中にありながらも、ゆったりとした雰囲気で少し隠れ家的な(ホテル・トラスティ 大阪 阿倍野)テラスカフェバーでの時間は豊かに流れて行きます。
友人たちと、ゆっくりしたい時には適所かなぁと思います。




(次号に続く)



































2016年08月16日

屋号#大阪丸その(37) (あべのハルカス周辺no.16*キューズモールとMIOなどの買い物エリア)




(あべのハルカス周辺no.16*キューズモールとMIOなどの買い物エリア)



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あべのハルカス周辺には徒歩10分内に様々なスポットがあり見どころ満載なのですが、一番、足を運ばれるのはやはり買い物エリアだと思います。





【天王寺駅前商店街】昔ながらの商店街は、もちろんのこと。

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【天王寺MIO】若者に人気のMIO。

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(ファッションも充実しています。)
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(JR天王寺駅すぐ横、ハルカス・アポロビル・キューズモールがある天王寺の中心地にあります。)
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(JR天王寺駅と天王寺MIO)
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【Q’s MALL】キューズモール。


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(道路をはさんで向かい側にハルカスがあります。)
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(キューズモールのエントランス、ガラス屋根からハルカスを望む。どちらも天王寺表玄関の新しい顔です。)
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【アポロビルとルシアス】
旧アポロビルとルシアスは、いくつかの連絡通路でつながっています。


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(古くからあるアポロビルには映画館やアミューズメント、ショッピング、レストランなどがあります。)
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(こちらは後から建設されたルシアスビル。スカイレストラン始め飲食店やショッピング、エステとフィットネス、オフィスなどです。一階周辺には、ずらりと人気ラーメン店やパスタ屋さんなど、レストランが立ち並んでいます。)

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キューズモール横にある【Via あべの Walk】
キューズモール1階玄関右手側横から入ると分かり易いかも知れません。


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(余談*ずらりと美味しそうな食べ物屋さんが並びます。
前述したキューズモール1階右手側から入ると、手前左手側に老若男女が集う(正宗)居酒屋さんが見えます。

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その通路を奥に進んで行くと右側側に洋食屋さんが、三軒、それぞれのランチメニューを掲げています。
老舗グリル マルヨシ(欧風料理)、真ん中の通路一角にあるパシオン・エ・ナチュール(ビオバル&コーヒー)、そして、こちらも有名なビストロ・カフェ 羊の家(創作洋食)。
若い女性がお昼時に並んで待っていることも多いのですが、この洋食屋さん三軒の食べ比べも楽しいかなぁ?と思います。
地元に住む友人には、ワイングラスが並ぶカウンター越しにシェフの調理が見える、木のテーブルがあるパシオン・エ・ナチュールを勧められて、煮込みハンバーグをランチで頂きました。美味しかったです。)

(パシオン・エ・ナチュール)
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(グリル・マルヨシ)
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(ビストロ・カフェ 羊の家)
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(洋食ランチ激戦区の通り。1階。)
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(ランチ価格もメニューによりますが、煮込みハンバーグランチは1000円で数百円のお釣りが来ました。)



(以下、Via あべの Walk)

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●1日では、回りきれない位にショッピングエリアや飲食店が多種多様で満載かつ、充実しています。
(ほぼ全てのものが揃う程でもあります。)
梅田や難波に並ぶ、主に若い人達に人気があるショッピングエリアです。
その中でも、ハルカスとその周辺=天王寺は、カジュアルなお店が多いことと、比較的近い距離に若い人達のショッピングエリア等が集中しているので、気軽に買い物しやすいのかも知れません。

(次号に続く)






































2016年08月14日

屋号#大阪丸その(36) (あべのハルカス周辺no.15*大阪市立美術館と慶沢園)  





(あべのハルカス周辺no.15*大阪市立美術館と慶沢園)



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天王寺公園の中に位置しているのが、大阪市立美術館と隣接する庭園(慶沢園)です。
 


表通りからの入り口はもちろんのこと、天王寺公園の奥、天王寺動物園の右側にある階段を上がり、下に降りると、横からも入ることが出来ます。



この大阪市立美術館も横にある慶沢庭園も旧・住友家の本邸跡地で、美術館建設を目的として、大阪市に敷地と庭園共に寄付されたものだそうです。



大阪市立美術館は1936年5月1日に開館されました。



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*****大阪市立美術館*****



 所在地:〒543-0063 
大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-82

電話番号:06-6771-4874

開園時間:9:30〜17:00
    (入館は16:30まで)

休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)
    年末年始
(12月28日〜1月4日)
    または展示替え期間

交通機関:
●JR●地下鉄谷町線●御堂筋線
「天王寺」駅下車、

●近鉄南大阪線
「あべの橋」駅下車、
    
●阪堺電軌(路面電車)上町線
「天王寺駅前」駅下車、
    
または●市バス
「阿部野橋」駅下車、
徒歩約10分
(天王寺公園内)



駐車場:専用駐車場なし。
    
    天王寺地下駐車場。
    
    または周辺駐車場。
    
詳細は(屋号#大阪丸その(16) あべのハルカス周辺no.4*天王寺動物園の*余談*を参照。)

延床面積:7006平方メートル




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【常設展示】

料金:一般*****300(150)円
   高大生****200(100)円
   中学生以下**無料
   ・( )内は20名以上団体料金



所蔵品数:約8000点
(美術館本館陳列室館蔵品)
日本の彫刻・絵画・金工・陶磁・漆工
中国の彫刻・絵画・金工・陶磁・漆工
等、分野別に随時展示。
                

絵画や漆工など分野によっては1か月ごとの陳列替え。

また特別なテーマを設けて作品を陳列する特集展示、企画展示も随時あり。



*付設されている美術研究所では素描・絵画・彫塑の実技研究を行っています。



*全関西美術展や日展なども展示されます。



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*常設とは別に様々な国内外の展覧会を催しています。

(ちなみに2016年8月現在は、デトロイト美術館〜大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち〜を開催中。)
モネ、ドガ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、マティス、モディリアーニ、ピカソ他



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2016年7月9日(土)
〜9月25日(日)
  
開催時間:9:30〜17:00
(入館は16:30まで)
(別途)料金:一般****1500円
      
 高大生***1000円



余談・・・残念なことに大阪市立美術館にあったレストランやカフェが閉店となり、もっか飲食施設はない状態にあります。
ただ天王寺公園入口(てんしば)はもちろんのこと、この界隈は飲食店が多くあるので困ることはないのですが、様々な美術展のポスターを張ってあったレトロなレストランの閉鎖・・・少し淋しい気もします。





*****慶沢園*****



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所在地:〒543-0063 大阪府大阪市茶臼山1-108(天王寺公園内)

電話番号:06-6771-8401

入園料:150円



大阪の天王寺界隈にあるとは思えない風情の慶沢園。(けいたくえん)

元は住友家の茶臼山本邸庭園として、1918年(大正7年)に完成したとのこと。

1908年(明治41年)から10年がかりで、木津氏の設計、小川治兵衛氏の作庭により造園。



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大小3つの島が浮かんだ池周辺の林間を回遊し鑑賞する様式。(林泉回遊式)



全国から名石・名木を集めた広大な日本庭園である。
大阪市指定文化財。

四季折々の花や鳥や池や滝。



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目の前を都会の喧騒を忘れたような日本庭園が広がります。
(もちろんあべのハルカスの高い建物も見えているのですが・・・)



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池を中心に周回路を歩き、東屋もあり、ゆったりした時間と空間を楽しむことが出来ます。



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大阪には見どころがいっぱいあり、その一部を紹介するのもまだまだ時間がかかりそうなのですが、この天王寺界隈はもっか(あべのハルカス)を中心として、最先端の街でもあり、また古い歴史を感じさせる街でもあり、散策場所はつきません。



今回、取り上げた大阪市立美術館と慶沢園は天王寺公園内にあるのですが、あべのハルカスから出発したこの散策コースからは、ほんの10分程度の場所。

そこはこのブログにも取り上げた(てんしば=天王寺公園)(天王寺動物園)があり、童心に帰った後、美術館で目の保養をし、隣接する慶沢園で大阪の中心地である都会の喧騒を離れ、本格的な日本庭園でゆったりした時間と空間を楽しむのも良いかも知れません。



ひとつひとつ丁寧に回るのも良いですし、周辺のいくつかある場所を組み合わせて回るのも良いかなぁと思います。



もちろん、まだまだ散策は続きます。





(次号に続く)







































2016年07月03日

屋号#大阪丸その(35) (あべのハルカスのてっぺん=ハルカス300ヘリポートツアーno.1)





(あべのハルカスのてっぺん=ハルカス300ヘリポートツアーno.1)




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あべのハルカスの特集(この屋号#大阪丸ブログ(2)〜(11)にあたる「あべのハルカス」no.1〜no.11参照)をブログに書いてから数か月が経ちました。
唯一、抜けていた?てっぺんである頂上階=ヘリポートツアーのあべのハルカスを今回はとりあげようと思います。







【ハルカス300 ヘリポートツアー】
*あべのハルカスの屋上に位置するヘリポートを見学する特別なツアーです。


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@10:00〜          
A10:50〜          
B11:40〜  
C12:30〜  
D13:20〜  
E14:10〜 
F15:00〜 
G15:50〜
H16:40〜
I17:30〜
J18:20〜
K19:10〜     
L20:00〜
  




*各回、先着30名定員。
ツアー参加料金(入場料金とは別途。4歳以上一律料金。注:3歳以下は参加不可。):500円



展望台ご入場後60階インフォメーションカウンターにて、当日申し込みのみ。
(注:事前申し込みや予約はない。)
天候などにより、予告なく中止あり。



ヘリポートへは階段での移動ゆえ、ご自身で階段を上がることが困難な場合は、参加不可。
(出来れば、歩きやすい靴が望ましく思いました。ヒールだと大変かも?知れません。)



集合から解散まで約30分。
ヘリポートの見学は15〜20分程。






まず60階にあるインフォメーションカウンターに当日、申し込みをし、料金を支払います。
ツアーに関する注意事項を遵守する同意書を提出。



説明を受けた後、黄色い腕輪(赤ちゃん出産時にするような?輪っかです。)をもらった後、身に着け、ロッカー(ロッカー代100円は後で戻ります。)に手荷物を預けて、両手が自由になる程度の身軽になります。


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いよいよツアー乗員さん?に続いて階段を上がって行きます。
(ちなみに一部の階段はあまり歩き易い階段ではなかったです。60段。幼いお子さんや足腰が弱いご高齢の方は難しいかも?知れません。)




階段を上がりきると、いよいよ地上300メートルの360°のパノラマに到着。


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思ったより、安全な空間でした。



真ん中にヘリポートがあり、四方を金属製の【囲い】がありました。
その【囲い】は、朝夕、スタッフで手分けして、時間を掛けて上げ下ろしされているようで、その作業は結構大変だとスタッフの方にお聞きました。

またその【囲い】の上には、ギザギザが・・・・・。


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いわゆる「忍び返し」が、四方の【囲い】の上に設置されていました。

(注:忍び返し=盗賊などの侵入を防ぐため、塀などの上に竹・釘などとがったものを取り付けたもの。
矢切り。盗賊がへいを乗り越えられないようにするためのもの。)


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ハルカスのてっぺんにある「忍び返し」はやはり金属製でした。
通常は外部からの盗賊などの侵入を防ぐためにあるものですが、ハルカスの場合は、地上300メートルの外部からの侵入というよりは、無謀な人達が内部から危険な空間に入らないよう、飛び降りないように設置されたのかなぁとも思いました。



今のところは、日本一高いところにある「忍び返し」には違いありません。



360°にその「忍び返し」のある【囲い】から、さらに内側に線が引いてあり、写真撮影時も決して入らないようにと注意があり、スタッフの方が、線越えをしていないか?どうか?もチェックされていました。


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360°のパノラマ風景、現在日本一の地上300メートルの風も感じながら、辺りをぐるっと見渡していました。

天上階である60階からガラス越しに見える風景とも、また一味違い、より高いところにいるのが分かります。



ただヘリポート中心にしっかり【囲い】があるので、高所恐怖症の方でも大丈夫だと思います。



ツアーの添乗員さんから簡単な景色の説明もあります。



すっきり晴れた天候時や、かなり目をこらさないと?分かりにくいかも?知れませんが、いくつかの魅惑的な建物を教えて頂きました。



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北側のツインタワーふもとにある緑の屋根の大阪城を見つけたら、そのまだ直線上、向こう側に万博記念公園にある太陽の塔が見えるとのこと。

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西側に海遊館。



そしてその近くにUSJが見え、その中に少し黒く見える建物があります。

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そうです。あの有名なハリー・ポッターの【ホグワーツ城】です。
感動です。ハルカスから見える【ホグワーツ城】。
(すごく小さく見えるので、望遠鏡があれば、もっと良かったなぁと思いました。)



もちろん、今の時期なら、PLの花火も天神祭りの花火も淀川の花火も見えるそうです。



お天気が良ければ、京都タワーも見え、このパノラマは関西圏の魅力を360°見渡すことが出来る絶景でした。

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あっという間に時間も経ち、最後は記念撮影。
先程のインフォメーションカウンターに戻った時に撮影された写真を気に入れば、購入することが出来ます。
(もちろん、ご不要の場合は無料です。)

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シリアル番号が記載されている黄色の輪っか(腕輪)は、ツアー後、記念品として頂きました。


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あべのハルカスは、様々な側面や用途や顔を持っていますが、それゆえ、楽しみ方も多種多様だなぁと思いました。



次号以降は、まだ取り残している(あべのハルカス周辺)を再び、少しぶらりとした後、大阪城まで足を延ばす予定です。






 (次回に続く)



























2016年05月31日

屋号#大阪丸その(34) (阪堺電車の姫松で和菓子とお茶)




(阪堺電車の姫松で和菓子とお茶)



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天王寺の阿倍野ハルカスから出発して→その周辺をぶらり→あべの地下街=通称あべ地下→懐かしいミツヤレストラン→天王寺公園の”てんしば”→天王寺動物園→通天閣→新世界→上本町の美味しいランチ(大人気ワンコインランチの海南亭→国際交流センターにあるビュッフェ・レストラン・ラッフィナートのバイキングランチ→新歌舞伎座とその店舗など)→鶴橋コーリャンタウンのある街などを思いつくままに散策して来たのですが、再び、天王寺に戻りたいと思います。

この界隈で、あといくつかの回りたい所や追加で書き足したい所もあり・・・。



今回は、天王寺から出ている阪堺電車(昔からある路面電車=ちんちん電車と呼ばれる方もおられます。)に乗って、美味しい和菓子を食べに行きたいと思います。



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はるか昔の学生時代、仲の良い友人に連れて行って貰った和菓子屋さんです。

30年近く前なのですが、風情があるお店なので、ふと思いついて探してみると、お店は変わらぬまま、そこにありました。

当時と変わらぬまま、健在だったので嬉しくなって久しぶりに天王寺から出ている阪堺電車に乗りました。


阪堺電車の乗り口は、阿倍野の地下街から階段で上がったところです。



(あべのハルカスのすぐ近くに阪堺電車があります。)
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(まず、ともかく地下街に降ります。そして案内板の阪堺電車上町線の方向に沿って歩いて行きます。)
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(地下街のパン屋さんの角を曲がります。)
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少し分かりにくいかも?知れませんが、案内板に沿って進んでいくと、たどり着くことが出来ます。



現在、運転されている路面電車は、かなり古くから使用されている車両と、最新鋭の車両とがあります。



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(かなり古くからある車両・・・どこか懐かしい感じです。乗降口にある手描き風の文字もレトロです。)
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(最新鋭の車両・・・・・・・・乗降口も最新鋭の造りで、車内も新しい感じがします。)
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阪堺電車の路線については後日、取り上げてみたいと思いますが、今回は和菓子屋さんで風流なお茶を楽しむ為に(姫松)という駅で降ります。



天王寺から少し走った帝塚山手前辺りになります。



(路面電車の駅もレトロです。)
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(姫松の駅から、進行方向にまっすぐ進み、交差点を渡ります。なおも進行方向を歩いて行くと数分で和菓子屋さんが左手に見えて来ます。)
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いよいよ、和菓子屋さんに到着です。
(老舗の福寿堂*秀信)
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(和菓子屋さん*福寿堂秀信の横に併設されている。)
【茶寮 季(とき)】
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(店内の日本家屋的な照明の灯りが優しく和みます。)
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(京都の割烹のお座敷にあるような中庭、とても風流です。)
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(木目調のつい立で仕切られていますが、横の和菓子屋さんとは行き来出来るようになっています。)
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(和菓子屋さんの方は、季節の生和菓子、上質な落雁(らくがん)、贈答品用の和菓子などが並んでいました。)
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(福寿堂秀信の干菓子、お雛祭りや夏のひまわりやバラを形どったもの〜クリスマスまで、隠れた人気を誇るものもあります。季節を形どった干菓子とお抹茶や美味しいお茶を頂くのも楽しみの一つです。)
(和菓子の生菓子も季節ならではの・・・まるで俳句の季語のように色々あり、また綺麗なお菓子なので、こちらも目で頂き、食べて頂き、季節を頂く、楽しみがあります。)
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(中庭を眺めつつ・・・贅沢な時間が流れます。和ならではの空間です。)
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(美味しいワラビ餅とアイスのお抹茶を頂きました。どちらもとても美味です。さすが、老舗の和菓子屋さん。)
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風情ある中庭も店内も美味しい和菓子やお茶も、学生時代のイメージのまま変わっていなくて とても懐かしく、また嬉しい1日でした。





美味しかったです。





阪堺電車(姫松)→(天王寺)
帰りの路面電車から見えたキューズモール
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路面電車は天王寺駅に着。
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阪堺電車沿線は、まだまだ沢山の魅力あるところがいっぱいです。



例えば、終着駅でもある浜寺。



浜寺公園は300種6500株のバラ庭園も綺麗だそうです。
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また”日本の名松100選”にも選ばれています。

バーベキューなど人気のコーナーも。
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沿線では、他にも帝塚山周辺の魅力や、堺方面では与謝野晶子や千利休にまつわる箇所もあり。
さらに足を伸ばすと大型古墳の”仁徳天皇陵”も。

また今回の他にも和菓子巡りができるほどの老舗がずらりとあります。

阪堺電車の沿線は、また後日になりますが、まだまだ取り上げてみたいところが多々あります。

(次回に続く)



























2016年05月22日

屋号#大阪丸その(33) (大阪鶴橋=コーリャンタウンのある街A)




(大阪鶴橋=コーリャンタウンのある街A)


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大阪鶴橋の商店街は、鶴橋駅を中心に東成区、生野区、天王寺区にまたがる一大マーケットです。



その商店街に入る前に日本最大のコーリャンタウンにまつわる話を載せておきたいと思います。



生野区は約12万人の人口ですが、そのうち、約3万人は在日朝鮮人、または在日韓国人です。
日本に帰化された方も日本人としてカウントされていますので、実際の血脈としての在日朝鮮人、在日韓国人の方は約3万人以上とも言われています。

古くは飛鳥時代からこの地に渡日した朝鮮人や韓国人が住み着いたとも言われています。
近年、さらに集住地となり、日本最大のコーリャンタウン=コリアタウンとなりました。
これから紹介する商店街もコーリャンタウンならではの個性を発揮しています。



また有名な話なのでよく御存知の方もおられると思いますが、現・北朝鮮の後継者、金正恩の実母・高英姫(コ・ヨンヒ)がこの大阪鶴橋の在日二世出身者です。

実母・高英姫の父には二つの諸説があり、ひとつは渡日した朝鮮人のプロレスラーで1960年代に北朝鮮に一家で戻った高太文であるという説。

もうひとつはやはり渡日し日本の軍需関係で働いていたが、後に密航船を運営していた為、ほぼ強制送還に近い形で北朝鮮に戻った高ギョンテクであるという説。

現在は色々な資料などから、後者の高ギョンテクが高英姫の父である説が有力視されています。

北朝鮮に戻ってからの経歴は一貫しており、平壌音楽大学卒業後、万寿台芸術団で舞踏家として活躍。
その後、見染められて金正日の三番目の妻になり、寵愛を受け、後継者・金正恩含む三人の子供をもうけています。

二番目の妻が精神を病んでモスクワの病院に入った後は、ファーストレディの扱いを受けていたとされています。
2004年、癌によりパリの病院で死去。




*政治的な様々な思想の見地から、政治的な意見等は差し控えさせて頂きますが、北朝鮮の後継者の実母が大阪鶴橋のコーリャンタウンの在日二世出身であることは間違いないようです。




ただ神格化を図りたい北朝鮮側からは、トップの実母が在日二世出身の件は機密にしておきたい事項のため、在日朝鮮人、在日韓国人世界では当時のことはかんこう令が敷かれているとも言われています。

また別の説では、高英姫の父は済州島出身である。他には百済王家の血をひく等の諸説もあります。

前者は神格化を図る場合は邪魔な噂であり、後者は逆に神格化を図る為には好都合と言われています。




余談ですが、実際の百済王の末裔のうち二人の王子は日本に逃げ込んだ後、行き先を探し当てた敵との闘いに破れ、日本ではその地に百済王末裔の神社が出来ています。
百済に残った百済王直系の王子は滅ぼされています。

ちなみに昔、この鶴橋にあるコーリャンタウンを百済の街と呼んでいたことがあるようです。

また平野川を百済川と呼んでいたことがあるようです。
平安時代にあった百済群を流れていたのが呼称の由来になっています。



*上記に記述した政治的見解については、北朝鮮側や韓国側はもちろん、立ち位置や思想や政治的イデオロギーや信条、それに伴う感情が皆それぞれ異なります。
もちろん、それ以外の各国の見解も当然、異なります。

また日本側も、日本人・在日朝鮮人・在日韓国人・また日本人に帰化された方達(その中でも北朝鮮寄りの方、韓国寄りの方がおり)、それぞれのその時の政情、また各世代や各個人にもより、立ち位置や政治的見解や信条や感情も含めて全て異なる為、このブログには 事実のみ=北朝鮮の後継者・金正恩の実母は、大阪鶴橋のコーリャンタウン在日二世出身である。とだけ記しておきます。



【大阪鶴橋】が日本最大のコーリャンタウンのある街であることが分かって頂けたと思います。



前置き話が長くなってしまいましたが、東成区、生野区、天王寺区にまたがり、甲子園球場の約2倍、800〜900件位の店舗が軒を連ねている鶴橋の商店街に入りたいと思います。



(鶴橋駅を中心に西に隣接している鶴橋西商店街。)
(東に隣接している鶴橋商店街振興組合=つるしん。)
(つるしん、やや南にある高麗市場。)
(つるしん東側にある東小橋南商店街振興組合。)
(上記やや南側、大阪鶴橋市場商店街振興組合。)
(上記南側に位置する大阪鶴橋卸売市場協同組合。)
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(上本町側から千日前通りを歩いて行くと鶴橋駅にたどり着きます。)
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(鶴橋駅の東側に隣接している鶴橋商店街振興組合=つるしんにいよいよ入って行きます。)
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(古いアーケードに店舗が続きます。この辺りは衣類関係などがありました。幾重にも分岐点があり、それぞれアーケードは続きます。)
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(右手、履物屋さん。左手、洋服屋さん。)
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(本場韓国キムチやケジャンなど。)
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(韓国料理屋さんなど。)
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(今では珍しい、昔ながらの布団屋さんなど。)
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(衣類など。)
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(靴屋さん。)
(この一角を抜けるとキムチも含めた韓国食材を取り扱うお店が並びます。)
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(ちぢみ屋さん。)
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(トマトキムチやケジャン。)
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(キムチや韓国海苔巻き。このお店は豚足も扱われているようです。)
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(韓国海苔巻きが積まれています。)
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(韓国海苔巻きのちょうちん。)
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(キムチなど。)
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(若者も多く、ともかく大勢の賑わいでした。)
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(つるしんのてくてくMAPの看板。)
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(同じくつるしんのてくてくMAPの看板。)
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(この辺りは商店街と商店街を結ぶ中庭?のようになっていました。
若者や家族連れなどが、チヂミなどを買って、休憩がてらに店先にある小さな椅子などに座って食べていました。)
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(レトロな造りの古い天井。)
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(大根キムチなど。老若男女が買い物に集っています。)
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(この辺りになると、戦後闇市の面影そのままにお店が並びます。)
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(キムチ・チャンジャなどの韓物店。)
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(ふぐ・あんこう等の鮮魚がならびます。)
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(韓国の様々な食材が並びます。)
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(つるしん11班通り。買い物客で賑わっています。)
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(つるしんを抜けて、駅方向に向かいます。)
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(鶴橋駅沿いにあるむし豚や豚足のお店。)
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(鶴橋駅西口。)
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(同じく鶴橋駅。近鉄線。JR線あり。)
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(鶴橋駅から下記の地図を頼りに生野コリアタウンを目指しました。)
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(コリアタウン周辺案内MAP)
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(コリアタウンは4つ門があります。)
(御幸通中央門。御幸通中央商店街。)
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(コリアタウンのシンボルでもある百済門。御幸通東商店街振興組合。)
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(色鮮やかな唐辛子などの韓国食材が店先に並びます。)
(食材などは一部、駅周辺商店街よりも価格が安いところもありました。)
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今回、鶴橋駅やその周辺の一大マーケットである商店街やコリアタウンを歩いてきました。

鶴橋駅隣接の大商店街は古い造りのままで、昭和時代そのものでした。

またアーケードをはずれた場所ではレトロを通り越して、戦後の闇市そのままの風情がある場所もありました。
その一角でお店も持たず、樽漬けのキムチを売られていたかなり老齢のおばあさん。
(たぶん?推測ですが、朝鮮や韓国の方だと思います。)
昔ながら?の物販をされていました。
生涯現役を感じる気概。
すごい偉いなぁと思いつつ、高齢化社会のヒントがあるようにも思いました。

商店街やコリアタウンに行くまでは、在日朝鮮や在日韓国の韓国食材になじみのある人や一部マニア的に韓国食材などに凝っている方が多いのだろうと思っていたのですが、実際は老若男女、若いカップルや家族連れの方まで商店街やコリアタウンを存分、楽しんでおられました。

日本のさびれつつある商店街のアーケードよりも もっと造りも古い感じなのですが、沢山の買い物客で賑わっていました。

独特の個性を持つ【鶴橋】。
カジュアルに気軽に楽しめる街でした。

今回、【鶴橋】を歩いてみて、日本の最大であるコリアタウンの魅力を体験出来て良かったなぁと思いました。






(次号に続く)


































 














2016年05月20日

屋号#大阪丸その(32) (大阪鶴橋=コーリャンタウンのある街)




(大阪鶴橋編=日本最大のコーリャンタウンのある街@)



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今回は【鶴橋】を特集しようと思います。



S垣ご夫妻に教えて頂いた『海南亭』から歩いても数分です。
(屋号#大阪丸その27 上本町ランチ編を参照)

私自身は今回の【鶴橋】特集を組むのにあたり、実際、鶴橋に足を運んでみました。
当日はまず海南亭で話題の大人気ランチを食べてから、歩いて鶴橋にたどり着きました。



つまり上本町駅から千日前通りを歩いて鶴橋方向に行くゆるい坂を下り、中間地点である『海南亭』でランチ。
そこから、また千日前通りを歩いて数分。
鶴橋に到着しました。



まず【鶴橋駅】が、あります。



●近畿日本鉄道、いわゆる近鉄。
上本町駅や難波駅で折り返す近鉄大阪線や奈良線があります。

●西日本旅客鉄道、いわゆるJR西日本。
天王寺行き、大阪方面行きの環状線があります。

●大阪市交通局の大阪市営地下鉄。
千日前線の駅があります。



この【鶴橋駅】を中心に【鶴橋】は他の駅にはない独特な賑わいを持っています。



まずは、近鉄電車の大阪線、奈良線を仕事や学校、買い物などで常時利用される方はよくご存知だと思われる例の焼肉の匂いです。

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周辺は何軒あるか分からないくらいの焼肉店やキムチ店や韓国料理店のメッカです。



夕方から夜間に掛けて・・・つまり一番お腹が減る時間帯に近鉄大阪線や奈良線のホームにたたずんでいると、あの肉を焼いた香ばしいなんとも言えない焼肉の匂いが・・・。

時間帯からよると一部の方をのぞき、ほとんどの人達は1日働き、または1日学校やクラブで頑張った後、家路に向かう途中。
このなんとも香ばしい肉の焼ける匂いが、より空腹をくすぐり これを耐え忍んで家路に向かいます。



この駅に充満する焼肉の匂い=毎日夕方から夜間にかけて漂う、食欲そそる肉の焼ける香ばしい匂い。
実はこの鶴橋独特の匂いが、環境省のかおり風景100選に選ばれました。



余談ですが、かおり風景100選をのぞいてみると、全国区での森林やお花やお茶や潮の香り。お香の香り。など色々ありました。

鶴橋の香りは他とは少し毛色が違います。
どちらかと言うと、浜松名物うなぎの蒲焼きの香りが種類的には近いような気がしました。

昔から鶴橋では、お腹のすく家路頃に食欲をくすぐる香ばしい焼肉の匂いが漂っていました。
ほとんど意識することもないくらいに毎日当たり前に、焼肉の匂いと風景が駅や街に広がっていて・・・。

image.jpeg



改めて、かおり風景100選に選ばれた訳を納得しました。





鶴橋駅西には、朝鮮半島の民具や衣装などを売る店が並ぶ高麗市場。



東側には小売もOKの大阪鶴橋鮮魚卸売市場があります。
伊勢湾で水揚げされた天然物魚介類が鮮魚列車などで入荷されます。
大阪黒門市場と同じく食の宝庫として知名度が高い卸市場です。

実は鶴橋を通っている近鉄大阪線は上本町と賢島が始発駅であり終着駅です。
この間を列車が走ります。
(途中、伊勢中川で乗り換えると名古屋まで行きます。)
この沿線で魚を運ぶ列車を早朝見かけることがあります。
昔ながらのブリキ製の入れ物を積み上げ、人が運んでいます。
時々、運ばれている人が列車で横になって寝ている光景も目にすることも。
(貸切列車なので。)
駅での表示は(貸切)、そして列車の表示は(鮮魚)です。



また鶴橋は、日本最大のコーリャンタウンを持つ街です。

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(コーリャンタウン=コリアタウン)

世界各地に散在する韓国系、朝鮮系の人達が作った集住地。
アメリカ合衆国、中華人民共和国、日本が中心で、ロシアやアジアの一部にも一定数居住。(高麗人)
カナダも増えて来ている。
日本でも各地に点在している。
中でも大阪鶴橋と東京上野あたりは有名である。

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次号では、いよいよ甲子園球場の約2倍、800件以上のお店が軒を連ねる巨大マーケットでもあり、大変レトロな場所でもある鶴橋駅周辺の商店街を紹介したいと思います。


































 





















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