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2016年12月21日
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2016年12月16日
遅すぎたサッカー人生からの栄光 イラン代表DFミラド・モハンマディー
(画像=Ole Asia)
本名ミラド・モハンマディー(モハマディー)・ケシュマールズィー
Milad Mohammadi Keshmarzi
生年月日:1993-9-29
出生地 :テヘラン市ファラド地区
Keshmarziという名が示す通り、祖父が北部のKashmarz出身。
身長/体重:178/79
話せる言語:アゼリー語(第一言語)、ペルシャ語、トルコ語
民 族:アゼルバイジャン人
ポジション:Utility(LSB/RSB/DMF/RSH/LSH/LWB/RWB/
LWG/RWG)
好きな選手:ジョルディ・アルバ選手(ちなみに弟のメフルダード
はロナウドと答える)
しばらく時間が空いてしまいましたが、今回はイランの選手のお話。
シリーズになって、好評をいただいていますが、今日は、イラン代表SB
双子のイラン代表選手としても知らる、ミラド・モハンマディーについて。
3次予選のイラン好調を支える、一人にもなってるモハンディー。
彼も、アズムン、エザトラヒと同じ、ロシアを舞台に活躍する海外組の
一人でありますが、少し前に、イランのkhomariに載ってた話だと、
初めて正式なチームに加入したのが14か15歳だったそうで、
これは、日本の感覚でもかなり遅い時期になると思いますが、その話も
含め、書かせてもらいます。
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略歴
ミラドとメフルダードは2012年からの兵役任務も含め、つい最近までは
ほぼ、同じ経歴を歩んできた、アゼリー系のイランの若手有望株の双子の
サッカー選手。
彼らは9年前の2007年にパーラーグと言う小クラブからキャリアをスタート
させた。なお、この時には、有望な選手は、すでにアンダー16イラン代表にも
招集され活躍していた時期である。
現在ロシア、テレク・グロズヌイでも主力になりつつあるミラドは、つい最近の
2014年までは、イランの2部アザデガン・リーグの弱小、ニルー・ザミニ
(Niroo Zamini F.C.)の一選手に過ぎなかった。
しかし、翌シーズン、1部、ラッハーハン(Rah Ahan)に移籍後は、トップリーグでの
輝きを見せ、そのシーズンには初めてケイロスから招集を受ける。
そのニュースはヨーロッパにも届き、オーストリア・Stグラーツと合意報道がされるが
当時のクラブの監督、カゼミの要望もあり、移籍は間際で破談に終わる。
クラブで安定したパフォーマンスを続け、翌年にロシアに移籍。
リーグではアシストも複数記録し、現在に至る。
プレースタイル
同じくポジションはユーティリティーに、どこでもこなすが、攻守にバランスの良い
ミラド、そして、より攻撃的なメフルダード。というのが一般的なイランメディアの評価。
2016年12月03日
日本4−0オマーン → 解任 → 大連監督就任
ついこの前、日本に来たばかりなのに、なぜかその後、すぐに解任されたのに、そのことが
スルーされてしまったロペス=カロさん。
でも、その後、すぐに大連の監督になることが決まり、すぐに監督に復帰。
オマーンの監督になる前に、サウジの監督をやってたんですが、その時には
結構、采配や戦術面で批判されてた事があったので、東アジアの中国では
自分のサッカーコンセプトが受け入れられると良いですね。
まぁ健闘を祈ります。
オマーン代表の後任には10人近くの名前が挙がり
サウジで監督歴の長いピツルカ、Jリーグで指導経験のあるイワン・ハシェック。
あとはラーゲルベック等の名前もあります。
スルーされてしまったロペス=カロさん。
でも、その後、すぐに大連の監督になることが決まり、すぐに監督に復帰。
オマーンの監督になる前に、サウジの監督をやってたんですが、その時には
結構、采配や戦術面で批判されてた事があったので、東アジアの中国では
自分のサッカーコンセプトが受け入れられると良いですね。
まぁ健闘を祈ります。
オマーン代表の後任には10人近くの名前が挙がり
サウジで監督歴の長いピツルカ、Jリーグで指導経験のあるイワン・ハシェック。
あとはラーゲルベック等の名前もあります。