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あさこハウスは永遠に


筆者は基本的に偶像崇拝は行わない。
キリストにしろ、仏陀にしろ、人間として敬うが、崇拝しないことを原則にしてきた。
真言密教系僧侶の著作により瞑想を独学してきたが、やはり、その僧侶を師として仰ぐことはあっても崇拝するつもりはない。
その意は、宗教者というよりは、単なる瞑想家と呼ばれるべきゆえんでもある。

実際、宗教というのはその成立過程においても、また、宗教団体の成長過程においてすらも、タブー化、崇拝という精神構造と切っても切れない関係にあると言っても過言ではない。
崇拝=絶対化の段階では洗脳にも似た修行鍛練を行い、結果としてタブー化を生み出し、神秘と称して死角が生じ、タブーを核として、ときに無意味な暴走が始まることもまれではない。明治維新以後の日本、オーム真理教などの現れては消えていくカルト新興宗教の数々、数え上げればきりがない。


宗教の本質は、「死をみつめること」に終始するはずである。
「死」には、人生の喜怒哀楽すべてが含まれている。むろん、ささやかな悩みも含まれる。ニキビが気になって勉強できない、とか、彼女の口説き方がわからない、とか、それらすべてが死に含まれているといえる。死は人生の終着駅だから含まれるのは当然といえばいえる。もちろん、それの解決を宗教団体が行うべきか否かは微妙ではあるが・・・。
それら、すべての悩みを解消するのが悟りの境地であり、神の存在を感応することだと筆者は思うが、宗派ごとに無数に解釈法はあるようなのでここでは省くことにする。

まえがきが長くなってしまったが、筆者は原則として崇拝しない、と言いたかっただけのこと──。


だが、例外というのもあるもので、
故・熊谷あさこさんの反原発の遺志には敬服を超え崇拝したくなった。
彼女は、大間原発の建設予定地にて、最後のひとりになっても10億円の札束を積まれても日本原電に土地を売らず亡くなった青森県の人だ。
このような人ばかりなら、この世に原子発電所などできないのだけれど・・・・、なかなか真似できないね、筆者は無理だ (^^;。 まだ、修行中の身ですから σ(^_^;)?

今時、億の札束を拒否できる人は、偉人クラスの魂の持ち主だろう、きっと。
熊谷あさこさんの真摯なまでの魂に乾杯!!! \(^o^)

なにかキラキラするものが見えるような・・・・建前も本音も一緒の清らかで無邪気な心がみえた!!




市民ジャーナリストチーム青森のブログ
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あさこハウスSOS
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プロフィール

海風海太郎(俗称・ようじイルカ)
ながらく、フリーライターなどやりながら、プー太郎じみた熱血迷走人生をひた走ってまいりましたが、このたび、半坊半民の宗教家じみた瞑想生活を改め、心機一転、俗界にもどることにいたしました。
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