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民意とは・・・

コメントをくれたホロンさんのメッセージのなかに、民意という言葉が入っているのが気になった。
以前は、世論といっていたのが今では「民意」・・・・。
作家・古川日出男の言葉を借りれば、「民意という言葉が多用されるのは、世の中が『ロジックはもういい、気持ちだけでいいんだ』という方向にスライドしているから」だという。
確かに、論の世界は崩れてきている。
90年代にソ連が崩壊して以降、社会主義という論は消えつつあり、共産主義に未来があるとは思えなくなって久しい。
といって資本主義の論拠に楽観的に従う気もしない―――そんな気分のことをいうのだろう。論理的に築いた未来社会を夢見ることが不可能な時代なのだ。
「民意のバロメーターは快か不快かです。そこには過去ではなく現在、そして現在と直結した未来のことしか考えられない限界がある」(作家・古川日出男)とは、言い得て妙だ。
瞬間瞬間に変動する視聴率のように変わりやすい世の中になるということだろうか。
水素爆発でショックを受け原発反対になったが、電力供給のことを考えると原発賛成に変わっていくということだ。
節電で十分まかなえるのだから、今後は、災害時を考え、工場や地域ごとの自家発電設備や太陽光発電の充実を図ればいいものを原発稼動再開などを目指すのは、どの民意を反映しているのだろうか。
放射性物質を帯びた瓦礫は現地で処分すべきだ―――とは小出裕章(京都大学原子炉実験所・助教)の助言だが、現地での埋め立て材としての需要があるにもかかわらず、わざわざ、大阪まで運んで処分するのはどんな理由があるのだろうか。未来を考え、津波被害にあった海岸の埋め立てを行い、高度のある海岸線を確立すべきなのに、復興補助金のせいで、無理に大阪まで運んで焼却処分するという。焼却すれば放射性物質を濃縮することになり、それでなくても放射性廃棄物の処分場もないというのに、危険で有害なごみを敢て作るようなものだ。福島第1原発の燃料プールを冷却する水を廃棄する場所がなくなっているが、今後、場当たり的な官意を反映して処分できるのだろうか。





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プロフィール

海風海太郎(俗称・ようじイルカ)
ながらく、フリーライターなどやりながら、プー太郎じみた熱血迷走人生をひた走ってまいりましたが、このたび、半坊半民の宗教家じみた瞑想生活を改め、心機一転、俗界にもどることにいたしました。
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